第二部・カメリアがとうとう狂帝に夜召し出されましたが、何かやらかしたようです。
月のない夜、朝の光に白くなり始めた頃。
カメリアは暗い表情で、肩を落としてアルヴェイン帝の寝室から戻って来たわ。
「……お疲れ様、カメリア。その……大丈夫?」
アレクセイ様は震えた声で。
「カメリア。そのドレス姿……
痛い所はないか?」
カメリアは押し黙るばかり。
カメリアの手には極秘事項の書かれた重要書類と、裏帳簿が。
私はカメリアを労おうとするも、声が出ないわ。
アレクセイ様に至っては顔面蒼白で押し黙っているのよね。
なんだけれど、カメリアの視線は泳いでいくわ。
まるで気まずい、とでも言うように。
カメリアのドレスの赤いシミも、よくよく見るとワインレッドだわ。
「……お嬢様、申し訳ありません。その」
カメリアは一旦、息を呑んで。
「……私、アルヴェイン帝を酔い潰してしまいまして……」
狂帝を酔い潰した?
私の聞き間違いかな?
一体、どういう事なのよ?
今回の事の発端はと言うと。
この離宮にあてがわれてから、私も亡くなったセラフィーナ様の寝室を使うのは少し気が引けて、幾つかある客室の一つを使わせてもらっているわ。
アレクセイ様は度々、うちの離宮を訪れては、セラフィーナ様の寝室であったであろう部屋を中心にお母様の遺品の整理をしているのよね。
カメリアも積極的に手伝っているのよね。目録まで作るなんて本当にマメだわ。
「ドレスに、宝飾品に……やはり数点無い。おかしいな」
「アレクセイ様?何を探されているのですか?」
私は気になって、アレクセイ様に問いかけると。
「セラフィーナお母様のお気に入りの、アレキサンドライトのネックレスが無いのです。
ほら、カメリアとの婚約の返礼品の」
アレクセイ様の発言に、カメリアも頷いたわ。
「バートン領の鉱山で見つかった新発見の宝石のものでした。
だからお母様に何かあったら、僕にくれると約束していたのですが」
「思い入れのある逸品でしたのね。
すぐに見つかるといいのですが……」
そんな穏やかな時間が流れていたのに。
「エリーゼ様、アルヴェイン皇帝陛下からの通達です」
ロジーが手紙を持ってきてくれたわ。
その表情は、少し困惑しているようだったわ。
「……嫌な予感がします」
つまり、これは良くない知らせかしら?
「あぁ、とうとう来ちゃったわね……」
一通の手紙。
ペーパーナイフで開かれたそれには、抗えない宿命の様な内容が書かれているのでした。
『侍女カメリアを、アルヴェイン帝の私室へ送る事』
「……こんなもの!
カメリアが従う必要はない!」
アレクセイ様は憤って、手紙を破り捨てようとするわ。
「アレクセイ様、落ち着いてください。
どうか抑えて」
「だが、カメリアをアルヴェイン帝の生贄にするなんて!」
それを言われてしまうとねぇ……。
「……アレクセイ様。
私達の目的を忘れてしまったのですか?」
カメリアは毅然と反論するわ。
でも、私だって思うところはあるのよ。
「私も行くわ。
カメリア一人に任せてばかりじゃいられないもの」
「駄目です、お嬢様!
貴方はローズベルの王族の血を引く青薔薇の聖女様なのです。
何かあったら、ドルンゲンとローズベルの間で何が起こるか……。
どうか、お嬢様の御身を守って下さい……!」
私はカチンと来て思わず言い返してしまったわ。
「王族……聖女って何よ?!
