第二十四話「黄泉ネット開発計画㉓ 真空」
第二十四話「黄泉ネット開発計画㉓ 真空」
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改良が始まってから、十日が経った。
ラングミュア殿は毎日、真空の装置に向かっていた。
測定する。
記録する。
調整する。
また測定する。
その繰り返しだった。
後藤殿が隣に立ち、必要な時だけ言葉を添える。
だが、ほとんどの時間、二人は無言だった。
「ラングミュア殿は、何をしているのだ。」
私はある日、後藤殿に聞いた。
「限界を探しています。」
「限界を。」
「はい。どこまで真空に近づけるか。
その限界を、一つずつ確かめています。」
「限界が分かれば、何が変わるのだ。」
「限界の手前で止めれば、安定します。
限界を超えようとすると、また破裂する。
どこで止めるかを知ることが、大事なのです。」
私はしばらく考えた。
「限界を知ることが、力になるということか。」
「そういうことです。」
「生前も同じだった。」
私は静かに言った。
「河川の治水も、どこまで堤防を高くできるかより、
どこで止めるかの方が大事だった。
高くしすぎれば、別の場所が弱くなる。」
後藤殿は静かに頷いた。
「ラングミュア殿が今やっていることは、
まさにそれでございます。」
久兵衛班も、並行して動いていた。
ガラス管の厚さを一割五分増やした新しい管が、
次々と完成していた。
アルベルトが一本ずつ確認し、
ヴィクトルが光にかざし、
ジョゼフが端を仕上げる。
久兵衛が最後に手に取り、静かに頷く。
「これでいい。」
その繰り返しだった。
シャンポリオン殿がその様子を見ながら言った。
「忠清殿。」
「なんだ。」
「職人たちの仕事の仕方が、最初と変わりました。」
「どう変わった。」
「最初は久兵衛殿が確認してから、三人が動いていました。
今は三人が動いてから、久兵衛殿が確認しています。」
私はしばらく考えた。
「信頼が生まれたということか。」
「そのようです。言葉がなくても、仕事を重ねるうちに。」
「仕事が、言葉の代わりになったのだな。」
シャンポリオン殿は静かに微笑んだ。
「私が古代の文字を読み解いた時も、同じでした。
文字の形が分からなくても、
文字の使われ方を積み重ねるうちに、意味が見えてくる。」
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そしてある朝。
ラングミュア殿が装置から離れた。
珍しいことだった。
十日間、ほとんど装置から離れなかった方が。
後藤殿のもとへ歩き、何かを言った。
後藤殿が静かに訳した。
「測定結果を、見ていただきたい、と。」
私と田中殿、ド・フォレスト殿が集まった。
ラングミュア殿が紙を広げた。
数字が並んでいた。
「この数字は何を示しているのだ。」
後藤殿が説明してくれた。
「真空の度合いです。
数字が小さいほど、真空に近い。
最初の試作品の時は、この数字でした。」
後藤殿が別の紙を示した。
「今回は、この数字です。」
田中殿が数字を見て、静かに息を飲んだ。
「……桁が違う。」
「はい。前回の百分の一以下です。」
「それほど、真空に近づいたということか。」
「そういうことです。」
ド・フォレスト殿が数字を見た。
しばらく黙っていた。
そして何かを仰った。
メッツォファンティ殿が訳す。
「これならば、破裂しない、と。」
「確かか。」
「確かです。この真空度ならば、
電力が通っても、内側の圧力に耐えられる、と。」
ラングミュア殿が静かに言った。
後藤殿が訳す。
「できました。」
その二文字だった。
作業場が、静かになった。
ラングミュア殿は測定結果の紙を、静かに机に置いた。
そして目を閉じた。
長い間、目を閉じていた。
田中殿が小声で言った。
「……泣いていますか。」
後藤殿が静かに首を振った。
「感じているのだと思います。
十日間、限界を探し続けた。
その答えが、今、数字になった。」
私はラングミュア殿を見た。
目を閉じたまま、動かない。
「何もない状態を作ることが、これほど難しいとは思わなかった。」
私は静かに言った。
田中殿が答えた。
「何もないことが、一番大事なんです。」
「どういう意味だ。」
「からくり箱も、黄泉ネットも、
中に何もない空間があるから、
そこに情報を入れられる。
何かで満たされていたら、何も入らない。」
私はしばらく考えた。
「器が空であることが、価値になるということか。」
「そうです。」
「……合議制も、同じかもしれぬ。」
田中殿が首を傾けた。
「どういうことですか。」
「一人の意見で満たされた場は、他の意見が入らない。
空きがあるから、様々な意見が入る。
合議とは、意見の入る空きを作ることかもしれぬ。」
田中殿はしばらく黙っていた。
「……忠清さま、それも名言ですよ。」
「今日で何度目だ。」
「数えていません。」
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ラングミュア殿がゆっくりと目を開けた。
後藤殿と目が合った。
後藤殿が静かに頷いた。
ラングミュア殿も、静かに頷いた。
言葉はなかった。
だが、その頷きに、十日間が込められていた。
ド・フォレスト殿が立ち上がった。
そして、ラングミュア殿のもとへ歩いた。
何かを言った。
メッツォファンティ殿が訳す。
「ありがとう、と。」
作業場が、また静かになった。
ド・フォレスト殿が「ありがとう」と言った。
田中殿が小声で言った。
「……初めて聞きましたね。」
「私も初めてだ。」
「失敗があったから、出てきた言葉ですね。」
「そうだな。」
私は静かに言った。
「失敗は、価値がある。」
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その夜。
私は書き留めた。
ラングミュア殿、十日間の研究の末、
十分な真空の実現に成功。
前回比、百分の一以下の真空度。
ド・フォレスト殿「これならば、破裂しない」と確認。
久兵衛班、改良版ガラス管の製造完了。
次の試作品、製造開始予定。
私は筆を置いた。
何もない状態を作ることが、これほど難しいとは。
だが、難しいからこそ、価値がある。
何もない空間があるから、何かが入る。
何もない器があるから、何かが始まる。
黄泉国情報網計画。
真空が、できた。
次は、その真空の中で、電気を通す番である。




