第二部・カメリアの従姉妹カナリア嬢が立場を奪いに来ました。
思い返せば、もう八年も前。
それは、顔もロクに知らない叔母レイシアが嫁ぎ先のククシェフスカヤ伯爵家から叩き出され、憤慨してバートン領の屋敷に帰ってきた晩餐の席でのことだった。
「ねぇ、カメリア。
どうかアレクセイ様との婚約をなかったことにしてちょうだい!」
ディナーが始まってすぐ、前菜にも手をつけていないうちに飛び出した言葉だった。
「こんな剣なんて振るう野蛮な子より、アタクシの娘カナリアのほうがずっと洗練されているわ!
カナリアの方がいいわよ!」
罵倒し、息巻く叔母のレイシア。
その隣で娘のカナリアも鼻息荒く叫んでくる。
罵声で恐喝すれば意見が通るとでも思っているのだろうか。
「そうよ!
剣を振り回してる野蛮なアンタより、可愛くて都会育ちのアタシの方がアレクセイ様にはふさわしいのよ!
アレクセイ様をアタシに寄こしなさいよ!」
艶のない金髪に、灰色がかった薄青の瞳。
よそ行きでは澄ました声真似をするくせに、地声はひどく下品だった。
いや、本来アレクセイ様は誰かの所有物ではない。そんな発想自体が間違っている。
それでもなお、あまりに品のない言動に、怒りを通り越して呆れと哀れみすら覚える。
「ほら、カナリアが可哀想だろう?」
父の言葉に、思わず眉をひそめる。
「何を言っているのです?
先方との取り決めですので、私の一存ではどうにもなりません。
そんなにもアレクセイ様が欲しいというのなら、せめて礼儀作法のお勉強くらいはなさっているのでしょうね?」
その時もカナリアは、前菜を無視してステーキに手をつけていた。
ナイフとフォークの使い方もでたらめで、口を開けたままくちゃくちゃと音を立てて食べる姿は見るに堪えない。
ソースをぽたぽたとテーブルクロスにこぼしても、意に介していないようだった。
これで本当に、伯爵家で淑女教育をされて育ったのか?
こんな様子で、本当に公爵家の夫人が務まるとでも思っているのだろうか。
「はあ!? アタシをバカにしてんの!?」
怒鳴るカナリアに、躾もなされなかった哀れな少女なのだと、もう何も言う気も起きなかった。
「カメリア!私のカナリアに謝りなさい!」
叔母もまた話にならない。
「……わかりました。お父様。
そこまで叔母様と従妹を優先なさるというのなら、私、この家を出て行きます」
「はあ!? 何言ってるのよ。
アンタはこれから寄宿舎学校に行くのよ!」
「レイデングラード寄宿学校でしょう?
今、流行病が蔓延していると聞きましたわ。
そんな所に進んで入りたくありません。自殺行為だわ」
「この馬鹿娘が!
レイシアが持ってきた良い話を蹴って!
親の顔に泥を塗りやがって!
母親共々さっさと失せろ!」
「……ええ。もう耐えられません。
そういたしますわ」
それが、まさか家族との最後の会話になるとは。
そのとき、夢にも思わなかった。
その直後、戦争の魔の手が領地とバートン家を焼いたのだった。
※※※
「……それで実家から叩き出されて、戦火に遭い、しばらく母と教会暮らしでした。
ようやく貴族のしがらみや、マナーに縛られなくていい生活になり、気が楽になって良かったなーと思ったんですけどね。
ある日、エスメラルダス叔母様がわたしをヴェネティアのサロンに引き取るって現れて……」
「ねぇ、カメリア。
気が楽になったって辺り、アレクセイ様に絶対に言わないでね?
