138.死神と右腕
「な、なんじゃ? もう地上に降りて平気なのかえ?」
「お嬢ッ……死ぬ時は一緒っす……!」
恐る恐るといった様子でルージェナとツィリルがガイアの背から降り、その体の陰に隠れた。あれだけ大口を叩いていたルージェナだったが、一応ちゃんと神に対して畏怖は抱いていたようだ。……それで喧嘩を売れるんだから、本当にすごい胆力である。
『ずいぶんと愉快な愛し子たちを連れて来たものだな、ガィアンジェリスンイェキトォス』
なんてことはない調子で話しかけたレオシアンに、ガイアが緊張をゆるめたのがわかった。目尻が下がり、嬉しそうな顔をしているのがカイにもわかる。
『いや、すまぬ。我もここまで無鉄砲な者たちだとは思わなんだ。……レオシアンよ』
『ああ』
『良かった……おぬしが正気を取り戻して』
心の底から安堵した声。
……本当に、危機は去ったのだ。安心した途端に力が抜けてふらついたカイを、リチャードが支えてくれる。
ギリギリだった。あれだけ潤沢だったリチャードの魔力が、今はもうほとんど残っていない。……というか魔力共有してるこいつも同じ状態のはずなのに、なんで平気そうなんだ。やはり地力が違うのか?
相棒を見上げたカイは、そこでようやく彼の顔がこわばっているのに気づいた。
──ああ、そうだ。ここからが本題じゃないか。
「……レオシアン神。その体は、俺の妹リリィのものだ。返してもらえるのだろうか」
『竜剣の使い手か。……識っているぞ。死神とは大層な呼び名だな。レズリーを通してお前のことも、この妹のことも視ていた。だが……』
応とも否とも告げず沈黙した神に、不安が膨らんでゆく。
『……問題がある。無理に遠隔で神力を引き出したから己の器が壊れてしまった』
『何!?』
レオシアンより遥かに焦った様子でガイアが叫んだ。器……器って、あの御神体のことか? ……まさか。
『己の体は朽ちて魔石化が始まっている。もう戻れん。よって、この愛し子の体から抜け出すのは難しい』
「な……」
リチャードの呆然とした声。
やっぱり、あのときのは見間違いではなかったのだ。レオシアンの戻るべき体は、もう骸と化してしまった……ということだろう。だから、リリィの体の中にいるしかない、と。
「そ、それは困る。俺はリリィを救うために……」
『この愛し子の魂は眠ったまま、一度も目覚めておらぬ。目覚めるための機能が壊れているようだ』
トントン、とレオシアンはリリィの頭を指先で叩いた。きっと脳に何らかの障害があるのだろう。しかし突然、どうしてこんな指摘を。リチャードも目を丸くして困惑していた。
『治癒で回復させることは可能だが、ここまで成長した状態でまっさらなまま目覚めるのも具合が悪かろう。そこで、だ』
ふ、と神様は笑う。
『己が総て解決してやる。……だから、不遜にも死神と呼ばれし者よ。その竜剣でこの体ごと己を貫くが良い』
「はあ!?」
ちょ、ちょっと待ってくれ。竜剣はこの世で唯一レオシアンを殺せる武器だ。それで貫いたりなんかしたら、リリィの体どころか神様も死んでしまうのではないか?
「どういうことだ。それが何の解決になる? あんたも、リリィも死ぬだけじゃないか。それに俺は……」
『“もう誰も殺さない”、か?』
「…………」
さっき白猫から読んだ記憶だろう。全部知っているのだ。その上で、竜剣を使えと言う。
『……己は神だ。その理から外しておけ。もしくは、これが死神として最後の仕事だと心得よ。そしてお前の妹については……』
つい、と神の視線がカイに向く。なんだ? まさか竜剣で貫くそばから治癒しろだなんて無茶を言われないよな?
