第2章・第2話 :炭鉱夫の特製スペアリブ、そして不穏な噂
先ほどの鍛冶工房の一件で、私たちの後ろを歩く炭鉱夫たちの視線が、どこか敬意を孕んだものへと変わっているのを肌で感じていた。
やはり、どの世界でも圧倒的な「実力」を見せつけるのが、一番手っ取り早いコミュニケーション手段らしい。
坂を登りきった場所に、岩壁を大胆に掘り抜いて作られた、ひと際大きな半地下の建物が見えてきた。
入り口に掲げられた木製の看板には、交差する二本のツルハシと、なみなみと泡の立つ大樽の絵。
扉の隙間から漏れ出してくるのは、ドワーフたちの豪快な笑い声と――思わず生唾を飲み込んでしまうような、暴力的なまでに芳醇な「肉とスパイスの香り」だった。
「ここが炭鉱夫たちの胃袋を支える老舗酒場、『燻る鉄床亭』さ。さあ、入ろう」
重厚な扉を押し開けると、もわっとした熱気と、煤と油の匂いが二人を迎えた。
店内は、一日の仕事を終えて真っ黒に汚れた炭鉱夫やドワーフたちで超満員だ。
誰もが大きな木製ジョッキを片手に、テーブルの上に山積みにされた「ある料理」を豪快に貪り食っている。
「うわぁ……! せんせい、お肉がいっぱい! すっごくいい匂いがするの!」
シルヴァの尻尾が、喜びのあまり左右に激しく揺れ動き始めた。
まるでお腹の虫と連動しているかのような、微笑ましい動きだ。
「いらっしゃい! おや、ずいぶんと綺麗で見慣れない二人組だね。うちはお上品な宮廷料理なんて出せないよ?」
カウンターの奥から、恰幅の良いドワーフの女性が声をかけてきた。編み込まれた見事な髭と、優しげだが力強い瞳。この店の女将だろう。
「構いません。この街で一番、腕のいい炭鉱夫たちが好む最高の料理を求めてここに来たんですから」
私は空いている壁際の席へとシルヴァを促し、自身も腰を下ろしながら、慣れた様子で注文を告げた。
「この店の看板メニュー――『炭鉱夫の特製スペアリブ』を二人前。それと、地熱で温めた特製の山ぶどうジュースを彼女に。私は黒麦酒をいただけますか」
「お、お兄さん、よく知ってるねえ! よし、いま最高に脂の乗ったやつを焼き上げてやるから、色男と可愛いお嬢ちゃん、期待して待ってな!」
女将はガハハと笑うと、厨房の奥にある、地熱の蒸気が勢いよく噴き出す巨大な魔導オーブンへと向かっていった。
「せんせい、すぺありぶってなぁに?」
シルヴァはテーブルに小さな身を乗り出し、興味津々で私の顔を見上げる。
「骨付きの、とても大きなお肉の塊さ。この街の地下深くで採れる『炎熱鉱』の熱を使って、数日間じっくりと燻製にされた名物料理なんだ。普通の火で焼くよりも、肉の旨味が何倍も凝縮されているんだよ。……ほら、鑑定してみよう」
厨房から漂ってくる煙の成分を通して、すでにその料理のプロファイルは私の脳内に完成していた。
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【名称:炭鉱夫の特製スペアリブ(調理中)】
【品質:極上】
【特徴:岩山に生息する巨猪の肋骨肉。炎熱鉱の特殊な熱線により、余分な脂を落としつつ、コラーゲンと旨味成分が完璧にゼラチン化している。肉質は驚くほどホロホロ】
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「シルヴァ。どうやら、博物学者としても太鼓判を押せる最高の肉が食べられそうだよ」
「本当!? やったぁ! シルヴァ、骨まで全部たべちゃうもんね!」
シルヴァは手持ちの小さなスプーンを両手で握りしめ、ブンブンと尻尾を振って今か今かと待ち構える。
そして数分後、厨房の奥から、ジュウジュウと音を立てる悪魔的なごちそうが運ばれてきた――。
「お待たせ! うちの名物、焼きたて特大の『炭鉱夫の特製スペアリブ』だよ!」
ドサリ、と鉄板ごとテーブルの上に置かれたのは、シルヴァの小さな頭よりも遥かに巨大な、黒褐色の肉の塊だった。
ジュウジュウと、耳を焦がすような小気味よい音が鳴り響いている。
外側はパリッと香ばしい漆黒の焼き目がつけられ、内側からは溢れんばかりの濃厚な黄金色の肉汁が止めどなく溢れ出していた。
上から惜しげもなく塗られたのは、完熟した山の果実と数種類のスパイスをじっくり煮詰めた、特製の濃縮極甘辛ソースだ。
「ふあぁぁぁ……っ!」
シルヴァは文字通り、目をまん丸にして硬直した。
「すごい……! せんせい、これ、本当にお肉なの……? 骨からお肉が、おっこちそうだよ……?」
「ああ。冷めないうちに召し上がれ。スプーンを使うより、手で持って豪快にいくのがこの街の流儀さ」
「うん!」
シルヴァは小さな両手で、まだ熱い大きな骨の両端をぎゅっと掴む。
ずっしりとした肉の質量に驚きながらも、彼女はその巨大な肉の塊にかぶりついた。
――ガブリ。
「っ……!!」
その瞬間、シルヴァの動きがピタリと止まった。
あまりの衝撃に、丸い耳が小刻みにプルプルと震え出す。
歯を立てた瞬間、外側の皮がサクッと軽快な音を立てて弾けた。
