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BUTTWO  作者: 寒星
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05 いつものこと(No more than usual)

 ____レイ・ブルックスには確信があった。

 それは幼少の柔らかな彼の感性や価値観を強く型付けた狩人としての生活、獣との命の奪い合い、それから雪山から絶えず吹き付ける殺意によって磨き抜かれた第六感とも呼ぶべき絶対的直感によるものだ。

「俺が軍に入ったのは、金のためだった」

 軍に入れば食事も寝床も、それから随分といい社会的身分を獲得できる。代わりに差し出さねばならないものと失うものについては、ブルックスにとってなんら問題なかった。軍の狙撃手はブルックスにとって天職だった。

 指定のポイントに到着し、待機し、目標を見つけ、こちらの脳天を撃ち抜かれる前に引き金を引き、黙って引き上げる。その繰り返しだ。這いつくばる場所がエグレ山から平地や高層ビルに代わり、撃ち抜く相手が野生のグリズリーからテロリストに変わっただけ。

 極東へ引き抜かれていった狩人仲間もいたが、彼らと同じ道を選ぶほどブルックスは獲物を選り好みはしない。

「軍には様々な奴がいた。軍に限った話じゃないが、ダイバーシティだのなんだの言っているどの大企業よりも、あそこはいろんな奴がいた」

 ブルックスが軍のどの部隊にいたかという問いに対し、彼は常に”後方支援部隊”だと答える。

「ドラマや映画でよく出てくるような特殊部隊ってのは確かにあった。映画よりもずっと洒落た名前でな。だから俺はもうアクション映画を楽しめなくなった」

 ブルックスは軍を辞めた後、気の合う数人と小規模な警備会社を立ち上げた。たいてい大規模なイベントなどの応援として呼ばれることが多い。だが数年するうち、随分大所帯になった。

 複数の人間を団結させる方法はいくつかあるが、ブルックスの知る方法はどれも今では使えない。代わりに共通の話題を与えることにした。そしてその話題にと皆が選ぶのは、いつだってブルックスの昔話なのだ。ブルックスが”HUNTER”というコードネームで呼ばれていた頃の。

「コードネームなんて本当は他人に教えるもんじゃない」

 それでもブルックスが狩人の名を隠さないのは、明かしたところで誰も気にしない程度の実力だからだと彼は言う。

「コードネームが世に出る場合は二種類ある。ひとつは俺のようにぺちゃくちゃ自慢げに喋る場合。そしてもう一つは、本人が如何に隠そうとも周囲がそれを許さない場合」

 有名な犯罪者がメディアによってあれこれとセンセーショナルな名前をつけられ、有名なスポーツ選手が勝手に渾名をつけられるのを見聞きしたことがあるだろう。ある程度有名になってしまうと、名を隠すのは難しい。

 そしてそれは平和と程遠い環境でも同じなのだ。

 ブルックスは今やその有名どころの名をほとんど忘れてしまったが、生涯忘れないだろう名前が二つある。

「”GHOST”と……”RULER”と呼ばれていた人がいた。GHOSTは名前の通りだ、彼は見た目といい価値観といい、全てが異次元で恐ろしい人物だった。厭世的で、自分を含めた全てを嫌い、集団行動が求められる軍において部下も上司も持たず、たった一人で行動していた。たった一人で、数十人の優れた軍人と同じか、それ以上の功績を叩き出した」

 もう一人の話題をあげるとき、ブルックスはいつもそうしているようにこの日もひどく言い辛そうに口元をしきりに擦るのだ。

「あの人はGHOSTに比べれば確かに文化的で集団行動の模範のような人だった。冗談を楽しみ、任務先で気になる人がいれば積極的に口説くような遊びもしていた。だが俺は今でも、あの人がシリコンバレーで秘密裏に開発されたサイボーグだったんじゃないかという疑いを捨てきれないでいる」

 銃弾が肌を掠めて血を流すところも見たことがある。極限状態での行軍で血反吐を吐きすてる姿も、彼の足に鼠ほども太った蛭が張り付いて赤い血を啜っているのを見たこともある。

 それでもブルックスは最後まで彼が自分と同じ人間だと信じ切ることが出来なかった。

「彼は人前で決してサングラスを外さなかった」

 一度だけ、ブルックスは他の仲間と口裏を合わせて彼好みの女性が彼とバーで落ち合うよう手配したことがある。その後はブルックスたちの目論見通り、彼は女性とホテルに消えた。

