第17話 犯人の筆跡を私は見破る
『七年前の事件の犯人は、私』
その文字を見た瞬間。
私は、息をすることさえ忘れた。
間違いない。
私の字だった。
『七年前の事件の犯人は、私』
一文字。
また一文字。
見慣れた筆跡。
幼い頃から、薬の処方箋を書いてきた。
だから。
自分の字を間違えるはずがない。
「アーシェ……?」
リディアの声がする。
私は答えられなかった。
床では、国王が倒れている。
胸に矢。
血が広がっている。
ジェラルドが父王の身体を抱き起こしている。
「父上!」
「殿下、触らないで!」
私は駆け寄った。
「アーシェラ!」
「まだ生きています!」
国王の脈を確認する。
弱い。
けれど。
ある。
「矢を抜かないで!」
「なぜです?」
宮廷薬師が尋ねる。
私は矢尻を見た。
黒い。
《組成視》。
視界が切り替わる。
鉄。
毒。
そして――。
「……やっぱり」
「何が?」
「この矢、毒矢です」
部屋がざわめいた。
「国王陛下を殺そうとしたのか!」
誰かが叫ぶ。
私は首を振った。
「違います」
「何が違う!」
「この毒は、殺すためのものじゃない」
私は矢尻を指差した。
「眠らせる毒です」
「眠らせる?」
「正確には、身体の動きを止める」
私は国王の瞳を見る。
「心臓が止まる前に、仮死状態にする」
ジェラルドが顔を上げた。
「つまり……」
「犯人は陛下を殺したように見せたい」
私は矢に結ばれた紙を見る。
『王子を救った薬師へ』
『次は、あなたの番です』
「私を犯人に仕立てるためです」
その瞬間。
扉が開いた。
「動くな!」
騎士たちが雪崩れ込んでくる。
先頭にいた騎士が、私を指差した。
「アーシェラ・ヴィント!」
「……」
「国王陛下襲撃の現場にいたのは、お前だな!」
「違います」
「矢にお前の名前がある!」
「それは――」
「さらに、七年前の事件についての自白まである!」
騎士が私の手元を指差す。
私の筆跡。
私の名前。
私の自白。
すべてが揃っている。
「連行しろ!」
「待って!」
リディアが前に出た。
「彼女が犯人なら、なぜ今ここで陛下を救おうとしているのです?」
「それは偽装かもしれない!」
「ならば!」
リディアは一歩も引かなかった。
「その矢を調べなさい!」
「何?」
「アーシェが使った薬とは、明らかに違いますわ」
騎士たちが黙る。
私はリディアを見た。
「……ありがとう」
「まだお礼を言うのは早いですわ」
彼女は小さく笑った。
「あなたには、無実を証明していただきますもの」
私は頷いた。
そして。
もう一度、紙を見た。
『七年前の事件の犯人は、私』
自分の字。
自分の名前。
でも。
私は一つだけ。
おかしいと思っていた。
「この文字」
私は呟いた。
「何か変です」
「え?」
リディアが紙を見る。
「自分の字でしょう?」
「そう」
私は頷く。
「だからこそ、おかしい」
私は紙を裏返した。
「この紙に書いた私は、左利きです」
「……?」
「でも、この文字は右手で書かれている」
「どうして分かりますの?」
「筆圧です」
私は文字を指差した。
「私は左手で書くと、横線の終わりが少しだけ上がる癖がある」
「……」
「右手で書くと、逆に下がる」
「そこまで分かりますの?」
「七年間、毎日薬の処方箋を書いてきたもの」
私は紙を見つめた。
「この字は、私の字を真似したものです」
部屋が静まり返った。
騎士が首を振る。
「しかし、筆跡は同じだ」
「筆跡は真似できます」
私は答えた。
「でも」
《組成視》。
紙。
インク。
文字。
一つずつ見る。
「インクが違う」
「何?」
「私が使っていたインクには、鉄が入っています」
「鉄?」
「薬草の記録を長期間保存するため、ヴィント家では特別なインクを使っていました」
私は紙を指差した。
「でも、この文字には鉄がほとんどない」
「……」
「代わりに」
私は目を細める。
「銀が入っている」
ジェラルドが立ち上がった。
「銀?」
「ええ」
私は頷いた。
「このインクは、王宮で使われている秘密文書用のインクです」
宮廷薬師が青ざめる。
「……そんな」
「知っているの?」
私は薬師を見る。
彼は答えない。
「なら、分かるでしょう」
私は紙を突きつけた。
「この自白を書いた人間は、王宮内部の人間です」
「……」
「しかも」
私はインクをさらに見る。
そこに。
小さな成分が混じっている。
「このインク」
私は呟いた。
「眠り草の樹液が入っている」
「眠り草?」
リディアが尋ねる。
「薬の調合に使う植物です」
「それが?」
「これが入ったインクは、時間が経つと文字が薄くなる」
私は紙を折った。
「証拠を残したくない人間が使う」
騎士たちが顔を見合わせる。
その時。
「アーシェラ」
ジェラルドの声がした。
「まだ一つある」
「何?」
「その紙を書いた人間は、君の字を知っている」
私は振り返る。
「……そうね」
「そして」
ジェラルドは父王を見た。
「七年前の事件も知っている」
「ええ」
「なら」
