第七十八話『今だけは、上塗りして』
その一蹴りで、いともたやすく呼吸が刈り取られる。体をくの字に折った裕哉をさらに追い立てるかのように、早希は体をひねりこんで裕哉を蹴り落した。
「が、ぐ」
「魔術だけが戦闘ではない。それを関知できない時点で、お前の強みは失われているも同然だろうが」
氷の剣を介さない一撃は、対魔術防御を貫通して裕哉の体を的確に傷つける。水を操ってどうにかその勢いを受け流そうと試みるも、その足掻きは流れるように水を制して見せた早希の身のこなしの前に不発に終わった。
「……弱すぎる。やはり環境というのは、人を腐らせるのだな」
受け流さんと放たれた水の勢いを逆手に取り、次の蹴りはさらに威力が上がる。だが、それとともに放たれた言葉が裕哉の本能を叩き起こした。
「……それ、だけは……違うッ‼」
大きく息を吸い、自らの体を大きくのけぞらせる。無論体勢は崩れて次の攻撃は躱せないが、そこは水の流れが裕哉の体を押し流してくれるだろう。あらゆる条件に対して柔軟な解答が出せることが、水魔術の利点なのだから。
「―—なら、なぜ今のお前はこんなにも揺らいでいるのだ‼」
「それが、分かれば……ッ」
それが分かるなら、胸の中の揺らぎはとっくのとうになくなっている。それを振り払えないから、裕哉はただこうして迷い続けることしかできていないのだ。
「……お前が、答えをくれるのかよッ⁉」
早希に向かってこぼした言葉は、裕哉の紛れもない本音だ。誰かが答えをくれるのなら、それに縋ってしまいたい。誰かがこの悩みを終わらせてくれるのなら、それほどまでに楽なこともないだろう。……だけど、この問題は裕哉の物でしかないのだ。他の誰にも背負えないし、背負わせない。……この思いは、裕哉だけのものだ。
「お前に、俺の気持ちが――‼」
「分からない、とでもいうつもりか‼」
裕哉の水が荒れ狂い、しかしそれを否定するかのように氷漬けの刃が無数に飛ぶ。その叫びは、早希の魂からのものだった。
「お前がいなくなったことが、お前だけのものだと思うな!……お前がいなくなったことで、寂しい思いをした人間から目を背けるなッ‼︎」
早希にとって、それは自分だ。裕哉の身勝手に、この心はあまりにも乱されて、孤独で。……寂しかった。
今こうやって剣を、殺意を向け合っている今こそが、裕哉が真正面から早希を捉える唯一の機会なのだろう。それは狂おしいほどに愛しい時間で、苦しいくらいに儚い一瞬だった。
「お前の目には誰かが写っている。それが誰かは知らん。知りたいとも思わない。……だが、私のことを無視されるのは不愉快極まりない。……それは、私の我儘か?」
「……ッ」
その問いかけに、裕哉は思わず口ごもる。我儘なんて言葉を目の前の彼女から聞くことになるなんて、夢にも思っていなかったから。そしてそれは、自らの我儘で全てを踏み躙った裕哉に突き刺さる言葉だからーー
「……今だけは、お前の全てを私で上塗りしてやろう。……どれだけの時間を経ても、忘れ得ぬ敗北をくれてやる」
願わくば、それがずっと裕哉に刻み込まれるように。……痛みと、なるように。そんな願いに、早希は気付かない。
だが、その願いが真実であることだけは、誰も捻じ曲げられない決定事項だった。
早希のポジションには本当に申し訳ないものがあるんですよね……いつか報われてくれることを願うばかりです。そんな戦いの決着はどこに行くのか、是非お楽しみに!
ーーでは、また次回お目にかかりましょう!




