第4話:一瞬の勝負・最強のチート無双
「あぁ? 何言ってんだこの優男は。おい、やっちまえ!」
リーダー格の男が顎で指図すると、大斧を構えた大柄な男と、双剣を持った俊敏そうな男の二人が同時にアルスへと躍り出た。
二人はAランク一歩手前の実力を持つ腕利きの罪人だ。息の合ったコンビネーションで、前衛の斧がアルスの退路を断ち、死角から双剣がその喉元を十文字に裂く――はずだった。
「なるほど、前衛の彼は過去の古傷で右膝の軟骨がすり減っているね。踏み込みの重心が左に三センチ寄っている」
アルスは一歩も動かない。ただ、眼鏡の奥の瞳を冷ややかに細めただけだ。
「アンド双剣の君は、風の刃を纏わせる魔術触媒を左中指につけているけれど……流れる魔力の回路が粗悪だ。そこを突かれると、魔法が暴発するよ?」
「な、何をブツブツ言ってやがるっ!」
大斧がアルスの頭上から振り下ろされる。
アルスはそれを、ほんの数センチだけ首を傾げて避けた。風圧で紺色の外套が揺れるが、肌にはかすりもしない。
すれ違いざま、アルスはピンセットを持ったままの右手で、大柄な男の右膝の『ある一点』をコン、と軽く突いた。
「あ、がっ!?」
激痛が走ったのか、大柄な男は悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。アルスが突いたのは、男の古傷を刺激し、一時的に神経を麻痺させる完璧な急所だ。
「次、君だ」
間髪入れずに襲いかかってきた双剣の男に対し、アルスは避けることすらせず、男の左手にむかってパチン、と指を鳴らした。
アルスが放った極小の魔力の衝撃波が、男の中指の指輪へと正確に命中する。
「なっ、魔力が逆流――うわああああっ!?」
指輪に蓄えられていた風の魔力が制御を失って暴走し、男の双剣を吹き飛ばした。男は自らの魔法の爆風に煽られ、無様に地面を転がっていく。
わずか数秒。
アルスは指先一つ動かした程度で、二人の実力者を戦闘不能に追い込んだ。
「ひ、一歩も動かずに二瞬で……!? てめえ、ただの学者じゃねえな!?」
残されたリーダー格の男と、後方に控えていた魔術師の顔から余裕が消え去り、引きつった戦慄が浮かび上がる。
背後の巨木にすがっていた天狼族の子供も、何が起きたのか分からず、丸い獣耳をピクピクと動かして呆然とアルスを見つめていた。
「言ったはずだよ。私は博物学者だ」
アルスは衣服の埃を払うように、静かに佇む。
「世界を正しく知るためには、あらゆる危険を排除する力が必要んだ。……さあ、そこの魔術師。君が隠し持っているその広域破壊呪文、発動する前に『お勉強』の時間にしようか」
魔術師の男が、狂ったように叫びながら真っ赤な魔導書を掲げた。
彼が詠唱を始めると同時に、周囲の大気が急激に熱を帯び、男の頭上に巨大な炎の渦が形成されていく。
【名称:獄炎の劫火】
【分類:上位破壊魔術(火属性)】
【威力:一帯の森林を瞬時に灰燼に帰す。ただし、術者の魔力制御が未熟なため……】
「おい、馬鹿野郎! そんなもん使ったらガキまで焼け死んじまうだろうが!」
「うるせえ! あの優男を殺さなきゃ、俺たちが全滅するんだよ!」
リーダーの制止も聞かず、魔術師は真っ赤に血走った目でアルスを睨みつけた。
ゴォォォッ! と凄まじい爆音を立てて膨れ上がる炎は、すでに直径五メートルを超えている。その熱波だけで、周囲の巨木の葉がパチパチと焦げ始めた。
「死ねぇぇぇいっ!」
魔術師の絶叫とともに、圧縮された巨大な火炎の球が、すべてを焼き尽くす勢いでアルスへと放たれた。
「……やれやれ。これだから、基礎を怠った独学の魔術師は困る」
迫り来る炎の嵐を前に、アルスは避ける素振りすら見せなかった。
彼はただ、退屈そうにため息をつくと、右手の人差し指を一本だけ、炎に向かって真っ直ぐに立てた。
「『霧散』」
アルスが小さく呟いた瞬間、彼の指先から色なき衝撃波が放たれた。
それは魔法などという大層なものではない。ただ、アルスが体内に持つ『規格外の魔力』を、物理的な圧力として放出しただけのものだ。
ドォンッ!!!
