第二十話 摩天楼計画その3
外壁の断熱材から漏れ出す原始の冷気とは裏腹に、大型高断熱プレハブ小屋の内部は、二体の最高責任者アンドロイドが放つ論理と情熱の火花によって熱気に満ちていた。
武はポリウレタン製のフォールディングチェアに深く腰掛け、大腿四頭筋から腰椎にかけて微振動のように這い回る鈍い痛みに、密かに眉をひそめた。ジルによる昨日の肉体適応訓練の代償――凄まじい筋肉痛が、身体を動かすたびに悲鳴を上げさせている。しかし、目の前で繰り広げられている軍事と民間の最高峰による議論を前に、最高権力者として怯んだ姿を見せるわけにはいかなかった。
「……ハイン、ジル」
武は痛む背筋を無理に伸ばし、机の上に両肘を突いて二人を見据えた。
「ジルの言い分も一理ある。体長2メートルを超えるメガカンの群れ、あるいはそれを超える未知の巨大生物がこの原始世界に潜んでいる可能性は否定できない。平面的な防衛線を廃して垂直の摩天楼にすべてを集約する以上、その外壁が突破されれば、内部の全自動工場も、俺のプライベートルームも、文字通り砂上の楼閣と化す」
ジルの冷徹な琥珀色の瞳が、わずかに微光を放ったように見えた。軍事系統最高責任者としての執念が、武の言葉によって肯定された瞬間だった。
「ですが、マスター」
すかさず、民間系統最高責任者であるハインが、仕立てのいいビジネススーツの袖口を正しながら一歩前に出た。その眼鏡の奥にある論理回路は、すでに冷徹な現実を弾き出している。
「感情や防衛的脅迫観念に任せて、無限の予算があると錯覚するのは極めて危険です。ジルの提案する軍事用モジュール、対複合装甲および防爆機能を備えた外殻規格が、我々の現在の資産基盤に対してどれほどの『不条理な圧迫』をもたらすか、具体的な数値を提示させていただきたく存じます」
ハインは洗練された動作で、武の手元にあるミリタリースペックの堅牢なタフブック端末へデータを転送した。画面に、絶対立体ビル計画の第1期工事における「民間モジュール」と「軍事用モジュール」の対比明細が展開される。
「現在、我々が計画している『絶対立体ビル』の初期構造は、基礎および1階から5階までの計6フロア。1フロアあたり縦5部屋×横5部屋の計25モジュールで構成されます。6フロア全体の総モジュール数は150個。これを、現場工期わずか3日間で積み上げる超高速建築工法です」
ハインは指先を動かし、画面の数値を拡大した。
「まず、私が提案しております汎用高強度な『民間用高強度構造モジュール』。こちらは、都市の跨線橋や超高層ビルの基盤にも採用される炭素鋼ハイテン材(高張力鋼)のアウター・スケルトンで構成されており、1モジュールあたりの購入単価は350万エンです。これには内装、電気配線、高効率プラスチック配管、および防音断熱材のすべてがプリセットされています。対して――」
ハインの視線が、隣に立つジルへと向けられた。
「ジルが要求している『軍事用防爆・複合装甲モジュール:規格Type-A9』。これは、厚さ45mmの液体金属封入型セラミック複合装甲を外壁に配し、内壁にはHESH(粘着榴弾)のスポール破壊を防ぐアラミド繊維製防破シートをラミネート。さらに、モジュール間の結合部には超高硬度チタン合金の油圧ロック式インターロックを採用した、まさに『対戦車・対重砲撃戦闘規格』の移動要塞ブロックです。その1モジュールあたりの購入単価は、なんと6,200万エンに達します。民間用の実に17.7倍以上です」
「待て、ハイン」
武は提示された額の桁違いな跳ね上がり方に、思わず声を詰まらせた。
「1個、6,200万エン……? 下級アンドロイド1体(2,000万エン)を3体召喚してもお釣りがくるぞ」
「その通りです、マスター」
ハインは厳かに頷いた。
「では、ジルの執念に従い、中層階の生産ライン、あるいはビル全体をこの軍事規格で構築した場合の、膨大な総建築費用の明細をここに算出いたします。誰が見ても一目で理解できるよう、現時点での口座残高から、それぞれのプランを実行した際の最終残高に至るまでの計算式を明記いたしました」
画面に表示されたのは、目を疑うような巨額の支出明細だった。
【絶対立体ビル計画:初期建築コスト見積・比較明細】
1. 口座残高
* 現在保有資金:1,162,356,000エン(11億6,235万6,000エン)
2. モジュール必要総数の内訳
* 1フロアあたりの構成:縦5区画 × 横5区画 = 25モジュール
* 初期階層:地下1階(常温核融合発電施設等) + 地上1階〜5階 = 計6フロア