『実にいい右腕を手に入れたものだな、死神よ。これがいなければ詰んでいたぞ』
「ああ、俺には勿体無いくらいの相棒だが……、カイに何をさせるつもりだ?」
お、おう……なんか照れるな。
しかし、レオシアンはカイに何をさせたいのか、肝心なところは言わずに笑うだけだった。……嫌な予感がするんだが。
ずっとそばで会話を聞いていたガイアが、静かに問うた。
『……逝くのか、レオシアンよ』
『ああ。器は壊れているし、今は正気だが……いずれまた、己はこいつを求め出すだろうからな。先に逝く』
『そうか。……我も、そう遠くないうちにおぬしを追うだろう』
「なぬっ!?」
ルージェナがその言葉を聞いて、ぴょこんと飛び出してくる。
「嫌じゃ、死なないでほしいのじゃガィアンジェリスンイェキトォス様! 妾、もっともっといろんなお話を聞きたいし、一緒にいたいのじゃ……!」
「お、お嬢、お嬢〜! たとえその竜がいなくなっても、おいらが一生お嬢を支えますんで……」
「下僕は黙っとれ。あと姫と呼べ!」
「あひぃんっ! いい蹴り!」
『……あー、心配せずともおぬしらが死ぬまでくらいは猶予がある。……少し離れていようか』
いつもの漫才を始めたふたりを、ガイアは気を利かせてか遠ざけてくれた。扱いを覚えたらしい。……呆れるほど元気だな、あのふたりは。
そうして、改めてカイとリチャードは神と向き直った。
「……俺はまだ、この竜剣を使うと返事をしたわけではないんだが」
『己に操られて無理やり使わされたくはないだろう? 覚悟を決めよ』
え、生者をそう簡単に操るなんてこと……いやまあ、神様だからできても全然おかしくはないのか。
リチャードは唇を噛み締めている。……当たり前だ。妹の体を突き刺すだなんて、いくら神の保証があろうと躊躇うに決まっている。
『リチャード……』
「……大丈夫だ、カイ。レオシアン神よ、本当にリリィを助けられるんだな!?」
『ああ。さっさとしろ』
「っ……、これが、本当に最後だ!」
竜剣を抜いたリチャードは、レオシアンに向けてその凶器をまっすぐに構える。
そうして、一気にその細い体を貫いた。
『はっ……! はは、は……!』
血が。夥しい血が、流れている。間違いなく致命傷だ。
それなのにレオシアンは笑って、カイに何かを差し出した。
『……うまく創れよ』
『え? ぐ、あっ……!?』
突然だった。
大量の魔力……いや、神力が、カイの中に一気に流れ込んでくる。次から次へと、容赦なく注ぎ込まれる力。膨大な量が体の中に蓄積されていくのがわかった。これまで失った魔力を補うどころか、このままでは……許容量を、超えるのではないか?
「ぐっ……なにが」
魔力共有しているリチャードにも、必然的にそれは伝わっている。……まずい。苦しい。やばい、やばいやばいやばい痛い! 息ができない! これ、体中が魔力でいっぱいになって弾け飛ぶんじゃないか!? スプラッタ!?
命の危機を感じて焦っていると、シロが肩に飛び乗ってきた。その目が、レオシアンの差し出した何かを見つめている。
白くて、丸い。ふわふわと浮いている、それは。
『……!』
知っている。覚えている。これ、魂じゃないか!
ああ、そうか。うまく創れってそういうことかよ……!
『レオ……!!』
一本角の白猫は、頷いて魔術を展開してくれた。
──思い出す。リチャードによく似た、けれども少し甘い、美しく愛らしい面差し。身長はカイと同じくらい。華奢で柔らかそうな体。……でも、そのままじゃダメだ。そう育つように、イメージしろと言うことだろう。
生命創造。
人間程度の魔力量では使用不可能だと言う、最高の魔術。まさしく、神の領域。
……無茶苦茶だ。こんなの、一歩間違えればリリィを救うどころかカイもリチャードも死ぬではないか。
神から注ぎ込まれた莫大な魔力が、急速な勢いで消費されていく。リリィの魂を包みながら、カイの腕の中で小さな命が形作られていった。
『っ……!』
眩い光が、カイを中心に溢れだす。思わず目を閉じた。そして。
「は……え……? カイ……?」
リリィの姿をしたレオシアンと、ディオスギトゥティエリァスの骸がなぜか綺麗に消え失せ、カイの腕の中には黒髪の小さな赤ちゃんがすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。
「まさか……この子がリリィなのか?」
頷いて、リチャードにその小さな命を渡す。カイはそのまま、よろよろと地面に仰向けに寝転がった。ふー、と大きく息をつく。
……マジで疲れた。死ぬかと思った。
「お、おい大丈夫かカイ!? というかこの子はどうすればいいんだ!? 赤子の世話なんかしたことがないから、まるでわからないぞ!」
すまんリチャード、おれにもわからん。
慌てふためいている男の姿に苦笑していると、賑やかな声が近づいてきた。
「いったい何が起きたんすかコレ……とりあえず解決したっぽいけど……。あ、白黒コンビ! 無事か〜?」
「な……なぜディオスギトゥティエリァス様のお体が消えたのじゃ!? ど、どこに……」
『レオシアンが連れていったのだろう。フフ、散々挑発されておったからな。死に際の独占欲だ』
「ぐっ……お、おのれ神めぇ……」
「ル、ルージェナ! ツィリルでもいい! 赤子の世話をしたことはあるか!? ど、どう、どうすれば……あっ!」
抜けるような青空に赤ちゃんの高らかな泣き声が響き渡る。力強く、元気で、生命の輝きに満ち満ちているような、そんな声だった。




