137.神様
黒く暗い光の中を、ふたりして手探りで進む。だが、迷いはしなかった。神力が一番強い場所を目指せばいいのだから。
一歩一歩、確実に進んで───果たしてそこに、傷ついた神はいた。
真っ黒な死の力の中、カイたちと同じようにうっすら明るく輝いて見える。リチャードの妹の姿をした、けれども決して人とは呼べない、圧倒的な力を持った存在。……想像したくないほど長い間、ひとりで嘆き哀しみ、ついには己の記憶すら見失ってしまった神様。
『違う……違う。ディオスギトゥティエリァスは死んでなどいない……』
『……わかるよ。信じたくなんてないよな』
『誰、だ……お前は』
頭を抱えていたレオシアンが顔をあげ、こちらに気づく。リチャードが息を呑むのがわかった。……無理もない。久しぶりに妹の顔を間近で見たのだろうから。
その黒い瞳が、ゆらりとカイを捉える。逃げ出したくなるような重圧。それでも、カイはまっすぐにその瞳を見つめ返して言った。
『認められないよな。──愛するひとを喪っただなんて。……諦められない。わかるよ』
『ふざけるな、まだ年若き愛し子よ。お前ごときに何をわかると……いや、待て』
レオシアンが目を見開き、まじまじとカイの全身を何度も眺める。
『その魂はなんだ? まさか……』
驚いたからか、わずかに死の力が弱まった。
つい、と神が手を伸ばす。カイたちを守っている光の精霊が、目を閉じてその手を受け入れた。……これはもしかして、以前ガイアがやっていたように、精霊の記憶を読んでいるのか。
『───……お前、魂の管理人に……』
やっぱり、あっさりとバレてしまった。カイは苦笑する。
『……意外と親切だったよ。代償はあるけど、願いを聞いてもらえた。だから』
そう、だから。
『あなたも、望むならディオスの魂を持つ者がいる世界に生まれ変わることだって可能なはずだ』
──賭ける。きっとレオシアンは、もうディオスが死んでいることを誰よりも思い知っている。認めたくないだけだ。
それなら、可能性を提示すれば……。
『……それはもうディオスギトゥティエリァスではない』
『ッ……!』
嗚呼、くそ。
息がうまくできなくなる。嫌な汗が流れだした。
『愚かな。お前はそのような……求めるものなど決して得られぬのに枷を嵌められ、おまけに声を失ったか』
……その通りだ。
さすがに神様なだけある。正気でなくともきちんと本質を理解っているのだ。以前のカイとは違って。かつての柊真斗とは違って。目論見は外れてしまった。
「カイ……」
心配そうなリチャードの声。きっと今、カイは酷い顔色をしているのだろう。とっておきの策は、正論で捩じ伏せられた。
このままじゃ、神様を止められない。
『己が求めるのは! ディオスギトゥティエリァスだけだ!!』
まずい。
怒気と共に死の力が濃くなる。残りの魔力は……感覚的に、半分を切ったか。逃げ場はない。そもそもここで止められなければ意味がない。考えろ。考えろ考えろ考えろ。
「あ……!?」
『リチャード?』
驚いた声に釣られて見れば、リチャードと契約している闇の精霊が飛び出していくのが見えた。黒猫の姿は、すぐに黒い光の中に消えて何も見えなくなる。一体どこに……というか大丈夫なのだろうか。闇の精霊だから問題なさそうではあるが、他ならぬ生命神による死の力の中だ。気になってしまう。
しかしリチャードには、黒猫の目的に心当たりがあるようだった。
「まさか……いや、ありうるか……? よし、カイ。俺も少し魔力を使うぞ。──シアン! アニエ・ウヌ!」
返事をする間も無く魔力が抜ける感覚があった。……残量、けっこうマズいかもしれない。
貴重な魔力を使って何をしたのか。尋ねるより先に、リチャードに体を抱えられた。
『へ!? 何!?』
「一旦離れるぞ! ……来る!」
闇の向こうで、巨大な何かが動く気配がした。
……そんな。ありえない。だって、確かに今リチャードは魔術を使いそこそこ魔力を消費したが、それはこんなに大きなものを操れるほどの力じゃないはずだ。
だが、現実に動いている。少しだけ薄まった闇の向こう、巨大な影が立ち上がった。
