第三十八話「黄泉ネット開発計画㊲ 文字打ち板」
第三十八話「黄泉ネット開発計画㊲ 文字打ち板」
----------
解析が進む中、作業場の別の場所では、
別の作業が始まっていた。
久兵衛が、小さな木の板を並べていた。
一つ一つ、丁寧に形を整えながら。
「久兵衛。何を作っているのだ。」
「文字打ち板の鍵でございます。」
久兵衛は手を止めずに答えた。
「一つずつ、手で削っています。」
「全部で何個になるのだ。」
「田中殿に聞いたところ、百個ほどになると。」
「百個を、手で。」
「はい。」
久兵衛は静かに言った。
「一つ一つが、同じ大きさ、同じ形でなければなりません。
押した時の感触も、揃えたい。」
「揃えるとは、どういうことだ。」
「どの鍵を押しても、同じ力で、同じ深さまで押せる。
そういう鍵でなければ、使いにくい。」
私はしばらく考えた。
「刀の鍔のようなものか。
大きさや形が揃っていなければ、使い勝手が悪い。」
久兵衛は少し顔を上げた。
「……まさに、そういうことでございます。」
「久兵衛は刀も作るのか。」
「作りません。ですが、生前から道具の作り方は同じだと思っています。
使う者のことを考えて作れば、良い道具になります。」
私は頷いた。
「使う者のことを考える、か。」
「はい。誰が使うか、どう使うか。
それを考えてから、作り始めます。」
----------
田中殿が久兵衛のもとへ来た。
設計図を広げた。
「久兵衛さん。鍵の配置について相談があります。」
「はい。」
「ひらがなをどこに並べるか、という問題です。
よく使う文字を、押しやすい場所に置きたい。」
「よく使う文字とは。」
「「の」「は」「が」「を」「に」——
こういった文字は、文章の中でよく出てきます。
これらを中央付近に置けば、使いやすくなります。」
久兵衛が頷いた。
「では、あまり使わない文字は端に置く。」
「そうです。」
久兵衛はしばらく考えてから言った。
「生前、道具箱の中身を整理する時と同じですね。
よく使うものを手前に、たまにしか使わないものを奥に。」
田中殿が少し驚いた顔をした。
「……まさにそういうことです。
久兵衛さん、すぐに理解されますね。」
「道具のことなら、だいたい同じです。」
久兵衛は静かに言った。
私は少し離れた場所から、その様子を見ていた。
堀田殿が隣に来た。
「久兵衛さんと田中殿、息が合っていますね。」
「そうだな。」
「職人と技術者なのに。」
「使う者のことを考えるという点では、同じだからだろう。」
「なるほど。」
----------
ボルタ殿がやってきた。
設計図を見ながら、久兵衛と田中殿に何かを仰った。
メッツォファンティ殿が訳す。
「鍵を押した時に電気信号が出る仕組みを作った、と。
試してみてほしい、と。」
田中殿が受け取った。
小さな板に、細い線が繋がっている。
板の上には、小さな突起が一つあった。
「これが、一つの鍵の仕組みですか。」
「はい。突起を押すと、線に電気が流れます。
突起を離すと、電気が止まります。」
田中殿が突起を押した。
何かが動いた。
「……動いた。」
ボルタ殿が嬉しそうに何かを仰った。
「電気のオンとオフ、と。これが一つの文字になる、と。」
田中殿が頷いた。
「これを百個分作れば、文字打ち板になります。」
久兵衛が受け取った。
突起を一度押した。
また押した。
「押す力は、もう少し軽い方がいいですね。」
「軽くできますか。」
「はい。突起の下に、薄い板を挟めば。
弾力が出て、軽くなります。」
ボルタ殿が頷いた。
メッツォファンティ殿が訳す。
「電気の流れには影響しない。やってみる価値はある、と。」
久兵衛がすぐに薄い板を取り出した。
突起の下に挟んだ。
また押した。
「……良くなりました。」
田中殿が押した。
「確かに、軽い。」
「使う者のことを考えると、こうなります。」
久兵衛は静かに言った。
ボルタ殿が何かを仰った。
「久兵衛殿は、すごい、と。
電気のことは分からなくても、
道具のことは誰より分かっている、と。」
久兵衛は照れた様子もなく、黙って頷いた。
----------
作業が進んだ。
久兵衛班が鍵を一つずつ作り上げた。
