第8話 多層提案で場を制圧
マルシェ商会へ戻る道中、リゼットは何度も「多分うまくいく」「いや、まだわからない」を繰り返していた。
気持ちはわかる。
白鹿亭の女将・ミレイアさんとの最初の会話は、想像以上に手応えがあった。しかも次は料理長まで同席する。これは単なる顔合わせではない。現場の不満を掘り、最初の部分導入へ繋げる本番前の商談 だ。
ただし、手応えがあった時ほど危ない。
人は、少しうまくいった直後に雑になる。
「帰ったらすぐ準備です」
俺が言うと、リゼットが顔をしかめた。
「少しくらい余韻に浸らせなさいよ」
「気持ちはわかります」
「じゃあ浸らせてよ」
「ただ、次を落としたら余韻どころではなくなるので」
「……そういうことを真顔で言うのよね、あんた」
褒められてはいないのだろうが、内容自体は正しいはずだ。
商会に戻ると、ガイルが真っ先に顔を上げた。
「どうだった」
「門前払いではありませんでした」
「それで?」
「明日、料理長も交えて再度話を聞きます」
「おお」
ガイルが腕を組んだまま頷く。
「じゃあ半分勝ちか?」
「まだ三割くらいです」
「低いな」
「ここからの方が重いので」
「営業って大変だな」
「そうですね」
もはや定番の感想になりつつある。
ゴドーさんも奥から駆け寄ってきた。
「白鹿亭は……どうだった?」
「こちらの話は聞いていただけました」
「ほ、本当に……!」
「ただし」
俺は言葉を切った。
「一番の不安は“続かないこと”だとはっきり言われました」
「うっ……」
ゴドーさんが胸元を押さえる。
「また刺さった……」
「必要な痛みです」
「言い方!」
リゼットが即座に突っ込む。
だが、ここは茶化す場面ではない。
白鹿亭の不安は、そのままマルシェ商会の現在地だ。今日だけ気を利かせても駄目。一度良くても三日で崩れたら終わる。
つまり次に持っていくべきなのは、商品そのものより続けられる形 だ。
「今からやることを決めます」
俺が言うと、全員の視線が集まった。
「また仕切るのね」
リゼットが言う。
「嫌でしたら別の言い方に――」
「もういいわ、それ」
少し笑いが起きた。
この空気は悪くない。緊張しすぎても現場は動かない。
俺は白鹿亭向けにまとめた棚の前へ立った。
「明日、白鹿亭へ持っていくべきものは三つです」
「また三つか」
ガイルが言う。
「覚えやすいので」
「それはまあ、そうだな」
俺は指を折る。
「一つ目。優先品目」
「茶葉と布巾だっけ」
リゼットが言う。
「はい。現時点ではそこが主軸です。干し肉は候補ですが、料理長の好みや使い方があるので、最初は踏み込みすぎません」
「全部出さないの?」
「出しません。出しすぎると、逆に“結局何が強いのかわからない店”に戻るので」
「……ああ」
リゼットが納得したように頷いた。
俺は続ける。
「二つ目。運用の形」
「運用」
ベンさんが眉を寄せる。
「はい。何をいつまでに、誰が確認して、どう出すか。そこが見えないと“続きませんよね”で終わります」
「つまり、“あります”だけじゃ駄目ってことか」
「そうです。特に白鹿亭さんが見ているのはそこです」
「なるほどな」
「三つ目」
俺は少しだけ間を置いた。
「相手ごとの言い方 です」
「言い方?」
ゴドーさんがきょとんとする。
「女将さんには、“宿の評判を落とさないための安定”」
「うん」
「料理長には、“仕込みを止めない補給”」
「うん」
「ユアンさんみたいな下働きの方には、“探し回らなくて済む、わかりやすい納品”」
「……」
「同じことを言うにしても、相手によって響く言葉が違います」
「それを分けるのね」
リゼットが言う。
「はい。そこを一緒くたにすると、“話はわかるけど自分には関係ない”で終わるので」
ガイルが鼻を鳴らした。
「面倒だが、理屈はわかる」
「ありがとうございます」
「だがよ」
「はい」
「それ、明日までに作れるのか?」
「作ります」
「言い切ったな」
「やるしかないので」
その通りだった。
俺は棚から茶葉の箱を一つ持ち上げる。
