23.白い猫
朝の礼拝室。
冷えた空気が澄んで染み渡っている。冬が近い。
教会と比べるとずっと小さいそこには、それでもしっかりと女神の像が祀られていた。躍動感ある白い彫刻が神々しく、美しい。
その像を前に、祈りを捧げている女性がいた。
「……あら?」
顔を上げた彼女が、入ってきたカイの存在に気づく。白いローブの治癒術師。カイが以前お世話になった、治癒室のお姉さんである。
「おはよう。前に会ったわよね。こんな所でどうしたの?」
「おはようございます。実は、光の精霊と契約したくて」
「まあ!」
お姉さんは嬉しそうに笑った。やはり光の精霊と契約する生徒はあまり多くないらしく、久しぶりだとはしゃいでいる。
「お祈りはしたことがある?」
「い、いえ……実は全然なくて。すみません」
花道楽であちこちを旅していた頃も、ときどき怪我人を治してもらうため教会に立ち寄ることはあったが、祈るまではしなかった。……と言うか、祈るってよくわからない。神社へのお参りと似たようなものだろうか。
「光の女神様にね、こうして胸に手を当てて、祈るの。誰かの幸せや──もちろん自分でもいいけどね? 世界の平和とか、大切な人のために、祈るの」
「こう、ですか?」
「そうそう」
教えられた通りに、女神像の前で両手を胸に当てて頭を下げる。誰かのために祈るなら、もう相手は決まっていた。
まだ会えない、この世界のどこかにいる君に。
──君が健やかでありますように。君がなにものにも脅かされていませんように。君が笑っていますように。君が幸せでありますように。
「………」
女神様。おれを灯里の魂を持つ人のところに、導いてください。
顔を上げると、相変わらず荘厳な女神像が、ただそこにいてカイを見下ろしていた。不思議な感覚に陥る。静寂な空気の中、どこまでも心は凪いでいた。
祈りとは自分を見つめる時間でもあるのかもしれない。
「うん、いいね。熱心なお祈りだった」
お姉さんがの声に、はっとする。ふたりでいることを少しの間、忘れていた。
気を取り直すと、カイは気になっていたことを尋ねる。
「光の精霊と契約したら、毎日お祈りしなくちゃいけないんですか?」
「可能ならそのほうが良いけど、別に毎日じゃなくていいよ。精霊の元気が無くなったらなるべく早く礼拝に行ってほしいけどね」
どうやら長く祈りを捧げないでいると、光の精霊は元気が無くなってしまうらしい。他の精霊ではそんな話は聞かないから、やっぱりちょっと特殊なのだ。女神様と光の精霊にはどんな関係があるんだろう。
そう考えたところで、そういえば女神様の名前すら知らないことに気づいた。
「あの、お恥ずかしいんですけど……おれ、女神様の名前も知らなくて……」
「ああ。そういう人、案外多いから気にしないで。……女神様はね、レーシーン様と呼ばれているわ」
「レーシーン……?」
変わった名前だ。
「なにせ古い神様だもの。名前も少しずつ変わって伝わってしまっているかもね。竜と恋した女神様のお伽話は、人間が生まれる前からあるって言われてるくらいなんだから」
それは何万年前の話なんだろう。そもそも人間が生まれる前なのに、お伽話なんてあるわけがないと思うのだが。
「よくわかりません……」
「だよね。……ねえ知ってる? 帝国には、闇の女神を祀っている教会があるんですって」
「闇の女神?」
聞いたことがなかった。光の女神がいるなら、闇の女神もいるということか?
「私も詳しくないんだけど、そんな話を聞いたことがあるの。女神様と精霊の関係は謎が多いけれど、帝国では闇の女神を祀っているから闇の精霊が多いのかしら?」
「そうかもしれませんね。闇の女神ってどんな女神様なんですか?」
「それも分からないのよ。以前がく……門番さんに聞いてみたけど、教えてくれなかったの」
たしかに門番さんは闇の魔術師だ。彼女の口ぶりからすると帝国出身らしいが、以前の門番さんの言動を思い出すと帝国のことを嫌っているようにみえる。気になるが、複雑な事情がありそうだしあまり詮索しないほうがいいのかもしれない。
「……すっかり長居しちゃったわね。ごめんなさい」
「あ、いえ! 色々と教えていただきありがとうございました!」
「ふふ。契約、頑張ってね」
お姉さんが出ていって、礼拝室にひとりになった。シンと静まった空間で、女神像だけがカイを見ている。
もう一度祈りを捧げた。今度は、精霊との契約がうまくいきますように、と。
「……よし」
両手のひらを上にし、魔力をイメージして集中する。目に見えないものだから、本当に感覚だ。
餌を手に小鳥が寄ってくるのを待っているような感じなんだろうなぁ、とこんもりと手のひらに餌が大盛りになっている自分の姿を想像した。そのときだった。
「わ……!?」
手のひらの上で、白く何かが光っている。驚いて一瞬何が起きたのか理解できなかった。
精霊だ。光の精霊が来てくれたのである。
「え、エ・チュカミ・ウヌ(私と契約してもらえませんか)!」
慌てて契約の言葉を口にする。緊張で舌が縺れそうになった。
ドッ、ドッ、ドッ、と心音が激しく暴れている。手の上の光はいっそう輝きを増していた。
──そして。
その光は、形を変えてカイの目にはっきりと姿を現した。
「……猫?」
白い猫だ。しかし、額に一本、立派なツノが生えている。
契約は成立した。このツノの生えた白い猫が、カイの精霊になったのだ。
「め、めちゃくちゃ可愛い……」
なんてったって猫の姿である。可愛い。ものすごく、可愛い。
精霊はこてんと首を傾げると、長い尾をゆらりと振った。すると、空中に光で精霊文字が浮かび上がる。文字で思いを伝えてくる精霊のようだ。
「えっとこれは……『よろしく』か。こちらこそ、アニエ・ウヌ(よろしくお願いします)」
精霊語で返して、そっと後頭部を撫でた。確かに柔らかい感触があるのに、まるで空気を撫でているような掴み所のなさがある。不思議な感覚だった。
こうしてカイは、思うよりもあっさりと、魔術師としての第一歩を踏み出したのである。




