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第十九話「黄泉ネット開発計画⑱ 見えぬもの」

第十九話「黄泉ネット開発計画⑱ 見えぬもの」


---------------


ド・フォレスト殿が宣言した三日は、過ぎた。


設計図通りの材料が揃ったのは、

堀田殿が石工の係に走り回ったおかげだった。


金属の細い線。

久兵衛が磨き上げたガラス管。


材料は揃った。


だが。


ラングミュア殿が、作業場の隅で静かに腕を組んでいた。


「ラングミュア殿が、動かぬな。」

私は田中殿に小声で言った。


「真空がまだできていないんです。」


「まだか。」


「はい。真空がなければ、真空管は作れない。

 ド・フォレスト殿もそれは分かっているので、

 今は待っている状態です。」


「ド・フォレスト殿が待っておるのか。」


「珍しいことです。」

田中殿は苦笑した。


「よほど、真空が大事ということだな。」


「そうです。真空がなければ、どれだけ設計が完璧でも意味がない。」



私はラングミュア殿のもとへ歩いた。


後藤殿が通訳に入る。


「ラングミュア殿。」


ラングミュア殿は静かにこちらを向いた。


「真空とは、どのようなものなのだ。」


ラングミュア殿はしばらく考えてから、静かに答えた。


後藤殿が訳す。

「何もない空間でございます。」


「何もない。」


「はい。空気も、埃も、何一つない状態です。」


私は少し考えた。

「では、空気を取り除けばよいのではないか。」


ラングミュア殿は小さく笑った。

「そこからが、難しいのでございます。」


「どう難しいのだ。」


「空気を取り除くことは、できます。

 しかし、完全に取り除くことは、極めて難しい。」


「完全に、か。」


「はい。少しでも残っていれば、電気の流れが乱れます。

 少し、ではいけない。

 限りなく、何もない状態に近づけなければなりません。」


私はしばらく黙っていた。

「限りなく、か。」


「完全な真空は、この世に存在しないと言われています。

 だからこそ、限りなく近づけることが、技術なのです。」


私は少し考えた。

「完璧な政は存在しない。

 だからこそ、完璧に近づけることが政というものだ。

 似ておるな。」


ラングミュア殿は後藤殿の訳を聞いて、静かに頷いた。

「忠清殿は、よく分かっておられる。」



「では、どうやって空気を取り除くのだ。」

私は続けた。


ラングミュア殿は立ち上がり、

小さな装置を机の上に置いた。


「まず、空気を押し出す仕組みが要ります。」


「押し出す。」


「はい。ガラス管の中の空気を、外へ押し出す。

 しかし、押し出せば押し出すほど、

 残った空気が逃げにくくなります。」


「少なくなるほど、取り除きにくくなるということか。」


「そういうことです。」


「……面倒だな。」


「はい。」


「最後の一つが、一番難しい。」


ラングミュア殿は静かに頷いた。

「生前もそうでした。

 最後の数パーセントを取り除くのに、

 最初の九十パーセントより時間がかかることもある。」


田中殿が隣で言った。

「忠清さま、それって仕事も同じじゃないですか。」


「同じだな。」


私は頷いた。

「仕上げが一番時間がかかる。」


「ですよね。」



「もう一つ問題がございます。」


ラングミュア殿が続けた。


「何だ。」


「空気を取り除いた後、

 ガラス管の中の壁から、

 また気体が出てくるのです。」


「壁から?」


「はい。ガラスの中に染み込んでいた気体が、

 真空になったことで外に出てきます。」


「抜いても、また出てくるのか。」


「そうです。」


私は少し考えた。

「水を汲み出しても、地面から染み出してくるようなものか。」


ラングミュア殿が後藤殿の訳を聞いて、目を細めた。

「まさに、そのような感じでございます。」


「つまり、汲み出しながら、染み出しを止める仕組みも要るということか。」


「忠清殿。」


ラングミュア殿は静かに言った。

「その理解は、完璧です。」


私は少し胸を張った。


田中殿が小声で言った。


「忠清さまの例え、今日も絶好調ですね。」


「黙れ。」



「では、染み出しを止めるにはどうすればよいのだ。」


「加熱です。」


「加熱。」


「ガラスを加熱することで、中に染み込んでいた気体を

 先に追い出してしまいます。

 その状態で真空にすれば、後から出てくる気体が少なくなります。」


「先に追い出しておく、ということか。」


「はい。」


私はまた少し考えた。

「村の検分を行う前に、

 問題になりそうな事柄を先に処理しておくのと同じだな。」


ラングミュア殿が頷いた。

「全く同じです。」


「だが、黄泉の国に加熱する仕組みはあるのか。」


ラングミュア殿はしばらく考えてから言った。

「ボルタ殿の電力があれば、できます。

 電気を使って、ガラスを加熱できます。」


「電力班と連携できるということか。」


「はい。」


田中殿が顔を輝かせた。

「各班が繋がり始めましたね。」


「そうだな。」


私は頷いた。

「それぞれが別々に動いているようで、

 実は互いに支え合っておる。」



ボルタ殿に話を持っていくと、

ボルタ殿は嬉しそうに何かを仰った。


メッツォファンティ殿が訳す。

「面白い、と。

 電気で加熱するとは、また別の使い方だ、と。」


ラングミュア殿とボルタ殿が向き合った。


言葉は通じない。


だがラングミュア殿が図を書き、

ボルタ殿が頷き、

また図が加わり、

また頷く。


その繰り返しが、しばらく続いた。


後藤殿が静かに見ていた。


「後藤殿。訳さなくてよいのか。」


「お二人とも、図で話されています。

 言葉が要らないようです。」


「職人同士は、言葉がいらぬのだな。」


「そのようです。」


田中殿が呟いた。

「稲葉さんとボルタさんも、そうでしたよね。」


「そうだった。」


「手が先に動く者同士は、言葉より先に分かり合える。」


私は静かに言った。



---------------


皆が休みむために休息所に行った後も

ラングミュア殿は作業を続けていた。


電力班からボルタ殿が来て、

加熱の仕組みを一緒に作り上げた。


私が帰る時、ラングミュア殿はまだ作業場にいた。


田中殿が小声で言った。


「休まないんですかね。」


「真空の専門家は、真空に近づけるまで止まらぬのだろう。」


「ですかね。」


田中殿は苦笑した。


「忠清さまも、生前そういう仕事の仕方でしたか。」


「……そうかもしれぬ。」


私は正直に言った。


「仕上げが一番時間がかかる。

 だからこそ、最後まで離れられぬ。」


田中殿は少し笑った。


「忠清さまとラングミュアさん、似ていますね。」


「似ておるか。」


「はい。どちらも、完璧に近づけることを諦めない。」


私は何も言わなかった。


だが、悪い気はしなかった。



---------------



その夜。


私は書き留めた。


真空の難しさ、ラングミュア殿より説明を受ける。


完全な真空は存在しない。

限りなく近づけることが技術。


ガラスからの染み出し問題。

加熱で事前に追い出す方法、電力班と連携。


ボルタ殿とラングミュア殿、図で意思疎通。言葉不要。


後藤殿、橋渡しとして機能し始める。


私は筆を置いた。


完璧な真空は存在しない。


完璧な政も、存在しない。


それでも、限りなく近づけようとする。


それが、技術であり、政であり、

人が何かをしようとする時の、根本にあるものなのかもしれない。


黄泉国情報網計画。


真空に、近づいている。


次は、その真空の中に、電気を通す番である。


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