量は十分ではないが、最初の部分導入には足りる。布巾も枚数はある。ただ、ここで「あります」と言うだけでは弱い。どう見せるかだ。
「白鹿亭に見せる順番も決めます」
「順番?」
リゼットが聞く。
「はい。まず“何ができるか”を話す前に、“何を不安に思っているかを理解している”と見せる」
「うん」
「その上で、“だから最初は茶葉と布巾だけに絞ります”と言う」
「全部じゃなく?」
「全部じゃないからこそ、信用されます」
「……」
「そして最後に、“続けるために、こっちではこう動きます”を見せる」
ベンさんが腕を組む。
「つまり、商品説明じゃないんだな」
「半分は違います」
「半分?」
「残り半分は商品です。でも最初から商品に寄ると、また“物を売りに来た”で終わる」
「なるほど」
いい。だいぶ共有できている。
ここでようやく、ゴドーさんが恐る恐る口を開いた。
「で、でも……料理長ってことは、味や品質の話もされるかもしれないよね?」
「されると思います」
「そ、そこは大丈夫なのかい」
「大丈夫かどうかは、今から確認します」
そう言って、俺は茶葉の箱を開けた。
中身を見て、香りを確かめる。前世で茶葉を扱った経験などないが、雑なものではない。少なくとも宿の朝用として使うには十分そうだ。
「リゼットさん」
「何?」
「この茶葉、普段はどこから入れてます?」
「近隣の問屋から」
「品質のばらつきは?」
「そこまで大きくないと思う。少なくとも“まずくて使えない”って言われたことはない」
「白鹿亭に納めていた頃も?」
「うん。品質より、切れるのが問題だったはず」
「なら主戦場は味そのものではないですね」
「そうなるわね」
よし。
料理長が味に厳しいとしても、そこが主争点ではなさそうだ。なら話の軸はぶらさない。
「とはいえ、料理長が気にするなら、そこは確認します」
「どうやって?」
「“今の納入先と比べて、味や使い勝手で絶対に外せない条件はありますか”と聞きます」
「……また質問」
「またです」
「ほんと質問で戦うのね」
「無理に答えを当てに行くより、外せない条件を聞いた方が早いので」
リゼットはとうとう笑った。
「もうわかった。そこはあんたの武器なのね」
「たぶんそうです」
「剣も魔法もない代わりに?」
「そういうことになります」
「変なの」
「よく言われます」
その時、サムが棚の前で手を挙げた。
「あの、これ……」
「どうしました?」
「白鹿亭向けにするなら、布巾の束、紐の色を分けた方がよくないですか」
「色を?」
「はい。さっき連司さんが言ってたみたいに、“優先”ってわかるように」
「……いいですね」
「え」
「かなりいいです。誰が見ても間違えにくい」
「そ、そうですか」
「採用です」
サムの顔がぱっと明るくなった。
こういうのは重要だ。
現場から出た改善案が採用されると、現場は自分ごととして動く。
俺はすぐに言葉を足す。
「では、白鹿亭向け候補は赤紐。通常在庫はそのまま。優先順が見た目でわかるように」
「できる」
リゼットが即答する。
「札もつけますか?」
ベンさんが聞く。
「つけましょう。“白鹿亭優先・朝用”とだけでも」
「朝用、か」
「意味が見える方が動きやすいので」
ガイルが笑う。
「なんだか戦場の補給みてえだな」
「近いですよ」
「近いのかよ」
「朝の宿屋は、現場が止まると一気に崩れるので」
「……そう聞くと、確かにそうだな」
準備は少しずつ形になっていく。
茶葉の候補、布巾の優先束、札付け、確認担当。
だがここで俺は、もう一段深く踏み込む必要があると思った。
「ゴドーさん」
「は、はい」
「明日、白鹿亭で話す時に一つだけお願いがあります」
「何だい?」
「曖昧なことを曖昧なまま言わないでください」
「うっ」
「できる量、できない量。今は無理なこと。そこをはっきり」
「そ、それは……」
「怖いのはわかります」
「……」
「でも、今は“できるふり”が一番まずいです」
しばらく沈黙が落ちた。
リゼットが横で小さく言う。
「父さん、そこは本当にそうよ」
「わかってる……わかってるんだ……」
「だったら」
「ただ、断ったら嫌われる気がして」
