32.神の骸
現れた土壁に、ジャック改めジェイコブは鼻白む。
「狂犬ララか……元暗殺者を従者にしている変人王女ってのは真実だったわけだ」
待ってくれ、暗殺者がなんだって?
さっきから情報が多すぎてカイは混乱している。ただ、目の前の少年はここにいる全員を騙し、巨大な魔石を盗んでオッツォと門番を傷つけた。
敵だ。間違いなく。
「なるほど、帝国の皇子サマ直々とは……まさかこんな子供を送り込んでくるとはねぇ。これは見抜けなかったボクの失態だな」
傷の癒えた門番はそう言って立ち上がった。カイに「ありがとう」と礼を言い、みんなに隠れていろと指示を出す。
カイはオッツォに支えられながら歩き、ひとまず6人全員でララの作った土壁の後ろに隠れた。
門番の操る人形が、ふたたびジェイコブを取り囲む。
「まだボクの前に立ちふさがる気? 敵わないってわかってるだろ」
「……まあね。残念なことにその魔石の力には、この学園の教師と生徒が束になっても敵わないだろう」
「魔石……魔石ねえ! ははは、お前達はこれが何かわかってないんだろう? く、あはははは! 滑稽だなぁ!」
「ふぅん……帝国は神の骸を知っているってことか」
ぴたりとジェイコブの笑いが止まった。門番を冷たい瞳で睨みつける。
神の骸。カイはその言葉を知っている。この学園の創設者リオンが旅行記に綴っていた、謎の単語だ。
あの巨大な魔石が神の骸?
「ルーカス……帝国の裏切り者め」
それは、門番の名前だろうか。
「お生憎様。ボクは一度だって帝国の味方だった覚えはないよ。シアン・カリリア(闇の精霊、カリリアよ)!」
今ならわかる。門番が契約しているのは闇の上位精霊だ。
黒い靄がジェイコブの体に纏わりつく。この学園についたばかりのときの、契約の儀式と同じだ。
「汝、速やかに神の骸を……──」
「シアン・ディスター(闇の精霊、ディスターよ)」
「!?」
少年が嘲笑いながら紡ぐ。ストレリチア帝国第三皇子ジェイコブ。彼もまた、闇の上位精霊と契約した魔術師だったのだ。
その細い体に巻き付いていた闇が、闇で払われる。門番が唇を噛んだ。
「……なるほど。どうやってボクの人形を倒して盗み出したのかと思ったら、そういうコトか!」
「皇子が丸腰で学園に乗り込むワケないだろ? ボクは天才なんだよ。そうだ、アイツとは違う……ボクの方がすごいんだ! ……ついでにルーカス、お前をぶち殺して父上に褒めていただこう!」
アイツとは誰なのだろうか。熱に浮かされたような声でジェイコブはそう言った。手を添えた巨大な風の魔石が光る。
また風の刃で、今度こそ門番を殺す気だ。
「オッツォさん!」
「ああ! エ・ラリ・セ・ゲニア・テカト・トイ・キリ・チア・ウヌ(土の精霊よ、彼の前に強固な壁を築きたまえ)!」
長い呪文は、ギリギリで間に合った。
分厚い土の壁が門番を守る。それでも風の刃に当たった表面が、鋭く深く削れてしまった。ゾッとする。あんなのをくらったら、人間なんてまっぷたつだ。
「邪魔をするなァ!!」
風の刃が、こちらに向いた。
ララの作った土壁の、上半分以上があっさりと吹き飛ばされた。慌てて伏せる。荒れ狂う風に、何も聞こえない。そうだ、風の精霊の力で……──
呪文を唱えようとして、違和感に気づく。いつも騒がしいカイの三つ目のミミズクは、この正門前に来た時からすっかり姿を眩ませていた。まるで何かに、怯えるように。
「ソイ(風の精霊よ)……?」
呼びかけても出てきてくれなかった。一方で光の精霊は、心配そうにカイを見ている。
治癒術はさっきも使った。魔術が使えないわけじゃない。おそらく風の魔術だけが使えないのだ。あの、神の骸と呼ばれる巨大な風の魔石が関係している可能性はおおいにあった。
「死ね」
ジェイコブのその声だけが、やけにはっきりと聞こえた。
空を切り裂く鋭い音。思わず目を瞑った。
──殺される。
そう思った瞬間、妙な感触がずっしりと全身に降りかかった。柔らかい。けれど重い。
予想していたような痛みには襲われず、心臓の大きな音だけが恐怖の名残のように響いている。まだ、生きていた。
「?」
おそるおそる目を開けると、大量の何かに埋まっていて辺りは真っ暗だった。腕を動かし、視界を塞いでいるそれらを掴む。これは……腕?
