第9話 条件交渉
グレイン商会の使いが来た。
その報せだけで、店の空気は一気に冷えた。
白鹿亭への提案準備を終え、ようやく形になってきたところへ、競合が絶妙なタイミングで割り込んでくる。偶然とは思えない。おそらく白鹿亭かその周辺で、こちらの動きを何らかの形で掴んだのだろう。
ガイルが扉の前に立ったまま、露骨に面倒そうな顔をしている。
「追い返すか?」
「まだです」
俺は答えた。
「追い返すのは、話を聞いてからでも遅くありません」
「お前ほんと、すぐには殴らねえな」
「殴る前提で話さないでください」
「前提じゃねえ。可能性だ」
「十分怖いな……」
リゼットは腕を組み、苛立ちを隠さない。
「どうせ嫌味よ」
「可能性は高いです」
「じゃあ会わなくていいじゃない」
「そうとも限りません」
「なんで?」
「競合がわざわざ使いを寄越す時は、三つくらい理由があります」
「三つ」
「はい。牽制、情報取り、あるいは――条件の先出しです」
「条件の先出し?」
「こっちが動く前に、“向こうはこう言っていた”を白鹿亭やこちらに植え付ける動きです」
「……嫌なやり方ね」
「非常に営業っぽいです」
「自分で言う?」
「言います。やられたくはないですが」
前世でもこういう競合はいた。
直接叩き潰すのではなく、相手の案件形成を曖昧にする。条件の見せ方を先に置き、比較軸を自分有利にずらす。地味だが、効く。
だからこそ、無視するより見た方がいい。
「通しましょう」
「ほんとに?」
ゴドーさんが不安そうに言う。
「はい。ですが、こちらから余計な情報は出しません」
「つまり?」
「聞く側に回ります」
ガイルが扉を開ける。
入ってきたのは、二十代前半くらいの痩せた男だった。身なりはきちんとしているが、バルト本人ほどの圧はない。だが目の動きは速い。店内の棚、積み直された白鹿亭向け候補、赤紐のついた布巾束。全部、数秒で見ている。
使いというより、様子見役だな。
「夜分に失礼します」
男は丁寧に一礼した。
「グレイン商会のフォルドと申します。バルト様の使いで参りました」
「ご丁寧にどうも」
俺が返すと、フォルドは一瞬だけ俺を見た。
「あなたが、例の《営業》の方ですか」
「例の、になっているんですね」
「この辺りでは少し」
「光栄です」
リゼットが横で「どこがよ」と小声で言った。
フォルドは礼儀正しい顔のまま本題へ入る。
「本日は、白鹿亭へのご提案について、一点だけお伝えに」
「お伝えに、ですか」
「はい。誤解があると双方にとって不幸ですので」
出た。
この言い回しは大体、自分に都合のいい前提を先に置く時のやつだ。
俺は軽く頷いた。
「承ります」
「白鹿亭様の案件につきまして、グレイン商会ではすでに継続供給の前提で条件調整を進めております」
「継続供給」
「はい。茶葉、布巾、干し肉を含めた朝用の補給一式です」
「……」
「ですので、マルシェ商会様が部分的に入られると、かえって運用が複雑になる懸念がございます」
店内が静まり返った。
なるほど。
これは嫌味ではなく、かなり具体的な揺さぶりだ。
しかも厄介なのは、完全な嘘とも言い切れない点だ。納入先が複数になると、確かに現場は複雑化する。つまり、言っていること自体はそれなりに正しい。
正しいからこそ、厄介だ。
リゼットが一歩前に出かけるのを、俺は軽く手で制した。
「ありがとうございます」
「……え?」
フォルドが一瞬だけ目を瞬く。
「懸念点としてはもっともです」
「はあ……」
「実際、複数納入先になることで現場の負担が増える可能性はあります」
「その通りです」
「ただし」
俺は声を変えずに続けた。
「それは“どう分けるか”が曖昧な場合、ですよね」
「……」
「役割が明確なら、必ずしも複雑化とは限らない」
「ですが、白鹿亭様ほどの規模で納入先を分けるのは――」
「確認ですが」
俺は相手の言葉を遮らない程度に入った。
「白鹿亭様は、すでに貴商会へ一括で正式発注されていますか」
「それは……」
「もしくは、今後の一括供給について、正式に合意済みですか」
「条件調整中です」
「なるほど」
ここだ。
条件調整中、というのは便利な言葉だ。
だが逆に言えば、まだ決まっていないとも言える。
俺は小さく頷いた。
「ありがとうございます。状況は理解しました」
「……」
「つまり現時点では、白鹿亭様にとって最適な形をまだ双方で模索中、ということですね」
「その言い方もできます」
「なら問題ありません」
「は?」
今度はリゼットまで俺を見た。