アルベルト、ヴィクトル、ジョゼフが、
それぞれの鍵の形を揃える作業を手伝った。
職人同士は、言葉がなくても通じた。
一つ渡す。
確認する。
修正する。
また渡す。
その繰り返しが、静かに続いた。
ボルタ殿が電気信号の仕組みを一つずつ組み込んでいった。
ファラデー殿がその電気の流れを測定した。
均一に電気が流れているかを確かめた。
田中殿が全体を確認し、調整した。
「忠清さま。」
田中殿が声をかけてきた。
「なんだ。」
「文字打ち板、形になってきました。
見てみますか。」
「見よう。」
----------
作業台の上に、文字打ち板が置かれていた。
縦横に、小さな鍵が整然と並んでいた。
それぞれの鍵に、文字が書かれていた。
「あ」「い」「う」「え」「お」——
五十音が、順番に並んでいた。
英数字と記号も並んでいた。
「これが、文字打ち板か。」
「はい。まだ仕上げの途中ですが、形は見えてきました。」
「ひらがなも入っているな。からくり箱を動かすのに、ひらがなは要るのか。」
「からくり箱を動かすだけなら、英数字と記号だけで十分です。
ですが、後で黄泉ネットで報告書やメールを送る時にはひらがなが必要になります。
どうせ後から作り直すなら、最初から入れておいた方が手間が省けます。」
「先を見越して作るということか。」
「はい。」
私はしばらく眺めた。
「触れてもよいか。」
「どうぞ。」
私は「あ」の鍵を一つ、そっと押した。
かちり、という小さな音がした。
「……音がするのだな。」
「はい。押したことが分かるように、少し音が出るようにしました。」
「これを押すと、からくり箱に「あ」が届くのか。」
「届きます。ただし、今はまだからくり箱が完成していないので、
繋がっていません。」
「繋がった時には。」
「押した文字が、画面に映ります。」
私は「あ」をもう一度押した。
かちり。
「……面白いな。」
田中殿が笑った。
「忠清さまが面白いと言うのは、珍しいですね。」
「そうか。」
「はい。」
「……道具というものは、触れてみて初めて分かるものだな。
説明を聞いても分からなかったが、
触れると分かった。」
田中殿は少し考えてから言った。
「忠清さまの言葉、また名言ですよ。」
「今日は一回目だ。」
「そうですね。大事に使いましょう。」
私は思わず笑った。
----------
その夕方。
久兵衛が田中殿のもとへ来た。
「田中殿。一つ、聞いてもよいですか。」
「はい。」
「この文字打ち板で打った文字は、どこへ届くのですか。」
「からくり箱に届きます。
からくり箱がそれを受け取って、画面に映します。」
「画面に映った文字は、どこへ届くのですか。」
「黄泉の国の別の場所にある、別のからくり箱に届きます。」
「別の場所まで、届くのですか。」
「はい。」
久兵衛はしばらく黙っていた。
「……この鍵の一つを押すと、遠くの誰かに届くということですか。」
「そういうことです。」
久兵衛は、文字打ち板をじっと見た。
「……そうとは知らずに作っていました。」
田中殿が言った。
「久兵衛さんが作ってくれたから、届けられます。」
久兵衛は何も言わなかった。
ただ、文字打ち板を静かに見ていた。
私はその様子を、少し離れた場所から見ていた。
久兵衛が「鍵の一つを押すと、遠くの誰かに届く」と知った瞬間。
作ることの意味が、届いた瞬間だった。
----------
私は書き留めた。
文字打ち板、製造中。
久兵衛班が鍵を一つずつ製造。ボルタ殿が電気信号を組み込む。田中殿が全体を調整。
忠清さま、文字打ち板に初めて触れる。「かちり」という音。
久兵衛「鍵の一つを押すと、遠くの誰かに届く」と知る。
私は筆を置いた。
道具は、触れてみて初めて分かる。
久兵衛は、鍵の一つが遠くの誰かに届くとは知らずに作っていた。
知らずに作っていたものが、誰かに届く。
作ることと、届けることは、別のことのように見えて、
実は同じことかもしれない。
作る者がいなければ、届かない。
届ける仕組みがなければ、作っても意味がない。
久兵衛の鍵が、黄泉ねっとの入口になる。
黄泉国情報網計画。
文字打ち板が、形になってきた。
次は、この板をからくり箱と繋ぐ番である。