「人形……?」
門番が操っていた人形だ。
なんとか重い人形の海から顔を出して、あたりを見回した。切り裂かれてボロボロになった人形が大量に散らかっている。風の刃がカイたちに届く前に、この人形たちに覆われたのだろう。
彼に守られたのだ。
「門番さんは……」
こちらの守りに使われたため、ジェイコブを取り囲んでいた人形は一体もなくなっていた。対する門番の周りにも人形はない。すべてカイ達の守りに使ってしまったのだ。
丸腰の門番に、帝国からの刺客は愉しそうに嗤う。
「立派な先生じゃないかルーカス。良かったね、最期に生徒を守れて。──それじゃ、バイバイ」
風の魔石が光る。オッツォはまだ人形の下。ララも見当たらない。
ダメだ、間に合わない。
「カエルオ・フラージン、エ・ラリ・ウヌ(火の精霊フラージンよ、我に力を貸し与えたまえ)!」
澄んだ声が夜空に響き渡った。
「何っ……!?」
背後から突然炎に巻かれ、ジェイコブは悲鳴をあげた。
いつの間に移動していたのだろう。アマンダが、魔力貯蔵具を手に青い炎を操っている。隣にはララがしっかりついてきていた。
「ああああああああああああああっ! いたい、痛い痛い痛い痛いっ……この!」
ジェイコブは強力な風で強引に炎を吹き消してみせた。しかし、明らかに重度の火傷を負っている。腕や足の皮膚が見るも無残に爛れ、変色していた。
「バカな……火の上位精霊だと……!? お前程度の魔力で!」
「帝国の皇子ともあろうものが、無様ですね。その傷、早く治さなければ危ないのではなくて?」
「チィッ!」
ジェイコブの足元に風が巻き起こり、魔石とともに彼は遥か上空へと飛び立った。
「今に見ていろ! 次はお前の国だからな!!」
「!」
そう言い残し、ジャックだった少年は空を飛んで去って行ってしまった。
後には、荒れ果てた正門と玄関を結ぶ道だけが残っている。
ぺたりと、アマンダがその場に座り込んだ。
「アマンダ!」
カイはララに支えられているアマンダに駆け寄った。……ひどく震えている。
「わ、わたくし、やりました、のよね?」
「ええ、ええ、アマンダ様。ご立派でした」
彼女はいつだって強気で凛としていたから気づかなかった。本当なら、お城で大切に守られているお姫様なのだ。
カイは震えている手をそっと掴んだ。冷たくなっている。
「アマンダのおかげでみんな助かったよ。ありがとう」
「ふふ……そうよ。わたくし、すごいでしょう」
ふわりと彼女は笑った。思わず目を奪われる、綺麗な笑み。
彼女の震えは、ゆっくりと止まっていった。
「いつまで手を握っているつもりですか。切り落としますよ」
「す、すみません……」
素早く手を引っ込めた。やっぱりララは怖い。
「キミたち、怪我はないかい?」
門番が散らばった人形を片付けながら呼びかけている。下に埋まっていたオッツォ、フェリクスとサンドラが出てきた。
「フェリクス! 大丈夫だった……か……?」
サンドラを抱えたフェリクスの背中が震えている。その体の隙間から零れ落ちた褐色の腕が動かない。
「カイ……サンドラ、サンドラが……」
「っ……!」
カイは急いで駆け寄った。サンドラの背中に大きく傷があり、血が流れている。
「オ、オレを庇ったんだ……さっきまで意識があったんだけど、オレ、オレ、彼女が怪我してるって気づかなくて……」
「落ち着け、すぐ治すからっ……」
傷に手をかざして呪文を唱えようとしたところで、その手を掴まれた。
「待ちなさい。カイくん、キミはこれ以上魔力を使ったらダメだ。彼女を治癒室へ連れて行きなさい。気を失っているだけで、大丈夫だから」
「あ……」
そうだ。オッツォに続き、門番の致命傷を癒してカイの魔力はかなり少なくなっている。このまま治癒術を使えば、カイのほうが危なくなってしまうのだ。
フェリクスもそれに気づいたのだろう。サンドラを抱えて立ち上がった。
「悪い、カイ。動転してた。治癒室に行ってくる!」
大急ぎで走り出す背中に、カイは「転ぶなよ!」と声をかけるだけで精一杯だった。オッツォとアマンダ、ララも心配そうにふたりを見送る。
「……さて。本当にすまない。キミたちを巻き込んでしまったねぇ」
「詳しいお話を、お聞きしても?」
アマンダの質問に、門番は真っ黒な目でひたと彼女を見つめた。
「いいだろう。特にアマンダ王女殿下。貴女には伝えておかなければいけないことがある」