 そして翌日、待ち合わせ場所に来た女性は煙草の箱を差し出した。

「目は何色だった?」

 そうブルックスが尋ねても、その女は鼻で笑うだけだった。通った鼻筋の下にこぢんまりとした赤い唇が魅惑的な美女だった。

 煙草の箱には、ブルックスらがその女性に当初渡したチップと同額の新札紙幣が入っていた。

 そして恐ろしいことには、煙草の本数すらブルックスとぐるの同僚たちの数と同じ。

 箱の表には走り書きでこう書かれていた。


 ”not bad(悪くなかった)”


 あれから七年。

 ドアがノックされた。にわかに緊張感が室内に広がる。

 レイ・ブルックスには確信があった。

 警備室のドアをノックしたのが誰なのか、彼にはもうわかっていた。

 

 /


 往々にして、事前準備を入念に行った計画ほどあっけなく始まり、あっけなく終わる。そのための準備と言えばそれまでだが。

 エクラ財団代表のクロエ・メンドーサの米国到着から半日経過して今日。純白のリムジンで次々に到着する業界の重鎮や参加者たちは会場に入る前から色鮮やかなレッドカーペットを歩き、その姿に百台以上のカメラが猛烈なフラッシュを焚いた。それすら場内に立ち入ることのできないメディアであって、会場となるオブシディアン・ドームの内部には正式な入館許可を得たまた別のメディアがひしめいている。

 とはいえ場外に比べれば場内はまだましと言えるだろう。共用通路やエントランスホールではしゃいでいる新入りらしい奇抜な格好のものもいないわけではないが、流石にサミット本会場ともなるホール付近は整然として、式典が始まってしまえばホール以外をうろついているのはスタッフぐらいだ。出席者やスタイリスト、運営側の担当者はそれぞれの配置について、とにかく必要なものが必要な時間に届くこと、そして必要でないことのすべてが今日起きないことを祈りながら仕事をしている。

 そして生まれて初めてエクラサミットに参加し、限られた人間の身が立ち入る美の殿堂に立ち入ったラニウスはサイケデリックな音響と映像が流れるメインホールで今まさに繰り広げられているランウェイを眼下に、地上百メートルの空中階段のスタート地点に立っていた。

 当然、その体に安全帯などはない。ラニウスは地上までの高さや、周辺の機材の配置をぐるりと見渡した(そして彼がぐるりと顔を向けた時、向いた先にいた機材スタッフたちはレーザー光線でも避けるように皆一斉にしゃがみこんだ)。

「________、____」

 周囲は暗がりである。地上から見上げた時には艶やかな夜空を演出する華奢な黒の緞帳は、こうして眼前に広がってみればまるで底なし沼のようだ。ただでさえ照明を絞っている環境で、少ない光源をさらに遮ってしまうために平衡感覚さえ危うくなる。

「…………」

 ラニウスはもう一度、先ほどとは逆回りに周囲を一瞥した。数日前に同じ場所に立ち、周囲を見渡した時の視覚情報といま見渡した情報を一枚のパノラマにして引き延ばし、拡大縮小率をそろえて重ね合わせる。

 前回より増えている機材についてはチェックリストから外す。機材の位置のずれについても同様に。床の上に落ちているゴミ。あの日からテーブルに出しっぱなしの紙資料。脱いで椅子の背もたれにかけられていたパーカーは撤去されている。テーブルの位置、椅子の数、周囲のメンバー、運転している機材の点灯しているライトの種類……

「ハンガーが一本足りない」

 ラニウスはふいにそう呟いた。「えっ?」丁度そのとき近くをこそこそと通り過ぎていたスタッフが声を裏返らせる。

 ラニウスはランウェイを見下ろす空中階段から降り、そして向かって右手にある開けたスペースへ向かった。そこにはトラブル時に使用される予備の外付けエンジンやバッテリー、そして此処から出発する出演者の、つまりアレクシス・バックマン及び後夜祭のアクションスタントを行うスタントマンたちの安全帯や最後のメイク直し、緊急時の酸素吸入缶などがセットされている。

