第2話 穏やかな一歩
「うわ……壁の向こうってこうなってたのか。教会はどっちだ?」
俺はキョロキョロと辺りを見回した。
へぇ、店もたくさんあるんだな……雑貨店にレストラン、武器屋もある。
「俺、浮いてないよな?」
街の人は特に気にしてないみたいだし、服装は大丈夫そうだな……よかった。
「何だかいい匂いがする」
香りに誘われて店内を覗くと、焼きたてのパンがずらりと並んでいた。
「腹減った……これで買えるかな?」
パン屋の店主に近づいて、拾った硬貨を差し出してみた。
「これで買えるパンはありますか?」
「ああ……すまないね、お客さん。これじゃあ、パンの耳ひとつがせいぜいだよ」
「そうですか、すみません……」
恥ずかしくなって、そそくさと店を出た。
「パンの耳ひとつか……日本円にしたらいくらだ?」
この街の物価はまだわからない。
だけど相変わらず、腹がグウグウと鳴り続けている。
腹の虫くらいは自分でどうにかしたかったけど、仕方なく教会へ向かうことにした。
「……ここ、だよな?」
立派な外観にちょっと気後れしながら、そっと扉に手をかけた。
「教会に入るのって、初めてかも」
中は思ったより静かなんだな……それにだれもいない。
正面の祭壇で、ろうそくの明かりが揺れているだけだった。
「……どうかなさいましたか?」
「あ……その、俺。リントさんに困ったらここに行けって言われて」
神父さんかな?
奥から現れたのは、灰色の髪を後ろで束ねた年配の男性だった。
白を基調とした服装は質素だけど、なんとなく偉い人っぽい。
「門番のリントから? そうですか……それなら、よほどお困りなのでしょう」
静かな声でそう言って、彼は俺に歩み寄る。
「私はセルジオ、ここの司祭です。どうぞ、こちらへ」
「あ、あの、でも……」
「まあまあ、そう言わずに」
半ば強引に背中を押され、案内されたのは小さな部屋だった。
机と椅子、そして細いベッドがひとつ置かれている。
「残り物ですが、よろしければどうぞ」
俺が何も言わないうちに、セルジオさんはスープとパンを運んできてくれた。
「い、いただきます……」
湯気の立つそれを前に、思わず呟いてしまう。
スープは薄味だったが、温かかった。
「……ありがとうございました」
そう言うと、セルジオさんはゆっくりと首を振った。
「礼には及びません。困っている人を助けるのは当然のことですから」
そんなこと言われたら、泣きそうになるじゃないか……。
でも我慢する理由がなくて、こぼれる涙をそのままにしていた。
「よければ、今夜はこちらに泊まっていきませんか?」
「でも、ご迷惑では……」
「この部屋は旅人や巡礼者が休むためのものです。遠慮することはありませんよ」
「あの、俺……」
この人に話していいんだろうか……神父さんだし。
スキルのことも、その他のことも、話すのがまだ怖い。
「疲れているでしょう。今夜は、よく休んでください」
セルジオ神父は、それ以上何も聞かず、静かに部屋を出ていった。
扉が閉まると、俺はようやく肩の力を抜いた。
……数日後。
「おはようございます。今日は芋を収穫する日でしたよね?」
俺は教会内の掃除や畑仕事を手伝うようになっていた。
またスキルが発動するかもと、ヒヤヒヤしながら過ごしてる。
「俺も働きに出ないとな……」
この教会は、寄付で何とか回してるって聞いたし。
俺の言葉が通じてるんだから、それもできるはず。
「よし、まずは文字からだな」
最低限、覚えておく必要はあるだろう。
ただ、別の世界に来たはずなのに、どうして言葉が通じるんだ?
