第2章・第1話 :鉄錆と煤煙の街、頑固なドワーフたち
大門をくぐり抜けた瞬間、肌を刺す空気が一変した。
――ゴォォォォ……ッ。
地殻の底から響いてくるような、重苦しい地鳴り。
そして、視界を遮るほどに立ち込める、黒い煤煙と鉄錆の匂い。
ここが、大陸随一の鉱山都市にして、頑固な職人たちの根城――『ザルツブルグ』だ。
「うにゅぅ……。せんせい、ここ、すっごく煙たいよ? お空が真っ黒だし、なんだかお鼻がムズムズするの」
私のすぐ後ろを歩くシルヴァが、灰色の獣耳をペタンと寝かせながら、小さな鼻をヒクつかせていた。
天狼族としての鋭すぎる嗅覚が、街全体に充満する硫黄と金属の匂いに過剰反応しているらしい。
彼女は私の外套の裾を小さな手でぎゅっと握りしめ、周囲を警戒するようにキョロキョロと見回している。
「ここは地熱と鉱物の街だからね、シルヴァ。ほら、あそこを見てごらん」
私が指差した先、大通りの両脇には、岩壁をそのままくり抜いて作られた無数の鍛冶工房がズラリと並んでいた。
上半身を裸にした、岩石のように頑強な筋肉を持つドワーフたちが、飛び散る火花を浴びながら巨大なハンマーを大真面目な顔で振り下ろしている。
キンッ、アンッ、と響く金属音の重奏は、まるで街全体が巨大な一つの生き物であるかのような錯覚を覚えさせた。
「おいおいおい、見ろよ野郎ども! ずいぶんと珍妙な二人組が紛れ込んできたぞ!」
軒先で鉄床に腰掛け、大きな樽ジョッキを傾けていた大柄なドワーフが、品定めをするような下品な目で俺たちを呼び止めた。
その顔には、ドワーフの誇りとも言える見事な赤髭が蓄えられている。
「こんな煤煙まみれの街に、仕立ての良い上等な服を着た優男と、迷子の子犬か? おい、そこの学者先生。観光なら他所へ行きな。ここは鉄と汗の匂いに耐えられる本物の野郎が来る場所だ。そんなひ弱な腕じゃ、この街の空気だけで肺が真っ黒になって死んじまうぜ?」
ガハハハハ! と、その言葉に同調して、周囲の工房からも職人たちの豪快な笑い声が巻き起こる。
ドワーフという種族は、総じて偏屈で新参者に手厳しい。
特に、自分たちのように「文字や本を扱うインテリ」に対しては、明確な劣等感の裏返しとして、こうして突っかかってくることが多いのだ。
シルヴァはドワーフたちの野太い笑い声に怯え、さらに私の背中へと深く隠れてしまった。
「ご忠告痛み入ります。ですが、私の肺なら心配いりませんよ」
私は足を止め、眼鏡のブリッジを指先でクイと押し上げた。
その視線は、ドワーフが自慢げに傍らに立てかけていた、打ち立てだという一本の『剛鉄の大剣』へと真っ直ぐに向けられる。
(――『鑑定眼』)
瞳の奥で、常人には知覚できない淡い知性の光が走る。
私の脳内データベースに、その大剣のすべてを解剖したプロファイルが瞬時に展開された。
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【名称:ドワーフ特製・剛鉄の大剣】
【品質:良質(表面のみ)】
【問題点:魔導炉の排気弁の不調により、内部の熱均一度が不完全。刃の基部から十五センチ上部、不純物層が集中した箇所に微細な熱亀裂あり。あと三回、硬い岩盤を叩けばそこから確実に叩き折れる】
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なるほど。観察完了だ。
「……それよりも職人さん。私の肺の心配をする暇があるなら、その大剣を今すぐ鉄床に戻して叩き直した方がいい。見た目こそ立派ですが、打ち込みの温度管理が致命的に甘い。基部から少し上の部分に、目視できない熱亀裂が入っているよ」
私の淡々とした言葉に、ドワーフの顔から笑みが一瞬で消え失せた。
赤髭を怒りで逆立てながら、ドワーフは地響きのような声を上げて立ち上がる。
「……あぁ? てめえ、今なんつった?」
ドワーフは巨大な拳を握り締め、俺を睨みつけた。
「この俺はな、これでもこの道三十年のベテラン鍛冶師、ガルドだぞ!? 一介の青二才の学者が、俺が魂込めて打った鉄にケチをつけようってのかあ!」
「ケチをつけているのではないよ。私はただ、博物学者として視界に入った『事実』を口にしているだけさ。信じられないなら、その大剣の自重を利用して、そこにある『魔焼きの鉄塊』の角を軽く叩いてみるといい。私の言葉が正しいか、君の職人としての腕が正しいか、一瞬で証明される」
私が指差したのは、作業場の隅に転がっている、極めて硬度の高い鉱石のクズだった。
「チッ、いいだろう! そこまで大口を叩くなら、てめえの講釈がデタラメだってことを証明して、その小綺麗な眼鏡を粉々に叩き割ってやる!」
ドワーフのガルドは鼻息を荒くしながら、身の丈ほどもある大剣を両手で引き抜いた。
そして、大きく振りかぶると、鉄塊の角に向かって容赦なく刃を叩きつけた。
キィィィィィン――ッ!!!
鼓膜を突き刺すような鋭い金属音が響き、激しい火花が飛び散る。
次の瞬間、ガガガッ、と不穏な振動が大剣の刃を走り――。
パキンッ!
驚くほど呆気なく、乾いた音とともに大剣の刃が中央から真っ二つに折れ飛んだ。
折れた先端が、カンカンと虚しい音を立てて石畳の地面に突き刺さる。
「な……ななな……なんだとおぉぉぉぉぉッ!?」
手元に残った、半分だけの剣の柄を見つめ、ガルドは文字通り目玉が飛び出んばかりに驚愕した。
周囲で様子を見ていた他の職人たちも、一斉に金槌を動かす手を止め、水を打ったように静まり返る。
「言っただろう? 外見は完璧でも、内部の結晶構造までは誤魔化せない、とね」
私は驚愕に震えるドワーフたちを小気味よく置き去りにし、何事もなかったかのように再び歩き出した。
「とはいえ、君の基礎的な鍛錬技術自体は素晴らしい。今回の失敗は、君の腕のせいじゃない。工房の魔導炉の排気弁が詰まっていて、一瞬だけ内部の熱が下がったのが原因だ。そこを掃除してから叩き直せば、次は間違いなく名剣が生まれるはずだよ」
「ま、待て……! あんた、一体何者なんだ……!?」
後ろから上がる、畏怖の混じった問いかけには答えず、私は隣を歩くシルヴァを見下ろした。
シルヴァは、先ほどまでの怯えなどどこへやら、灰色の獣耳をこれでもかとピコピコと嬉しそうに動かしている。
「すごーい! せんせい、触ってないのに、お肉の時みたいに何でもわかっちゃうんだね!」
「これが『観察』の力だよ、シルヴァ。世界のすべては、正しい知識さえあれば、その構造を丸裸にできるのさ。……さて、少し時間を食ってしまったね。お腹の虫が鳴き出す前に、お目当ての食堂へ行こうか」
「うんっ! シルヴァ、お腹ペコペコ!」
二人の靴音が、鉄錆の街の坂道へと、軽快に響いていった。