彼は低い声で言った。
「七年前から、ずっと僕たちを見ていた人間だ」
私は黙った。
七年間。
私の記憶を封じ。
父を殺し。
第一王子を殺し。
宮廷薬師を殺し。
リディアを毒に侵し。
そして。
今。
国王を襲った。
すべてを知っている人間。
その人物は。
ずっと王宮の中にいた。
「……一人」
私は呟いた。
「心当たりがあります」
「誰?」
リディアが尋ねる。
私は答えた。
「宮廷薬師長の後任」
「……?」
「七年前から、ずっと王宮の薬を管理している人間」
その名を口にしようとした。
その時。
「――違う」
ジェラルドが言った。
「え?」
「その人間じゃない」
私は彼を見る。
「どうして?」
ジェラルドは青ざめた顔で。
「僕は知っている」
「何を?」
「その人間は――」
その瞬間。
国王の指が動いた。
「……父上?」
国王が目を開ける。
「ジェラルド……」
「父上!」
国王は苦しそうに息をした。
そして。
私を見る。
「アーシェラ……」
「陛下」
「……逃げろ」
「え?」
「今すぐ……王宮から……」
国王の顔に恐怖が浮かんだ。
「奴が……来る」
「誰ですか?」
国王の唇が震える。
「……薬師ではない」
「では?」
「もっと……近くに……」
その時。
国王の身体が大きく震えた。
「陛下!」
私は脈を取る。
「まずい!」
毒が回った。
眠らせるだけではない。
別の薬が。
身体の中で反応している。
「アーシェ!」
リディアが叫ぶ。
「何が起きていますの?」
「矢の毒じゃない!」
私は国王の身体を見る。
「別の毒が、さっきまでの薬と反応している!」
「治せますの?」
「できる!」
私は薬箱を開く。
けれど。
手が止まった。
必要な薬が。
一つだけない。
「……ない」
「何が?」
「中和剤」
「どうすれば?」
私は考える。
その瞬間。
ジェラルドが自分の首元を押さえた。
「アーシェラ」
「殿下?」
「これを使え」
彼が取り出した。
青い薬瓶。
「これは……」
「僕が毎日飲まされていた薬だ」
「でも、これは毒になる薬――」
「違う」
ジェラルドが首を振る。
「七年前」
「……」
「君は、この薬を使って僕を治した」
私は瓶を見る。
《組成視》。
中身は。
毒ではない。
毒になる前の材料。
そして。
もう一つ。
「……中和成分」
私は息を呑んだ。
「これがあれば、陛下を救える」
「なら」
ジェラルドが瓶を差し出す。
「使ってくれ」
私は受け取った。
「でも、殿下は?」
「僕はもう大丈夫だ」
「本当に?」
「君が治したから」
私は一瞬だけ。
七年前の少年を見た気がした。
私は薬を作る。
中和。
分解。
排出。
三つを同時に行う。
そして。
国王の口元へ運ぶ。
「飲んでください」
国王は薄く目を開けた。
「……お前は」
「はい」
「やはり……」
国王が呟く。
「ハンスの娘だな」
「父をご存じなら」
私は言った。
「教えてください」
「何を……」
「父が死ぬ直前、何を調べていたのですか?」
国王は目を閉じる。
しばらくして。
小さく言った。
「七年前……」
「はい」
「ハンスは……私に言った」
『この研究を続ければ、王家そのものが毒になる』
私は息を呑んだ。
「王家が……毒に?」
国王は答えた。
「だから私は……止めた」
「……」
「だが」
国王の目が。
私を捉える。
「止めたのは、研究ではない」
「え?」
「研究者だ」
その言葉に。
私は凍りついた。
「研究者を……消した」
「誰を?」
国王は答えなかった。
代わりに。
私の手を掴んだ。
「アーシェラ」
「はい」
「お前の父は……」
そこで。
国王の声が途切れた。
目が閉じる。
脈が弱くなる。
「陛下!」
私は慌てて治療を続ける。
その背後で。
ジェラルドが呟いた。
「……まさか」
「何?」
「僕たちが探している人間は」
ジェラルドが。
治療室の隅を見た。
そこには。
王宮に仕える一人の侍女が立っていた。
誰も気に留めていなかった。
けれど。
彼女の手には。
銀色の薬瓶。
そして。
胸元には。
蛇と花の紋章。
その中央に。
もう一つの目。
「……あの紋章」
私は息を呑んだ。
侍女が。
ゆっくり笑った。
「見つけるのが遅すぎましたね」
そして。
彼女は薬瓶を割った。
白い煙が。
一瞬で部屋いっぱいに広がった。
「リディア!」
私は彼女の手を掴んだ。
「口を塞いで!」
けれど。
遅かった。
視界が白く染まる。
最後に見えたのは。
侍女の顔。
そして。
その顔に浮かんだ笑みだった。
「――お久しぶりです、アーシェラ様」
その声を聞いた瞬間。
私の記憶の奥で。
七年前の少女が叫んだ。
『この人を信じちゃ駄目!』
私は目を見開いた。
「……あなた……」
知っている。
私は、この女を知っている。
七年前。
父の研究室にいた。
グロスヴァルド公爵の隣にいた。
そして。
私の記憶を封じた薬を――
「あなたが……私に飲ませたのね」
侍女は笑った。
「ようやく思い出しましたか」
そこで、私の意識は途切れるのだった。