それって、目の前の貴方を犠牲にする程大事なものなの?!」
その瞬間、しん……と離宮内が静まり返ったわ。
いけない、言ってはいけない本音を言っちゃったかも。
「カメリア。ごめんなさいね。
ここまで来ておいて、今更言うのも酷いと思うけれど。
本心を言えば、こんな事なんて私も反対よ。
そこまでして、貴方を……若い女の子が心身を壊すような事をする必要ある?」
カメリアは一つため息をついて、冷静に答えるわ。
「……お嬢様、私の身を案じてくれるのは有り難いのですが。
狂帝に復讐する動機は、私にもあります。
父や祖父……そして弟、家族を殺され、領地を奪われてしまったのですから。
……ようやくつかんだ好機。逃す手はないでしょう」
「それでも嫌だ!行かせられない……!」
「大丈夫、アレクセイ様。
私は貴方の剣です。
貴方の罪も贖罪も共に背負う覚悟なんて、最初からしていますわ」
私はため息をつくわ。
どうしてこうも頑ななのかしら。
「もう……仕方ないわね。
メアリー、ロジー。カメリアの支度を手伝ってあげて」
もちろん、これは私の本意ではないけれどね。
「……嫌だ!もしカメリアの身に何かあったら……!
セラフィーナお母様の二の舞なんて、もう……!」
私は思わずアレクセイ様を抱きしめる。
「アレクセイ様、大丈夫。大丈夫ですから……」
カメリアは気丈にもああ言ってくれたけれど。
何か一つでもミスをしてしまったら、明日いなくなってしまうかもしれないのよね。
それなのに出来る事が守られるしかない、見送るしかないなんて。
本当に歯痒いし、もどかしいわ。
その日の夜は月明かりのない、星の瞬きだけが冴える夜だったわ。
アルヴェイン帝の寝室に向かったのは、カメリアただ一人。
「来たか、カメリア嬢ちゃん」
「お久しぶりですわ、アルヴェインおじ様」
「おや、随分とキッチリしたイブニングドレスだの。
まあいい、シャンパンは好きかの?
今晩の晩酌に付き合え」
「ウォッカでも構いませんわ。
おじ様、気取ったお酒は苦手でしょう?」
イブニングドレスにしては露出の少ない、襟元までレースで覆われたドレスだったわ。
まるで騎士の礼装の様だったわね。
「ふむ、耳飾りはクォーツか。
ガーネットやエメラルド、ダイアモンドはお嫌いかの?」
このラインナップはドルンゲンで採れる宝石ね。
アルヴェイン帝が旧王国でクーデターを起こし、帝国にした際に、多くの鉱山が国有化されたと聞いたわ。
「もう、おじ様!
これは私が好きで付けているのです。
他人の趣味趣向に口を出すなんて無粋ですわ。
お酒は……冷たい氷を入れてくださいまし」
カメリアには念の為に、通信魔法をかけたクォーツのピアスを持たせたわ。
カメリアに何かあったら、すぐさま助けに入れるようにヨハネスを同行させ、近くに待機させているのよね。
コソッと。
「……おじ様は夏宮殿の琥珀の間を寝室にしたようです。
金銀の装飾も相まって目が痛くなりそう」
と、カメリアがボヤいたわ。
「ワシとしてはカメリア嬢ちゃんにこそ、皇后のココシュニクが相応しいと思うが。
……して、青薔薇の聖女はどうだ?
取り乱して泣いていたかの?」
アルヴェイン帝の毒のある発言に、げんなりするわ。
やはりワザとかぁ……青薔薇の聖女である私を挑発していたのね。
もしかして、私が聞いてるのもお見通しだったりするのかもしれないわ。
「あら、セルシアナエリーゼお嬢様をからかいたいのですか?
いけませんわね、悪趣味ですわ。
まるでセラフィーナ様の生き写しの様なお方ですのに」
「……だからこそ、嬢ちゃんもアレクセイも肩入れするのだろう?
だが、青薔薇のあれは……美しいだけの存在ではあるまい」
「まあ、まさかお嬢様にセラフィーナ様ではない方の面影を重ねているのです?