あとサラッと言ってるけれど、もの凄く波瀾万丈よね?カメリアの人生?」
少なくとも、ドレスの着替えの時に聞かされる話ではないと思う。
「今まで大変だったね、カメリア……」
「そんな事情で、アレクセイ様と生き別れてしまったなんて……!」
ロジーとメアリーは感極まったのか、目をうるうるさせているわ。
「ところで、言いにくいんだけど……アルヴェイン帝からは何かあったの?」
「……いえ、その音沙汰は」
無いのね……カメリア。そんな気がしてたわ。
アレクセイ様のメンタルが安定してるものね。
……まあ、今晩は少なくともチャンスあるはずだから、ね?と言おうと思ったのに。
「なんなら、アレクセイ様とそのままくっついちゃえば?」
「何を仰るのですか、お嬢様?!
いえ、今晩こそは……」
だって、今晩はドルンゲン帝国に来て初めての舞踏会なのだから。
アルヴェイン帝のお后候補お披露目の舞踏会が開かれたわ。
まあ、実際はカメリアのお披露目会なのよね。
しかし、会場がローズベルよりも広い。
しかも豪華だわ……シャンデリア何個あるの?
立食用のディナーは60種類以上のメニューがところ狭しと並んでいるわ。オードブルみたい。
「これが夜通し続くの?凄いわね、ドルンゲンって……」
「ああ、これは昔のパーティー好きで夜型生活だった女帝の頃からの悪習でして」
アルヴェイン帝の後継、仮面の君レオニード皇太子が現れたわ。
レオニード皇太子は一言も発さずに、優雅に一礼をする。
あの特有の癖。息遣い。
「……ねぇ、アレクセイ様。仮面の君は」
私がそう呟く。
すると、アレクセイ様は首を傾げて。
「どうでしょうね。
彼が消えたタイミングで仮面のレオニード皇太子が現れたのは気になりますが」
アレクセイ様も懐疑的ながらも同意見のようね。
アルヴェイン帝は正妃候補の私の元へとやってきたわ。
「どうだ?青薔薇の聖女よ。
我がドルンゲン帝国の宮殿舞踏会は。
ローズベルのものよりも絢爛豪華であろう?」
「まあ、アルヴェイン陛下ったら」
失礼にならない範囲で笑って誤魔化すわ。
「……おじい様。青薔薇の聖女は、私が」
と言って、仮面のレオニード皇太子がダンスに連れ出してくれたわ。
「レオニード皇太子?
あの、何度も私と踊っているようでは……」
「君とのダンスの相手は私だ。誰にも譲らない」
なんですと?!でもそれってマナー違反では?
「マナーなど関係ない。私は今晩、青薔薇の聖女と踊り明かしたいのだ」
すると、アルヴェイン帝はにたりと笑って。
「レオニードがそこまで言うなら仕方ない。
カメリア嬢ちゃん。一曲、ダンスの相手をせよ」
「……かしこまりました、皇帝陛下。お手柔らかに」
カメリアの手を取ったアルヴェイン帝。
アレクセイ様はギリッ!!と睨みつけるわ。
「そうだ、皆に良い物を見せてやろう。
カメリア嬢ちゃん。剣の舞を皆に見せてやれ」
「承知しました、皇帝陛下」
ワルツを中断して、ちょっとした催し物が始まった。
カメリアが剣の舞だわ。
優雅かつ勇壮に踊るわ。
皆が、カメリアの姿に魅了されていく。
「あらぁ!カメリアお姉様じゃないのぉ!
アタクシよ!従姉妹のカナリア!
ククシェフスカヤ伯爵令嬢の!
お久しぶり。あらやだ、まーだご結婚されてないのぉ?」
甲高いけれど、仰々しい声が会場に響いたわ。
「カメリアお姉様がトラヴィエッタと名乗るクルチザンヌとして身をやつしたと聞いていたの。
アタクシってば、とーっても心配しておりましたのよ!」
カナリアの様な甲高い声、不躾な物言い。
取り巻きの男性を引き連れて、この会場にそぐわぬ煽情的なドレスを着た女性が現れたわ。
「カメリアお姉様は酷い方なの!
