第2章・第4話:一撃粉砕、理を覆す博物学
第七坑道の奥へと進むにつれ、周囲の岩肌は赤茶けたものから、微かに青みを帯びた強固な岩盤へと変化していく。手にしたランタンの魔導光が壁を照らすたび、剥き出しになった鉱石の結晶が星屑のようにきらきらと瞬いた。
「うにゅぅ……上のお山はあつかったのに、ここはなんだか、ひんやりして、でも足の裏はあったかいね、せんせい」
シルヴァは私のすぐ後ろを歩きながら、物珍しそうに周囲の岩壁を見回していた。
時折、地殻の奥底から伝わってくる「ゴゴゴ……」という微かな地鳴りに、驚いて灰色の耳をピクリと直立させるが、前を歩く私の背中を見ると、すぐに安心して尻尾を揺らす。
「地表の熱は風で発散されるけれど、ここは密閉された空間だからね。地脈の熱が岩盤を通して直接足元に伝わってくるんだ。……ほら、シルヴァ。あの壁の青い輝きを見てごらん」
私が指差した先、岩の裂け目に美しいコバルトブルーの結晶が群生していた。
「わあ……きれい! これもお肉の味がする鉱石なの?」
「はは、残念ながらこれは食べられないよ。これは『藍銅鉱』の変異種さ。鑑定眼を通すと、ほら」
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【名称:深層藍銅鉱】
【状態:極めて安定。内部魔力飽和】
【特徴:この鉱石が多く分布する場所は、高純度の魔鉱石脈が近い証拠。つまり――】
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「真犯人であるフェルム・スライムのエサ場が、もう目と鼻の先ということだね」
私が眼鏡の位置を直し、さらに奥の暗闇を見据えたその時だった。
シルヴァの動きが、唐突にピタリと止まった。
ふさふさだった灰色の尻尾が、一瞬で警戒を示すように逆立ち、太くなる。
「せんせい……おかしいの。前の方から、お肉を食べるスライムさんの匂いはするの。だけど……それだけじゃないの。上の方とか、岩のすき間から……ドワーフのおじちゃんたちとは違う、なんだか『どろどろした、わるい人間の匂い』がいっぱいするの。それと、お山の精霊さんたちが、危ないよって、すっごくパニックになって叫んでる……!」
天狼族としての驚異的な嗅覚と、精霊の声を聴く高い知覚。それが、坑道の最深部に潜む「人間の悪意」を正確に捉えていた。
「なるほど、悪臭を放つ不法侵入者が先回りしているというわけか」
私は驚く風でもなく、ただやれやれと小さくため息をついた。
私の『鑑定眼』は、シルヴァに言われるまでもなく、数分前から岩盤の向こう側に展開されている魔法陣の魔力回路を完全に捉えていたのだ。
「新米助手の索敵は完璧だよ、シルヴァ。どうやら、害獣駆除の前に、少しだけ『害虫の駆除』をこなさなければならないようだね」
前方の暗闇から、カチリ、と硬質な金属音が響いた。隠密用の魔導具を解除した音だ。
「ヒハッ! さすがは天狼族のガキだな、鼻だけは一丁前に利きやがる!」
ランタンの光が届く境界線に、三人の男たちがぬっと姿を現した。
いずれも顔を黒い布で覆い、手には不気味な鈍色に光る魔導杖を握っている。
「お前たちが金眼商会の雇い兵だね。随分と小細工をしてくれたようだ」
「おいおい、気づいてたのかよ学者先生? だがもう遅えんだよ! お前らがこの奥で『スライムに襲われて、運悪く坑道が崩落して死んだ』……そう報告してやるさ!」
男の一人が杖を地面に突き立てると、前方の暗闇の奥から、凄まじい「地鳴り」と「不気味な咆哮」が響き渡った。
――グオォォォォォンッ!
現れたのは、直径三メートルを超える、鈍い銀色の流動体。全身が液体金属のようできらきらと輝く、本物の『フェルム・スライム』だ。
しかし、その核は禍々しい赤色に染まり、男たちの放った「狂化の魔香」によって完全に理性を失って暴走していた。
「ひゃぅっ……! お肉のスライムさん、すっごく怒ってる……!」
「さらに仕上げだ! 喰らいな、『土崩壊烈』!!」
最深部の岩盤に刻まれていたトラップ用の魔法陣が一斉に真っ赤な光を放ち、私たちの頭上にある数千トンもの巨大な岩塊が、凄まじい地鳴りとともにメリメリと音を立てて崩れ落ちてきた。
まさに退路を断たれた絶体絶命の密室。
「キャッ……! せんせい……っ!」
「大丈夫だよ、シルヴァ。新米助手への最初の講義だ。よく見ておいで」
私はシルヴァの小さな頭に優しく手を置き、ポンポンと叩いた。
「上の彼らが使ったのは、最新の岩盤魔法のようだけれど……地脈の応力計算が致命的に甘い。これでは単に、自分たちの足元を崩しているだけだ」
私はポケットから片手を抜くと、頭上から迫る最大の岩塊に向けて、ただ人差し指を一本、優雅に突き上げた。
「――『拒絶』」
不可視の膨大な魔力が、同心円状の障壁となって展開された。
ドゴォォォンッ!!! と大気が爆ぜるような衝突音が響く。頭上へと直撃するはずだった数千トンの巨岩は、その見えない盾に激突した瞬間、まるでガラス細工のように粉々に砕け散り、二人の周囲へと綺麗に逸れて弾け飛んだ。
私たちの半径一メートルだけが、汚れ一つない完璧な「安全地帯」と化していた。
「ひ……ひぃっ!? 素手で、上級の崩落魔法を受け止めた……!?」
「さて、お次は前の彼だね。シルヴァ、あのスライムの核の『少し左側』を見てごらん。微かに青い光が混じっているだろう?」
「うん、みえる! ちっちゃい青いお星さまみたい!」
「あれが、彼ら天災種が持つ『過剰魔力の排出口』さ。あそこにほんの少し、正しい属性の刺激を叩き込んであげれば――」
私は前進してくる銀色の巨体を見際め、右手の指をパチン、と軽快に鳴らした。
放たれたのは、針のように鋭く圧縮された「氷属性」の極小魔力。それが過剰魔力の排出口へと狂いなく吸い込まれた。
ピキィィィィンッ!
