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29.火の精霊


 寒さが和らいで、待ちに待った春が来た。……とは言っても、山の中なので雪はまだ残っている。

 しかし火の精霊が多いとされる山頂の火山の噴出口跡は、不思議と雪が積もらないスポットなのだそうだ。


 天候が落ち着いて、晴れたこの日。火の精霊と契約希望のフェリクスはアマンダと交渉の末、乗り賃を折半して気球に一緒に乗せてもらうことにしたようだ。そして、カイはなぜかその付き添いとして連れてこられている。


「いやー、悪いなカイ。なにかあった時に治癒術師がいてくれると助かるからさ」


 たしかに、けっこう険しい場所らしいので風の魔術と治癒術を使えるカイが一緒だと安心だろう。……それ以上にあのふたりと3人きりになるのが嫌だっただけかもしれないが。

 カイは苦笑して頷く。


「ま、別にいいよ。おれもアマンダのことは気になってたし……」

「え!? おいおい相手は王女様だぞ……?」

「そういう意味じゃなくて!」


 わかってるって、とフェリクスは笑いながらカイの背中を叩く。冗談だったらしい。やっと火の精霊との契約を行えるということで、友のテンションが高めだ。


「さっさと乗ってください。アマンダ様を待たせるとはいい度胸ですね」

「あっハイ申し訳ゴザイマセン……」


 ララに告げられてフェリクスは急にへりくだった。弱い。

 4人で籠に乗り込んだを確認して、風魔術を扱っているらしい教員が精霊に行き先を囁いた。ふわりと気球が浮く。あとは勝手に目的地まで連れて行ってもらえるのだ。


「気球か……買ったらいくらくらいだろ?」


 カイも風の精霊と契約したのだから、気球さえあればこうやって空を旅することが可能なはずだ。そう思ったのだが。


「気球ですか。この魔術学園だからこそ問題ないのでしょうけれど、もしそれで国境を越えたりしたら密入国で撃墜されてもおかしくはありませんよ」

「カイさんのお国事情は知りませんが、普通は国内で飛ばすにも申請やら手続きやらでけっこう大変だと思います」

「うぐ……」


 アマンダとララに容赦なく指摘されて撃沈した。言われてみればその通りだ。気球で世界一周なんて夢のまた夢だろう。


「お、あそこじゃねえか? 空からだとすぐだなぁ」


 火山の噴出口跡は、黒っぽい岩が多くそこだけ草が生えていなかった。この岩は溶岩が固まったものだろうか。

 すぐ近くの雪原に着陸した気球から降り、さっそく4人で近づいてみた。この場所だけ春のように暖かい。火の精霊が多いからだろうか。


「よし、やるか。餌大盛りのイメージだったよな、カイ」

「うん。おれは近くで風魔術の練習してるから、何かあったら呼んで」

「おう」


 いつふたりが契約できるかわからないし、ついてきただけのカイは帰るまで暇だ。借りてきた風の魔術の本を参考に、いくつか練習してみようと決めていた。

 ちなみに同じく暇であろうララは、それでもアマンダにつきっきりで見ているらしい。従者の鑑だ。


 風の魔術は物を風で浮かせたり、矢の飛距離を伸ばしたりと、どちらかというと補助的な役割で使うことが多い魔術だ。しかし、攻撃や防御がまったくできないというわけではない。


 フェリクスたちが見える範囲、だがしっかりと離れた雪原に移動し、カイは精霊語を紡いだ。


「エ・ラリ・セ・ト・グルジス・トイ・ソイ・ウヌ(風の精霊よ、強き旋風を起こしたまえ)」


 三つ目のミミズクが『キイィ!』と元気よく返事をして風を巻き起こす。魔力がするりと抜かれる感覚。

 強力な旋風に巻き上げられた雪が、周囲の視界を封じていた。


「……よし!」


 成功だ。これは目くらましになるし、攻撃そのものにもなるし、自分を中心に巻き起こせば風のバリアにもなる。基本的な風の魔術の戦闘スタイルなのである。

 思ったより魔力の消費が少ないのもとても助かった。もう少し強い風を起こしても大丈夫かもしれない。


 自慢げな三つ目の頭を撫でていると、突然ララの「アマンダ様!?」という珍しく焦った声が聞こえた。

 何事かと振り返り、カイは目を見開く。


 なにか、大きな影がアマンダの目の前にいるのが見えた。


 アマンダは黒い岩の上にへたりこみ、それでも両手に魔力貯蔵具を抱えたまま、呆然とその影を見つめていた。駆け寄ろうとしたカイは、その唇が動いたのに気づいて足を止める。


