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第三十話「黄泉ネット開発計画㉙ 磁力」

第三十話「黄泉ネット開発計画㉙ 磁力」



----------


光が均一になってから、次の問題が出た。


「電子の向きを制御しなければなりません。」

ファラデー殿が言った。


後藤殿が訳す。

「画面の好きな場所に電子を当てるには、

 電子の向きを自在に変える仕組みが要ります、と。」


「向きを変える、とはどういうことだ。」


高柳殿が説明した。

「電子銃から飛ぶ電子は、まっすぐ進みます。

 しかしまっすぐでは、画面の中心にしか当たらない。

 端にも当てるには、向きを曲げる必要があります。」


「曲げる。」


「はい。電子の進む方向を、少しずつ変えながら、

 画面全体を走らせます。

 それができて初めて、文字や絵が描ける。」


「つまり、筆のようなものだな。」


高柳殿が少し目を細めた。

「……まさに、その通りです。

 電子が筆になって、画面に文字を書く。」


「その筆の向きを、どうやって変えるのだ。」


「それが、ファラデー殿の仕事です。」



----------



ファラデー殿が前に出た。


スウェーデンボリ殿が通訳に入る。

「電子は、磁力に反応します。

 磁石を近づけると、電子の進む方向が変わります。」


「磁石で、電子の向きが変わるのか。」


「はい。磁石の向きや強さを変えれば、

 電子を好きな方向に曲げられます。」


私は少し考えた。

「川の流れを、堰で変えるようなものか。」


ファラデー殿が後藤殿の訳を聞いて、静かに頷いた。


「そのような感じです。

 ただし堰ではなく、磁力という見えない力を使います。」


「見えない力で、見えないものを動かす。」


「そういうことです。」


田中殿が小声で言った。

「忠清さま、それ詩みたいですよ。」


「黙れ。」


私は即座に言った。


田中殿が笑った。




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ファラデー殿が設計を始めた。


磁石をどこに置くか。


どのくらいの強さにするか。


どう向きを変えるか。


紙に図を描き、計算し、また描く。


後藤殿が隣に立って、必要な時だけ言葉を添える。


「後藤殿。」

私は小声で聞いた。


「ファラデー殿は今、何を考えているのだ。」


「電子の動きを計算しています。

 磁力の強さと向きで、電子がどの軌道を描くか。

 それを数字で表そうとしています。」


「数字で表す。」


「はい。感覚ではなく、計算で制御する。

 それがファラデー殿の方法です。」


「感覚の職人と、計算の学者が、同じ目標に向かっているのだな。」


後藤殿は少し考えてから言った。

「高柳殿が感覚の職人で、ファラデー殿が計算の学者。

 二人が組むと、強い。」


「そうだな。」

私は頷いた。


「生前の合議でも、同じだった。

 経験で動く者と、理論で動く者が揃うと、

 片方だけより遠くへ行ける。」



----------



ボルタ殿がファラデー殿の設計図を覗き込んできた。


何かを仰った。


メッツォファンティ殿が訳す。

「磁石は、自分が作れる、と。

 電池の仕組みを使えば、電磁石が作れる、と。」


「でんじしゃくとは何だ。」


田中殿が説明した。


「電気を流すと磁石になる仕組みです。

 電気を止めると磁石でなくなります。

 つまり、磁力のオンとオフを電気で制御できます。」


「電気で磁石を動かし、磁石で電子を動かす、ということか。」


「そういうことです。」


「電気が磁石を動かし、磁石が電子を動かす。

 見えないものが、見えないものを通じて、別の見えないものを動かす。」


田中殿がまた小声で言った。

「忠清さま、また詩みたいですよ。」


「黙れ。」


「でも今日は二回目ですよ。」


「黙れ。」


田中殿は笑いを堪えていた。


後藤殿も、静かに微笑んでいた。



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ボルタ殿がファラデー殿のもとへ歩いた。


二人が向き合った。


言葉は通じない。


だがボルタ殿が設計図を指さし、

ファラデー殿が頷き、

ボルタ殿が自分の電池の図を見せ、

ファラデー殿が目を細める。


その繰り返しが、しばらく続いた。


メッツォファンティ殿が傍らに立っていたが、

訳す場面がほとんどなかった。


