36.マトリカリア
夕日の中、気球がゆっくりと降下していく。いよいよマトリカリア連邦が中枢ペンタス王国、その王城へと辿り着いたのだ。カイはにわかに緊張しだした。
降りた場所は、ペンタス城の裏手。表からは見えないように、うまく城の陰に隠れながら庭に着陸する。
「アマンダ王女殿下!」
「オレク!」
駆け寄って来た大柄な男が、気球から降りたアマンダの手を取った。
……というか、オレク? オレクって、あの火炎の守護神オレク?
「あなたという人はっ……! 本当に、無事でよかった……」
壮年の整った顔立ちの男だった。40は過ぎているだろう。イケオジである。火炎の守護神の名にふさわしい、深い緋色の髪を靡かせていた。
「心配をかけてごめんなさい。……でも魔術学園に行った甲斐はあったのよ」
「それはどういう……待ってください、アマンダ様。あなた……これ、この気配は……」
「わたくし、火の上位精霊と契約できましたの。お揃いね、オレク」
微笑んだアマンダに、オレクは呆然とした顔をした。さすが英雄と呼ばれるほどあって、他人の精霊の気配を感じ取れるらしい。
「あなたの魔力量で……なんという無茶を」
「その点は対策してあるわ。詳しくはあとでお話しします。それより、大切な客人を紹介させてちょうだい」
カイ、と呼ばれてガチガチに緊張しながら歩み出た。
「魔術学園での学友で、わたくしの恩人でもあるカイです。丁重におもてなししてね」
「は、初めまして。ご紹介に預かりました、カイと申します。英雄と名高いオレク様とお会いできて、たいへん光栄に思います」
ぎくしゃくと手を差し出す。オレクは微笑んで、カイの緊張をほぐすように柔らかくその手を握った。
「ようこそ、マトリカリアへ。殿下がお世話になりました。私も、あなたに出会えて嬉しいですよ」
ぐうっ、笑顔が眩しい。オーラがすごい。
ずいぶん歳は離れているけれど、アマンダが惚れるのもなんとなくわかるような気がした。
「姉上っ!」
続いて走り寄って来たのは、アマンダと似た顔立ちの少年だった。姉上、ということはつまり、この国の王子様だろうか。カイより少し年下に見える……身長はカイより大きかったが。
「ディーノ、久しぶりね」
「心配しておりました、姉上。もう帰ってこなかったらどうしようかと……!」
「帰ってこないなんてこと、絶対にないわ。ここはわたくしの国だもの。……国王陛下に、伝えなければならないことがあります」
アマンダの真剣な声音に、オレクとディーノと呼ばれていた少年が姿勢を正した。父ではなく国王と呼んだことに、話の重大さを察したのかもしれない。
「カイ。ゲストルームの準備をさせているからしばらくこの城に泊まってちょうだい。例のお礼の件については明日詳しく話を詰めましょう」
「は、はい」
タイミングを計ったかのように、使用人らしい女性が「ご案内いたします」とカイの前に歩み出た。
「オレク、ディーノ。陛下のもとへ。あなたたちにも聞かせたい話です」
「はっ」
「はい、姉上」
使用人の後ろを歩きながら、ちらちらとその様子を眺める。ララも勿論アマンダについていってしまうので、いきなりひとりだ。ちょっと、いや、かなり心細い。
去っていく4人を見ていたら、最後にディーノがカイのことを少しの間じっと見つめてきた。
「?」
目が合う。しかしすぐに彼はアマンダのあとを追って歩き出した。
なんだったのだろう。
疑問に思いながらも、カイは案内されるままペンタス城の中へと足を踏み入れた。
マトリカリア連邦は乾燥地帯に属する。隣接するはずの帝国との間には砂漠が広がっているので、攻め込まれても地の利があったのだ。
そんな国だから、土を固めた砂色のレンガが積み上げられた建物が並んでいた。ここペンタス城も同じく砂色の城だ。城壁も砂色でぐるりと王都を囲んだ、いわゆる城郭都市である。
レンガは一見脆そうに見えるし、前世の感覚だと地震が怖くなるが、土の魔術により補強されているので実はかなり頑丈らしい。そして王城であるペンタス城は宮殿の役割を兼ねており、王族はみなこの城に居住している。これはカイの故郷、モンステラ王国も同じだ。魔術がある世界ゆえ、最初から堅牢な城に住んだ方が早いということなのだろう。
そんなお城のゲストルーム。広い。天井が高い。なんか3部屋くらいある。ベッドがでかい。調度品すべてが豪華。
「のちほど夕食をお持ちいたします。ごゆるりとおくつろぎください」
「あ、ありがとうございます……」
案内してくれた使用人のお姉さんが、お辞儀をして去って行った。
とりあえず荷物は下ろしたものの、部屋が豪華すぎてまったく落ち着かない。場違いにもほどがある。
