第十四話 リザルトと対応策
武は、見張り塔から発せられた緊迫した警告の直後、鬱蒼と茂る原生林の奥底から迫る無数の気配を捉えていた。ガサガサと激しく揺れる灌木、そして土を力強く蹴る複数の足音が、不気味な地響きとなって踏み固められた運動場へと近づいてくる。
この時代の大型肉食動物がどのような生態を持ち、何という名前で呼ばれているのか、現代日本から転生したばかりの一般人である武には知る由もない。だが、緑の深淵からその姿を現した瞬間、それが現代のそれとは比較にならないほど巨大な、原始の「狼」の群れであることだけは理解できた。
現生のオオカミを優に上回る、体長2メートル近くはあるかという巨体。灰色の硬い剛毛に覆われた筋肉質の体躯は、氷河期の過酷な環境を生き抜いてきた野生の戦闘機械そのものだった。その数は1頭や2頭ではない。10頭、20頭を超える恐るべき数の群れが、統率された見事な陣形で、新設されたばかりの運動場を多方向から包囲するように殺到してきた。
「マスター! 敵集団、本拠点へ突入。迎撃を開始します!」
ジルの冷徹な号令が響き渡ると同時に、拠点の防衛網が一斉に火を噴いた。見張り塔や運動場の外縁に配置されたアンドロイドたちが、手にした『M249軽機関銃』や『豊和M1500』を構え、一切の躊躇なく引き金を絞る。
凄まじい銃声が原始の静寂を完全に粉砕した。さすがは軍事用に調整された戦闘用アンドロイド部隊だった。彼女たちの動作には一切の無駄も、恐怖によるブレもない。弾道計算はコンマ数秒で完了し、狂暴な突進を仕掛ける狼の群れに対して、寸分の狂いもなく濃密な弾幕が叩き込まれていく。
5.56mmの高速弾が肉を引き裂き、骨を砕く鈍い音が連続して響く。先頭を走っていた巨大な狼たちが、その圧倒的な運動エネルギーによって次々と地面に転がり、血飛沫を上げて動かなくなっていった。近代兵器がもたらす圧倒的な暴力の前に、原始の最強ハンターといえどもひとたまりもなかった。
しかし、狼の群れも単なる獣ではなかった。統率された機動力と執念で、激しい弾幕の隙間を縫うように潜り抜けた数匹の獰猛な個体が、ついにアンドロイドたちの防衛ラインへと肉薄する。
牙を剥き出しにした1頭の巨躯が、最前線にいたアンドロイドの肩口へと猛然と飛びかかった。凄まじい質量と速度を伴った奇襲。だが、それは生身の人間であれば致命傷になる一撃であっても、強固な金属の骨格と人工筋肉を持つ戦闘用アンドロイドの敵ではなかった。
「――無駄です」
襲撃を受けたアンドロイドは、表情一つ変えずに自らの左腕を突き出し、至近距離から迫る狼の太い首筋をガシリと片手で掴みとった。凄まじい衝撃をその頑丈な体躯で完全に吸収し、びくともしない。そのまま圧倒的な怪力をもって、巨大なオオカミの身体を宙へと持ち上げると、力任せに冷酷なまでの速度で地面へと叩き付けた。
ドゴォン、と重苦しい衝撃音が運動場に響く。背骨をへし折られて悶絶する狼の脳天に向け、アンドロイドはミリタリー用のコンバットナイフを容赦なく突き立て、一撃で完璧にとどめを刺した。別の個体もまた、別のユニットによって一瞬で組み伏せられ、首の骨をへし折られて物言わぬ肉塊へと変わっていく。
近代兵器の火力だけでなく、個々の格闘能力においても完全に凌駕されている事実。それを本能で察知したのか、群れの奥深くから、ひときわ高く響き渡る、鋭く悲痛な「遠吠え」の声が聞こえた。それは撤退を促す統率個体のサインだった。
不利を悟った狼の群れは、生き残った個体を引き連れ、蜘蛛の子を散らすようにして鬱蒼とした密林の奥へと一斉に逃げていった。
激しい銃声と獣の咆哮が止み、再び拠点には静寂が戻ってきた。硝煙の臭いが鼻を突く中、武は大きく一息を吐き出し、張り詰めていた身体の力をわずかに抜いた。
武はすかさずジルのもとへと歩み寄り、安否を確認する。
「ジル! 各ユニットの状況はどうだ? 誰か損傷した者はいるか!?」
ジルは衣服にわずかな返り血を浴びたものの、その端正な顔立ちに傷一つなく、いつもの冷静な声で即座に応じた。
「報告します、マスター。全ユニット、損傷はありません。装甲への被害、システムエラー共に皆無です。それよりも、マスターのご無事を確認させてください。お怪我はありませんか?」
「ああ、俺は大丈夫だ。みんなが無事で本当によかった……」
その言葉を聞き、武は心の底からほっと胸をなでおろした。だが、生存への執念が、彼にすぐ次のリスクを思考させた。周囲の薄暗い原生林を見つめながら、武はさらに問いを重ねる。