* 必要総モジュール数:25モジュール × 6フロア = 150モジュール
■ プランA:ハイン提案(全面民間用高強度モジュール採用)
* 支出内訳(単価 × 数量)
* 民間用高強度モジュール:3,500,000エン × 150個 = 525,000,000エン(5億2,500万エン)
* 最終残高計算式
* 1,163,156,000エン(前章残高) - 525,000,000エン(建築支出) = 638,156,000エン(最終残高)
■ プランB:ジル要求(全面軍事用防爆・複合装甲モジュール採用)
* 支出内訳(単価 × 数量)
* 軍事用防爆モジュール:62,000,000エン × 150個 = 9,300,000,000エン(93億エン)
* 最終残高計算式
* 1,162,356,000エン(残高) - 9,300,000,000エン(建築支出) = ▲8,137,644,000エン(莫大な予算超過・不渡り)
■ プランC:折衷案(防衛の要となる中層階【3階・4階の計2フロア分・50個】のみを軍事用、他100個を民間用とする)
* 支出内訳(単価 × 数量)
* 軍事用防爆モジュール:62,000,000エン × 50個 = 3,100,000,000エン(31億エン)
* 民間用高強度モジュール:3,500,000エン × 100個 = 350,000,000エン(3億5,000万エン)
* 総支出額:3,100,000,000エン + 350,000,000エン = 3,450,000,000エン(34億5,000万エン)
* 最終残高計算式
* 1,162,356,000エン(残高) - 3,450,000,000エン(建築支出) = ▲2,286,844,000エン(予算超過・不渡り)
「ご覧の通りです」
ハインは冷徹なトーンのまま、タフブックの画面を指し示した。
「全面を軍事用モジュールにした場合は93億エン。防衛の要である中層階の2フロア(50モジュール)だけを軍事用に差し替えた折衷案であっても、総額は34億5,000万エン。現在の我が軍の口座残高である11億6,315万6,000エンを超越しており、システム上、決済の承認ボタンを押すことすら不可能です。これがいかに『高コスト』か、ご理解いただけたでしょうか」
プレハブ小屋の中に、重苦しい沈黙が流れた。
一晩で16億エンという、個人としては天文学的な国家予算級の資産を稼ぎ出し、「原始の億万長者」となったはずの武であったが、軍事規格という「本物の戦争のコスト」の前に、自らの資産がまだ発展途上であることを突きつけられた。
しかし、その圧倒的な計算式を突きつけられてもなお、ジルの表情はピクリとも動かなかった。漆黒のタクティカル防弾ベストを身に纏い、腰にグロック19を完璧な角度でホルスターに収めた軍事系統トップは、その凍てつくような美貌を崩さぬまま、武に向かって再び深く頭を下げた。
「マスター。ハインの計算は、経済的観点においては極めて正確です。しかし、軍事防衛の観点から言わせていただければ、この『高コスト』こそが、この過酷な原始世界でマスターの絶対的な安全を担保するための『保険料』そのものに他なりません。敵は、我々の予算残高に合わせて襲撃してはくれないのです」
ジルは視線をハインへと戻し、その冷徹な声をさらに一段、鋭くした。
「ハイン、お前の言う通り、現時点での一括購入は不可能だ。だが、マスターが提示された『ビル自体を巨大な資金増殖マシンに変える』という戦略を連動させれば話は別だ。一フロアずつ段階的にクラフト売買の利益を回収しながら、下層から順次、軍事規格へ換装していくビルディング・フェーズ・プランを提案する。私は、マスターの御身に万が一の破綻も許さない。そのためであれば、たとえ何百億エンのコストがかかろうとも、この要求を退けるつもりはない」
ハインはため息を一つ吐き、眼鏡の位置を直しながら武を見た。
「資金増殖システム」を極限まで回せば不可能ではないが、そのためには初期投資の順番とリソースの配分を極めて精密にコントロールしなければならない。
二人の最高責任者からの視線が、再び武へと集まる。
軍事用モジュールがもたらす圧倒的な高コストの現実、そしてそれを段階的にでも導入しようとするジルの狂気的なまでの忠誠心と執念。この圧倒的な見積もりを前に、武がどのような決断を下すのか。
武はタフブックの画面に並ぶ「9,300,000,000エン」という巨額の数字を凝視しながら、次なる一手を思考し始めた。




