50.火の神の骸
ジェイコブと真正面から対峙しながら、火炎の守護神オレクは己の斜め後ろで構える後輩に尋ねた。
「ヴァレリオ、残りの魔力はどれくらいだ?」
「……半分ほどです」
「まだいけるな。ニコロと共に私のサポートを」
了解、とふたりの声が揃う。
「ララ、それと申し訳ないがカイ殿。アマンダ殿下とディーノ殿下を頼む」
「わかりました」
「言われずとも死んでも守ります」
「……カイ?」
そこで初めて、ジェイコブがカイの姿を目に捉えた。
「へえ? アマンダと一緒にマトリカリアまで来たワケ? ずいぶん物好きだな」
「……おれにはおれで目的があってね」
「ふぅん。それで死んでちゃ世話ないな。……まとめてサヨナラだ」
水の神の骸が淡く光る。すかさずララがアマンダとディーノの前に土壁を築いた。カイもそちらに身を寄せる。
無数の氷の刃がこちらを向いていた。
「ヴァレリオは後ろに! ニコロ!」
「応ッ!」
オレクは指示を出しながら剣を抜く。高速で飛んでくる氷を、ニコロと共に剣で叩きをとした。
「速い……!」
カイは思わず呟く。
キン、キンと目にも留まらぬスピードで氷の刃をすべて切り落としている。オレクほどではないが、ニコロもほぼ取りこぼしがない。おかげでこちらまで届くのは、小さな氷の破片程度である。
「アマンダ、魔力貯蔵具は?」
「もちろん準備しています。でも乱発はできないもの。もしもの時のために温存しなくては」
カイは頷いた。それでいい。同時に風の精霊を呼んでみて様子を見る。
三つ目のミミズクは、少し怯えながらも姿を見せてくれた。風の神の骸はジェイコブの背後でふたりの魔術師に囲まれ、空中にある。ここからだとやや距離があるのだ。おかげで風の神の骸に向けるのでなければ、なんとか魔術が使えそうだった。
そうこうしているうちに、氷の刃の攻撃が止む。
「クソ、まさか剣をこれほど使えるとは……ならこれでどうだ?」
「む!?」
地面が、オレクの足ごと巻き込んで凍る。しかし同時に、タイミングを見計らっていたかのようにヴァレリオが呪文を唱え終えた。
「やれ、ニコロ」
ニコロの足が凍りつく寸前に、その足元に勢いよく土魔術の足場が出現する。彼はそれを踏みしめ、高く跳んだ。
高く、高く。ジェイコブの真上まで。誰もが一瞬、呆気にとられた。
「なっ……!」
「っ、らあああぁぁぁぁぁっ!!」
剣を突き立てる。水の神の骸へと。
ガキィィィン! と大きな音が鳴った。
「硬ェ……!」
水の神の骸が、少し欠けた。本当に少しだけだ。だが、欠けた。やはり神の骸も魔石なのだ。
ジェイコブが気色ばむ。
「貴様っ……」
「余所見をしていていいのか?」
火の魔術を使い、あっという間に氷の呪縛から逃れていたオレクがジェイコブの目前に迫っていた。
「──ここだ」
その鋭い剣が、水の神の骸の一点を突く。大きくヒビが入った。
「え……?」
ジェイコブが目を見開いた。巨大な水の魔石は次の瞬間、下半分を残して砕け散った。
そのままオレクの刃がジェイコブへと伸びる。
「ジェイコブ様っ!」
「むうっ!?」
「うわっ!」
強風に押し返され、オレクとそばにいたニコロ、少し離れていたはずのヴァレリオもまとめて後方へと追いやられた。風の神の骸を使った魔術師の仕業だ。
「貴様ら、なんてことを……!」
水の神の骸の惨状を見たジェイコブの顔が、怒りで真っ赤に染まっている。
「おいオレクのおっさん、まだ半分も残ってるじゃねえか」
「かけら程度しか砕けなかった若造のセリフじゃあないな」
うるせえ、とニコロは唇を尖らせる。余裕がありそうだ。カイはほっとした。
それにしても、強い。火炎の守護神オレク。彼はまだろくに魔術を使っていない。剣だけで神の骸を半壊させてしまったのだ。
「許さない……許さない許さない許さない! おいマウロ! さっさと持って来い!」
え?
