楓と誤解
「・・・・・・・・・・・・ぇえ―――――っ! 執事では無い? って・・・じゃあ何なのっ? どうして・・・一緒に住んでいたのっ?」
お母様の顔を見ている私に、横にいたお父様が当たり前のように言う。
「お前の婚約者だろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ?」
まったく頭に入ってこなかった。お父様は今・・・何を言ったのだろう。えっと・・・こん・・・こん・・・・こん・・・? こんやく・・・・。 こんにゃく・・・。そう言えば明日の日曜日は近所のスーパーでこんにゃくが特売するはずだ。・・・あれ? そんな話しだっけ?
「婚約者として法華院家に迎えたのだろう。まさか忘れていたのか? そんな重要なことを」
「えぇぇぇぇぇぇぇっ! 冬哉がっ? これがっ? こやつがっ? ・・・婚約者っ? ・・・って、それって結婚相手って事っ?」
お父様と知らないおじ様は・・・いや、お父様と冬哉のお父様は顔を見合して苦笑いをしている。何の話っ? これこそドッキリ? 冬哉は執事でしょ? みんな何を・・・。
「でもっ・・・。法華院家が破産したとき、冬哉は執事を首に・・・」
私の言葉に、お父様はドッキリとは思えないほど、ごく自然に答えた。
「首ではないぞ。事情があってな。法華院家が破産したように見せかけたんだ。その時、日立財閥の跡取りである冬哉君と楓が一緒にいては説得力が無いと言う事で・・・泣く泣く引き離したのだ」
「日立財閥? ・・・冬哉が・・・跡取り?」
「そうだよ。法華院家よりもっともっとお金持ちなんだよ。冬哉君はね」
「何をおっしゃいます。法華院家の足元にも及ばない家柄です。だから冬哉と楓ちゃんの結婚を機に法華院家と一緒になると・・・」
「まあ、早い話が合併だな。わかったか楓?」
執事・・・冬哉は執事。違ったの? 8歳の私は・・・一緒にいる冬哉を・・・『執事』だと・・・『思い込んでいた』・・・・だけだった・・・と?
「そんな・・・。それじゃあ・・・どうして破産した振りしたのっ?」
「それはな、当時慈善事業に力を入れていたわけだが、どこかの組織の反感を買ったんだ。攻撃は脅迫・事故。そして、家族に危害が及ぶ前に破産して力を無くした振りをしたわけだ。当時法華院家はそっち方面、つまり暴力組織への対策はまったくしていなかったからな」
「それじゃあ・・・お父様はこの8年の間に対抗する武力組織を作っていた・・・の?」
「ん? ・・・いや・・・考古学に明け暮れてた!」
胸を張る父に、私は全身の力が抜けた。
「それが法華院家の良い所なんですよ」
冬哉のおじ様は、私のお父様のその様子を見てクスリと小さく笑って続ける。
「その組織への調査は日立財閥が請負ったんだ。政界にまで及ぶ力を持つ組織でなかなか正体を現さなかったが、しかし最近、ついにしっぽを掴みかけたところで、それに気がついた組織はまた法華院家の家族を狙おうとした。つまり、楓ちゃんや光君、雫ちゃんに危害を加える事で圧力をかけようとした訳だ。もちろん当主になるのが確定している楓ちゃんが一番の標的になってしまったんだけどね。それが今回の事態なんだよ」
「あー・・・。狙われた理由がわけわからなかったけど・・・それは、それで納得・・・」
「おまかせくださいっ! 自分が背後を吐かせて見せますよ! 自信あります!」
大山さんが黒スーツを直しながら、冬哉のおじ様に言った。そう言えば、厳密にはこの人達は冬哉では無く、そのお父様に雇われている訳だ。冬哉はまだ跡を完全に継いでないから・・・。
大山さんは自分の胸をドンと一つ叩きながら、先ほど私が投げ飛ばした男の胸倉を掴んで片手で持ち上げた。するとその男は目を覚ましていたようで、またいやらしく笑った。
「ふん。俺らは下っ端の下っ端でなんもしらねーよ。第一、根性あるから吐かないしな」
「最強と言われた北関東連合の6代目だもんな。こんなところに就職していたのか。まあ、せいぜい頑張れよ。・・・黒さんはこえーぞ」
「よく言うな大山。お前の方がタチ悪いくせに・・・」
笑う大山さんの横で、黒沢さんはサングラスをはずして男を睨みつける。
「あ・・・あ・・・っ! あ・・貴方は・・・写真で見た事が・・・。で・・・伝説の・・・初代っ! ち・・・ちぃーっす・・・」
男は黒沢さん達に連れられて行ってしまった。
私はそれを見送ると、尚も口を尖らす。
「いきなり・・・。私が忘れていただけで、いきなりじゃないかもしれないけどっ! 婚約者とか言われてもっ! じゃあ冬哉と結婚しなきゃ法華院家は没落したままなのっ?」
「まさかっ! 預かって管理している財産や屋敷などは返しますよ。結婚はあくまでも本人達の気持ち次第だから・・・」
そう言っている冬哉のおじ様の横で、お父様はあごに手を置いて首を捻っている。
「私は別に考古学をやっていても構わんが・・・。家の再興よりも・・・」
「私も温泉宿の仕事が楽しくて仕方がありません」
お母様も笑顔で、私に気を使ってくれているようには見えない。
「冬哉は駄目かね? わが息子ながら、まあまあの出来だと思っているが・・・」
冬哉のおじ様は、ぽりぽりと鼻をかきながら少しがっかりした様子だ。
