第十一話「黄泉ネット開発計画⑩ 遠い火と近い火」
第十一話「黄泉ネット開発計画⑩ 遠い火と近い火」
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旭殿への引継ぎが完了したのは、その翌日のことだった。
仮判定の段取り、判定資料の見方、
不服申し立てへの対応の手順。
一つひとつ、丁寧に伝えた。
旭殿は静かに、しかし確かに受け取ってくださった。
「忠清さま。」
引継ぎが終わった後、旭殿は言った。
「一つだけ、お聞きしてよろしいですか。」
「何でしょう。」
「仮判定で、最も難しいことは何でございますか。」
私はしばらく考えた。
「「知らせ」であろうか。」
「「知らせ」?」
「こちらへ来られた方々が、生前に行ったことの「知らせ」が、
正確に伝わってこないことがある。」
旭殿は静かに頷いた。
「伝わってくる「知らせ」が偏っておれば、判定も偏る。
どれだけ慎重に判断しても、元の情報が間違っておれば、
正しい判定にはならぬ。」
「……それは、辛うございますね。」
「辛い、というより。」
私は少し間を置いた。
「悔しい。」
旭殿は何も言わなかった。
ただ、静かに聞いていた。
「その悔しさだけは、覚えておいてください。
それがあれば、判定を疎かにはできぬはずです。」
旭殿は深く頭を下げた。
「肝に銘じます。」
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引継ぎを終えた後、私は作業場へ戻った。
作業場の入口で、私は足を止めた。
中では、田中殿とファラデー殿が、
スウェーデンボリ殿を介して何かを話し合っていた。
ボルタ殿は隅で器具の調整をしておられる。
誰も私に気づいていない。
私はそのまま、入口のそばに立っていた。
入る必要もない。
ただ、眺めていた。
田中殿が何かを紙に書きながら説明している。
ファラデー殿がそれを見て、首を振る。
別の紙に、別の図を描く。
スウェーデンボリ殿が、二人の間で静かに言葉を繋ぐ。
ボルタ殿が器具から顔を上げ、二人の紙を覗き込む。
また何かが始まる。
賑やかというわけではない。
だが、確かに何かが動いていた。
私はその様子を眺めながら、ふと思った。
あの時も、こうだったはずだ。
と。
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松前藩のことを、私はあまり思い出したくない。
だが時折、不意に蘇ってくる。
寛文九年。
東蝦夷地でアイヌの首長シャクシャインが蜂起した。
松前藩だけでは抑えきれぬと判断し、
幕府として支援を決めた。
合議の上で、決めた。
最終的に、松前側はシャクシャインと和議を結んだ。
だが、その和議は偽りだった。
酒宴に招いたシャクシャインを、松前藩勢が囲み、殺害した。
私はその「知らせ」を受けた時、
すぐには言葉が出なかった。
和議を装って謀殺する。
それは、私が命じたことではない。
合議で決めたのは、支援と鎮圧であって、謀殺ではない。
だが。
防げなかった。
「知らせ」が、正確に伝わっていなかった。
松前藩が現地でどのような手を使うつもりなのか、
私のもとへ届く情報は、常に遅く、常に断片的だった。
地方の大名に手紙を送り、
信頼できる部下に視察を命じても、
「知らせ」が手元に届く頃には、すでに動いた後だった。
間に合わなかった。
それだけのことだ。
だが、その「それだけのこと」が、ずっと後味として残っている。
私が悪いわけではない、と言い聞かせることはできる。
合議の手順は踏んだ。
できる限りの情報を集めた。
判断は慎重に行った。
それでも。
届かなかった「知らせ」があった。
間に合わなかった判断があった。
防げなかった結末があった。
その事実だけは、消えない。
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私は作業場の中を、また眺めた。
田中殿とファラデー殿の議論は、まだ続いている。
スウェーデンボリ殿が、少し困った顔で言葉を繋いでいる。
ボルタ殿が器具を手に、二人の議論に割り込もうとしている。
賑やかな、静けさだった。
私はふと思った。
黄泉ネットが完成すれば、「知らせ」いや「情報」は速くなる。
黄泉の国の係同士が、使いの者を立てずに「情報」を共有できる。
判定資料の閲覧が速くなる。
遠くの情報が、遅れずに届くようになる。
あの時、もしそのような仕組みがあったなら。
松前藩の動きが、もっと早く、正確に届いていたなら。
判断が変わっていたかどうかは、分からない。
だが、少なくとも。
「届かなかった」という後味は、残らなかったかもしれない。
私はそう思った。
黄泉ネットを作ろうとしたのは、
閻魔様のご命令があったから、というだけではない。
情報が正確に、速く、歪まずに届く仕組み。
それは、生前の私が最も欲しかったものだ。
今ここで作っているのは、
あの時の悔しさへの、三百年越しの答えなのかもしれない。
私は静かに息を吐いた。
そして、作業場の中へ踏み込んだ。
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「忠清さま。」
田中殿が気づいた。
「引継ぎ、終わりましたか。」
「終わった。」
「お疲れ様です。」
「こちらはどうだ。」
田中殿は少し興奮した様子で言った。
「ファラデーさんが、面白いことに気づきました。」
「ほう。」
「黄泉の光の揺れ方、覚えていますか。」
「覚えておる。」
「あの揺れ方、実は一定のリズムがあるんです。」
私は眉を上げた。
「りずむ?とは。」
「でたらめに揺れているわけじゃなくて、
ある周期で揺れている。」
「つまり。」
「つまり、その周期さえ分かれば、
光の流れを予測して、効率よく力に変えられる可能性があります。」
私はしばらく考えた。
「川と同じだな。」
田中殿が首を傾けた。
「川?」
「川には流れがある。
その流れを読めれば、水車をどこに置けばよいかが分かる。
でたらめに置いても、水車は回らぬ。」
田中殿は少し間を置いてから、笑った。
「……忠清さま、その例えすごく分かりやすいです。」
「生前、利根川、坂東太郎に悩まされた経験がある。」
「なるほど。川の流れを読む、か。」
田中殿はファラデー殿に向き直り、
スウェーデンボリ殿を介して何かを伝えた。
ファラデー殿は頷き、紙に何かを書き始めた。
スウェーデンボリ殿が訳す。
「光の周期を測る道具が要る、と仰っています。」
「また何か要るのか。」
「そういうことです。」
田中殿は苦笑した。
「ただ今度は、石工の係に頼めば何とかなりそうです。」
「それは助かる。」
「忠清さまの人脈、本当に頼りになります。」
私は少し笑った。
約三百年、黄泉の国に住んでおれば、人脈くらいはできる。
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その夜。
私は今日のことを書き留めた。
旭殿への引継ぎ、完了。
光の揺れ方に、周期があることが判明。
周期を測る道具が必要。石工の係に相談。
やることは、まだある。
だが今日、二つのことが前に進んだ。
一つは、仮判定を旭殿に委ねられたこと。
もう一つは。
あの時の後味の悪さの正体が、少し分かった気がしたこと。
情報が届かなければ、判断できない。
判断できなければ、防げない。
だからこそ、正確な情報が速く届く仕組みを作る。
それが、今の私にできることだ。
黄泉国情報網計画。
遠い火は、近い火になろうとしていた。




