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「毒にも薬にもならない女」と追放された伯爵令嬢は、王宮の毒殺事件を解き明かして、私を捨てた婚約者と義妹に薬指を突きつける  作者: kaka


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3/3

第3話 執事長の涙、辺境の薬師

「――お嬢様。申し訳、ございません」


雨の朝靄の中、セバスの声は、震えていた。


私は、馬車の窓から、その顔を、見つめた。


セバス・ハーネマン。


ヴィント家に、四十年、仕えた、執事長。


私が、初めて、薬草の名前を覚えたのは、彼の膝の上でだった。


私が、初めて、乳鉢を握ったのは、彼の手に、導かれて、だった。


その、セバスが。


抜き身の剣を、掲げている。


「アーシェ」


隣で、リディアが、私の袖を、掴んだ。


「これは……」


「……大丈夫」


私は、静かに、答えた。


心拍数、平静。


指先、冷却。


――ああ。私、視ています。


《組成視》を、セバスの、全身に、注いだ。


視界に、色が、滲む。


彼の、右手。剣を握る、その手。


指先の関節に、微かな、黄色い霞。


――ゲルセミウム。別名、冬咲きジャスミン。


猛毒。特に、皮膚から、吸収される。


そして、次に、彼の、左袖。


袖口の内側に、青い、格子模様。


――ヴィント家、秘伝の、仮死薬の成分。


私は、微かに、息を、吐いた。


――ああ。


そう、いうこと、ですか。


「セバス」


私は、馬車の扉を、開けた。


「アーシェ!?」


リディアが、悲鳴のような声を、上げた。


私は、彼女の手を、そっと、外した。


「大丈夫。……これは、儀式よ」


雨の中に、降り立つ。


濡れた土が、靴底を、汚した。


セバスは、剣を、構えたまま、動かない。


背後の、四人の男たちも、微動だに、しない。


私は、五歩、歩いて、セバスの正面に、立った。


雨が、私の睫毛を、濡らす。


「セバス」


「……はい、お嬢様」


「右手の、それは、ゲルセミウムね」


セバスの、瞳が、微かに、揺れた。


「左袖の、粉末は、眠り姫の露。ヴィント家の、秘伝薬」


「……」


「――皮膚に触れれば、心臓が三十秒、停止する。目撃者からは、死んだようにしか、見えない」


セバスは、答えなかった。


答えられなかった、というべきか。


代わりに、彼は、剣を、下ろした。


ゆっくりと、地面に、突き立てた。


そして、跪いた。


雨に濡れた土に、額を、擦り付けた。


「……見抜かれて、しまいましたな」


「四十年、あなたに、育てられたのですもの」


私は、微かに、笑った。


「見抜けないほうが、失礼、というものよ」


セバスは、顔を、上げた。


その頬を、雨と、涙が、伝っていた。


「旦那様の、ご命令は、こうでございました」


彼は、掠れた声で、告げた。


「――アーシェラを、殺せ。世間には、そう、発表する」


「……」


「されど、真に、殺してはならぬ。仮死薬にて、死を、偽装せよ」


「そして、その、死んだ私を」


「――辺境の、修道院へ。名を捨てさせ、隠棲させよ、と」


私は、目を、閉じた。


雨が、頬を、打つ。


冷たい。けれど、その冷たさが、心地よかった。


父は、私を、殺したかった、のではなかった。


父は、私を、"世界から、消したかった"のだ。


宰相グロスヴァルドの、暗殺者から、逃れるために。


死んだ、と、思わせれば、追手は、来ない。


「セバス」


「はい」


「一つだけ、教えて」


「なんなりと」


「父上は……お元気、ですか」


セバスの、顔が、歪んだ。


彼は、深く、頭を、垂れた。


「……お嬢様が、追放された、その、直後」


「はい」


「旦那様は、書斎で、一晩中、慟哭なさっておいででした」


――父上。


私は、雨空を、見上げた。


厳格で、無口で、私に、一度も、笑いかけたことのない、父。


その父が、書斎で、泣いていた。


私を、殺す振りをするために。


私を、生かすために。


「セバス」


「はい」


「父上に、伝えて」


「なんと」


「――私は、生きる」


私は、雨の中で、微笑んだ。


生まれて、初めて、心から、微笑んだ、気がした。