 そこにあるはずの四本目のハンガーが無くなっていた。

 三本はある。そしてその既にある三本のハンガーには、以前見た時と同じように数字とメモが書きつけられたタグがついており、そのメモ通りの小道具やアクセサリーが吊るされている。

 今この日、あるはずの四本目のハンガーに記されていた手書きのメモにはこう書いてあったはずだ。“ジャケット”と。

「ジャケットはまだ到着していないのか」

 ラニウスがラックの前に立ち尽くしたころから不穏な雰囲気を漂わせ、にわかに慌ただしくなっていたスタッフたちは誰も答えなかった。ラニウスはもう一度聞いた。

「此処にあるはずの四本目のハンガーと衣装が無い。到着が遅れているのか、それとも、それ以前の問題か?」

 ラニウスは振り返り、時が止まった周囲を見渡した。此処にいる顔ぶれは事前に確認したリストの通りだ。

 どうやら既にトラブルはまんまと発生しおおせた後らしい。ラニウスはスーツの内ポケットから携帯を取り出した。

 すると、そばにいたスタッフの一人が顔面蒼白でラニウスの手を掴んだ。

「何か?」

「ど、どちらへ連絡を」

「関係各所、すべて」ラニウスは答えた。「搬入担当、入管担当、アレクシス、それから」

「HARへも連絡を? 待ってください、連絡はこちらの管理部門に許可を取ってから……」

「関係者に配布された計画書によれば、備品は全て昨日の時点で全て会場の指定ポイントに届く手はずになっている。そして今朝開場前にも運営側で最終チェックがあった」ラニウスは仕事用の携帯にダウンロードしていた計画書のPDFファイルを指でスライドした。「つまり午前六時の時点では衣装は此処にあったということだ。それから俺がアレクシスを連れて会場入りし、諸手続きを終えて此処へ到着した現在時刻は九時過ぎ。現時点で衣装の紛失に関する報告はこちらに届いていない。最大で三時間もの間、重要備品の喪失に気づけなかった運営側に今更本件の対処を差し戻すわけにはいかない」

「し、しかしですね。我々にも立場が」

「奇遇だな、俺にも立場と責任がある」

ラニウスはスタッフの手を振りほどいた。それは容易いことだった。だが内心驚いてもいた。エクラサミットという業界最大級の式典においても、アレクシスの事務所の影響力は大きい。エクラ財団の名前を出すべきだったとラニウスは少々後悔した。エクラ財団とHARの名前を並べた時、彼らがどちらに対してより強い回避行動を取るか見たかった。

とはいえ今はそんな暇はない。最優先すべき事項は明白だ。

ラニウスは腕時計で時刻を確認した午前九時十九分。それまでにアレクシスの出番は何度かあるが、失われた衣装を取り戻さねばならないデッドラインは午前十一時。

 ____ラストランの衣装はあのクロエ・メンドーサとルス・イサンドラが共同して手掛けた新作だ。それを着ずにライトの下に出るなど、この殿堂において神像に唾を吐きかけて歩くようなものだろう。

 ラニウスは手始めに、自分を取り囲むように立っている青ざめた顔の人々を速やかに落ち着かせ、自らの動線から移動させる必要があった。

「俺は責任の所在を問いたいわけではない」真っ先にラニウスはそう伝えた。「少なくともそれは今すべき仕事ではない」

「じゃあ何をする気だ?」先ほどとは別のスタッフが口を開いた。このフロアの実質的な責任者だろう。

「喫緊の課題は明白だ。紛失物の捜索と確保」

 それでも目の前の人の壁は消えなかった。ラニウスは顎を撫でた。

「俺を通してくれるなら事務所への通達は後回しにする。本件は解決し、最良の結果を得るだろう。事態を悪化させたいなら、此処で好きなだけ俺の顔を眺めていればいい」

 その後、ラニウスが関係者控室でも奥まって広い一室へ戻ると、アレクシスはスタイリストに囲まれて携帯をいじっていた。顔も上げずに

「随分と長い散歩だったな」

「報告事項がある」

「ん」アレクシスは自分の髪を巻いていたスタイリストに退室を求めた。そして室内が二人きりになった。「言え」

「報告の前に一点確認したい。事務所から何かお前に連絡はあったか?」

「ミスター・次期社長から厭味ったらしい激励のお言葉があったぐらいだな」

「了解した」

 ラニウスは一瞬だけ、今起きているトラブルについてアレクシスに伝えるかどうか悩んだ。今伝えて、本番前のアレクシスを動揺させて彼のコンディションを徒らに乱すのは本意ではない。

