第七話 高額商品の誘い
未開の原始林に、あってはならない悍ましき鉄の咆哮が轟いた。
山門武の右肩を襲う、暴力的なまでの反動。フィンランドが誇る傑作ライフル『Tikka T3x』の銃口から吐き出された.300ウィンチェスター・マグナム弾は、衝撃波で周囲の空気を歪ませながら、巨木の幹へと突き刺さった。耳を裂くような爆音が、何万年もの間、ただ風と獣の鳴き声だけが支配していた太古の静寂を無慈悲に粉砕する。
吹き飛ぶ樹皮。散る肉厚の葉。
恐怖に駆られた原始の鳥たちが、悲鳴のような羽音を立てて一斉に梢から飛び立った。
武は引き金から指を離すと、ボルトハンドルを力強く引き、押し出す。
金属質な硬い音が響き、熱を帯びた薬莢が足元の腐葉土へと跳ねて、かすかな煙を上げた。すぐさま次弾が薬室へと送り込まれる。
間髪を入れず、二発目が放たれる。
狙いは定めない。これは戦闘ではなく、この圧倒的な「文明の暴力」が原始の環境にどれほどのインパクトを与えるかを知るための、実験であり、威嚇であった。
間を置かず、三発、四発と、重厚な金属音が森の奥深くへと伝播していく。連射されるマグナム弾の轟音は、木々に反響して何重にも重なり、まるで巨大な怪物が足掻いているかのような地響きとなって大地を揺らした。
スコープ越しに見える視界の先、遥か遠くの藪が激しく揺れ、潜んでいたであろう大型の肉食獣が、そのプライドをかなぐり捨てて逃走していく気配が伝わってくる。
武は低く、息を吐き出した。
硝煙の焦げ臭い匂いが、湿った土と緑の香りに混ざり合って鼻腔を突く。
温厚に、平穏に生きる。それが武の基本スタンスだ。無用な血は流したくない。だが、もしこの世界の牙が自分を噛み千切ろうと迫るなら、この鉄の塊でその顎を粉砕する。
5発の弾倉を撃ち尽くし、静寂がゆっくりと森へ戻ろうとする中、武の視線は静かに、しかし冷徹に、鬱蒼と生い茂る緑の深淵へと向けられていた。
静寂が戻りつつある森の中で、武はライフルの銃口を下げ、大きく息を吐き出した。
すでに数え切れないほどの弾丸を消費していた。足元には、冷え切った真鍮製の薬莢が幾つも転がっている。
今でこそ、.300ウィンチェスター・マグナムの暴力的な反動を肉体で受け止め、流れるような動作で次弾を装填できている。だが、ここに至るまでの過程は文字通り散々なものだった。
最初は、的に当たる当たらない以前の問題だった。現代日本の温室で育った軟弱な肉体にとって、大型狩猟ライフルの放つ衝撃はあまりにも過酷すぎたのだ。初めて引き金を引いた時、凄まじい爆音と共に右肩へ叩きつけられた衝撃は、まるで金属バットで全力殴打されたかのように武の身体を激しく揺さぶった。姿勢は無様に崩れ、足元がもつれて泥の上に倒れそうになったことすらある。
ボルトアクションによるリロードも、最初はもたついた。金属同士が擦れ合う硬い機構に指先を震わせ、次の弾薬を薬室に送り込むだけで数秒のロスが生まれた。もし、あの瞬間にサーベルタイガーのような狂暴な肉食獣に肉薄されていたら、間違いなく一瞬で噛み殺されていただろう。
(……だが、やっと慣れてきた)
武は自分の両手を見つめた。昨夜、防寒着に頼らず限界まで追い込んだ自重トレーニングの効果か、あるいは死と隣り合わせの極限状態が神経を研ぎ澄ませたのか。
今では、ライフルの強固なストックを脇に引き寄せ、身体の芯で反動を逃がす正しい姿勢が自然と取れるようになっている。ボルトを引く速度も劇的に向上し、金属音が最小限のラグで噛み合う。
原始の大地で生き残るための最低限の「牙」。それを武の肉体は、大量の硝煙と引き換えに、ようやくその身に馴染ませつつあった。
武は腰を落とし、湿った腐葉土の上に散らばる真鍮製の薬莢を一つずつ拾い集め始めた。
撃ち出された直後の熱はすでに失われ、冷徹な金属の質感が指先に伝わる。何十発、何百発と撃ち込まれた痕跡を可能な限り回収し、そのすべてを『異世界トレーダー』のインベントリへと放り込んでいく。
「換金」
念じた瞬間、手のひらの上の薬莢が歪み、光の粒子となってシステムへと吸い込まれていった。現代日本の市場価値に準拠するならば、使用済みの真鍮薬莢など一発あたり数十エン、集めたところで高が知れている。だが、文明ゼロの極限環境において、わずかなリソースであっても無駄に放置しない貪欲さはサバイバルの鉄則だった。