アタクシとアレクセイ将軍は幼少の頃から仲睦まじく、婚約もしていたのに。
嫉妬して、アタクシから婚約者の座を奪って……!」
うわー、身に覚えがあるわね。この展開。
カメリアに結婚マウント取ってきたけれど、カナリア嬢も特定の旦那様を連れている訳でも、結婚指輪をはめているわけではないからね。
「嫌だわ、クルチザンヌって愛人業じゃない」
「婚約者を奪うですって?なんて下劣なのかしら」
貴婦人たちから陰湿な笑い声が聞こえてくるわ。
モブとは言え、流石に聞き捨てならないわ。
これぐらい、私がカメリアの名誉挽回するのはいいわよね?
「まあ、酷い!なんて悪辣な嘘なの?
カメリアは、ずっと我がキャルロット公爵家で私の侍女を務めていたと言うのに」
周囲の嘲笑が、さぁっと引いて、代わりに動揺が広がっていくわ。
「……えっ?はぁ?!
このアタクシに楯突くっての?
何様なのよ、お前!」
「なんて口のきき方なの?
私はローズベル王国の青薔薇の聖女、セルシアナエリーゼ・フォン・キャルロットと申します。
私の身元を不審に思うなら、ローズベル王国のフィオナ新国王陛下に問い合わせてはいかがかしら?
元婚約者の、青薔薇の聖女セルシアナエリーゼはご存知か?と。
私の侍女、カメリア・バートンを侮辱するなら、私と我がキャルロット公爵家がお相手しますわ」
カナリア嬢は高慢な笑みを引きつらせて、絶句する。
そもそも、ドルンゲンのククシェフスカヤ伯爵家にご令嬢っていたかしら?
あまり聞いた覚えはないんだけれど。
「お久しぶりね?
カナリア・バートン嬢。
自らをククシェフスカヤ伯爵家のお嬢様って触れ込みで、何人もの独身貴族に売り込んでいるようだけれど。
確か貴方の両親は、母親の不倫で離婚しているわよね?
不倫相手は確か、しがない騎士爵だったはず。
その場合古くからの取り決めで、この様な社交の場には出られないはずでは?」
その声は、冷え切った刃のようで。
しかしその瞳には、屈辱も怒りも感じられない。
ただ、客観的な事実を突きつけているだけ。
周りはただ、息を飲んでその姿を見守るしかない。
「それに、顔なんて覚えてるわけないじゃない。
叔母様とカナリアが実家に帰ってきてすぐさま『アレクセイ様の婚約者の座を寄越せ!』って恐喝して。
さらには母さんと長女の私を追い出して、バートンの家を乗っ取ろうとしたのよ?
おかげ様で、バートンの家が焼かれたあの戦乱から、私と母さんは生き残れたわ。
貴方達にはせいぜい感謝しないとね」
言葉は明確で、恐ろしく静かだった。
カメリアの怒りはまるで、氷点下の氷の如きだった。
その一言一言が、カナリア嬢の薄っぺらな演技を、崩していくわ。
「なんて事言うの!
アタクシはあの戦乱で、お祖父様も叔父様も!
大事なアタクシのお母様を亡くしていると言うのに!
皇帝陛下! どうか嘘つきで嫉妬深く、この意地汚いお姉様に天罰を!」
「はは……なかなか面白い展開だな!
だが、なぁ……アレクセイ将軍?」
その瞬間。
「久しぶりだね、カナリア。
僕の……もう一人の元婚約者」
アレクセイ・ヴァン・ベルツ公爵が口を開いたわ。
彼の次の一言が全てを覆すことを、私は直感で理解したわ。
カナリア嬢の目が、ありえないほど見開かれる。
そして、カナリアの如き甲高い声で。
「アレクセイ様!アタクシ、とーってもお会いしたかったの!」
「僕は本来、カメリアと婚約する予定だった。
だが、いつの間にか伯爵家の娘である君との婚約にすり替えられていた。
カメリアは相応しくない、婚約破棄してくれと。
僕は泣いて拒否したよ」
「それは……カナリアと叔母様が、私に恫喝したのです。
アレクセイ様から手を引けと」
カメリアは即答するわ。
その声には、震えも迷いもなかった。
一瞬、アレクセイ様がホッとして笑ったように見えた。
そして、アレクセイ様が懐から取り出したのは……。
「これを、覚えているかな?」