 何も伝えず秘密裏に行動し、問題を解決できれば一番良い。

 だがこの場合、万一問題が解決できず、あるいは問題の解決が遅れた場合にアレクシスが負うリスクは最も大きく、彼にとって最も理不尽な結果を被ることになる。

 最も安全な策を取るべきだ。起こりうるすべてのことを考慮するとき、成功以上に失敗のことを考えねばならない。

「現状を報告する。お前が最終出演の際に着用する衣装が紛失した」

 アレクシスは眉を少し動かしたが、それだけだった。

「衣装全部無いのか?」

「戻る途中関係各所にも確認したが、ジャケットだけだ。他の衣装とは別に空中通路のスタート地点で管理されているはずだった」

「最後に見たのは?」

「人的証言では午前六時過ぎ、財団の衣装担当が最終チェックで目視したと断言した」

「お前に詰められて恐怖のあまりでまかせをついた可能性は」

「無い」

アレクシスは本当に動揺していなかった。どれだけ訓練されたものでも、動揺や緊張を他者に悟られるまいとしたときには別の場所に別の形で反応が起きる。瞼の痙攣、頬の内側の筋肉の盛り上がり、唾液の嚥下、気道の収縮。どれもアレクシスには見られなかった。

 この手のトラブルが起きると知っていたのか、否、そうであるならば対策を取るだろう。

 この手のトラブルが起きるかもしれないと思ってはいた____が、本当に起きるとは、といったところか。

「じゃ、まあ。関係者に挨拶回りでも行くか」

「挨拶?」

「お前は来なくていい。行儀が悪いからな」

 アレクシスは椅子から立ち上がり、途中まで毛先が巻かれた髪を手櫛で整えた。

 ラニウスは不可解だった。

「アレクシス、座れ。スタイリングがまだ完了していない」

「十分いけてるだろ、いいからお前こそ大人しくしてろ。俺が戻るまで何もするな」

「俺の話もまだ終わっていない」

 アレクシスは適当に手を振って部屋を出ようとした。それこそ街で彼に群がるファンにしてやるように。完璧な微笑は奇抜な色の規制線のようにこちらとそちらを区画し、そこを跨ぐことを躊躇させる。壮大な美術品を前に思わず手を伸ばすのを躊躇われるような、広大な古代神殿を前にそこへ歩み入ることが、許されていても恐ろしくなるような。

 とはいえ、ラニウスに関して言えば美術品に対する畏怖の念は無い。

 ラニウスの手はアレクシスの手を掴んでいた。

 アレクシスの手は驚くほど冷えていた。そしてアレクシスにとってラニウスの手は熱すぎたらしい。手が触れた途端アレクシスは熱した杭を打たれたようにびくりと震え、そして信じられないという顔でラニウスを見た。

「座れ」ラニウスは言った。時間は無い。こうしている暇も本当は無いし、アレクシスが対応する方がより円滑な結果に至るのやもしれない。だが、その限られた時間を費やすべきは今であろうと思った。「お前がすべきことは犬のように走ることじゃないだろう」

 アレクシスは立ったまま、ラニウスはその手を握ったまま続けた。

「何のために犬を飼った」ラニウスは言った。「こういうときに走らせるためじゃないのか」

 アレクシスの見開いた目にラニウスの顔が映っている。フルミラーのサングラスで表情は見えないというのに、アレクシスは何故かいつも過たずラニウスの目を見返してくる。

「司令官が前線に出るな。司令官の仕事は全体を把握し、兵士に指示を出すことだ」

 この瞬間まで、一刻も早くドアへ向かおうというベクトルの力がアレクシスの全身に働いていた。だがそれは徐々に勢いを失い、やがてゼロになった。

 ラニウスが手を放す。アレクシスは先ほどまでの椅子にもう一度座った。化粧台のまばゆいライトが彼の顔を横殴りに照らした。

「指示を出せ司令官。俺が何をすべきか」

 アレクシスはきっととても寒い冬の日に生まれたのだろう。深い青色の瞳を囲う睫毛は霜が降りたように透き通っていて輝いている。髪だって脱色してわざわざ染め直さずとも、彼の神秘を貶めようとするメラニンを殺し尽くせばそこには厳冬の氷が現れただろう。

