手術は終わり ?
葵の目がゆっくりと開いたとき、無機質なICU(集中治療室)の鋭い照明が眩しく彼女を照らし出した。
私は弾かれたように立ち上がった。心臓が喉から飛び出しそうなほどの衝撃だった。
同時に、手術が終わったという私の連絡を受けて駆けつけたばかりの石川(琴)が、部屋の隅で寄りかかっていた身体をまっすぐに起こした。
「アスナ...」
葵が囁いた。
その声はひどく掠れており、まるで砂漠の砂嵐によって喉の奥を削り取られたかのようだった。
「今はまだ喋ろうとしないで、葵」
私は彼女の額を優しく撫でながら言った。その額は、未だに異質なほど冷え切っていた。
「手術は……終わったわ。完全にすべてを取り除けたわけじゃないけれど、成功よ。今はもう安全だから」
葵は厚い包帯に覆われた自らの胸元を視線で落とし、それから私を通り越して石川の方を見つめた。
「石川さん……来てくれたのね?」
石川は大きすぎる白衣のポケットに両手を突っ込み、いつもの緊張感のない態度を装いながらも、必死に焦燥感を隠そうとしていた。
彼女は口の中で転がしていたロリポップキャンディの動きを、一瞬だけ止めた。
「当然でしょ。私が来なかったら、この『天才ドクター』さん、緊張のあまり息をするのを忘れてたかもしれないわよ。本当に肝を冷やさせないで、田中(葵)」
葵は痛々しいほどの、微かな微笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。まるで……土の中から、根っこを無理やり引き抜かれたような感覚なの」
葵の手を握る私の指先に、ぎゅっと力がこもる。
「葵、ユウジ先生があの腫瘤を見つけてくれたわ。彼らは原因不明の未知の組織と呼んでいるけれど、それが本当は何なのか、私が絶対に突き止めてみせる。
二回目の手術で、残らず綺麗にしてみせるから」
「アスナ」
石川が言葉を挟んだ。その声は、彼女にしては珍しく、酷く真剣なトーンに変わっていた。
「ここへ来る途中、医局の休憩室で初期の病理検査報告をチラッと盗み見てきたの。腫瘍細胞は一切検出されなかったそうよ。
あれは...木肌に酷似した、有機的な残渣だって。医学的には、100%あり得ない話よ」
葵は静かに目を閉じた。
その呼吸は浅く、重々しく響いていた。
「科学では見つけられないわ、石川さん。あの根は、DNAからではなく、約束から生えてきたものだから」
「そんな文学的な戯言はもうやめて、葵!!」
私は思わず声を荒らげてしまい、石川をビクッと驚かせた。
「私は医者よ。あなたの心臓を破壊しようとするものがあるなら、それが何であれ切り刻んで排除する。約束だろうが寄生虫だろうが知ったことじゃない。私は絶対にあなたを治すの」
葵は疲弊しきった瞳で私を見つめた。
そこには深い愛が宿っていたが、同時に底知れぬ哀しみに沈んでいた。
「じゃあ、もし私の心臓そのものが、その約束だとしたらどうするの、アスナ? それを切り取ったら、私には何が残るというの?」
石川がわざとらしく咳払いをし、窒息しそうなほどに張り詰めた部屋の空気を和らげようとした。
「はいはい、そこまで。二人とも、完全にこの医学部で一番ドラマチックなカップル決定ね。アスナ、彼女を休ませなさい。実存主義の議論なんかで不毛な言い争いをしてるから、彼女の血圧が上下に激しく乱れてるじゃない」
石川は私の肩をポンと叩いたが、その両目は葵のEKG(心電図)モニターに釘付けになったままだった。
そこには、心拍というよりも、何かが壁を這い蠢いているかのような、異様な波形が描き出されていた。
「私、外に行ってコーヒーでも買って参るわ」
石川はそう言って、部屋を去ろうと振り返った。
しかし、扉を出る直前、彼女は私に近づき、耳元で低く囁いた。
「彼女から目を離さないで、アスナ。だけど、あなたまで理性を失っちゃダメよ。この部屋、またお葬式の花(供花)の匂いがするわ。花束なんてどこにも置いてないのにね。……私、すぐ戻る。少し調べておきたいことがあるから」
私は答えなかった。
石川が去った後、私は再び葵の胸元へと耳を押し当てた。
何重ものガーゼと手術の縫合糸の向こう側から、血液が流れる正常な拍動の音は聞こえてこなかった。
聞こえてきたのは、やはりあの、魂を呪うような不気味な囁き声だった。
「私が守るわ、葵。私のやり方で...」
私は静かに呟いた。
自らの指先が、まるで葵の心臓の奥深くに巣食うあの漆黒の闇に侵食されていくかのように、じわりと感覚を失い(麻痺し)始めているという恐怖の現実から、必死に目を背けながら。




