表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/72

第二十四話「黄泉ネット開発計画㉓ 真空」

第二十四話「黄泉ネット開発計画㉓ 真空」



----------


改良が始まってから、十日が経った。


ラングミュア殿は毎日、真空の装置に向かっていた。


測定する。


記録する。


調整する。


また測定する。


その繰り返しだった。


後藤殿が隣に立ち、必要な時だけ言葉を添える。


だが、ほとんどの時間、二人は無言だった。


「ラングミュア殿は、何をしているのだ。」

私はある日、後藤殿に聞いた。


「限界を探しています。」


「限界を。」


「はい。どこまで真空に近づけるか。

 その限界を、一つずつ確かめています。」


「限界が分かれば、何が変わるのだ。」


「限界の手前で止めれば、安定します。

 限界を超えようとすると、また破裂する。

 どこで止めるかを知ることが、大事なのです。」


私はしばらく考えた。

「限界を知ることが、力になるということか。」


「そういうことです。」


「生前も同じだった。」


私は静かに言った。

「河川の治水も、どこまで堤防を高くできるかより、

 どこで止めるかの方が大事だった。

 高くしすぎれば、別の場所が弱くなる。」


後藤殿は静かに頷いた。

「ラングミュア殿が今やっていることは、

 まさにそれでございます。」



久兵衛班も、並行して動いていた。


ガラス管の厚さを一割五分増やした新しい管が、

次々と完成していた。


アルベルトが一本ずつ確認し、

ヴィクトルが光にかざし、

ジョゼフが端を仕上げる。


久兵衛が最後に手に取り、静かに頷く。

「これでいい。」


その繰り返しだった。


シャンポリオン殿がその様子を見ながら言った。

「忠清殿。」


「なんだ。」


「職人たちの仕事の仕方が、最初と変わりました。」


「どう変わった。」


「最初は久兵衛殿が確認してから、三人が動いていました。

 今は三人が動いてから、久兵衛殿が確認しています。」


私はしばらく考えた。

「信頼が生まれたということか。」


「そのようです。言葉がなくても、仕事を重ねるうちに。」


「仕事が、言葉の代わりになったのだな。」


シャンポリオン殿は静かに微笑んだ。

「私が古代の文字を読み解いた時も、同じでした。

 文字の形が分からなくても、

 文字の使われ方を積み重ねるうちに、意味が見えてくる。」



----------


そしてある朝。


ラングミュア殿が装置から離れた。


珍しいことだった。


十日間、ほとんど装置から離れなかった方が。


後藤殿のもとへ歩き、何かを言った。


後藤殿が静かに訳した。

「測定結果を、見ていただきたい、と。」


私と田中殿、ド・フォレスト殿が集まった。


ラングミュア殿が紙を広げた。


数字が並んでいた。


「この数字は何を示しているのだ。」


後藤殿が説明してくれた。

「真空の度合いです。

 数字が小さいほど、真空に近い。

 最初の試作品の時は、この数字でした。」


後藤殿が別の紙を示した。

「今回は、この数字です。」


田中殿が数字を見て、静かに息を飲んだ。

「……桁が違う。」


「はい。前回の百分の一以下です。」


「それほど、真空に近づいたということか。」


「そういうことです。」


ド・フォレスト殿が数字を見た。


しばらく黙っていた。


そして何かを仰った。


メッツォファンティ殿が訳す。

「これならば、破裂しない、と。」


「確かか。」


「確かです。この真空度ならば、

 電力が通っても、内側の圧力に耐えられる、と。」


ラングミュア殿が静かに言った。


後藤殿が訳す。

「できました。」


その二文字だった。


作業場が、静かになった。


ラングミュア殿は測定結果の紙を、静かに机に置いた。


そして目を閉じた。


長い間、目を閉じていた。


田中殿が小声で言った。

「……泣いていますか。」


後藤殿が静かに首を振った。

「感じているのだと思います。

 十日間、限界を探し続けた。

 その答えが、今、数字になった。」


私はラングミュア殿を見た。


目を閉じたまま、動かない。


「何もない状態を作ることが、これほど難しいとは思わなかった。」

私は静かに言った。


田中殿が答えた。

「何もないことが、一番大事なんです。」


「どういう意味だ。」


「からくり箱も、黄泉ネットも、

 中に何もない空間があるから、

 そこに情報を入れられる。

 何かで満たされていたら、何も入らない。」


私はしばらく考えた。

「器が空であることが、価値になるということか。」


「そうです。」


「……合議制も、同じかもしれぬ。」


田中殿が首を傾けた。

「どういうことですか。」


「一人の意見で満たされた場は、他の意見が入らない。

 空きがあるから、様々な意見が入る。

 合議とは、意見の入る空きを作ることかもしれぬ。」


田中殿はしばらく黙っていた。

「……忠清さま、それも名言ですよ。」


「今日で何度目だ。」


「数えていません。」




----------


ラングミュア殿がゆっくりと目を開けた。


後藤殿と目が合った。


後藤殿が静かに頷いた。


ラングミュア殿も、静かに頷いた。


言葉はなかった。


だが、その頷きに、十日間が込められていた。


ド・フォレスト殿が立ち上がった。


そして、ラングミュア殿のもとへ歩いた。


何かを言った。


メッツォファンティ殿が訳す。

「ありがとう、と。」


作業場が、また静かになった。


ド・フォレスト殿が「ありがとう」と言った。


田中殿が小声で言った。

「……初めて聞きましたね。」


「私も初めてだ。」


「失敗があったから、出てきた言葉ですね。」


「そうだな。」


私は静かに言った。

「失敗は、価値がある。」




----------


その夜。


私は書き留めた。


ラングミュア殿、十日間の研究の末、

十分な真空の実現に成功。


前回比、百分の一以下の真空度。


ド・フォレスト殿「これならば、破裂しない」と確認。


久兵衛班、改良版ガラス管の製造完了。


次の試作品、製造開始予定。


私は筆を置いた。


何もない状態を作ることが、これほど難しいとは。


だが、難しいからこそ、価値がある。


何もない空間があるから、何かが入る。


何もない器があるから、何かが始まる。


黄泉国情報網計画。


真空が、できた。


次は、その真空の中で、電気を通す番である。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