そろりそろりとカイは室内を探索した。ソファとローテブルのある部屋にはお茶と焼き菓子らしきものが置かれており、くつろぎの空間となっていた。別の部屋には書き物をするのにちょうど良さそうな机と椅子がおかれている。そして寝室。クイーンサイズのベッドだ。天蓋までついている。
扉もあったので開いてみると、やたらおしゃれなトイレと、なんと浴槽付きの浴室まであった。
「風呂に入れる……!?」
カイの目が輝く。湯船に浸かるなんていつぶりだろう。魔術学園の寮はシャワーしかなかったので、花道楽で大きな街に寄った時に公衆浴場に行って以来だ。
興奮していると、コンコンと扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼いたします。夕食をお持ちしました」
食事を乗せたカートを持って来てくれたのは、カイと同年齢くらいの女の子だった。淡い茶髪に大きな瞳が愛らしい。
「カイ様のお世話を仰せつかっております、リンダと申します」
「お、お世話?」
「はい。歳が近い方が良いだろうとアマンダ様から。なんでもお申し付けください」
いや、同年代の女の子とかむしろ緊張するんですが。なにを考えてるんだアマンダは。
カイが困惑している間にもリンダはテキパキと食事の用意をしていく。スパイスの効いた独特の香りが広がり、食欲を刺激した。
「お飲み物は何になさいますか? お酒のご用意もありますが」
「いえ、お酒はちょっと。この食事に合うもので、おすすめをお願いします」
「かしこまりました」
推奨はされていないが、この世界では未成年が酒を飲んでも別に罰せられたりはしない。が、成長に良くないことはわかりきっているのでカイは一度も飲んだことはなかった。
コース料理のように一品ずつ出すのではなく、ずらりと皿を並べて豪勢に見せるのがこの国のやり方のようだ。明らかに量が多いが、食べきることを前提にはしていないのだろう。前世が日本人ゆえに、お残しする形になるのはなんとも落ち着かない。でも、郷に入っては郷に従えだ。
リンダに気になるものをいくつか取り分けてもらって、さっそく頂く。香りから予想のつくとおり、スパイスがピリリと効いたやや辛口のものが多い。しかし素材の味もしっかり感じられるバランスで、とてもおいしかった。飲み物もあっさりしたフルーツ系で、口に含むと不思議と辛味がまろやかになる。
「おいしいです。どれも初めて食べました」
「ありがとうございます。マトリカリア自体、初めてでしょうか」
「はい。出身はモンステラ王国です」
「まあ……では、この国について少しご説明いたしましょうか?」
「それはありがたいです。お願いします」
リンダの言葉に飛びついた。フェリクスから多少話は聞いたものの、もっと詳しいお国事情を知っておきたい。
「では、お食事がてらお耳にお納めください」
彼女は簡単に、しかし丁寧に説明してくれた。
マトリカリア連邦はここペンタス王国を中心に5つの小国で形成された国家群である。北のストレリチア帝国、西のモンステラ王国、東のマトリカリア連邦と呼ばれ、この世界の三大勢力がひとつだ。
マトリカリアは武の国と呼ばれているらしい。帝国に対抗するためにまとまったのだから、当然一番力を入れているのは武力だ。ここで徹底的に鍛えられた兵士たちの戦闘力は非常に高い。武器もいいものを揃えていて、魔術師たちですら剣を振るうのだという。
もっとも、軍備に金をかけすぎて公共施設の補修が追いついていないところが悩みの種だそうだ。そういえばフェリクスもそんなことを言っていたな。
国同士の結束が弱まっているという話だったが、なんでも兵士の訓練方法の違いによる諍いが原因の大半らしい。……なんだその音楽性の違いで揉めてるバンドみたいな話は。
ひととおり話を聞いて思ったのは、もしかしてここ、すごい脳筋国家なんじゃないかということだ。
「もしよろしければ明日、兵士たちの訓練場を見学していきませんか?」
「えっと……まあ、時間があったらで」
ぜひ、と笑う彼女に苦笑いで返しておく。
その後、食事を終えたカイはお風呂を準備してもらった。「お背中お流ししましょうか」と言ってくるリンダに丁重に断りを入れ、少しぬるい湯に浸かった。久々の湯船は極楽だった。
準備されていた寝間着をありがたく借り、これまた準備されていたガウンをしっかり羽織る。昼は暑いが夜はひどく冷えるのがこの国の気候だ。
リンダが退室し、あとは豪華なベッドで眠るだけ。そんなタイミングで、急に扉がノックされた。
「はい、どちらさ……ま……」
「失礼。カイさん、ですね? 少し話を伺っても?」
そこに立っていたのは、アマンダを姉上と呼んでいた少年、ディーノ王子だった。