フォルドが初めて、丁寧な仮面の下で少しだけ顔をこわばらせる。
「問題ない、とは?」
「最終的にどうするかは白鹿亭様が決めることなので」
「……」
「こちらが無理に全体を取りに行くとも言っていません。むしろ、まずは困りごとに応じた部分対応の可能性を確認するだけです」
「部分対応……」
「はい。現場が本当に困っている箇所だけを、守れる範囲で」
フォルドの目が細くなる。
たぶん向こうの狙いはこうだったのだろう。
「もうグレイン商会が一括で進めている」と先に置き、こちらを引かせる。もしくは焦って「全部取る気はありません」以上の情報を出させる。
だが、こっちはそもそも最初から全部を取る設計ではない。
だから崩れにくい。
「ですが」
フォルドが少しだけ声を硬くする。
「納入先が複数あると、白鹿亭様の確認負担が増えます」
「そのご懸念はもっともです」
俺は頷いた。
「だからこそ、こちらが入るなら“何を、どこまで、どう分けるか”を曖昧にしないつもりです」
「……」
「むしろ、曖昧なまま入るくらいなら入りません」
「!」
リゼットが横で息を呑んだ。
フォルドは明らかに一拍遅れた。
ここで普通は「大丈夫です、できます、任せてください」と来ると思っていたのだろう。
だが違う。
こちらは曖昧な案件には乗らない。
そこを先に切ることで、“無理を言う商会ではない”という印象も残せる。
フォルドは数秒黙ったあと、やや低い声で言った。
「随分と慎重なんですね」
「守れない約束をしないだけです」
「では、最初から勝負を降りる可能性もあると」
「白鹿亭様にとって不要なら、その可能性もあります」
「……」
「ただし、現場の困りごとに対して役に立てる余地があるなら、こちらは検討します」
静かなやり取りだった。
声を荒げる必要はない。こういう場面は、冷静な方が相手の焦りが見えやすい。
フォルドは改めて店内を見回した。
白鹿亭向けの札。赤紐の束。優先棚。
全部見ている。
「準備はされているようですね」
「最小限ですが」
「白鹿亭様向けに?」
「必要になった時に動けるように、です」
「……」
いい。
こちらから「白鹿亭案件のためにこれだけ準備してます」とは言っていない。
だが見ればわかる。準備していることだけは伝わる。
フォルドはそこで、少しだけ手口を変えてきた。
「参考までに伺いますが」
「はい」
「マルシェ商会様は、白鹿亭様へどこまでの条件を提示されるおつもりで?」
「まだ提示していません」
「今後は?」
「白鹿亭様の現場課題を確認してからです」
「価格も未定ですか」
「未定です」
「納期は」
「守れる範囲しか言いません」
「品目数は」
「必要なものだけです」
フォルドが初めて、うっすらと苦笑した。
「なかなか情報を出しませんね」
「必要な場では出します」
「私には必要ないと?」
「少なくとも、今この場では」
「……手厳しい」
その反応なら悪くない。
使いがここまで条件を探ってくるなら、向こうも白鹿亭案件をまだ固め切れていない可能性がある。少なくとも、こちらの出方を気にする程度には。
フォルドは最後に一礼した。
「承知しました。では、こちらからお伝えしたかったのは以上です」
「ありがとうございます」
「バルト様には、“慎重だが厄介そうだった”とお伝えしておきます」
「光栄です」
「褒めてはいません」
「承知しています」
フォルドが帰った後、店の中にしばらく沈黙が落ちた。
最初に爆発したのは、やはりリゼットだった。
「何なのあいつ!」
「営業です」
「いや、あんたも営業でしょ!」
「方向性の違いですね」
「もう!」
ガイルが肩を震わせて笑っている。
「面白えな」
「どこがです?」
「静かに殴り合ってるみてえだった」
「だいたいそんな感じです」
「営業って怖えなあ」
「たまにそう思います」
ゴドーさんはまだ不安げだった。
「で、でも……向こうは一括で行く気なんだろう? うちは部分対応で、本当に勝負になるのかな」
「なります」
俺ははっきり言った。
「少なくとも、勝負の土俵には立てます」
「本当かい?」
「はい。むしろ今日のやり取りで、向こうがまだ全部を固め切れていないことが見えました」
「どこで?」
リゼットが聞く。
「フォルドさんは、“正式に決まった”とは言いませんでした」
「……あ」
「条件調整中、と言った。つまり、白鹿亭側にもまだ迷いや不満がある可能性が高い」
「だから牽制に来たのね」
「その可能性は高いです」
ベンさんも頷く。
「じゃあ、まだ入る余地がある」