「嫌われるかもしれません」
「連司!?」
ゴドーさんが悲鳴のような声を上げる。
だが、ここはごまかしてはいけない。
「でも、できない約束をして崩す方がもっと嫌われます」
「……」
「今必要なのは“全部任せられる商会”に見せることではなく、“無理は言わないが、任せた分は守る商会”になることです」
「……そう、だな」
ゴドーさんは長く息を吐いた。
きついが、飲み込んだ顔だった。
よし。ここは前進だ。
俺は木箱をもう一つ引き寄せ、その上に茶葉と布巾を並べ直す。
「では、簡易ロープレをします」
「ろーぷれ?」
ガイルが怪訝そうな顔になる。
「明日の会話の練習です」
「今から?」
「今からです」
「そこまでやるのか」
「やった方が失敗が減るので」
リゼットがすぐに乗ってきた。
「じゃあ私、女将さんやる」
「お願いします」
「俺は?」
ガイルが聞く。
「料理長役で」
「なんで俺が料理長なんだ」
「圧がありそうなので」
「納得いかねえな……」
とはいえ、ちゃんと前に出てくるあたり、だいぶこの空気に乗ってきている。
リゼットが腕を組み、ミレイアさんを真似した偉そうな顔を作る。
「で? マルシェ商会は何をしに来たんだい?」
「白鹿亭さんの朝を止めないために、まずは茶葉と布巾の優先補給からご相談に来ました」
「全部じゃないのかい?」
「全部は受けません。まずは守れる範囲からです」
「続くのかい?」
「続けるために、今こちらで優先棚と確認担当を分けています」
「……」
リゼットが普通に感心した顔になる。
「ちょっと待って、今の返し強いわね」
「本番でも使うので」
「なんか腹立つ」
「褒め言葉として」
ガイルも腕組みのまま低い声を作る。
「味が悪かったらどうする」
「それが料理長さんの懸念であれば、まず外せない条件を教えてください。その上で、無理なら無理と申し上げます」
「……」
「でも、朝の補給が主課題なら、そこは優先して守ります」
「おい」
ガイルが地の声に戻る。
「これ、なんか逃げてるようで逃げてねえな」
「条件を確認してから答えているだけです」
「でも相手の顔は立ててる」
「それは大事なので」
「……面倒だが、嫌いじゃねえ」
ロープレは続いた。
女将役のリゼットは、わざと厳しく聞いてくる。
料理長役のガイルは、だいたい圧で押してくる。
ゴドーさんは最初の数回、曖昧な返しをしてしまって俺に止められたが、三回目あたりから少しずつ「今はここまでなら可能です」と言えるようになった。
それだけでも大きい。
やがて一通り回し終えた頃、外はかなり暗くなっていた。
リゼットが椅子の背にもたれ、疲れたように息を吐く。
「……すごいわね」
「何がですか」
「話す前に、ここまで準備するんだってこと」
「準備しないと怖いので」
「本音が出たわね」
「毎回怖いですよ」
「そうなの?」
「商談は大体怖いです」
「見えない」
「見せません」
「なんで?」
「不安がそのまま伝わると相手も不安になるので」
「……なるほどね」
その時、店の外で馬の蹄の音が止まった。
全員の動きが止まる。
「こんな時間に?」
ベンさんが低く言う。
ガイルがすぐに入口へ向かい、扉の隙間から外を見た。
そして、面倒そうに舌打ちする。
「誰です?」
俺が聞くと、ガイルが顔をしかめたまま答えた。
「グレイン商会だ」
「……バルト?」
リゼットの声が一気に冷える。
「いや、バルト本人じゃねえ。使いだ」
「何の用よ」
「それがな……」
ガイルはゆっくり振り返った。
「“白鹿亭への提案の件で、先に伝えておくことがある”だとよ」
空気がぴんと張る。
競合が動いた。
しかも、こちらの動きを察した上で、何かを差し込んできた。
嫌なタイミングだ。
だが同時に、案件が本当に動いている証拠でもある。
俺は静かに息を吐く。
面白くなってきた。
第8話を読んでいただきありがとうございます。
次回、競合グレイン商会が動き、白鹿亭案件は一気に商談戦の様相を帯びてきます。
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