第2話:森に響く不穏な足音
気絶したシャドウ・レオパルドをその場に残し、アルスはさらに森の深部へと足を進めていた。
道なき道を歩きながら、アルスの視界には、常人には見えない無数の『情報』が溢れかえっている。
【名称:世界樹の落とし子(幼生)】
【状態:極めて良好。周囲の魔力を吸収中】
【特徴:百年周期で一度だけ、万病を治す純白の花を咲かせる。ただし根に触れると……】
「なるほど、根に触れると強烈な痺れ毒を放出する、と。危ない危ない、手帳に追記しておこう」
アルスが瞬時にあらゆる対象の真実を見抜くことができるのは、彼が持つ固有スキル『神の鑑定眼』のおかげだ。
名前や生態はもちろん、その生物が持つ弱点、果ては隠された効能まで、網羅された辞書のように脳内に流れ込んでくる。博物学者にとって、これ以上ない至高のチート能力だった。
だが、この能力の本当に恐ろしいところは、生物の『ステータス』や『魔力の流れ』すら完全に可視化してしまう点にある。
「向こうの藪にいるのは『エメラルド・スネーク』が三匹。魔力量は微々たるもの。その奥の地中には『グランド・ワーム』の巣があるね。……おや?」
アルスはふと足を止め、眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。
視線を向けたのは、樹海のさらに奥――一般の冒険者なら足を踏み入れた瞬間に発狂すると言われる、精霊の力が最も濃い『最深部』の方向だった。
アルスの鑑定眼が、その一帯の魔力の流れに、奇妙な『乱れ』を捉えていた。
「精霊の魔力が不自然に波打っているな。まるで、何かが激しく暴れ回っているような……。それに、この金属質の魔力の残滓は……人間の仕掛けた罠か?」
この『昏き精霊の樹海』に、アルス以外の人間がいる。それだけでも異常事態だ。
しかも、その魔力は決して自然を愛する者のそれではない。獲物を追い詰め、いたぶるような、悪意に満ちたぎらついた色をしていた。
その時。
風に乗って、微かな音がアルスの耳に届いた。
「――っ、あう、ぅ……!」
それは、幼い獣が上げるような、掠れた悲鳴。
しかし同時に、驚くほど純粋で、瑞々しい大自然の魔力がその声に混じっているのを、アルスのチートな知覚は見逃さなかった。
「……ただの野生動物じゃないね。今の声、絶滅したと言われている亜人類の……。いや、自分で見て確かめるのが博物学者だ」
アルスの瞳に、知的な好奇心と、かすかな不快感が宿る。
彼は手帳をパチンと閉じると、外套を翻した。
次の瞬間、アルスの姿はその場から掻き消える。
身体強化の魔法など使っていない。ただの歩行の延長線上で、空間を縮めたかのような圧倒的な速度。最強の博物学者は、声の主のもとへと音もなく地を駆けた。