ジェイコブが何を言っているのか理解できなかった。マウロ? それはマウロ司教のことか?
そういえば彼はどこに行ったのだろう。兵士たちに連れられて避難したと思っていたが、思い返せばそんな姿、見ていない。
カツン、カツンと階段を上る足音が聞こえた。
女神像があった場所の足元。いつのまにかそこが、ぽっかり開いていた。地下へと続く階段が、こんなところにあったのだ。その中から、マウロがゆっくり姿を現した。
──その手に、火の神の骸を持って。
「お待たせいたしました、ジェイコブ皇子殿下」
「……話には聞いていたが小さいな、その神の骸は」
ジェイコブの言うように、火の神の骸は削り取られて他のものより3~4割も小さい。聖者の手によるものだろう。
「どうしてですか、マウロさん……」
カイの問いかけに、マウロは悲しそうな顔で言った。
「以前忠告したでしょう。あれは私が、そういう経験をしたことがあるからなのです。……助けた相手が、極悪人だった。それだけのことですよ」
「父上の密偵を極悪人呼ばわりとは失礼だな。事実だけど。……まあ、仕事はこなしてくれたんだ。あんたの息子は解放してもらえるだろうよ」
……ああ、どうして気づけなかったのだろう。
思えば、彼は帝国の闇の女神についても詳しく知っていた。そのときに引っかかりを覚えても良かったのに。
「こっちに持って来い。……おい、もう奴らを神の骸に近づけるなよ!」
「はっ!」
返事をした魔術師の手により、風でオレクたちの動きが封じられる。……マズい。
ララの壁の後ろに隠れているカイたちは自由だが、火の神の骸を手に入れようと動けばすぐに妨害に合うだろう。まだジェイコブとマウロ司教の間には距離があるが、このままでは何もできないまま火の神の骸が帝国の手に渡ってしまう。どうする。──距離。そうだ、この距離、この位置なら。
「……アマンダ、ごめん」
「え?」
「エ・ラリ・ト・ソイ・ウヌ(風の精霊よ、強き力を)」
カイはナイフを投げた。風の魔術で瞬時に加速したナイフは、目標に向かって勢いよく突き進む。
無論、風の神の骸があるジェイコブたちの方向へは飛ばせない。でも今、別の位置にある火の神の骸になら。
「ひっ……!?」
反射的にマウロが身を引いた。その瞬間、豪速で火の神の骸にナイフがぶつかる。
甲高い音を立てて、その巨大な魔石は砕け散った。
「なっ……」
ジェイコブがぽかんと口を開ける。何が起きたのかわからない様子だった。
でもそれは、ほんの刹那の間だけだ。視線が、投擲を終えたポーズのカイへと移る。
「カイ、貴様アァァァ!!」
氷の刃がカイの周囲を囲んでいた。大きさが半分になっても、水の神の骸の力は未だ強大だ。
「っ……ソイ(風の精霊よ)!」
少しでもアマンダたちから距離を取ろうと、風の精霊に呼びかける。
「カイさん! エ・ラリ・チア・ウヌ(土の精霊よ、力を)!」
ララが急造の土壁でカイを守ってくれた。しかしわずかに強度が足りない。壁を突き破ってきた氷のいくつかに、手や足を貫かれた。
「ぐうっ……!」
「カイ!」
「大丈夫! ララのそばを離れるな!」
駆け寄ろうとしたアマンダを牽制する。とはいえ、刺さった氷を引き抜いてからでないと治癒できない。
ジェイコブはいまだカイを睨みつけていた。すぐに第二陣が来る。時間がない。そのときだった。
「敵に渡すくらいなら破壊する、見事だカイ殿!」
