第二十五話「黄泉ネット開発計画㉔ 電子」
第二十五話「黄泉ネット開発計画㉔ 電子」
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真空が完成してから、作業場の空気が変わった。
ラングミュア殿が新しい管に真空を入れ始めた。
久兵衛班が厚くなったガラス管を次々と仕上げていく。
ド・フォレスト殿が改良した設計図を手に、
各班の進み具合を確認して回っていた。
昨日まで黙って座っていた方が、今日は誰より動いている。
「面倒な男だが、一番よく動く、とはこういうことか。」
私は小声で呟いた。
田中殿が隣で苦笑した。
「昨日、忠清さまが言ったことが、もう証明されましたね。」
「三百年の経験は、伊達ではない。」
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その日の昼過ぎ。
フレミング殿が私のもとへ来た。
穏やかな目をしていた。
後藤殿が通訳に入る。
「忠清殿。少し、お時間をいただけますか。」
「いかがした。」
「電子のことを、説明させていただきたいのです。」
「でんし。」
「はい。真空管の中で何が起きているのか、
忠清殿に知っていただきたいと思いまして。」
私は少し驚いた。
「私に、か。」
「はい。取りまとめ役が仕組みを理解していると、
問題が起きた時の判断が変わります。
生前、私もそれで助けられたことがありました。」
私は頷いた。
「では、聞かせていただこう。」
フレミング殿は机の前に座り、
紙に図を描き始めた。
丸い粒が、線の上を流れている。
「電子とは、極めて小さな粒が流れるものです。」
後藤殿が訳す。
「粒が流れる。水のようなものか。」
フレミング殿は少し考えてから答えた。
「似ていますが、水より遥かに速い。」
「どれくらい速いのだ。」
フレミング殿はしばらく考えた。
「説明が難しいですが、川と稲妻くらい違います。」
「稲妻か。それなら分かる。」
私は頷いた。
「稲妻は、一瞬で空を走る。」
「はい。電子はそれに近い速さで流れます。」
「それほど速いものが、管の中を流れているのか。」
「そうです。だからこそ、真空が必要です。
空気の分子があると、その速さで流れる電子が
分子にぶつかって止まってしまう。」
私はなるほどと思った。
「稲妻が空を走る時に、邪魔するものがあれば止まる。
真空は、その邪魔をなくした状態だということか。」
フレミング殿が後藤殿の訳を聞いて、目を細めた。
「忠清殿は、説明が上手い。」
「いや、稲妻を見てきた年数が長いだけだ。」
田中殿が小声で笑った。
「電子が流れると、何が起きるのですか。」
私は続けた。
「力が生まれます。」
「力。」
「はい。電子の流れが、力になります。
その力で、からくり箱が動きます。」
「電子が流れる速さが、力の大きさになるということか。」
「流れる数と速さが、力の大きさになります。」
「流れる数と速さ。」
私はしばらく考えた。
「川の流れと同じだな。
水の量と速さが、水車を回す力になる。」
「まさにその通りです。」
フレミング殿は満足そうに頷いた。
「では、私が作った二極管は、
電子を一方通行に流すものです。」
「一方通行。」
「はい。電子は、行きは通るが、帰りは通れない。」
「なぜ一方通行にする必要があるのだ。」
「電子が行ったり来たりすると、力が安定しないからです。
一方向に揃えることで、安定した力になります。」
私は少し考えた。
「川に水門を作るようなものか。
水が一方向にしか流れないよう制御する。」
フレミング殿が後藤殿の訳を聞いて、
今度ははっきりと笑った。
「忠清殿。あなたは、本当に理解が早い。」
「川とともに生きてきたからだ。
利根川には、幾度も悩まされた。」
後藤殿が小さく笑った。
「忠清さまの例えは、毎回川か生前の仕事に繋がりますね。」
「それしか知らぬからだ。」
「いや、それで十分だと思います。
知っていることを使って考える。
それが、一番確かな理解です。」
「一つだけ聞いてもよいか。」
私はフレミング殿に言った。
「はい。」
「電子とは、どのようなものなのだ。
粒だと言ったが、本当に粒なのか。
見えるのか。」
フレミング殿はしばらく黙った。
やがて言った。
後藤殿が訳す。
「見えません。
極めて小さいので、人の目では絶対に見えない。」
「見えぬものが、力を生む。」
「はい。」
「見えぬものが、管の中を稲妻の速さで走っている。」
「そうです。」
私はしばらく黙った。
「……不思議なものだな。」
フレミング殿は穏やかに言った。
「自然とは、そういうものです。
見えないものに、力がある。
見えないものが、世界を動かしている。」
私はその言葉を、静かに受け取った。
見えないものが、世界を動かしている。
黄泉の国も、そうかもしれない。
動物たちの魂の粒が空に溶けて光になる。
見えない魂が、光という力になる。
「フレミング殿。」
「はい。」
「黄泉の光も、「でんし」と同じかもしれぬ。
見えぬ魂が、光という力になっている。」
フレミング殿は少し間を置いてから言った。
後藤殿が訳す。
「……それは、私には分かりません。
しかし、もしそうだとしたら、
黄泉の国の光には、下界の電子より深いものが込められているかもしれない、と。」
作業場が、少し静かになった。
田中殿が小声で言った。
「忠清さま。」
「なんだ。」
「フレミングさん、詩人ですね。」
「学者というものは、深く考えると詩人になるのかもしれぬ。」
田中殿は少し笑った。
「忠清さまも、最近詩人っぽいですよ。」
「三百年住んでいれば、誰でもそうなる。」
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その夜。
私は書き留めた。
フレミング殿より、電子の説明を受ける。
電子とは、極めて小さな粒が稲妻の速さで流れるもの。
見えないが、力を生む。
二極管とは、電子を一方通行に流す管。
水門のようなもの。
黄泉の光も、見えぬ魂が力になっている。
電子と似ているかもしれぬ。
私は筆を置いた。
見えないものが、世界を動かしている。
そう言われれば、そうかもしれない。
生前、見えないものに何度も動かされてきた。
人の心。
合議の流れ。
時代の変わり目。
どれも、見えなかった。
だが確かに、力があった。
黄泉国情報網計画。
電子が、何であるかを知った。
次は、その電子を使う番である。