例えば、手に入らなかったアデレード姫様、とか?」
「……ふん。美しい花には棘も毒もあるだろうよ」
いきなり私を持ち上げられても……反応に困るわ。
そんなにセラフィーナ様、ひいてはアデレード姫=マダム・アルディに似ているのかしら。
そういえばすっかり忘れてたけど、今世の私ってガワだけは美少女だったっけ。
中身が前世と相変わらず残念なオタクで悪かったわね。
周りにリオやマリヤカトレアお母様、カメリアにヨハネスと私に手厳しい人ばかりだったから、あんまり役得とかそういう事考えてなかったわ。
「……お前もそうであろう?カメリア・バートン。
部下のマークの孫娘にして……東方の武人の血を引く娘よ」
アルヴェイン帝は一杯、酒をあおる。
「カメーリアとは、東方の島国の花、椿。
西方のこちらでは社交界やクルティザンヌに持て囃される貴重な品だ。
この花のお陰で、様々な国内の貴族や異国の貴人と交渉の席に着けた。随分と助けられたよ」
演技がかった大袈裟な言い方で、顎でクイッと奥を指す。
そこには温室で育てられた椿の木や、東方から取り寄せた椿の花や牡丹の描かれた彩色豊かな大皿、大型の香壺などの陶磁器コレクションがあります……とカメリアが小声で説明してくれるわ。
「だが、当の東方ではどうだ?
首落ち花と言って、軍人に忌み嫌われる徒花ではないか」
「一説では、ですわ。
潔く散るから、武家で重宝されたとも聞いております」
「まあ、嬢ちゃんの名付けは……お主の父親が帝都に上京した際に『椿姫』を観たから、なんて実に安直な名前のつけ方だったがなぁ……」
「私の祖母が東の島国にルーツがあって、私の名前の事で度々愚痴を零していましたわ。
『椿なんて不吉な名前、それもクルティザンヌの話から取るなんて!』と。
父は跡継ぎの長男が欲しかったのです。
女の私など、どうでもよかったのでしょう。
弟の、待望の長男トマスが産まれてからは、私は放り出された様なものでしたわ。
セラフィーナ様がアレクセイ様との婚約に応じてくれていなかったら、私はどうなっていたか……」
「……全く、カメリア。
お前のその剣の才覚、機知、男としても申し分ないというのに」
「あら、アルヴェイン陛下。私を買い被り過ぎですわ」
カメリアはそう謙遜して、グラスのお酒を1杯飲む。
お酒は混ぜ物されていないかしら?と心配するも。
「……幸い、氷が沈んでないので毒は盛られていないかと」
と、冷静にカメリアが報告してくれたわ。
「ところで、アルヴェインおじ様。
……私の祖父がセラフィーナ様に献上した、アレクサンドライトのネックレスはどちらに?」
アルヴェイン帝はギロリと睨んでから、わざとらしく笑うわ。
「ははっ……さあ、何処にやったかの?」
「……セラフィーナ様の離宮にはありませんでした。
アレクセイ様が言うには、ベルツ邸の焼け跡からも。
ならば、貴方の手元にあるはず。
ねぇ、アルヴェイン皇帝陛下……
あのネックレスをかけて、私と飲み比べ勝負しませんこと?」
「ふん、小娘が小癪な真似を……
ワシは酒にはめっぽう強くてな。
泣くのはそちらだぞ?」
そう啖呵を切って飲み比べが始まったわ。
何十杯目だろうか?シャンパンは元より、ワイン、ウォッカ、アブサンなどと段々アルコール度数の高い酒が注がれてゆき。
バタン!と、顔を真っ赤にして酔いつぶれたアルヴェイン帝は床に崩れ落ちてしまったわ。
「大丈夫ですか、おじ様?
……ドルンゲンの狂帝と言えど、この程度か。
……いえ、好機?ひょっとすると演技かも……?」
ようやくチャンスが巡ってきたか、と思いきや。
「皇帝陛下!大丈夫ですか?