そしてその直後、口の中に流れ込んできたのは、これまで経験したことのないほど濃厚で、信じられないほど甘美な、ボア肉の肉汁と脂の旨味だった。
「ひゃ、はぐ……っ、んみゃいっ! お肉が、お口のなかで、とけちゃう……っ!」
シルヴァは感動のあまり、潤んだ瞳から一筋の涙をこぼしながら、夢中で肉を咀嚼した。
野生の猪肉特有の臭みなど微塵もない。噛めば噛むほど、凝縮された赤身の力強い旨味が溢れ出してくる。さらに、果実ベースの特製ソースの甘酸っぱさが、濃厚な肉の脂と完璧な調和を果たしていた。
「くぅ、くぅ……!」
美味しいものを食べた時にしか出さない、天狼族としての喜びの鳴き声が、シルヴァの喉から漏れ聞こえる。
口の周りをソースだらけにしながら、シルヴァは小さな牙をフル稼働させて、ホロホロと骨から剥がれ落ちる肉を、ハグハグと猛烈な勢いで吸い込んでいった。
「ふふ、そんなに急がなくても、お肉は逃げないよ。シルヴァ」
私は苦笑しながら、手元のナイフとフォークを優雅に動かした。
切り分けた肉片を口に運ぶと、炎熱鉱によって極限まで高められたコラーゲンの甘みと、スモーキーな薫香が鼻腔を抜けた。
黒麦酒の入ったジョッキを傾け、喉を潤す。濃厚なソースの塩気と、麦酒の心地よい苦味がこれ以上ないほどに引き立て合っていた。
「ぷはぁーっ! あかいジュースも、すっごくおいしい!」
一方のシルヴァは、山ぶどうジュースをぐびぐびと飲み干し、ぷはっと小さな吐息を漏らしていた。その口の周りは、完全に茶色いソースのひげ状態になっている。
そして、彼女の視線はすでに、肉が綺麗になくなった『骨』へと注がれていた。
「あぅ……。骨のまわり、まだいい匂いがする……」
「天狼族の嗅覚は誤魔化せないね。骨の髄や、骨の表面に残った薄膜の周りこそ、一番旨味が詰まっている場所さ。遠慮なくしゃぶるといい」
「うん! シルヴァ、しゃぶる!」
シルヴァは両手で骨を大人のように大事そうに持ち直すと、小さな牙で骨の表面をカリカリと器用に削るようにして、残った旨味を余すことなく味わい始めた。
「ガハハハ! いい食べっぷりじゃねえか、お嬢ちゃん!」
隣のテーブルで大樽の酒を飲んでいたドワーフの炭鉱夫たちが、シルヴァの豪快な骨しゃぶりを見て嬉しそうに声を上げた。
「うちのスペアリブをそこまで綺麗に食い尽くすたぁ、そんじょそこらの人間のガキにゃできねえ芸当だ。おい、女将! この可愛いお嬢ちゃんに、俺の奢りで一番美味い部位の骨をもう一本焼いてやってくれ!」
「あいよ! お嬢ちゃん、ドワーフのおじさんたちに気に入られたねえ!」
「わあ……っ! おひげのおじちゃん、ありがとう!」
シルヴァがぶんぶんと尻尾を振って喜ぶと、ドワーフたちは「可愛い奴め!」と相好を崩し、さらに酒を進めていた。
偏屈で気難しいとされるドワーフの心を、シルヴァはその無邪気な胃袋だけで一瞬にして掴んでしまったようだ。
私はそんな賑やかな光景を眺めながら、ふと、酒場の奥の席へと視線を向けた。
炭鉱夫たちが大声で笑う中、その一角だけ、ひどく重苦しい空気が漂っていることに気付いたからだ。
「……クソッ、今日もダメだったか。第七採掘場も、これで完全に操業停止だぞ」
「ああ、頭が痛てえ話だ。ただでさえ今年の王都への納品ノルマが厳しいってのに、あの最深部から、掘り出したばかりの『ミスリル原石』が、跡形もなく消えちまうんだからな……」
ドワーフたちのひそひそ話。しかし、私の耳には、その会話のすべてが明瞭に届いていた。
「盗賊の仕業にしちゃ、不自然すぎるんだ。見張りの憲兵団も立たせていた。強固な鉄格子の二重扉も破られた形跡はねえ。なのに、翌朝コンテナを開けると、中にあった一番上質な希少鉱石だけが、まるで煙のように消えてるんだよ。まるで……生き物にでも食われちまったみたいに、な」
「おい、縁起でもねえこと言うな。だが、もし最深部の『あの噂』が本当だとしたら……俺たちドワーフにゃ、もうお手上げだぜ」
(……ふむ。掘り出したミスリル原石だけが、密室から消失する、か)
私は手元に残った黒麦酒を静かに傾けながら、眼鏡の奥の瞳を小さく光らせた。
脳内にある膨大な『博物学データベース』が、その奇妙な現象と、ドワーフたちが恐れる「噂」のパズルを、瞬時に組み立て始めていた。
(鉄格子を破壊せず、見張りの目も掻い潜り、特定の高純度魔鉱石だけを摂取する生態行動……。これは単なる泥棒の手口じゃないね。ドワーフたちが知らないだけで、おそらく坑道の最深部に『彼ら』が迷い込んでいる)
私の胸に、博物学者としての強い知的好奇心がふつふつと湧き上がってくる。
「せんせい……? なんだか、むずかしいお顔してる」
シルヴァが不思議そうに首を傾げた。
「いいや、なんでもないよ、シルヴァ。……どうやら、お腹を膨らませた後は、少し面白い『お仕事』の時間になりそうだ。さあ、街の鉱山ギルドへ挨拶に行こうか」
私は銀貨をテーブルに置き、まだ眠たそうに耳を揺らす新米助手の小さな手を取って立ち上がった。