「……しかし、これほどの集団だ。今回は近代兵器の火力で退けたが、奴らはまた襲ってくると思うか?」
ジルは琥珀色の瞳の奥でデータを走らせながら、静かに首を横に振った。
「現時点では敵の生態データ、およびこの地域における正確な個体数が完全に不明です。しかし、先ほどの統率された動きを見る限り、高度な学習能力を有している可能性が極めて高いと言えます。戦力を再編成し、私たちの死角となる夜間に奇襲を仕掛けてくる可能性も否定できません。つまり、明確な安全予測は不可能です」
「夜間の奇襲か……。未知の脅威を相手にするには、今のこの吹きさらしの運動場は少し無防備すぎるな」
文明の安定には程遠い、泥臭い生存競争の現実がそこにあった。武は周囲の鬱蒼とした密林に視線を走らせ、一つの方針を提案した。
「敵のデータがない以上、この開けた場所に留まるのは危険が大きい。一度、防衛の要である最初の『洞窟』に全員で退避し、拠点の守りを固め直すべきだと思うんだが、どうだろうか?」
コンクリートブロックで要塞化した洞窟であれば、いかなる獣の襲撃も完全に遮断できる。それが一般人としての、最も現実的で手堅い安全策だった。
しかし、その提案に対して、アンドロイド部隊のもう一人の指揮官格であるハインが静かに挙手し、一歩前へと進み出た。
「マスター、ハインより代替案を提示させていただきます」
「代替案? 聞かせてくれ、ハイン」
「は。現在の私たちの装備、および先ほど給電と通電を完了したばかりの大型高断熱プレハブ小屋の堅牢性を考慮すれば、わざわざ距離のある洞窟まで戦力を戻す必要性は低いと考えます」
ハインは先ほど建てられたばかりの、頑丈なプレハブ小屋へと視線を向けながら、整然とした口調で説明を続けた。
「すでにこの場所には安定したインフラが構築されつつあります。ですので、マスターをこの一つ目のプレハブ小屋の内部へと避難させ、周囲に私を含む何体かのアンドロイドを密着護衛として配置。そして残りの人員で見張り塔と運動場の外周を警戒維持する体制を敷くのが、最も効率的かつ安全であると、具現化された戦闘データから判断します。いかがでしょうか」
武はハインの言葉を聞き、プレハブ小屋の厚い断熱壁と、エネルギーが事実上無限となったアンドロイドたちの高い継戦能力に目をやった。
「なるほどな・・・。確かに、せっかく稼働限界を無くして、ここまで防衛線を築いたんだ。ここで引くより、完成したインフラをその場で最大限に活かす方が合理的か。泥臭く生存確率を上げるという意味でも、ハインの言う通りにした方が良さそうだな」
「ありがとうございます、マスター。それでは戦闘継続体制およびインフラ維持への移行を宣言します」
武が同意した瞬間、軍事アンドロイドの指揮官個体であるジルと、民生用アンドロイドの統率個体であるハインが、それぞれの役割に応じて一斉に動き出した。部隊が完全に軍事と民間の二系統に分離し、それぞれの統率個体から配下へ向けて、無駄のない鋭い指示が同時に発せられる。
まず、軍事面を司るジルが、運動場と見張り塔に配置された戦闘用下級アンドロイドたちへと、鋭く冷徹な声を響かせた。
「全戦闘ユニット、直ちに次期襲撃に備えた警戒シフトへと移行。見張り塔の射手を2名体制に増強し、残る要員は運動場周辺の遮蔽物に潜伏、交差火網を形成せよ。敵の再来時は警告なしでの即時制圧を許可する」
「「「了解、マム」」」
軍事用アンドロイドたちは規律正しく銃を構え直すと、瞬時に音もなく影へと溶け込むように各配置へと散っていった。
同時に、内政とインフラ維持を司るハインが、プレハブ小屋の周辺に控えていた民生用の下級アンドロイドたちへと向き直り、凛とした声で矢継ぎ早に実務的な指示を飛ばす。
「民生ユニットは直ちにマスターの避難スペースを確保。1号から4号はプレハブ小屋の入り口および窓部の遮蔽強化作業、5号と6号は発電機周辺の防護隔壁の設置を急ぎなさい。限られた資材を効率的に運用し、10分以内に完了すること」
「「「了解しました」」」
民間用の下級アンドロイドたちは、工具を手に一糸乱れぬ迅速さで小屋の補強へと取り掛かった。
軍事のスペシャリストとして外敵を完全に封じ込めるジルと、民間のスペシャリストとして強固な内政基盤と安全を現場で作り上げるハイン。武は、効率的に二分されて動く彼女たちの頼もしい姿を見つめながら、ハインに伴われて安全なプレハブ小屋の内部へと足を踏み入れた。




