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娼婦たちの社会復帰事業は、クレイマン伯爵家の支援と、摂政セレスティーナがその功績を認めた事により、広く世間に知らされ、ストラーダ修道院の中でこの事業に中心的に関わったロザリーは、『慈しみの聖女』と呼ばれて広く世間に知れ渡った。
そして、社交界も彼女の悲劇的な婚約破棄からの現在の姿に気づき、婚約破棄をした伯爵令息と、彼女の得るべき財産を取り上げたハーパー伯爵家は、批判の対象となった。
もっともその頃には婚約破棄をした伯爵令息は社交界からも王都からも姿を消していた。
真実の恋の相手と周囲の反対を押し切って結婚したが、作法も身についておらず、教養もない男爵令嬢は伯爵夫人としてはとても役に立たず、それなのに着飾る事には熱心で、伯爵家の財政を悪化させた。
金のかかる王都の生活を諦めて、領地にしばらく生活を移そうとしたが、それに腹を立てて夫人は、顔のいい下男を連れて出奔していた。
ハーパー伯爵は狡猾に動こうとした。
ストラーダ修道院のロザリーが有名になってくると、今まで全く訪れた事のない修道院にやってきて、「わが娘よ」と手を広げてロザリーに近づいてきた。
「私は神の家の住人です、父も母も兄弟もおりません」
ロザリーは顔色一つ変えずに冷たく言い放ち、相手をする事はなかった。
それならばと、ストラーダ修道院の運営に、クレイマン伯爵家と共に関わらせてくれ、と頼み込んできたが、これはクレイマン伯爵家からきっぱりと断られた。
その行動は「浅ましい」「阿漕な守銭奴のくせに」と社交界で断ぜられた。
豊かな資産を持っていたので、これまでにこやかに近づいてきた貴族達が、距離を置こうと離れていくのに焦ったハーパー伯爵夫妻は、見境なく慈善事業に金をつぎ込んだり、虚飾の為の贅沢をしたりしてその資産を失っていった。
南の大陸から使者がやってきた。
それは摂政セレスティーナや、筆頭宰相補佐のヨハン・マルティンの努力の賜物だった。
南の海の海賊問題には、その発生源である国と一緒に対策しなければならない、しかし宗教も文明も違う南の大陸とは国交が開かれていない、商人の行き来はあるが国として正式な国交は開かれていないのだ。商人は活躍し、貿易の規模はセレウコス王国と同じ大陸の周辺国よりも多いのだが、宗教の違いから国としての交流は出来ないでいた。
南の大陸には大小の国々があったが、最も大きいタジハール帝国からの使者が、セレウコス王国との国交を結ぶ為に訪れた。
10人にも満たない人数の特使一行だったが、セレウコス王国は最大限の出迎えで迎えた。
謁見の大広間で、多くの廷臣が連なり、正装の若き国王、傍らに父であるアーサー公、そして威厳ある物腰でその場を仕切る摂政セレスティーナ皇太后が、特使の入場を待った。
扉が開き一行が入ってきた、ターバンを頭に巻き、長い上着という帝国の正装で歩を進める、その姿を見ているセレウコス王国の廷臣から、声なき驚きが広まっていった。
「ガストン殿」呟きが漏れた
特使の中で最も豪華な上着を着、ターバンの中央に大きな宝石を輝かせている、背の高い男、南の国の人には珍しい白い肌、髪はターバンで隠されているが、太い眉と豊かな髭は赤い色、そして瞳の緑色はガストン・マンデラの物だった。
軍事を統括するマンデラ侯爵は勿論この場にいる、親の目から見てもそれはわが子とわかる顔だった、駆け寄りたいのを必死にこらえているのが周りの人達にもわかった。
「ご尊顔の英に欲し恐悦至極に存じ上げます、私はタジハール帝国皇帝よりセレウコス王国との交渉の全権を委任されております、サガノス・パシャと申します。両国にとって今回の交渉が喜ばしい物となる事に力を尽くしたいと思っております」
セレウコス王国の言葉で、そして聞き覚えのあるガストンの声で特使は言った
「ようこそセレウコス王国に来て頂けました、我が国はタジハール帝国からの客人を歓迎いたします」
にこやかな笑みを浮かべて挨拶をする、セレスティーナ皇太后に動揺はなかった、
「サガノス・パシャ殿はセレウコスの言葉も堪能の御様子、またお顔立ちも我が国の者と変わりなき様に見えますが、失礼ながらどちらのお生まれかお聞きしてもよろしいか」
「私が生まれたのはこの北の大陸でしょう、姿はそれを現しております、しかし、私はタジハール帝国に仕え、皇帝陛下に忠節を誓い、ゾロスタ教に深く帰依する者でございます」
サガノス・パシャはセレウコス語で答え、もう一度タジハール帝国の言葉で話した。
それはタジハール帝国の廷臣としての堂々とした返答だった。
ガストンの身代金交渉は高額の為に難航し、海賊の窓口も入れ替わり、いつの間にか行方不明状態になっていた。
父マンデラ侯爵は諦めていたが、母は最初にその金額を出せなかった事を悔やんでいた。