 アレクシスは瞬きもせずラニウスを見ていた。その顔はなにかにひどく驚いているようだった。

「とってこい」

 と、アレクシスは言った。「俺の……服を、取って来るんだ」

 ラニウスは頷いた。素晴らしい指示だと思った。端的で、明瞭で、誤解の余地が無い。ついでに詩的だ。

「了解。行動を開始する」


   /


 それからラニウスが何をしたか。

 エクラサミットという一大式典において、たかだか身長が2mのスキンヘッドに気を配るものはいない。身長がそれより大きな男などいくらでもいたし、特製のブーツで同じぐらい奇妙に頭の位置が高い女もいた。サングラスなどほぼ全員がかけていた。

 ラニウスが真っ先に向かったのは警備室だった。扉をノックすると、懐かしい顔が薄く開いた隙間から覗いた。

「こんにちは。HAR所属の関係者だ、弊社から出演するモデルの衣装紛失が発覚した。ご協力を願いたい」

「やあマネージャー様」レイ・ブルックスはドアを大きく開いた。「二週間前に貴方を見かけたときは悪い夢かと思いましたよ」

 ラニウスとブルックスは握手をし、そして互いを抱き寄せるようにして短い抱擁を交わした。

「訓練を怠っているなハンター、だがそれについては後だ。入っても?」

「勿論どうぞ。それと体のことは言わんでください、貴方の下にいた頃よりずいぶんいい生活をさせてもらってます」

 警備室には他にもガードマンや警備カメラの技術スタッフがいた。中には椅子から半分腰を上げているものもいたが、ブルックスが構うなと言うように手を振るとそれぞれカメラ映像のチェックや巡回、それからポーカーに戻っていく。

 室内はそれほど広くない。休憩室のような簡素な室内にテーブルとイス、壁掛けのラック、奥の壁一面に横に4画面と縦に3画面でモニタが12面埋め込まれ、今それらは会場内の監視カメラ映像をリアルタイムで中継している。

「衣装紛失の件なら中央制御室からもさっきお達しがあって、現在ボーナスタイムの真っただ中です。今日の警備を受注した会社は今頃床をなめる勢いでしょうな」

「君たちは暇そうだな」ラニウスはそばのテーブルでカードをシャッフルしている警備員を一瞥した。

「兵は神速を貴ぶと言いますが、狩人は逆です。急ぐのは獣だけ、狩人は急がない」

「そしてまんまと俺が罠にかかったというわけか」

「ようこそ」

「モニタの映像を別のパソコンで見られるか? 今日の朝六時から現在まで、メインホールにあるすべての映像を見たい」

「大画面でお楽しみくださいよ」

 ブルックスは奥の壁一面のモニタに張り付いていた部下の肩を叩き、今朝のメインホール付近の映像に切り替えさせる。「ホールの共通出入口四つ、関係者用二つ、それから天井部バックヤード登り切った位置の一つ、会場俯瞰の中央一つ、残りの四つはオブシディアンドーム駐車場から外へ出る際に通過する四方の通関所デスクのカメラ。これで12だ」

「一つずつ順番に映しますか?」

「カメラ一つにつきモニタを一つ。先ほどの順で最上段左から右へ。時刻を併せて一斉に360倍速で再生してくれ」

 モニタを操作していたブルックスの部下が不可解そうな顔をしたが、ブルックスは「言われたとおりに」と言った。

 そして壁一面のモニタ全てがそれぞれに異なる場所を映し、映像は午前六時ちょうどで一時停止した。さながらそれはこれから12人の陸上選手がトラックに並び、駆け出すホイッスルを待ち構えているようだ。

「始めて」

 ラニウスの声に操作盤のエンターキーが押された。目の前の12枚のモニタの内部で一斉に人や物が蠢きだす。それは奇怪な生き物のようだった。12もの目を持つ生き物がまるでこちらをこそ覗き込み、眼前に立っている一人の男を観察しているとでも言うような。