横から突然オレクがジェイコブに飛びかかった。見れば、土でできたトンネルが作られている。あちこちに出入り口が作られており、かなり大規模だった。ヴァレリオの魔術で風の包囲網を突破したのだ。
「クッ……!」
水の神の骸がまた淡く光る。今度は氷ではなく、大量の水がオレクに向かって流れ出した。
「カエルオ・ケリン(火の精霊、ケリンよ)」
水に対し、炎の壁が築かれる。普通なら当然火より水の方が強い。消されてしまえば終わりだからだ。しかし。
「バカな……!」
水が、炎に届く前に蒸発していく。ごうごうと勢いよく、滝のように流れてくる水が、すべて。
信じられない光景だった。水蒸気が次から次へと湧き立ち、空に昇ってゆく。離れているこちらにまで、暑さを感じるほどの熱気が伝わってきた。ジェイコブの目に焦りの色が見える。
「バケモノめ……!」
これが火炎の守護神オレク。マトリカリアの英雄。
カイはこの隙に体に刺さった氷の刃をむりやり引き抜き、治癒を施した。ララの壁の中へと戻る。
するとそこへ、今度はヴァレリオを担いだニコロが転がり込んできた。
「すまん、こいつを頼む」
ヴァレリオはぐったりしていた。顔色が悪い。
「これは……魔力切れ?」
カイの呟きにニコロが頷いた。
「俺たちのために動きやすいようあのトンネルを張り巡らせてくれたんだ。無理させた。……俺はおっさんのサポートに戻る」
ヴァレリオがうっすら目を開けた。ニコロの服の裾を掴む。
「……死ぬ、なよ。死んだら殺す……」
「……保証はできねえ。努力する」
それだけ言って、振り返ることなく駆け出した。
「くそ、あの正直バカ……」
「普通は嘘でも肯くところですけどねえ。まあ、そこがニコロさんの良いところですね」
いつもの調子でそう口にしたララに、ほんの少しの間なごやかな空気が流れる。
「カイ、大丈夫ですか?」
「す、すごく痛そうでした……」
心配してくれるアマンダとディーノに、「すっかり治したので平気です」と笑顔を見せた。
それよりも、とふたりの戦いに目を向けた。炎の壁と大量の水は拮抗しているようだ。一進一退の攻防が続いている。ジェイコブを巻き込むのを恐れてか、風の神の骸を手にしている魔術師ふたりは力を使えない様子だ。
ふいにジェイコブが叫んだ。
「マウロ! 核を見つけて持って来い!! でないと息子は無事に済まないぞ!」
核? 核とはなんだ。
マウロ司教はバラバラになった火の神の骸を漁っていた。まさか、あの中にあるのか。
なんだかとても、まずい、気がする。
カイはマウロを止めようと駆け出そうとした。しかしその瞬間、強風に煽られて後方に飛ばされる。敵の魔術師が抜け目なくこちらを監視していたのだ。
マウロが、大きな赤い魔石のかけらを手に掲げる。その中になにかが入っているのを、確かにカイの目が捉えた。
「あ、ありました」
「投げろ」
弧を描き、ジェイコブの手の中へと。火の神の骸だったものを、少年が受け取った。
たったそれだけのことだった。
「何!?」
火の壁が突然立ち消え、大量の水にオレクの体が流される。
「おっさん!!」
すかさずニコロがオレクの腕を掴み、水の中から引き上げた。間一髪だ。
神の骸の、核。つまりそれが、精霊が恐れるものの本体だったのだろう。
「……さあ、もう火の魔術は使えないぞ。火炎の守護神」
ジェイコブは勝利を確信した様子で、オレクを嘲るように見つめながら告げた。