「私は、生きて、真実を、暴きます。宰相グロスヴァルドを、法の下に、引きずり出します」


「……お嬢様」


「そして、いつか。父上に、直接、お会いして」


私は、息を、吸った。


「――ありがとう、と、申し上げます」


セバスは、涙を、拭いもせず、頭を、下げた。


四十年、仕えた執事長の、最後の、忠義だった。


「では、お嬢様」


「はい」


「これより、儀式を、執り行います」


セバスは、懐から、小さな、青い粉を、取り出した。


「眠り姫の露、を、少量だけ、お嬢様の頬に、塗りましょう。心拍が、微弱になり、他の者から見れば、死体にしか、見えなくなります」


「そして、私は、辺境へ、"死体"として、運ばれる」


「その通りにございます」


「――上手いやり方ね」


私は、頷こうとして、止めた。


一つ、疑問が、あった。


「セバス」


「はい」


「なぜ、これを、実行するの? 私は、既に、生き延びる術を、得ているのに」


私は、馬車の中の、リディアを、指差した。


「オルスタッド公爵家の、庇護がある。辺境の、飛び地に、匿われる。……もう、死んだ振りは、必要ないでしょう?」


セバスは、少し、間を、置いた。


それから、静かに、告げた。


「オルスタッド公爵家、だけでは、足りません」


「……足りない?」


「アーシェラお嬢様。……宰相グロスヴァルドは、既に、オルスタッド公爵家に、手を、伸ばしております」


「え……」


「リディア様に、砒素を、盛り続けている宮廷医ヘルマンは」


セバスは、雨の中で、告げた。


「オルスタッド公爵家、次期当主。……リディア様の、実の兄、でございます」


馬車の中で、リディアが、息を、呑む音が、した。


私は、振り返った。


彼女は、両手で、口を、覆っていた。


その、青い瞳が、大きく、見開かれていた。


――知らなかった。


彼女は、実の兄が、自分を、殺そうとしていることを、知らなかった。


「リディア」


私は、馬車に、駆け戻った。


彼女の、震える手を、握った。


「大丈夫。……大丈夫よ」


「アーシェ。わたくし、……わたくし」


「あなたの兄君も、駒に、過ぎないわ」


私は、彼女の、青ざめた頬を、両手で、包んだ。


「宰相は、あらゆる家門に、"薬"を、盛っている。……ジェラルド殿下にも、ヘルマン殿にも、そして、私の父にも」


「……薬」


「支配の、薬。人を、意のままに、操る、毒」


私は、《組成視》で、視た、あの、青い錠剤を、思い出した。


――ベラドンナ、と、麦角菌の、合成物。


依存性が、極めて、高い。


一度、飲めば、止められない。


そして、供給者を、絶対に、裏切れなくなる。


「セバス」


私は、馬車の窓から、彼を、呼んだ。


「儀式を、始めましょう」


「よろしいのですか」


「ええ」


私は、頷いた。


「私は、一度、死ぬ。……そして、辺境で、"別人"として、生き返る」


「別人、と、申されますと」


「――アーシェラ・ヴィント、では、ない、名前で」


私は、リディアを、見た。


「リディア、あなたが、名付けてくれる? 私の、新しい名前を」


リディアは、涙を、拭った。


そして、少し、考えて、微笑んだ。


「……アシュリー」


「アシュリー?」


「あなたの、幼名の、変形ですわ。アーシェラの、"アーシェ"を、崩して」


彼女は、私の手を、握り直した。


「アシュリー・ミルフィーヌ。……辺境の、街の名前を、姓に」


「――良い名ね」


私は、微笑んだ。


「今日から、私は、アシュリー。辺境の、しがない、薬師よ」


セバスが、青い粉を、私の頬に、塗った。


冷たい。けれど、痛みは、ない。


私の、視界が、微かに、揺れた。


心拍が、遠のく。


呼吸が、浅くなる。


意識は、はっきり、しているのに、体が、動かない。


「アシュリー、様」


セバスの声が、遠くから、聞こえる。


「六時間、ほどで、目が、覚めます。それまで、辺境の、街まで、リディア様が、お運びくださいます」


「セバ、ス……」


「はい」


「父上、に……ありが、とう、と……」


視界が、暗転する、直前。


私は、セバスが、深々と、頭を、下げるのを、視た。


そして、その、四十年、仕えた執事長が。


微かに、微笑んだのを、視た。


「――お嬢様の、旅立ちに、幸多からんことを」