 三時間もの映像は360倍速では30秒で再生しきる。だが映像の再生が開始してまもなく二十秒経過しようとしたとき、ラニウスが唐突に言った。

「モニタ、2番から5番、7から9番、10番、12番のみ残してもう一度頭から再生してくれ」

 モニタを操作する警備員は奇妙な宇宙人同士の会話の通訳を命じられたように、首をひねりながらも言われたとおりに再度再生を開始する。すると今度は五秒と経たずラニウスが言った。

「モニタ、4番、8番から10番、12番残してもう一度」

 警備員はたまらずブルックスを振り返ったが、ブルックスは何も言わない。警備員の親愛するボスの横にいる宇宙人はまるで機械のようにそこに突き立っていて、モニタと向かい合って交信を続けている。

「8番、9番、12番。14番でもう一度____再生速度さらに倍速で」

 警備員はもはやどうにでもなれと言わんばかりの態度で操作した。三時間を凝縮した高密度の15秒が警備室に満ちた。15秒間で室内の酸素濃度は急激に下がり、もはや酸素だけではなく気圧そのものが変動している。大気圧はこの数十秒間で一気に急落し、誰もが空気を吸えなかった。

 そしてこの場にいるほとんどにとっての人生最後の15秒間が終わりかけた時、地獄の沙汰は無罪と成った。

「ん」

 ラニウスの呟きは昼寝から目覚めた時のようだった。「“分かった”。もう画面は戻していい、この場にいる全員の協力に感謝する」

 数名の警備員がせき込み、ほうっと大きなため息をつくものもあった。ブルックスは警備服の襟元を緩めながら「ほかに必要なものは?」と言った。

「やけに優しいじゃないか、ハンター。美女を用意してくれと言ったらしてくれるのか」

「揶揄わないでください。あの時は本当にビビったんですから……でも、相手は組織的では?」

「俺は別に犯人には興味が無い。取って来いと言われたものを取りに行くだけだ」

「取って来いだって?」ブルックスは初めてその表情に驚きを見せた。「誰が貴方にそんなバカげた口をきいて無事でいられるってんです」

「気の強い美人」

 ラニウスはモニタを操作する席でぐったりとしている警備員の肩を揉んでやってから踵を返した。「いい仕事だった、ありがとう」

 放心するブルックスが気を取り直したのはそれから優に一分経ったあとのことだった。ラニウスの影も形もとうに失せて、代わりに通常通り中継映像の再生に戻ったモニタのうちのひとつに、スーツで走っていく後姿が一瞬映った。

 ラニウスは警備室を出た後、にわかに走り出した。とはいえ会場内はスタッフや関係者が常にあたりに突っ立っていたり、写真撮影をしていたりする。その中を全力疾走するわけにもいかない。そのうえブルックスが言っていた通り、やけに警備員がうろついている。彼らはトラブルが起きているなどとは微塵も感じさせない素振りで歩いてはいるが、常に互いを牽制しあい、にらみ合っている。とはいえそれはラニウスにとって幸いだった。牽制しあっている状態は一種の均衡だ、しかも人目を気にして大々的な捜索も出来ないゆえに彼らは今世紀になって冷戦のまねごとを強いられる。

 先ほどの監視カメラの映像を見る限り、探し物は現在外へ向かっている。少なくとも破壊されている様子が無いのは幸いだった。

 ラニウスはジョギング程度の速度で会場のエントランスホールまで戻った。ショーが快哉れているメインホールの外は静かなものだ。大音量の音楽も演出用機材の冷却ファンの音もしない。冷やかしの有名人が何人かラニウスの方をちらっと見たが、すぐに目を逸らす。

 ラニウスは周囲の視線が全て自分から逸れた一瞬を見て、現在は閉鎖されている屋上展望デッキへの関係者階段へ押し入った。

 扉の鍵はブルックスが快く貸してくれた。

「ハンターは本当にいい生活をしている……」

 ラニウスはそうぼやきながら、持出防止用チェーンがひしゃげた鍵をスラックスのポケットに押し込んだ。そこからは階段を駆け上がり、展望デッキへ出るドアをも開ける。今度は鍵を使わなかった。

「立て付けが悪い」

 そう言ってドアを肘で押せば、ドアは容易く開いた。嫌な音はしたが。

 突風がラニウスの全身を襲い、そして弾き飛ばされてほうぼうへ散った。良い天気だった。晴天で雲一つない。ラニウスはサングラスを外して展望デッキから西の方角を向いた。オブシディアンドームの周辺は従来の広大な駐車場と散策ができる人工的な公演を備えており、駐車場九割がた埋まっている。奇抜なイエローのジャケットを着た整理員があちこちで誘導と通行証のチェックに駆け回っている。