「またですね。」

田中殿が言った。


「何がだ。」


「手が先に動く者同士は、言葉がいらない。

 ボルタさんとファラデーさん、いつもこうです。」


「そうだな。」

私は頷いた。


「あの二人は、時代も国も違う。

 だが、電気への向き合い方が同じなのだろう。

 だから言葉がなくても通じる。」


「電気を愛しているんですかね。」


「そうかもしれぬ。」


私はしばらく二人を見てから言った。

「好きなものが同じ者は、言葉がなくても通じる。

 嫌いなものが同じ者も、通じる。

 だが好きなものが同じ者の方が、長く続く。」


田中殿は少し考えてから言った。

「……忠清さまと私も、そうですか。」


「何が同じだと思う。」


「情報が届くことが、大事だということ。

 誰かに何かが届くことが、意味があるということ。」


私はしばらく黙っていた。

「……そうかもしれぬ。」



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数日後。


ファラデー殿とボルタ殿が作り上げた電磁石が完成した。


小さな金属の棒に、細い線が巻かれている。


電気を通すと、磁力が生まれる。


電気を止めると、磁力が消える。


高柳殿がそれをブラウン管の試作品に取り付けた。


電子銃から電子を飛ばす。


電磁石に電気を流す。


電子の向きが、わずかに変わった。


「動いた。」


高柳殿が静かに言った。


「電子の向きが変わったのか。」


「はい。磁力が働いています。」


田中殿が前に出た。


「磁力の強さを変えてみてください。」


高柳殿が電流を調整した。


電子の向きが、さらに変わった。


「制御できています。」

高柳殿が言った。


ファラデー殿が測定器を手に確認する。


数値を見て、静かに頷いた。


後藤殿が訳す。

「計算通りです、と。

 理論と実際が一致しました、と。」


田中殿が言った。

「理論通りに動くって、エンジニアとして一番嬉しい瞬間なんですよね。」


「ファラデー殿は今、どんな顔をしているのだ。」


田中殿が見た。

「……静かな顔ですね。

 喜んでいるのに、静かな顔。」


「そういう人だ。」

私は言った。


「底の深い人は、喜びも静かだ。」



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高柳殿がブラウン管の全体設計を更新した。


磁力の制御が加わったことで、

設計図が大きく書き直された。


「これで、画面全体を走らせられます。」

高柳殿は静かに言った。


「画面の端から端まで、電子が届くということか。」


「はい。あとは、精度を上げることです。」


「精度とは。」


「どれだけ細かく制御できるか、ということです。

 粗ければ、文字がぼやける。

 細かければ、くっきりと映る。」


「細かいほど、良いのだな。」


「はい。ただ、細かくするほど難しくなります。」


「最後の一つが一番難しい、か。」


私は思わず言った。


高柳殿が少し笑った。

「ラングミュア殿と同じことを仰いますね。」


「真空と精度は、同じ問題を抱えているのかもしれぬ。

 どちらも、限りなく近づけることが技術だ。」


ファラデー殿が何かを仰った。


後藤殿が訳す。

「その通りです。

 技術とは、理想に限りなく近づけることです。

 完璧には届かない。

 だからこそ、続けられる、と。」


私はその言葉を、静かに受け取った。


完璧には届かない。


だからこそ、続けられる。


政も、技術も、同じだった。



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その夜。


私は書き留めた。


電磁石完成。ファラデー殿・ボルタ殿の連携。


電子線の制御、成功。

磁力で電子の向きを変えられることを確認。


高柳殿「理論と実際が一致しました。」


ブラウン管設計、更新。


私は筆を置いた。


目に見えぬ力で、目に見えぬものを動かす。


磁力が電子を動かし、電子が画面を走る。


見えないものの連鎖が、やがて見えるものを生む。


ファラデー殿の理論は、どこでも出てくる。


田中殿が言った「底をついたことがない」という言葉が、

今日また、正しかった。


黄泉国情報網計画。


電子が、向きを変えた。


次は、その電子を画面の一点に当てる番である。



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