15.魔術
授業開始初日。
4階にある秋期生の教室には、わかりやすくローブと同じ小豆色の旗が掲げられていた。
扉を開けると、すでに入室していた数人がカイの方を向く。明らかにカイより幼い少年や、20は過ぎていそうな褐色肌のお姉さんがいた。年齢も国も問わない学び舎なのだ。フェリクスもいて、「よお」と手を振ってくれる。
室内は広いが、生徒数は大したことがないからか机も椅子も少ない。一方で、壁一面の本棚にぎっしりと本が詰め込まれていた。なんだか、図書室と教室が合わさったような空間だ。
カイはきょろきょろと周りを見渡しながら、フェリクスの隣に座った。
「なんだか大変なことになっちまったなぁ、カイ」
「そうだね……巻き込んでごめん」
「いいって。そもそもオレの国のことだしな……」
昨日のことを小声で話していると、噂をすればなんとやらでアマンダとララが教室に入ってきた。カイとフェリクスのすぐ後ろの席に座る。……見られている。
「おはようアマンダ、ララ」
「ええ、おはよう、カイ」
「どうも」
引きつっているカイに対し、相変わらず完璧な笑顔でアマンダは挨拶した。一方のララはそっけない。
「フェリクスも、おはよう」
「あっ……はい、お、おはよう……」
なんとかアマンダに挨拶を返したフェリクスは、カイに「お前すげぇな……」と囁いた。昨日のことですっかり王女に恐怖心を抱いてしまったらしい。気持ちはわかるが、下手な対応をしてミスしたときの方が怖いので頑張って欲しい。
授業開始のベルが鳴るギリギリになって、やけにガタイのいい男が滑り込んできた。同じ色のローブだから、彼も同期らしい。
「ふー、間に合った……」
全員が席に着いたタイミングで、カランコロンとベルが鳴り響く。同期はカイも含めたこの7人だけらしい。
いよいよ魔術を勉強できるのだ。ドキドキしていると、扉が開いて黒いローブを纏った教師が入ってきた。
「入学おめでとう、新入生諸君」
低く、耳に心地いい美声の、髭をたっぷりと蓄えた壮年の男だった。
「今日から君たちを教えるダミアンだ。ではさっそくだが……ペリア、ラリ・ニア・ウヌ」
ぶわりと風が吹いた。でも、それだけだ。
「さて、いま私は魔術と呼ばれるものを使った。何かおかしなものが見えた人はいないかね?」
妙な言い回しだった。カイはおずおずと手を上げる。
「君はええと……カイだね」
名簿を確認しながら名前を呼ばれた。さっき見たものを答える。
「影のようなものが見えました」
そう、カイは見ていた。これが初めてではない。
黒い狼を倒した魔術を見たとき。マルティーネが魔術が使ったとき。ほんの一瞬だが、たしかになにかの影が見えたのだ。
「ほほう、君は目が良いね。素晴らしい。それが魔術の正体だよ」
「正体? ……うわっ!?」
ぱたん、といきなり上から本が降ってきた。それも、生徒全員の机の上に、だ。
表紙にはいくつもの奇妙な絵らしきものが並んでいる。
「魔術は古来、精霊術と呼ばれていた」
精霊。この世界には、精霊がいるのか。
でもそんなの、初めて聞いた。竜とか女神様なんてのはおとぎ話にも出てくるけれど、精霊なんて今まで各地を旅していたカイでも聞いたことがない。
「精霊という強力な力を持った存在と契約し、魔力と引き換えにその力を使わせてもらう。それが魔術と呼ばれるものの正体だ」
「……先生、どうして精霊術と呼ばれなくなったんですか?」
この教室で一番幼い少年が質問した。
「良い質問だ、ジャック。実は、精霊術と呼ばれなくなったんじゃない。呼ばないようにしたんだ。……精霊との契約は、方法さえ知っていれば魔力が少ない一般人にもできる。それを防ぐためだ」
「それって、魔術師の特権を守るため?」
褐色のお姉さんが尋ねる。しかしダミアン先生は首を横に振った。
「違う、危険だからだ。魔力を使い果たしてしまえば、人は死んでしまう。千年以上昔にそのようなことが多発したため、あえて精霊の存在を秘匿し、魔術師となれるだけの魔力を持つ者のみに知識を継承してきたのだ。門番殿に宣誓させられただろう? あれはそういうことだ」
なるほど、と合点が行くと同時に後ろの席のアマンダをチラ見したい気持ちを抑える。
危険はあるが、確かに彼女も魔術師になれるのだ。
「魔力を使い尽くせば魔術師だって命を落とすことは変わらない。だから自分の魔力量を見極めて契約する精霊を選び、力もコントロールせねばならないのだ」
「契約する精霊によって強さが違うんですか?」
フェリクスの質問に「そのとおりだ」とダミアンは頷いた。
「属性によっても違う。君たちは今までどんな属性の魔術を見たことがあるかな」
火、風、水!と各々が見たことのある魔術を口にする。
カイが見たことがあるのは火、氷、水、風、そして闇だ。
「この世界に存在する精霊は、火・土・水・風・光・闇の6属性だけだ」
あれ?
「先生、氷はないんですか?」
「おや、カイは氷の魔術を見たことがあるのかね? それは水の上位魔術だ。使い手は優秀な魔術師だろうね」
座長はやはり強い魔術師だったらしい。当然、なにげなく氷でグラスを作ってみせたマルティーネもだが。
ダミアン先生が言うには、闇・光・火・土・水・風の順で魔力の消費が激しいらしい。精霊と契約するのも、魔術を行使するのも、だ。
「まあ、闇の精霊は帝国以外では滅多に見つからないから契約自体が難しいがね。この世に存在する闇の魔術の使い手はほとんどが帝国の者だ」
「……え?」
ちょっと待ってくれ。それじゃあ、あの黒い魔獣もどきをけしかけてきたのは……。
ジルベールに知らせるべきだろうかと思ったが、否、と心の中で否定する。連絡手段が無いし、そもそも魔術師団長のジルベールが、学園の授業初日に教えてもらえるような当たり前の事実を知らないわけがない。把握して、もっと偉い人に伝えているはずだ。
それにしても、帝国。昨日に続き、またストレリチア帝国だ。嫌な頻出ぶりである。
「でも、どうして闇の精霊は帝国以外では少ないんですか?」
フェリクスの質問に、初めてダミアン先生が難しい顔をした。
「……それが、実はわかっていないんだ。調査したくてもあの帝国だからね。入国も簡単にはできないし、無事に出られる保証もない」
敵が多い帝国は、当然入国者を警戒するし国内での監視の目も厳しい。他国と交易がまったくないわけではないけれど、それも厳重な審査に合格した相手のみだ。
「火・土・水・風の精霊はどの国にもいる。火は少々危険なところにいることが多いので、最初の契約は土・水・風のいずれかを推奨だ。複数の精霊と契約する場合は、自分の魔力量を考えて無理のないようにしたまえ。でなければ死ぬからね」
ぴりりと空気が張り詰めた。魔力は、それくらい魔術師にとって重要な生命線なのだ。皆がフードを被っていた理由が嫌というほどわかる。
「あの……光の精霊については?」
やたらガタイの良い男が尋ねた。あえて言及していなかったのだろう。カイも気になっていた。
「光の精霊もどこの国にもいる。……と言うか、君達もよく知っているはずだ」
先生は悪戯っぽく笑った。
「光の魔術を使う者は、治癒術師と呼ばれている」