 ラニウスは12番と14番の監視カメラが設置されている通関所を視界の両端に収めるように顔の向きを調整し、ただそこに立っていた。

 もし今誰かが展望デッキのドアが開きっぱなしなことに気づき、恐る恐るそれを押し開けたならば、何故こんな場所に大きなマネキンが置き去りにされているのだろうと不思議に思ったことだろう。そのマネキンは上質なスーツを着ていて、顎を引いた直立不動の姿勢で駐車場を見下ろしているのだ。

 そしてある一台の車が通関所へ向かって車列に並んだ時、ラニウスが動いた。ほんの数センチ顎を引く、という動作で。

 それは黒のワゴン車だった。ラニウスはその車にある男が荷物を運びこみ、そして全く別の男が今度やってきて車を動かすのを見た。

 それからオブシディアンドーム周辺で何が起きたか。少なくとも当人を除いてその全貌を把握することは困難だ。仮に当人が事態のすべてを懇切丁寧に説明したところで、あまりに客観的すぎる説明は時に混乱を招く。

 ただ、複数の第三者によって裏付けられる出来事だけを羅列すればこうだ。此処での第三者とはオブシディアンドームの広大な駐車場を行き交っていた交通整理担当、駐車場の利用者、そして今まさに12番監視カメラのある通関所に通行証を見せ、今朝14番監視カメラを通って入場した時のレシートを差し出そうとした車の運転手。

 運転手は通関所の職員がレシートにサインをし、そしてバーコードを読み取るのをぼんやりと待っていた。運転席から開けた窓に腕を投げ出して。

 彼は自分の顎にひげの剃り残しがあることに気づき、サイドミラーを見た。すると、ミラーに遠く映る巨大な断崖の如きオブシディアンドームの屋上で何かが光を反射した。彼はその一瞬の反射光に目をつむった。

 そして彼は____このあとはただ帰るだけの彼は、ふいに寒気を覚えた。

「なあ、おい。まだか? もう行っていいだろう」運転手は通関所に向かって呼びかけた。「国境地帯でもあるまいし、機械でやってるんだから間違いないだろう。早く帰って寝たいんだ」

「待ってください、今日は式典の警備計画の決まりで、目視による確認をしないといけないんです」

「レシートのチェックに職人技がいるかよ。大抵のことは人間より機械がやったほうが」

 いい、と運転手は言おうとした。だがその声はサイドミラーに映る謎の影に奪われた。

 目に痛いビビットイエローのウィンドブレーカーが行き交う駐車場。その向こうから黒いスーツを着たサイボーグが恐ろしいほど機械的なフォームでこちらに走ってきている。

 ____何も考えずにソーホーエリアの指定場所まで車を運べ。車内にあるものは何一つ奪われるな。

 何より恐ろしいのは、運転手が見ている先でそのサイボーグの姿がみるみるうちにサイドミラーを埋め尽くし、膨張していることだ。

 通関所の職員が呼び止めるのも待たず、運転手は車を発進させた。当然前にも後ろにも車はいて、無理な発進によって車体同士はぶつかり、擦れ、罵詈雑言と悲鳴が上がった。それでも運転手はハンドルを果敢に切って目の前の障害物全てを打ち払うように猛進した。

 運転手はサイドミラーを見た。サイボーグはまだ走っていた。だがその姿は先ほどより小さい。

 小さいと信じたい。

 小さいだろうか? 本当に。

「ああ……」運転手は自分が雨に降られたように全身汗みずくになっていることに気づかない。「なんで追いかけてくるんだよ!」

 車はさらに速度を上げた。どうにか込み合う駐車場を抜け、混雑する入場用コースを尻目に退場用ルートをひた走る。元軍事費工場跡地に建設されたオブシディアンドームの周辺は民間住宅もほかの興行施設もない。市街地の公道まではひたすら敷地内専用の直線道路が続く。その道路わきの公園でくつろいだり、エクラサミットの雰囲気だけでも味わおうと出かけて来ていた市民は暴走車に気づくなり蜘蛛の子を散らすように逃げだした。

