第5章・第4話:理を刻む万年筆、原初の闇を穿つ
――ゴォォォォォォッ!!!
大禁書庫の最下層が、紫黒色の不気味な光に満たされていく。
『原初の黙示録』から溢れ出した古代の暗黒魔力は、数尊の巨大な『影の蛇』へと姿を変え、私たちの周囲を取り囲むようにして鎌首をもたげた。
その破壊の余波だけで、周囲の強固な鉄格子や数百年物の魔導書が一瞬で塵へと変わっていく。
「ひゃぅっ……! せんせい、あの影のヘビさん、すっごくドロドロしてて、触ったら危ないの!」
シルヴァがシロを庇うようにして私の背中に隠れる。執政官のセドリックにいたっては、すでに腰を抜かして床にへたり込んでいた。
「ヒャハハハ! 無駄よ、無駄! この原初の闇は、あらゆる現代魔法を『吸収』して無限に肥大化する! 王都の学者ごときが、万年筆一本でどうにかできる次元ではないわ!」
エレノアは勝ち誇ったように魔導杖を振り下ろした。数匹の影の蛇が、凄まじい速度で私とシルヴァに向けて突撃してくる。
「現代魔法を吸収する、ね。それは確かに効率的な術式だ」
私は一歩も動せず、ただ手にした『万年筆』のキャップを、カチリと静かな音を立てて外した。
「けれど、どんなに巨大な闇であっても、それは『負の魔力結晶』が集まった流動体に過ぎない。結晶である以上、そこには必ず、結合を維持するための『核』が存在するんだよ」
私の眼鏡の奥で、深度解放された鑑定回路が、迫り来る影の蛇の内部を完全に透過した。
====================
【名称:原初の暗黒蛇(古代術式)】
【弱点:眉間の三センチ下。正の魔力(光属性)ではなく、逆位相の『無属性振動』をぶつけることで、結合エネルギーが完全に中和される】
====================
「そこだね」
私は前進してくる影の蛇の群れを見据え、右手の万年筆の先を、空間に向けて無造作にトントン、と二回叩いた。
放たれたのは、魔法ですらない。ただの純粋な空気の『共鳴振動波』。
次の瞬間、私を飲み込もうとしていた数匹の影の蛇は、私の目の前わずか数センチの空間で突如として激しくブレ始め――。
――サラサラサラ……。
まるで、乾いた砂の城が崩れるかのように、何一つの破壊音も立てず、ただの無害な灰となって床へと静かに落ちていった。
「な……ッッ!?!? 私の古代魔術が、相殺すらされずに『消滅』した……!? 馬鹿な、そんな魔法の数式は存在しないわ!」
エレノアが驚愕にその美しい顔を歪ませる。
「魔法を使ったのではないよ。君の術式の結合構造を、ただ『解いて』あげただけさ。……さて、お次はそこの寂しがり屋な本だね」
私は視線を、エレノアの手の中で暴れる『原初の黙示録』へと向けた。
禁書は、無理やり引き剥がされたエネルギーの過負荷によって、いまにも自爆せんばかりに赤黒く脈打っている。
「シルヴァ、シロ。新米助手たちの最後の仕上げだ。あの本の『中央の頁』をめがけて、二人の息を合わせて全力で吠えてごらん」
「うんっ! シルヴァ、せんせいのお手伝いする!」
「ガウッ!」
シルヴァとシロは並んで深く息を吸い込むと、天狼族の音波咆哮と、フロスト・テイルの凍てつく冷気息を、完璧な同調で同時に放った。
――きゅぅぅぅぅぅぅんッッ!!!
――グオォォォォォォッ!!!
冷気を帯びた超高周波の衝撃波が、まっすぐに禁書へと突き刺さる。
ピキピキピキッ! と音を立てて、禁書の周囲の歪んだ時空が強制的に凍結され、その動きが完全に停止した。
「しまっ……!?」
「これで終わりだよ。元の場所へ帰りなさい」
私は一歩前に踏み出すと、万年筆の先から、針のように鋭く圧縮した無属性の魔力弾を放った。
それがエレノアの持つ魔導杖の『魔石の結合点』へと、寸分の狂いなく命中する。
――パキンッ!
「あぁっ……!? 私の杖が……!」
杖が砕け散ると同時に、エレノアの身体を包んでいた暗黒の結界が完全に霧散した。
彼女の手から離れた『原初の黙示録』は、私の足元へと力なく落ち、パタンと静かにその頁を閉じて、大人しい一冊の古文書へと戻っていった。
「ひ……、ひぃぃぃっ!? 国家一級博物学者って、ただの学者じゃなかったの……!?」
エレノアはその場にへたり込み、信じられないものを見る目で私を凝視していた。
そこへ、書庫の入り口側から、大勢の王宮憲兵団が松明を掲げて一斉になだれ込んできた。
「副団長エレノアを拘束せよ! アルス先生、ご無事ですか!」
「ええ、事件はすべて解決です。禁書もこの通り、元の大人しい本に戻りましたよ」
私は足元の禁書を拾い上げ、セドリックへと手渡した。書庫には、再び穏やかな静寂が戻っていた。
◇
数日後。
王宮を揺るがした大事件は完全に鎮圧され、エレノア一味の陰謀は潰えた。
アルス博物学研究所では、国王陛下から贈られた、見たこともないほどの『特大の褒美』がテーブルの上に並んでいた。
「わあぁぁ……っ! せんせい、これ、王室御用達の『最高級ローストビーフの山』だよ……っ!」
「ガウ、ガウッ!」
シルヴァとシロは、綺麗に盛り付けられた極上肉の山を前にして、ふさふさの尻尾をちぎれんばかりに激しく振り回していた。
「はは、二人とも大活躍だったからね。遠慮なくお食べ」
「いっただっきまーす!」
シルヴァは大きなお肉の塊を口いっぱいに頬張り、「んみゃい! お肉がとろけちゃうのぉ!」と大喜びでハグハグと食べ進めている。シロも隣で、もふもふの身体を揺らしながら嬉しそうに肉を咀嚼していた。
私はそんな賑やかな光景を眺めながら、新しい紅茶をカップに注ぎ、窓の外の穏やかな王都の街並みを見つめた。
「さて、シルヴァ。お腹がいっぱいになったら、次はどこの秘境へ『観察』に行こうか?」
「うんっ! せんせい、シルヴァ、どこへでも一緒についていくの!」
世界最強の博物学者と、食いしん坊な新米助手、そして新顔のもふもふ。
世界のあらゆる『理』を解き明かす彼らの旅路は、これからもどこまでも、笑顔とともに続いていく――。