「だ・・・だってっ!」
私が後ろにいる冬哉を見ると、いつの間にか聴診器を首にかけた医者風の男性から腕に注射を打ってもらっている。いつ来たんだこの人・・・・。
「こいつったらっ! 海で襲ってきたのよっ! しかも、私の上の水着を剥ぎ取ったりしてっ!」
「おっ! さすが我が息子」
「違いますっ! あれは怪しい船が近づいてきたので海に隠れたのですっ!」
息子に向かって親指を立てているおじ様に、冬哉が慌てて弁解をする。しかし、私の頬は膨れたままだ。
「どうして水着を取るのよっ!」
「あれは・・・楓様の呼吸のためで・・・」
「はぁっ?」
「楓様の特別製水着は浮力を得るために水中の酸素を取り込むことが出来きます。マスクのように装着すれば、短時間なら海中でも呼吸をすることが可能なのです」
「え・・・それで私の口に押し付けて・・・」
そう考えると、怪しいと思った出来事が、するすると怪しく無くなってく。
「その後・・・防弾ガラスがはまっている家に急いで向かい、私達をかくまった。・・・でも私は勝手にお風呂の窓から逃げちゃった・・・と?」
「まさかっ! あの小さな窓から出られたのですかっ? ・・・驚きました」
ずっとあの別荘にいれば・・・ピストルの弾も跳ね返すあの家にいれば・・・安全だった。
「冬哉を最初から信じていれば・・・危ない目に・・・あわなかったかも・・・」
言った後、私は大きくため息をつく。
「まったく。困った子です」
呆れているお母様の顔を見て、私はその疑いのきっかけとなった事を思い出した。
「そもそもっ! お母様がおかしな事をいうからっ! ほらっ! あのっ! あれよっ!」
「えっ? 何を言いました?」
「光が電話をしたとき・・・『冬哉に注意しろ』ってっ! あれを光から聞いたから私はっ!」
「そんな事を・・・わたくしが? それは光の聞き違いですわ。わたくしは、『冬哉さんにチューしろ』と言ったのです。本日は恐らく泊まりになるかと冬哉さんから聞かされていたので・・・頃合かと」
「へっ? チュー・・・しろ? って言ったの?」
光は私に確かに言った。「お母様が冬哉様にチューしろと言ってました」・・・と。私がそんな事言う訳が無いと・・・勝手に勘違いしただけだ。お母様は本当に「チューしろ」と言っていたなんて・・・。
「で・・・でもっ! ほらっ! 紫藤さんの家から電話した時も・・・、お母様は電話をかけなおすって言ったでしょ! あれもおかしい! どうして知りもしないはずの番号の紫藤さんの電話にかけなおせるのよっ!」
「どうしてって・・・ディスプレイに番号が出ていましたから・・・。番号通知で」
「・・・番号通知?」
「ええ、私達のお家にある黒い電話にはそのような機能はありませんが、最近の家庭にある電話はかかってきた相手の番号が表示されているのですよ」
「・・・・・そうなの?」
和美達が使っている携帯電話にはそんな機能があることは知っていた。しかし、まさか一般電話にもそれがあるとは・・・。家の黒電話以外には公衆電話しか使ったことが無い私は知る術が無かった・・・。
結局のところ私が疑った数々の事は何も怪しく無かった訳だが、そもそも、冬哉が、自分は婚約者だって言い出せば良かったのに。私の記憶違いだって言ってくれれば良かったのに! それなら疑う事も無く違ってきたかもしれなかったのに!
「冬哉も冬哉よっ! なに執事の振りしているのよっ! とんだSMプレイじゃないっ!」
私がそう言うと、冬哉はひどくうなだれた。
「8年振りにお会いしたとき・・・『執事』といきなり言われましたので・・・。それから何度もお伝えしようと思ったのですが・・・日に日に言い出せない雰囲気になってしまいまして・・・」
そ・・・そういえば・・・。冬哉の奴・・・前に私に何かを伝えようとしたことが・・・、何度かあったような・・・。もじもじする冬哉に私はいつも『執事』と連呼していた・・・。
でもそれは自分へ言い聞かす意味もあった。私は・・・冬哉が好き。でも執事だから叶わないだろう・・・と。それが・・・それが・・・。冬哉は執事ではなく婚約者だという。
もう障害は・・・私の方からは無い。でも、冬哉は・・・家同士のために嫌々私と結婚させられるのかもしれない。
「おいおい。楓ちゃんに嫌われたんじゃないか? 冬哉・・・何をやっていたんだ」
「申し訳ありません、父様。ですが、楓様のお気持ちを一番にお考えください。所詮私では楓様と不釣合いですし・・」
「しかし、お前は楓ちゃんが好きなんだろ?」
「とっ・・・とんでもございません。恐れ多い・・・。・・・・ピューピュー・・・」
「・・・・ん? 何を下手な口笛を急に吹いているんだ?」
私は、冬哉のぎこちない口笛の音を聞いて嬉しくて笑みがこぼれた。そして、下唇を1度噛み、厳しい顔を作ると冬哉に向けて言った。
「冬哉っ! 明日っからも貴方は執事よっ!」
「えっ・・・。は・・・はいっ!」
真夏の夜の夢。冬哉と私の関係は変わる事が無かった。・・・当分はね。冬哉の腕の怪我は思ったよりひどくなく、一ヶ月間の治療と整形手術により、傷跡も綺麗さっぱり消えてしまった。
次回、最終話となります。
本日、22時更新です。