貴様、皇帝陛下に何をした!」
騒ぎを聞きつけた衛兵が、カメリアに詰め寄ろうとするも。
ノックも声がけもせず、ドアが無遠慮に開いたわ。
「あら、アルヴェイン様ったら。
バートン嬢とのお酒が楽しくて、深酒してしまったですね」
そこに現れたのは、後宮を管理するシルバーナ様ではなく。
意外にもレオニード皇太子の家庭教師、アスタロッテ夫人だったわ。
「え?!何故アスタロッテ夫人がナイトガウンを着て……?
誰の許可を得て皇帝陛下の寝室へ足を踏み入れたのです!」
「あら、そんな野暮な事お聞きになりますのね?
貴方も元クルティザンヌならお分かりでしょう?
大人ならその様な事もよくあるでしょうに。
皇帝陛下は私が介抱いたしますので、貴方は下がってよろしい」
「……あら、皇太子の教師風情が、宮殿の女主人公気取りですの?
ところで貴方の胸元で輝く、そのネックレス素敵ですわね。
その宝石、新しく見つかったアレキサンドライトですね?」
「あら、こちらかしら?
詳しくは知らないけれど、皇帝陛下からいただいたものです。私には勿体ない逸品でしょう?」
ニコリと微笑み、鈴の転がるような声の夫人。
「……浅ましい。
それは私の祖父がセラフィーナ様に贈った一品よ。
筋を通して、嫡男のアレクセイ将軍に返しなさい。
貴方の様な方は、本来なら潔癖症の貴婦人が多いドルンゲンの社交界では毛嫌いされるでしょうに。
それとも、貴方も私と飲み比べをご所望ですの?
それとも実力行使がよろしいかしら?」
そう睨み据えると。
「……ふん。アレクセイの犬めが。
ああ、そうそう。
あのセラフィーナとかいう気弱な姫様の亡くなった廃墟、お気に召したかしら?」
笑顔のまま、そう吐き捨てる夫人。
アレキサンドライトのネックレスを放り投げて、夫人は去ろうとした、その瞬間。
ガタン!と大きな音を立てて何かが倒れたわ。
それは、黒いヴェールに喪服を着た、白銀の髪の、等身大人形だった。
生気のない目、それがアスタロッテ夫人の方を凝視している……。
「ひっ……!グリモワールの闇魔術人形パペッティア……!?
何故ここに……気味が悪いったら……!」
足早にアスタロッテ夫人は去っていくのでした。
「……アレクセイ様、セルシアナエリーゼお嬢様。
誠に申し訳ありません。
私、アルヴェイン帝を酔い潰してしまい……仕留めそこないました……!」
私も初めて聞いたわよ、皇帝を酔い潰した女って。
「私、エスメラルダス叔母様に言わせると非常にお酒に強いらしいのです。
いくら飲んでも酔わないから、叔母様のサロンのお客さんを次々と酔い潰してしまって……」
「カメリア、またやったのか?
それでヴェネティアのサロンで色々あって大変だったろ。
しまいには姐さんの迷惑客まで酔い潰したって伝説が……!」
「ちょっとヨハネス?!
それ黙っていてって、頼んだでしょう?!」
とうとう後ろに控えていたヨハネスが笑い出してしまったわ。
酒豪もここまで来ると凄まじいわね……。
アレクセイ様は困惑して、まったく理解が追いついていない様子。
うん?待って?カメリアが酒豪なのよね?
ということは、アレクセイ様とお酒寝落ちしたのって、一体何だったの?
……まさか、酔ったフリ?確信犯?!
カメリア、恐ろしい子……!
いや、実にてぇてぇが過ぎるわ?何故なら推しカプだから!良いぞ良いぞ、もっとやれ!
「……カメリアの心身に傷をつける事なく、必要な情報は手に入ったのだし、上出来よ」
私は資料をパラパラとめくるわ。
しかし、この数字……良くない兆候よね。
いえ、精査しないと断言は出来ないわ。