暗転。


――薬草の、匂いがした。


ラベンダー。カモミール。そして、微かに、シナモン。


私は、瞼を、開けた。


木造の、天井が、視えた。


古い、けれど、清潔な、梁。


差し込む光は、朝陽。


雨は、止んでいる。


「あ。目、覚めた」


声。


聞き覚えのある、鈴を、転がすような、声。


私は、首を、傾けた。


リディアが、寝台の、脇の椅子に、座っていた。


彼女の、金色の髪は、簡素に、束ねられていた。


ドレスも、貴族令嬢のものでは、なかった。


紺色の、質素な、ワンピース。


まるで、街の、若奥様のような、装い。


「……ここは」


「辺境の街、ミルフィーヌ。あなたの、薬草店の、二階よ」


リディアは、微笑んだ。


「六時間、ぴったりで、目を覚ましたわね。……セバス殿の、腕は、本物ね」


「私は、死んだの?」


「王都では、そう、なっているわ」


彼女は、頷いた。


「昨夜、あなたを乗せた馬車が、川に、転落したそうよ。遺体は、流された、ということに」


「……見事な、手際ね」


「セバス殿と、あなたのお父様の、共同作業ですわ」


私は、身を起こした。


体の、隅々まで、確認する。


指先。動く。


視覚。《組成視》、正常。


呼吸。深い。


――問題、なし。


「リディア」


「はい」


「あなたは、これから、どうするの」


「わたくしは、王都と、この街を、行き来しますわ」


彼女は、答えた。


「王都で、宰相グロスヴァルドの動きを、監視する。……そして、この街で、あなたと、薬の研究を、続ける」


「あなたの、砒素は」


「毎日、あなたが、調合してくださる、解毒剤で。……もう、心配ないですわ」


私は、寝台から、降りた。


窓辺に、歩み寄る。


窓の外に、街が、広がっていた。


石畳の、狭い路地。


木造の、可愛らしい、家々。


朝市の、賑わい。


パン屋の、香ばしい、匂い。


――辺境の、静かな、街。


私の、新しい、生活の場所。


「アシュリー」


リディアが、私を、呼んだ。


「今日から、あなたは、アシュリー・ミルフィーヌ。……この街で、一番、腕の良い、薬師」


「まだ、患者を、一人も、視ていないのに」


「じゃあ、視てもらいましょう?」


彼女は、悪戯っぽく、微笑んだ。


「実は、既に、患者が、店の下で、待っておりますの」


私は、瞬きを、した。


「え?」


「昨夜、あなたを運び込む時、街の人が、心配して、声を、掛けてくださって。わたくし、新しい薬師が、来たと、告げましたの」


「……早いわね」


「辺境の街、ですもの。噂は、光より、早く、伝わりますわ」


リディアは、私に、質素な、ワンピースを、差し出した。


私の、ドレスと、同じ、紺色。


「アシュリー先生。……お仕事の、時間ですわ」


一階に、降りると。


三人の、患者が、待っていた。


一人目。老爺。関節痛。


《組成視》で、視る。


――軟骨の、擦り減り。単純な、加齢性のもの。


「湿布薬を、お出しします。毎日、一枚、朝に貼ってください」


二人目。若い、母親。母乳の、出が、悪い。


――栄養不足。特に、鉄と、葉酸。


「レバーと、緑黄色野菜を、多く。……そして、この、鉄剤を」


三人目。


三人目の患者を、視た、瞬間。


私の、《組成視》が、警鐘を、鳴らした。


十歳ほどの、少女。


母親に、抱きかかえられて、いた。


顔面、蒼白。


呼吸、浅い。


そして、額に、大量の、汗。


――高熱。


「先生。……娘が、三日、熱が、下がらないんです」


母親の、声が、震えていた。


「街の、お医者様は、風邪と、仰るのですけれど。……薬を、飲ませても、良くならなくて」


私は、少女に、近づいた。


少女の、頬に、そっと、手を、当てた。


熱い。


異常な、熱。


《組成視》を、少女の、全身に、注いだ。


視界に、色が、滲む。


血液。……普通。


臓器。……肝臓に、微かな、負担。だが、致命的では、ない。


呼吸器。……問題、なし。


――風邪でも、感染症でも、ない。


では、何が。


私は、視野を、広げた。


少女の、体、から、少女の、髪、へ。


そして。


――視えた。


少女の、髪の毛の、根元。


微細な、緑色の、粒子が、付着していた。


《組成視》が、その粒子の、化学式を、読み取る。


