第4章・第2話 :もふもふの心を開く、極上の雪見スープ
絶対零度の雪原の上。
私の圧倒的な実力を前にして、フロスト・テイルはこれ以上の攻撃が無意味であると悟ったのか、あるいは私の瞳に敵意がないことを理解したのか、その場に力なくへたり込んでしまった。
前足の傷から流れる黒い血が、純白の雪を汚している。
「シルヴァ、少し手伝ってくれるかい?」
「うんっ! シルヴァ、あのお狐さんを助けたい!」
シルヴァは私の指示に従い、エルフの魔導ランタンを掲げて周囲に暖かな結界を広げてくれた。
私は狐の目の前にそっと膝をつき、怯える彼を安心させるように、その美しい額を優しく撫でた。
「少し痛むけれど、我慢しておくれ」
手際よく、前足の傷口に溜まった魔導毒の残滓を『万年筆』の先で弾き出し、エルフの特製軟膏をたっぷりと塗布する。
さらに、ザルツブルグでもらった最高級の硬革を細く裂いて、包帯代わりに優しく巻きつけた。
「ガウ……ゥン……」
フロスト・テイルは、傷口の痛みが一瞬で引き、心地よい温かさが身体を包み込んだことに、驚いたように小さく鳴いた。
その三本のふさふさとした尻尾が、心を開いた証拠のように、ゆっくりと左右に揺れ始める。
「ふふ、これでひと安心だ。とはいえ、冷え切った身体には栄養が必要だね。シルヴァ、お腹が空いただろう?」
「うん! シルヴァのお腹、もうグーグーさんだよ!」
待ってましたと言わんばかりに、シルヴァが目を輝かせる。
私は雪原の中に、ポータブル用の魔導コンロを設置すると、手際よく調理の準備を始めた。
今回のメニューは、この過酷な霊山を乗り越えるために用意してきた特製料理だ。
「この街の地下を走る竜脈の水と、エルフの里でもらった世界樹の乾燥水草。そして、ザルツブルグの特産である『巨猪の干し肉』を使った――『極寒霊山の特製雪見スープ』だよ」
コトコトと、小気味よい音が鍋から響き始める。
乳白色に染まったスープから立ち上ったのは、濃厚な肉の旨味と、水草の上品な磯の香りが完璧に調和した――五感を激しく刺激する、暴力的なまでに温かな香りだった。
「ふあぁぁ……っ! せんせい、すっごくいい匂い! 体の中から、ぽかぽかしてきちゃうの!」
シルヴァの尻尾が、喜びのあまり雪を跳ね上げる勢いで激しく回転を始めた。
その香りに釣られるようにして、治療を終えたフロスト・テイルも、鼻をヒクつかせながらおそるおそる鍋へと近づいてくる。
「よし、出来上がりだ。君の分もあるよ」
私は木製の器にスープをたっぷりと注ぎ、シルヴァと、そしてフロスト・テイルの前へと置いた。
(――『鑑定眼』)
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【名称:極寒霊山の特製雪見スープ】
【品質:極上】
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「さあ、冷めないうちに召し上がれ」
「いっただっきまーす!」
シルヴァは器を両手で大事そうに持つと、フーフーと息を吹きかけ、スープをズズッと音を立てて啜った。
「っ……!??」
その瞬間、シルヴァの動きがピタリと止まった。
丸い獣耳が小刻みにプルプルと震え出し、潤んだ瞳から感動の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「ん、んみゃぁぁぁいっ……!! せんせい、これ、すっごくあったかいの……っ! スープがお口に入った瞬間、氷のトゲトゲがぜんぶ溶けて、お日さまがギュッて抱っこしてくれたみたい……っ!」
シルヴァはスプーンを動かすのももどかしい様子で、器に口をつけてゴクゴクとスープを飲み進めた。
濃厚なボア肉の脂の旨味が、世界樹の水草の成分によって驚くほどマイルドに調和している。さらに、竜脈の水に含まれる豊富なミネラルが、疲れた身体の隅々にまで染み渡っていく。
一方のフロスト・テイルも、おそるおそる器のスープをペロリと舐め――。
「ガウッ……!?」
次の瞬間、野生のプライドなどどこへやら、ハグハグと猛烈な勢いでスープを貪り食い始めた。
美味しいものを食べた時の喜びは、人間も獣も同じらしい。三本の尻尾をちぎれんばかりに振りながら、器がピカピカになるまで綺麗に舐め尽くしてしまった。
「ふふ、お気に召したようで何よりだ」
私は苦笑しながら、手元のスープを優雅に味わい、身体の芯が温まるのを楽しんでいた。
しかし、そんな穏やかな時間は、長続きはしなかった。
スープを飲み干したフロスト・テイルが、突如として山頂の方角を向き、その耳を険しく直立させたからだ。
「ガウ、グルルル……ッ!」
彼の視線の先――霊山の山頂付近から、尋常ではない「漆黒の魔力」の柱が、天に向かって立ち上っているのが見えた。
「うにゅ……? せんせい、あそこ、すっごく『わるい匂い』がするよ? ザルツブルグの時と、世界樹の時と同じ、どろどろした人間の匂い……!」
シルヴァが警戒の声を上げる。
「なるほどね。どうやら、彼ら(・・)の本拠地は、この霊山の山頂にあったというわけか」
私は眼鏡の奥の瞳を冷酷に光らせた。
悪徳商業ギルド『ゴールドデン・アイ(金眼商会)』。彼らがこの山で企てている「悪事」の全貌が、私の脳内データベースの中で完全に結びつこうとしていた。