一通りの回収を終えると、武は近くの巨木の根元に背を預け、ようやく一息ついた。頭上からは原始の濃い緑を透過した昼の陽光が、木漏れ日となって差し込んでいる。
水分を補給し、火照った肉体を休めながら、武は網膜の奥にシステム画面を展開させた。確認するのは、朝から刷新して稼働させ続けている『Blaser R8 アルティメット・カーボン』を用いた自動資金増殖システムの成果だ。
1サイクルわずか5分。10丁並列で引き起こされる、材料費と完成品売却価格の差額による狂気の錬金術。画面に表示された数字を見た瞬間、武の呼吸がわずかに止まった。
【 現在残高: 1,142,412,650 エン 】
朝の時点で1100万エン強だった軍資金は、ライフルの猛特訓を行っていた数時間の間に、十億エンの壁をあっさりと突き破り、11億4241万2650エンという天文学的な巨額へと膨れ上がっていた。
薬莢の売却による端数など完全に消し飛ぶほどの、圧倒的な資本の暴力。この莫大な資産があれば、今後の生存確率は文字通り跳ね上がったと言える。最新の防衛設備、尽きることのない物資、あらゆる近代兵器すらも無制限に取り寄せられるだけの絶対的な基盤が、今ここに確立されたのだ。
「……よし」
武は小さく呟き、満足感とともに画面を閉じた。最終的にはこの地を魔改造し、安住の地として発展させる野望はある。だが、それは文明が完全に安定してからの話だ。今はただ、この原始の脅威から確実に生き残ることだけを見据え、武は次の行動へと意識を切り替えた。
武は周囲への警戒を怠らないまま、背後の洞窟へと静かに退行した。
インベントリから重量約9トンのコンクリートブロック4個を再び至近距離に具現化させ、外光を完全に遮断するように入り口を元の強固な要塞状態へと戻す。蚊帳を張り直し、外界の吸血虫や猛獣の気配をシャットアウトしたところで、武は暗がりのなかに腰を下ろした。
一息ついた武の視線は、網膜に浮かび上がる『異世界トレーダー』の膨大なカタログへと向けられる。11億エンを超える潤沢な国家予算級の資金。これをどう生存率の向上に投資すべきか。
まず武が目を向けたのは、軍事物資のカテゴリーだった。
未開の原始林を闇雲に進むのは自殺行為に等しい。安全に周囲の地形や生態系を把握するため、武は『偵察ドローン』の項目をスクロールしていた。熱源感知センサー付きの最新鋭ミリタリークアッドコプターが、数十万エン程度で並んでいる。これなら今すぐにでも運用可能だった。
しかし、その実戦的なガジェットの並びを追っていた武の指先が、ある一画でピタリと止まった。
【 自律型人型端末 】
その文字列を目にした瞬間、武の心臓がドクリと跳ねた。保留にしていた項目だったが、今の資金力なら現実的な選択肢として完全に視野に入る。武は吸い寄せられるように、その詳細なスペックを夢中で読み進めた。
システムに提示されたアンドロイドは、大きく分けて「民間型」と「軍事型」の2つの系統に大別されていた。
・民間型アンドロイド:
建築、農業、医療、家事全般などの内政・生活補助に特化したモデル。肉体的な強度は人間を遥かに凌駕する程度だが、高度なコミュニケーション能力と専門知識を有し、文明ゼロの土地にインフラを築くにはこれ以上ない労働力となる。
・軍事型アンドロイド: 装甲化された外骨格、戦闘
行動に特化した戦術演算AI、そして各種重火器の運用能力を備えた文字通りの「歩く要塞」。原始の獰猛な肉食獣や、今後遭遇するかもしれない未知の脅威を完全に排除するための圧倒的な戦闘力を誇る。
どちらのタイプも、価格は数千万から数億エン。現在の11億エンという豊富な資金をもってすれば、どちらのタイプであっても、あるいは複数体であっても購入すること自体は容易だった。
しかし、だからこそ悩ましかった。
温厚な武としては、無用な争いを避けるための「盾」としての軍事型に惹かれる一方で、当面の目標である生存環境の安定――つまり、安全な拠点(家)を造り、衛生的な生活を営むためには民間型の内政能力が不可欠に思えた。
暗い洞窟の中、システム画面の淡い光に照らされながら、武は贅沢極まりない、しかし自らの命運を大きく左右する選択の天秤を前にして、深く思考を巡らせ始めた。