 サイドミラーを見た運転手は口の中に溜まった唾液を窓から外へ吐き捨てた。サイボーグは走行を継続している。もはや唾を飲んでいる暇もない。そのうち足裏から火を噴いて飛び上がるだろう。そうなればおしまいだ。仕事も金も、ともすれば人生も。

「ああ! くそ、ックソ、くそ、この*反道徳的発言*が! なんで俺がこんな……」

 運転手はもう一度サイドミラーを見た。

 だが、そこにサイボーグの姿はなかった。ただ遠くにひとつ、ぽつんと立ち尽くす黒い人影が見えた。

「あ……あ?____は……ハハ、なんだよ……」

 その黒い人影は見る見るうちに小さくなっていく。そしてその黒い粒の周りにほかの粒が寄っていく。おおかた走り疲れてオーバーヒートを起こしたサイボーグの姿とそれを取り囲む野次馬だろう。

 運転手の黒いワゴンのスピードメーターはふわふわと80と70の間を遊ぶように行き交い、そして悪い夢の終わりを告げるように、最後にうんと高く飛び跳ねて華麗な着地を決めるようにふわりと60の目盛りに向かって落ちていく。

 男は顔中の日や汗をぬぐい、そしてハンドルを握る両手の力を抜いた。久しぶりに全身に正しく血が巡り、熱がみなぎってくる。

「なんだよ……ハハハッ……なんだ……」

 目の前には大きく豪奢な門がある。常に解放されたその門はゴシック様式で、繊細ながら美しい鉄柵と石造りの彫刻に囲われ、運転手をいたわるように広く開けている。

 車体が一度ふわりとバウンドした。

 それが夢の終わりだった。

「こんにちは」

 どういうわけか助手席に座っている見知らぬスーツ姿のスキンヘッド男はそう言った。運転手はよく見ていなかったが、視界の端で助手席の窓に外から黒い触手のようなものが巻き付き、かと思えば大きくて黒い蛇がするりとリクライニングへ滑り込み、そして謎の高気圧で圧縮されていたそれは助手席に着席した途端弾けて巨漢に変わった。

 車は止まっていた。助手席に横向きに座ったスキンヘッドの革靴が、運転手の右足ごとブレーキペダルを強く踏み込んでいる。

「こんにちは」

 と、悪夢がもう一度運転手に呼びかけた。

「荷物は後ろだ……」運転手は手錠を求めるように両手をハンドルに重ね、ついには頭すら差し出した。運転手にとっての此処が断頭台だ。「早くそれを持ってどこかへ失せろ」

 助手席の悪夢はギアをパーキングに入れ、そして車のエンジンを器用に足で切った。そして膝をそろえてドアを開け、軽やかな足取りで外へ出る。入れ替わりに後部座席のドアが音を立てて横へ滑り、乾いた空気が車内へ流れ込んだ。

 ラニウスは後部座席に積まれたボストンバッグを手にとり、そのジッパーを開いた。中には黒い衣装袋が丁重にクッション材で挟まれたうえに皴にならないよう筒状に丸めてある。

 衣装袋を開ける。

 ラニウスの表情が動いた。

「誰に雇われた?」

「知るか……」

「このバッグを持ってきたのはどんな奴だ?」

「俺は今朝は別のトラックを運転していた」運転手は心底うんざりした声で言った。「行きはトラックで、帰りはこの車を使えと言われただけだ。俺を痛めつけてもいいが、何も出て来やしないぞ____ソーホーまで一緒にドライブするか? そこで誰か待ってるかもな」

「ソーホーエリアはこの間行った。遠慮しておく」

「無駄足を踏まされたようだな」運転手は脱力した動きで顔を上げた。「俺の金の女神はあんたのとこのより頭がいいらしい」

 ラニウスはボストンバッグを手に後部座席のドアを閉じた。

 そしてラニウスは運転席に回り、そのドアに手をかけた。運転手の顔がさっと青ざめる。慌ててドアロックをかけるが、ロックされたはずのドアは直後に開いた。

 けたたましい音を立ててドアが地面に転がる。

「泣かなくていい、坊や」

 このドアは何処に繋がっていたのだろうか?

 目の前の男は人間なのだろうか?

 自分は何をしてしまったのだろうか?

「俺が女神ママのとこまで送ってやろう」


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