「スキルの影響ってこともあるのかな?」
あの時みたいに、無意識のうちに何かが働いているのだとしたら……。
それからは、教会の手伝いの合間に文字を教えてもらった。
覚えるのは大変だったけど、簡単な文章なら何とか読めるようになった。
しばらくして、俺はついにギルドの扉の前に立っていた。
「……よし、やっとここまで来た。あとは冒険者登録だけだ」
胸元には、セルジオ神父にもらったペンダントが揺れている。
「これは、あなたの心が迷ったとき、少しでも支えになればと思いまして」
あの夜、神父はそう言って、そっと小さなペンダントをくれた。
俺は深呼吸をひとつして、ギルドの扉をゆっくりと押し開ける。
「いらっしゃいませ。冒険者登録ですね? では、まずお名前を教えていただけますか?」
「……ユウマです」
カウンターには数名の受付嬢がいて、そのうちのひとりが声をかけてきた。
彼女は整えられた指先でペンを持ち、用紙にさらさらと書き込みながら、ちらりとこっちを見る。
「……ご出身はどちらですか?」
「東の方の小さな村です」
「魔法の心得はおありですか?」
「……ありません」
俺は少しだけ目を伏せて、短く答える。
嘘じゃない……あのスキルは魔法とは違う。
説明もできない、ただの呪いのようなものだ。
「承知しました。では初期ランクはF、依頼はまず雑用や収集作業などが主になります。危険なものは回されませんから、安心してくださいね」
やわらかく笑う受付嬢に、俺は小さく頭を下げた。
「これで登録は完了いたしました。こちらが冒険者カードです。紛失されると再発行になりますから、気をつけてくださいね」
「はい」
「掲示板には依頼が貼り出されていますから、ぜひご覧になってください」
「はい、ありがとうございました」
俺は踵を返して、静かにギルドの奥へと歩き出す。
人が多くてざわついてるし、教会とはまた違う現実感があるな……。
「うわ……こんなにたくさん依頼があるのか」
護衛、荷運び、掃除――。
ひとつひとつ目で追いながら、内容を丁寧に読み取った。
「……これなら、俺にもできるかも」
「新人さん、それ引き受けるの?」
依頼書に手を伸ばそうとした瞬間、背後から明るい声が響いた。
思わず振り返ると、そこには髪をひとつにまとめた少女が、にこやかな笑顔で立っている。
小柄で、動きやすそうな軽装をしている彼女の手には、ファンタジー漫画で見るような杖が握られていた。
「ごめんなさい、迷ってるみたいだったから……さっきカウンターで登録してたでしょ?」
彼女の距離感は妙に近くて、思わず身構えてしまう。
「……はい。初めて来たんです」
「じゃあ初依頼ってことか。ふふ、なんか懐かしいわね」
ずいぶん気さくな人だな……。
俺が戸惑っているのも気にせず、彼女はそのまま話を続ける。
「アタシはメイ、後ろにいるのがエイド。私たちも冒険者だから、分からないことがあったら気軽に聞いてね」
「……ユウマです、よろしく」
名乗るのは少しだけ勇気がいったけど、それでもメイは笑って軽く手を振る。
「そっか、じゃあ頑張ってね! また何かあったら声かけて」
後ろにいた青年――エイドと呼ばれた人物が、無言のままこちらを一瞥し、ふたりで掲示板から離れていく。
去っていく背中を見送りながら、少しだけ落ち着かない気持ちになった。
……でも俺は、ひとりでもやると決めたんだ。
気を取り直して、再び掲示板へと視線を戻す。
「少しでも報酬がいいやつを選ばないとな……」
その中で、ひときわ文字数の少ない紙が目に止まった。
『薬草採集:ギルド指定の薬草をヨークの森にて採取。採取量規定数以上。目安として40~50株。詳細は受付まで』
「薬草の採取か……これなら危険もなさそうだし、俺にもできそうだ」
貼られていた依頼書を丁寧にはぎ取って、カウンターの受付嬢に渡す。
「これ、お願いします」
「こちらですね? ええと、採取場所は——」
彼女は薬草の見本も見せてくれた。
開かれた地図には印がつけられていて、ここから1時間かかるらしい。
「日が高いうちに戻れそうですね。お気をつけて」
「ありがとうございます」
軽く挨拶を交わし、ギルドを出る。
外の風は涼しく、見上げた空はきれいに晴れていた。
肩には、教会でシスターが貸してくれた剣がある。
これはここへ来る直前に、裏庭で手渡されたものだった。
刃こぼれはなかったものの、柄の革は擦れて指に馴染まず、鞘もところどころ傷だらけだった。
「これ……借りてもいいんですか?」
「ええ。ユウマ君が無事に帰ってくるのを、神父様と祈ってるわ」
微笑みを浮かべたシスターに見送られて、俺は教会を後にした。
初心者向けって言ってたし、大丈夫だよな。
「よし、行ってみるか」
俺はひとりでヨークの森へと向かった。