ディオスギトゥティエリァス。レオシアンの愛する竜が、再び起き上がり大地を踏み締めている。
『おいリチャード、これはどういうことなんだ……?』
「聞いたことはないか? 闇の魔術で操られた死体が、まるで生前のことを覚えているかのように動くことがあると」
『あ……!』
聞いたことがあるどころではない。何度も見たじゃないか。初めて遭遇した黒い狼。そしてアマンダを前に剣を止めたオレク。
ディオスが死んだのは、途方もないほど昔のことだ。魂だってとっくにこの世にないはず。……それなのに、こんなことがあるのだろうか。何が……何が、その体を動かすのだろう。
レオシアンが呆然とつぶやく声が聞こえた。
『……ディオスギトゥティエリァス?』
瞬間、一気に闇が晴れる。リチャードがしっかり距離をとってくれたので、向かい合う神と竜の姿がよく見えた。
今はリリィの体だから、美少女と大きすぎる竜の図だ。どこか幻想的な光景だった。ゆっくりとふたりは歩み寄っていく。ああ……そっか。
うん、そうだよな、ディオスギトゥティエリァス。愛したひとを傷つけっぱなしになんて、できないよな。
カイはなんだか胸がいっぱいになって、少し泣きそうになってしまった。……が。
『!?』
「はぁ!?」
ディオスはレオシアンをその尾でぶん殴った。吹き飛ばされた華奢な体が教会の壁にぶつかる。……いやなんで!?
思わず魔術を使ったはずのリチャードを見つめたが、「俺じゃない」とぶんぶん首を横に振られてしまった。それはそうだ。
いや待て……これが正しいのか? レオシアンとディオスは殴り合って愛情を高めてたらしいタイプのふたりだ。正解は肉体言語だったのか? そんな馬鹿な。
だがまるでそれを証明するかのように、土煙の向こうから笑い声がした。
『フ……ハハハハハ! 久しぶりにいい一撃だったぞディオスギトゥティエリァス! やはりお前は…………ディオス?』
──ディオスは動かない。
まるでレオシアンを抱きしめるかのように、その巨体で華奢な体を包んだまま永遠の眠りについていた。
『……おい』
レオシアンの手が、竜の頬に触れる。
『なぜ冷たくなっている……ディオスギトゥティエリァス』
『神様』
今しかないと、カイはレオシアンのそばまで走る。不安定に揺れる瞳がこちらを向いた。
きっとここで、これまでのようにディオスの死を諭したところで堂々巡りになってしまうだろう。だからもう、いいのだ。伝えるべきは、そこではない。
『──たしかにおれは愚かでした。もうどこにもいないのに、前世で大切だった人にもう一度会いたくて、魂の管理人と無茶な契約をした。でも』
報われなかった。後悔もした。それでも。
『彼女へのこの想いが、たくさんの人に巡り合わせてくれました。今のおれを作る、みちしるべになってくれました。時間はかかったけど、彼女の死を受け入れられた。……ねぇ、神様』
そう、相手は神様だ。説得しようだなんて、そんなふうに考えたのがそもそもの間違いだったのだろう。
カイは胸に手を当てる。まっすぐにレオシアンを見つめた。
『この世界を創ってくれて、ありがとう。おれはここで、大切なものを山ほど見つけられました。──あなたに、感謝と祈りを捧げます』
神様はまるで時間が止まってしまったかのように、カイの前で微動だにしなかった。身開かれた瞳が、じっとカイを凝視している。
やがてレオシアンは長く長く息を吐き、目を伏せた。そうして、優しくディオスを撫でる。冷たく、動かないその体を確かめるように。
『ああ……そうだな、我が愛し子よ。己がこの世界を創ったのだ。お前たちを創った。……あれは、ディオスギトゥティエリァスが死んだあとだ。現実逃避をしながら、それでも世界を創るのは楽しかったのを覚えている』
「! それは……」
リチャードが思わずといった様子で叫ぶ。
そう、それはつまり。
『レオシアン……!』
ガイアがルージェナとツィリルを連れて舞い降りて来た。窺うような兄竜の視線に、レオシアンが顔を上げる。その目には確かな光が宿っていた。
『世話をかけたな、ガィアンジェリスンイェキトォス。……もう大丈夫だ』
──そうして正気に戻った神様は、泣きそうな顔で微笑んだのだった。