――酢酸銅、亜砒酸銅。


古い、時代の、緑色顔料。


通称、エメラルド・グリーン。


強い、慢性毒性。長期曝露で、高熱、倦怠感、そして、最終的に、死。


「奥様」


私は、少女の、母親に、問うた。


「お宅の、壁紙は、緑色、ですか?」


「え? ……ええ、そう、ですけれど」


「いつから、その壁紙を、貼られましたか」


「……半年、ほど前です」


「そして、その頃から、この子は、体調が、悪く、なった」


「……仰る、通り、です」


私は、静かに、頷いた。


「奥様。この子は、病気では、ありません」


「え……?」


「壁紙の、顔料が、原因の、慢性中毒です」


母親の、顔が、青ざめた。


「そんな……壁紙、が……」


「その壁紙を、剥がしてください。全て。……そして、部屋を、換気し、この子を、外の空気の中で、休ませてください」


「……先生」


「三日で、熱は、引きます」


私は、微笑んだ。


「一週間で、元通り、走り回れるように、なります」


母親は、涙を、流した。


少女の頭を、抱きしめた。


「ありがとう、ございます。……ありがとう、ございます、先生」


「一つだけ、お聞かせください」


「はい」


「その、緑の壁紙。……どちらから、入手されましたか」


「王都の、業者から、ですわ。……最近、流行の、色だと」


「業者の名は」


「グロスヴァルド商会、と、記憶しております」


――グロスヴァルド。


私は、リディアと、目を、合わせた。


彼女も、その名に、反応していた。


宰相、アルバート・グロスヴァルド侯爵。


彼の、家門が、経営する、商会。


その商会が、この、辺境の街にまで、エメラルド・グリーンの壁紙を、売っている。


母親と、少女を、送り出した後。


私は、リディアに、告げた。


「リディア」


「はい」


「これは、単なる、宮廷陰謀では、ないわ」


「……」


「宰相は、この国の、"庶民"にまで、毒を、蒔いている」


私は、窓の外を、見た。


辺境の、静かな、街。


石畳の、路地。


パン屋の、母親と、遊ぶ、子どもたち。


その、全員が。


宰相グロスヴァルドの、顔料に、緩やかに、蝕まれている、可能性が、あった。


「アシュリー」


リディアが、私を、見つめた。


「あなたは、どう、するの?」


私は、微かに、笑った。


「決まっているでしょう」


「……」


「――全員、助けるわ」



その時だった。


店の扉が、勢いよく、開いた。


一人の男が、駆け込んできた。


先ほどの、少女の、父親だった。


呼吸を、荒く、乱していた。


顔は、真っ青。


「せ、先生……!」


「どうされました」


「壁紙を、剥がして、いた、ら」


彼は、震える手で、一枚の、羊皮紙を、差し出した。


「壁の、内側から、これが」


私は、その、羊皮紙を、受け取った。


古い。


インクの、乾き具合から、五年以上、経過している。


そして、そこに、書かれた、文字を、読んだ。


読んで。


――私は、息を、呑んだ。


『我らが計画。段階三。エメラルド・グリーン、全土散布。目標、平民の生殖能力低下、及び、貴族出生率の相対的上昇』


『署名――アルバート・グロスヴァルド、ならびに』


『――ヴィント伯爵、ハンス・ヴィント』


ヴィント伯爵。


ハンス・ヴィント。


――私の、父。


その名が、宰相と、並んで、そこに、記されていた。


五年前の、日付で。


計画書に、共犯者として。


雨が、また、降り始めた。


窓を、叩く、雨音。


私の指先が、微かに、震えていた。


心拍数、急上昇。


《組成視》が、乱れる。


視界の、色が、崩れる。


「アシュリー……?」


リディアが、私の顔を、覗き込んだ。


「大丈夫、……よ」


私は、答えた。


けれど、声が、掠れていた。


父は、私を、守った。


昨夜、命懸けで、私を、逃した。


けれど。


その、五年前。


同じ父は。


平民の、子どもたちを、緩やかに、殺す、計画に、署名していた。


――父上。


私は、羊皮紙を、握りしめた。


インクの、微かな、青い、色素が。


《組成視》の視界の中で、揺らめいた。


あなたは。


――誰、なのですか。

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