「あります。ただし」
俺は白鹿亭向けの棚を見た。
「次の商談で、こちらの入り方を曖昧にすると負けます」
「入り方」
「はい。“部分的に入ります”だけでは弱い。何を、なぜ、どう分けるのか。そこを白鹿亭側にとってわかりやすくしないといけない」
リゼットがゆっくりと口元を引き締める。
「茶葉と布巾」
「はい」
「まずはそこだけ」
「そうです」
「しかも、“今困ってる場所”として」
「その通りです」
ガイルが言う。
「つまり、明日の話し方も変わるわけだな」
「少し変えます」
「どう変える」
「“うちもできます”ではなく、“一括が不安なく回るならそれでもいい。だが、今困っている部分に即応する補完役が必要なら、うちはそこを守れます”という形です」
「……」
「対立ではなく、必要性の確認です」
ゴドーさんが目を丸くした。
「競合を否定しないのかい?」
「しません」
「でも、それだと弱くならない?」
「むしろ逆です」
俺は答えた。
「競合の悪口を言うと、“じゃあお前はどうなんだ”に戻ります。だったら最初から、“必要なら役に立つ形だけ持ってきた”の方が強い」
リゼットが、少し感心したように笑った。
「ほんと、喧嘩しそうでしないわね」
「必要な時はしますよ」
「するの?」
「条件が崩れるなら」
「その線引きがよくわからないのよ」
「自分でも時々そうです」
少し笑いが起きた。
だが、空気は軽くなっても、やることは重い。
俺は木箱の上に帳面を広げる。
「では、明日の話す順番を修正します」
「修正?」
「はい。競合が一括供給を示唆している以上、白鹿亭側は“分ける意味があるのか”を先に気にするはずです」
「……たしかに」
「だから、最初に言うのは三つ」
「また三つ」
「覚えやすいので」
「もういいわ、それは」
俺は指を折る。
「一つ。“こちらは全部を取りに来たわけではない”」
「うん」
「二つ。“今困っている茶葉と布巾だけなら、優先して守れる形を用意している”」
「うん」
「三つ。“それが現場の負担を増やさないよう、品目と役割を明確にする”」
「……」
「この順です」
ガイルが低く唸る。
「ずいぶん守り寄りに見えるな」
「最初はそれでいいんです」
「なんでだ」
「ここで強気に全部を取りに行くと、向こうの“一括の方が楽では?”に負けやすいからです」
「……ああ」
「逆に、“困ってるところだけ確実に埋めます”なら比較軸が変わる」
「なるほどな」
よし。噛み合ってきた。
その時、リゼットがふと真面目な顔で聞いてきた。
「ねえ、連司」
「はい」
「もし明日、女将さんに“じゃあ一括でやってみな”って言われたら?」
「断ります」
「即答なのね」
「今は守れないので」
「……そう」
彼女はそこで少しだけ笑った。
「でも、それをちゃんと言えるの、ちょっとすごいわ」
「言わない方が危ないです」
「そこが普通じゃないのよ」
そうかもしれない。
だが営業は、取ること以上に、取って崩さないこと が重要だ。
俺は帳面を閉じた。
「今日はここまでにしましょう」
「終わり?」
ベンさんが聞く。
「はい。これ以上やると判断が雑になります」
「休むのも仕事か」
「かなり大事です」
店内の灯りが少し落ち着いた色に見える。
明日はいよいよ本番だ。
女将、料理長、そして白鹿亭の現場。
競合の一括供給案がある中で、こちらは“部分導入”の意味を通さなければいけない。
難しい。
だが、筋はある。
白鹿亭が困っているのは、“一括の見た目”ではなく、“朝が止まること”なのだから。
その夜、店の奥へ戻る直前、リゼットがぽつりと呟いた。
「ねえ」
「はい」
「明日、勝てる?」
「勝ち方次第です」
「またそういう言い方」
「受注することだけが勝ちじゃないので」
「どういうこと?」
「白鹿亭にとって、“この商会はちゃんと現場を見ている”と思ってもらえれば、次につながります」
「……」
「その上で部分導入まで行ければ上出来です」
「なるほどね」
彼女は少しだけ安心したように息を吐いた。
「じゃあ明日、ちゃんと勝ちましょう」
「はい」
「うちのやり方で」
「そのつもりです」
こうして、倒産寸前の商会にとって最初の本格商談が、いよいよ目前まで迫っていた。
第9話を読んでいただきありがとうございます。
次回、白鹿亭での再商談本番。競合の一括供給案がある中で、主人公たちは“部分導入”の意味を通しに行きます。
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