 ──契約の、呪文だ。彼女は今、精霊と契約しようとしている。


 ではあの大きな影は精霊なのか。カイの右肩では三つ目が、左足には姿を消していたはずのシロが現れ、ジッとその大きな影を見つめている。

 ……やがてその影は見えなくなった。アマンダは呆然と腰を抜かしたままだ。


「アマンダ!」


 カイは彼女に駆け寄る。フェリクスもだ。

 彼女はララを見つめ、それからカイとフェリクスに目を向け、どこかぼんやりとした声で言った。


「わたくし……火の上位精霊と、契約してしまいました……」


 全員が驚いて目を瞠った。

 上位精霊。めったに契約できることはないとされる、自身の名を持つ強力な精霊だ。そんな存在と、ただでさえ魔力が少ないアマンダが契約したのだという。にわかには信じられない話だ。

 でもカイは見ていた。あの圧倒的な存在感の、大きな影を。


「信じらんねぇ……そんなことあんのか?」

「……実際にあったんだから、そうなんだろ。アマンダは上位精霊に気に入られたんだ」


 戸惑うフェリクスに、カイも戸惑いながらそう答える。一方ララは、心配そうにアマンダを見ていた。


「上位精霊の力を借りた魔術行使は、魔力の消費量も多いと聞きます。ララは心配です」

「ええ、そうね……この魔力貯蔵具に貯めた魔力で、1回か2回か……きっとそれくらいでしょう。でも」


 アマンダは笑った。ぞわりとカイの背筋が冷たくなるほど、美しく壮絶な笑み。


「これでわたくしの価値は跳ね上がりました」


 そうか。彼女は王女であるだけでなく、上位精霊と契約した強力な魔術師となった。

 魔術行使に制約があるとはいえ、おそらくもう国にとって簡単に手放せる存在ではなくなったのだ。


「……カイ。ありがとうございます。あなたのお陰です」

「お、おれ?」

「ええ。あなたの言葉と協力がなければ、わたくしはこの幸運を掴むことができなかった。……心より感謝申し上げます」


 そう言って、彼女は美しくカーテシーをしてみせた。カイは慌てる。普通は王族が庶民にするものでは決してない。


「おれはそんな……結局はアマンダの頑張りが実を結んだからで……」

「アマンダ様の礼を受け取れないとはどういう了見です?」

「あ、ハイ。大変恐悦至極にございマス」


 ララに睨まれるととてもじゃないが逆らえない。ある意味王女様より恐ろしい存在である。

 それを笑顔で見ていたアマンダは「そうだわ」と声を上げた。


「ねぇカイ。よければ我がマトリカリア連邦のペンタス城に招待されてくれないかしら?」

「え!?」

「きちんとお礼がしたいもの。もちろん、丁重におもてなしするし、あなたに害が及ばないよう根回しはしておくわ」


 害ってなんだ。怖い。

 王侯貴族の前に出るだなんて、前世も今世も庶民のカイには荷が重すぎる。

 断ろうと思った。が、灯里はもしかしたら貴族に生まれ変わっているかもしれない。そう思い直して踏みとどまる。これは滅多にないチャンスでもあるのだ。


「……わかった。おれは礼儀作法に疎いから、簡単に教えてもらえると助かるよ」

「ララにお任せください。徹底的に調教して差し上げます」

「お、お手柔らかに……」


 ララがにやりと笑っている。ちょっと早まったかもしれない。


「王女殿下、オレは?」

「フェリクスは特に何もしてないでしょう。……まあ、こちらの事情に巻き込んでしまったのは悪く思っています。あなたも一緒に来ますか?」

「うーん……いや、オレは……できれば……お金で……」


 フェリクスが目を泳がせながら言った。

 そうだ。アマンダが早くも契約成立させてしまったので、今日契約できなければ今後フェリクスは自腹で気球に乗るか登山するかの2択になるのだ。ただでさえこの学園にいると金がかかる。カイとしては一緒に来てくれれば心強いが、お金優先になってしまうのもわかるので何も言えない。


「いいでしょう。これまでの口止め料も含めて金貨50枚でいかが?」

「助かります王女殿下!!」


 泣いて喜んでいる。思っていた以上に懐事情が厳しかったようだ。



 結局この日のフェリクスの契約はうまくいかず、次回へ繰り越しとなった。

 餌大盛り作戦は必ずしも成功するとは限らないようである。


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