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10.空の旅


 出発すると言われて連れて行かれたのは、なんと詰所の屋上だった。けっこう広いが、何もない。青い空から燦々と太陽の光が降り注いでいる。


 受付のお姉さんとは別れて、ジルベールと2人だけ。こんなところから魔術学園への移動とはどうやるんだろう。

 まさかワープとかするんだろうか、なんてドキドキしていたら、ジルベールは細い小さな笛を取り出して、それを思いきり吹いた……ようだった。音が聞き取れない。犬笛みたいなものだろうか?


 しばらくして、急に太陽の光が大きな影に遮られた。


「……え?」


 雲だ。

 空に浮かんでいるはずの雲が、詰所の屋上へゆっくりと降りてきている。


「うわ、わ、えぇえ!?」


 屋上に降りてきた雲の上に、白い気球が載っている。なんとも奇妙な光景だった。


「この気球に乗ってくれ。今からだと……そうだな、夕方には学園に着くだろう」

「な、なんで雲に気球が……」

「この雲はダミーさ。大丈夫、魔術で運んでくれるから何も危険はないよ」

「はあ……」


 まさかの空の旅だ。カイが荷物とともに乗り込むと、見計らったかのようにふわりと雲ごと気球が浮いた。火は焚かれていないのに、だ。魔術だけで空も飛べるらしい。


「それじゃあね! 頑張りたまえ!」

「はい! ありがとうございます、お世話になりました!」


 ぐんぐん遠ざかっていくジルベールに慌てて手を振って挨拶する。気球にくっついている雲によって隠されて、あっという間にその姿は見えなくなった。

 その後もどんどん上昇していき、ある程度の高さになったところで気づく。


「景色が全然見えない……」


 ダミーの雲が広がり、下の様子がまったく見えなかった。どこを飛んでいるかわからない。地上からもこの気球は見えないだろう。なるほど。

 誰にも見えず、乗っている本人にもわからない。リオン魔術学園の場所は、こうして秘密になっているのだ。

 かなりの高度を飛んでいる気がするのだが、寒さどころか吹き付ける風も感じないし、酸素も地上と変わらないようで呼吸に苦はない。きっとこれも魔術なのだろう。


「思ったより平気だなぁ」


 飛行機事故で死んだ。だから高いところが苦手になっているかと少し不安だったけれど、トラウマになっている感じではない。


 あのときは、そう。自分が死ぬことよりも、灯里が怯えていることのほうが怖くて、助けたいのに助けられないのが悔しくて。無力な自分が赦せなかった。

 せめて手を握って少しでも安心させてやりたかった。大きな音がして、あっという間に意識を失ってしまったからきっとそれも出来なかったんだろう。


 カイは己の手のひらを見つめ、小さくため息をついた。



 それからぼんやりと過ごすこと数十分、見えるのは青空と雲ばかり。あと数時間はこの景色かと思うとさすがに飽きるし退屈そうだ。


「……ん?」


 遠くに何かが飛んでいるのが見える。鳥だろうか。……それにしては、フォルムが少し違うような。


「え? あ、あれ……!?」


 少しずつその生き物が近づいてくる。サイズがおかしい。ぐんぐん大きくなる。大きくなるのに、まだ遠い。

 気球の動きが、近づいてくるそれに怯えたかのように止まった。


「っ………!」


 もう肉眼ではっきりその姿が見えている。頭から尾の先まで青黒い鱗に覆われた巨大な体躯。分厚い飛膜の張った大きな翼。


「竜……!?」


 つい先日まで座長が演じていた、神話にも出てくるあの竜である。遥か北の山脈にいることは知っていたが、どうしてこんなところに。それともカイたち人間が知らないだけで、実は世界中を飛び回っているんだろうか。

 とにかくマズい。気球はなぜか完全に止まってしまったし、明らかに竜はこっちに来ているし、どうなってしまうんだ。逃げ場なんてない。食べられたりしたらどうしよう。

 もはや神様に祈るしかない。半泣きで、それでも目をそらすことなんて出来ずに、カイは飛んでくる竜を見つめるしかなかった。


「うわっ……!」


 それは、想像を絶するほど大きかった。

 カイなんて、竜の鼻の穴くらいの大きさしかない。全長はどれくらいあるんだろう。とにかく圧倒的だ。こんなの、人間が敵うような存在じゃない。頭が真っ白になった。

 すぐそばまで近づいてきた竜は、そこでようやく気球の存在に気づいたらしい。体を少しひねって避けてくれたのだが、風圧で気球は激しく揺れた。必死で籠にすがりつく。恐怖と混乱で声も出ない。


 そんなカイを、竜の目は捉えていた。すり抜きざま、ぎょろりと眼球が動く。息が止まり肌が粟立った。嫌な汗が一気に吹き出る。


 しかし竜は一瞬で気球を抜き去ると、あとはもう振り向くことなく飛んで行ってしまった。


「びっ……くりしたぁ……」


 本気で死ぬかと思った。

 立ち上がる気力もなく、そのまま籠に寄りかかる。止まっていた気球は、またゆっくりと動き出した。


 竜。魔術師。ほんとうに、ファンタジー小説の世界だ。灯里とよく読んだ。彼女がさっきのを見たら、どう思ったろう。あれで結構したたかだから、『怖かったね!』なんて笑顔で言いそうだ。


「灯里……会いたいよ」


 この世界で、今、どんな姿で何をしているんだろう。飢えていないだろうか。傷ついていないだろうか。幸せであってほしい。それを早く、確かめないと。


 小さい頃から、気持ちだけはずっと焦っていた。魔術学園で見つかる奇跡を願う。

 カイは不安を覆い隠すように、ぎゅっと目を閉じた。




 ……緊張が緩んで、疲れが出たらしい。

 うたたねから目を覚ますと、気球が高度を下げているのに気づいた。青い空はすっかりオレンジ色に染まっている。いよいよ目的地に到着したのだ。

 立ち上がり、籠から身を乗り出す。険しい山の中、生い茂る木々のなか堂々と、城かと見紛うほどの荘厳な石造りの建物が鎮座していた。


「あれが、リオン魔術学園……!」


 カイの新しい生活が、始まろうとしていた。


次話で幕間を挟んでから、魔術学園編の開始となります。

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