「グオ……ォ、ォォ……」
直径三メートルを超えていた銀色の流動体は、勢いを失って私の足元でピタリと停止すると、まるで風船の空気が抜けるように縮んでいった。
やがて、私の靴のつま先にコツンと当たったのは、バレーボールほどの大きさになった、ぷるぷると震える可愛い銀色のスライムだった。
「はい、おやすみ。こうして一瞬だけ排出口を冷却してあげれば、自己防衛機能で勝手に休眠状態に入るのさ」
「ひ……、ひぃぃぃぃっ!? 暴走したフェルム・スライムを、指先一つで眠らせただと……探!?」
「さて……。我が国の貴重な絶滅危惧種を薬物で狂わせ、あろうことか私と私の助手を巻き添えに鉱山を崩落させようとした罪――君たちの薄い頭で、どう責任を取るつもりだい?」
「ふ、ふざけるなッ! 死ねぇ!『土槍連弾』!!」
鋭利な岩の槍を何十本も形成して一斉に放つ。
「愚かだね。鉱山の中で、岩石の魔法を博物学者に向けるなんて」
私は一歩も動せず、ただ右足を軽く、石畳の地面へと踏み下ろした。
――トォン。
「――『共鳴霧散』」
不可視の振動波が放たれ、数十本の岩の槍は、私の目の前数センチに達した瞬間、サラサラと音を立てて完全に崩壊し、ただの塵となって床に落ちた。
「な……ッ!?」
「ついでに、その玩具も引き取っておこう」
私が小さく手を翻すと、魔術師たちが持っていた三本の魔導杖が突如として激しく振動し、パキンッ! と同時に爆散した。
「ひ、ひいいぃぃぃっ!?」
「すごい、すごーい! せんせい、足ポンってしただけで、ぜんぶ粉々になっちゃった!」
「これもお勉強さ、シルヴァ。敵の魔法の結晶構造を見抜けば、力を込めずとも『響き』だけで瓦解させることができるんだよ」
そこへ、坑道の入り口側から無数の松明の光とともに、ギルド長のバリグと憲兵たちが駆け込んできた。
「アルス先生! シルヴァお嬢ちゃん! 無事かぁっ!?」
「ギルド長、お待たせしました。事件はすべて解決です。……そこに転がっているのは、今回の件を仕組んだ金眼商会の私兵たちだ。そして、こちらが真犯人のフェルム・スライムです」
「おおおお……ッ! 本当に、本当にやってのけやがった……!」
バリグは深々と、魂の底からの敬意を込めて一礼した。後ろに続くドワーフたちからも、地鳴りのような歓声と拍手が巻き起こった。
◇
事件の翌日。
金眼商会の一味は完全捕縛され、第七坑道も無事に操業を再開した。
中央広場では、盛大な歓送の宴が催されていた。
「ガハハ! お嬢ちゃん、約束通り最高の肉の骨だ、いくらでもしゃぶってくれ!」
「わあぁぁい! おひげのおじちゃん、ありがとう!」
シルヴァは特別に焼き上げてくれた『特製スペアリブ』を両手に持ち、ふさふさの尻尾をプロペラのように激しく振りながら、嬉しそうにハグハグとかぶりついていた。
「アルス先生。これは俺たちザルザルブルグの鍛冶師全員からの、魂の込もった感謝の印だ。受け取ってくれ」
バリグが差し出したのは、最高級ミスリルと巨猪の硬革で仕立てられた美しい『魔導書ケース』と、シルヴァ用の小さな『特製防護銀のバッジ』だった。
「これは素晴らしい結晶構造だ。感謝する、ギルド長」
フェルム・スライムは、私の提案により、不要なクズ鉱石を安全に処理するための『鉱山守の聖獣』として、ギルドの最深部で大切に保護されることになった。
「さて、シルヴァ。お腹はいっぱいになったかい? そろそろ次の目的地へ出発しよう」
「うんっ! せんせい、シルヴァ、もうぽんぽこりんだよ!」
銀のバッジを胸元でピカピカと輝かせながら元気に返事をする。
「いつでもこの街に戻ってきな! 最高の鉄と、最高の肉を用意して待ってるぜぇ!」
地鳴りのようなドワーフたちの見送りの大歓声を背に受けながら、私たちは鉄錆の街の大門をくぐり、再び陽光の差し込む街道へと歩み出した。
「せんせい、つぎはどんなお山に行くの? おもしろい生き物、いっぱいいる?」
「そうだね。次は世界樹の麓にある、精霊たちが集う美しい湖水地帯を目指そうか。そこには、光を放つ珍しい蝶の生態系があるんだ」
「ちょうちょ! シルヴァ、つかまえるのお手伝いする!」
世界最強の博物学者と、無邪気で愛らしい新米助手の旅路は、まだまだ始まったばかりだ。