空間そのものが叩きつけられたかのような衝撃が、正面から迫る巨大な火球を直撃した。
次の瞬間、周囲を焼き尽くさんばかりだった激しい炎は、まるでロウソクの火を吹き消すかのように、一瞬で、完全に、跡形もなく消滅した。
「な……ッ、え……っ!?」
「いまの火属性魔術は、展開の手順が三工程も抜けているよ」
アルスは静かに歩を進めながら、講義を行う教授のような口調で淡々と言った。
「燃料となる魔力の密度がスカスカだから、外圧に対して極めて脆い。……そんな粗悪な炎じゃ、私の外套の繊維一本だって焦がせやしないよ」
「ひ、ひぃぃぃっ……!」
魔術師は腰を抜かし、そのまま後ろへと引き下がった。
もはや目の前にいる男は、ただの学者などではない。世界の理そのものを手玉に取る、生ける天災だ。
「さあ、残るは君一人だね、リーダーさん」
完全に理性を失ったリーダーの男は、大剣をがむしゃらに振り回しながら突進してきた。
「……見苦しいね」
大剣が自分の額に届くかというまさにその瞬間、アルスは電光石火の速さで右手を伸ばし、あろうことか振り下ろされる刃の側面を、素手の指先でパチンと弾いた。
カァンッ!!
澄んだ金属音が響き、大剣の軌道が大きく上空へと逸らされる。男が体勢を崩したその刹那、アルスは吸い込まれるように男の懐へと踏み込んだ。
アルスの手のひらが、リーダーの胸元へと優しく添えられる。直後、アルスは指先からほんのわずかだけ、衝撃の魔力を浸透させた。
「がはっ……!?」
男は白目を剥き、大剣を地面に落とすと、そのまま糸の切れた人形のようにドサリと前のめりに倒れ伏した。
――静寂。
気づけば、周囲に立っている密猟者は一人もいなかった。
一般の冒険者ギルドが総出で対処するレベルの武装密猟団が、わずか数分のうちに、一人の学者によって無傷で制圧されたのだ。
「そこの君。君たちの処遇は後でギルドと憲兵団に委ねるとして……。ひとまずは、そのロープで仲間たちを縛り合っておいてもらおうか」
「ひ、ひぃぃぃっ! や、やります! 縛りますから助けてくれぇっ!」
魔術師は涙と鼻水を流しながら、大急ぎで仲間たちを縛り始めた。その様子を冷ややかに見届けたアルスは、ようやく、本来の目的へと体を向けた。
巨木の根元。そこには、すべての光景を丸い目で見つめていた天狼族の子供がいた。
「あぅ……っ」
子供は再び体を強張らせ、小さな牙を見せて「シャーッ!」と威嚇の声を上げた。けれど、その耳は恐怖でペタンと伏せられ、小さな足首からはまだ血が滲んでいる。
「待たせてごめんね。もう痛いことをする人間はいないよ」
アルスは子供の警戒を刺激しないよう、その場にゆっくりと膝をつき、目線を子供の高さへと合わせた。最強の博物学者の顔には、先ほどまでの冷徹さは微塵もなく、ただただ穏やかな、知性と慈愛に満ちた笑みが浮かんでいた。




