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異世界転生した俺は、剣も魔法も使えないので商談力で成り上がる  作者: しょー
無能職《営業》、最初の案件

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6/10

第6話 最初の一件は、白鹿亭から

 白鹿亭の使いが来た。


 その一言で、店の空気は一瞬で変わった。


 ついさっきまで「どう白鹿亭へ行くか」を話していたのに、向こうから接点が飛び込んできたのだ。偶然にしては出来すぎているし、出来すぎている案件ほど、だいたい罠か誤解か、どちらかが混じっている。


 俺は深く息を吸った。


 焦るな。こういう時ほど前提整理だ。


「誰が来てるんですか」

 俺が聞くと、ガイルが肩をすくめた。


「若い男だ。白鹿亭の下働きって感じだな。荷車に箱を積んでる」

「一人ですか」

「一人」

「表情は?」

「焦ってたな。急いでるのは本当っぽい」


 リゼットが早口でまくしたてる。


「どうする? 通す? 今すぐ? それとも私が出る?」

「落ち着いてください」

「落ち着いてるわよ!」

「声量が落ち着いてません」

「今それ言う!?」


 だが、緊張しているのはわかる。こちらから行こうとしていた相手が、先にこちらへ来たのだから当然だ。


 ゴドーさんはすでに顔色が悪かった。


「し、白鹿亭ってことは……何か苦情だろうか」

「その可能性もあります」

「ううっ……」

「でも、今ここで逃げるともっと悪くなります」

「そ、それはそうだが……」


 俺は木箱の上に置いた帳面を閉じた。


「まず確認です。今この時点で、白鹿亭に対して未納や未払い、約束違反はありますか」

「み、未払いはない」

「未納は?」

「今の取引はほとんどないから……定期の未納は、ないはず」

「“はず”ですか」

「た、多分……!」

「多分は困るわよ父さん」

 リゼットが即座に刺す。


 だがここで責めても仕方ない。


「では、過去の最後の取引で大きなトラブルがあったかどうかだけでも」

「品切れが続いた。あと、細かい頼み方に対応しきれなかった」

 リゼットが先に答えた。

「値段で揉めた記憶は?」

「それはないと思う」

「なるほど」


 つまり、今のところ大きい論点は価格ではなく、供給と対応 だ。


 白鹿亭からの接触理由が何であれ、こちらの仮説と大きくズレてはいない可能性が高い。


「通しましょう」

「えっ、今?」

 ゴドーさんが怯えた顔になる。


「今です」

「だ、大丈夫なのかい」

「大丈夫かどうかを見極めるために会います」

「その言い方が怖いのよ……」

 リゼットがこめかみを押さえる。


 俺は頷いた。


「ただし、いきなり売りません」

「売らないの?」

「はい。まずは聞きます」

「また質問なのね」

「ここで売り込み始めたら、たぶん失敗します」

「……まあ、あんたがそう言うなら」


 俺は入口の方へ向かった。リゼットもついてくる。ガイルは腕を組んだまま壁際に立ち、ゴドーさんは少し後ろでおろおろしている。


 扉を開けると、そこには痩せた若者が立っていた。年の頃は二十歳前後。日焼けした顔に疲れが浮いている。荷車には空の木箱がいくつか積まれ、袖は少し汚れていた。確かに宿屋の下働きといった雰囲気だ。


「えっと……マルシェ商会、で合ってますよね」

「はい。どうされましたか」

 俺が答えると、若者は一瞬だけ戸惑った顔をした。たぶん商会主が出てくると思っていたのだろう。


「あ、ええと、白鹿亭の使いで来ました。俺、ユアンっていいます」

「真壁連司です」

「リゼットよ」

「……ああ、お嬢さん」


 リゼットは小さく顎を上げた。


「白鹿亭さんから、どういったご用件で?」

 俺が聞くと、ユアンはちらりと荷車の方を見た。


「茶葉、あるか確認したくて」

「茶葉」

「今朝、届くはずの分が届かなくて……」

「今の納入先からですか」

「……はい」


 リゼットと目が合った。


 やはり来た。

 しかも、いきなり仮説のど真ん中だ。


 だが、ここで顔に出してはいけない。


「白鹿亭さんでは、今どの茶葉をお使いですか」

「え?」

「種類です。普段お出ししているものがあるはずなので」

「あ、いや、その……細かい名前までは」

「では、色や香り、葉の大きさでも」

「ええと……少し渋めで、朝に出すやつです」


 曖昧だが、仕方ない。使いの若者がそこまで把握していないのは普通だ。


「今、何が一番困っていますか」

 俺が続けると、ユアンはまた目を瞬いた。


「今?」

「はい。茶葉がないことそのものですか。それとも、代わりがないことですか。あるいは、朝に必要な分が回らないことですか」

「……朝です」

 答えは早かった。

「朝の分がないと、女将さんも料理場もぴりついて」

「なるほど」

「あと、茶葉だけじゃなくて布巾も足りてなくて……」


 さらに来た。


 俺は心の中で静かに頷く。

 商品単体の話ではない。やはり白鹿亭の問題は朝の回りだ。


 だが今は、こちらの正しさを喜ぶ場面ではない。相手の困りごとを正確に拾う場面だ。


「ありがとうございます」

「え?」

「大事な情報です」

「は、はあ……」


 ユアンは少し警戒を解いたようだった。


 俺は一歩だけ距離を詰める。


「確認ですが、今の納入先さんには、すでに連絡は?」

「しました。昼までに確認するって」

「ですが、朝に必要なんですね」

「そうなんです」


 リゼットが小声で囁く。


「連司、これ……」

「まだです」

「まだ?」

「売り急ぐ場面じゃありません」

「もどかしい……!」


 わかる。だがここで「うちならできます」と飛びつくのは危険だ。実際に回せなければ、その場しのぎの嘘になる。


 まず必要なのは、どこまでなら確実に応えられるか の見極めだ。


「ユアンさん」

「は、はい」

「今この場で、白鹿亭さんが急ぎで必要としているのは茶葉だけですか」

「たぶん……布巾もです。あと、女将さんは干し肉も気にしてました」

「“気にしていた”というのは、足りない?」

「今日明日で切れるかも、って」


 十分だ。


 茶葉、布巾、干し肉。

 まさに今こっちで優先候補として寄せていた品目だ。


 案件というのは、こういう時に輪郭が急にはっきりする。


「少しお待ちください」

 俺は店内を振り返る。

「リゼットさん、今寄せた茶葉と布巾、干し肉の在庫、ざっくりでいいので確認できますか」

「できる」

「ユアンさんに今ここで約束する前に、物理的に出せるかだけ見ます」

「……わかった」


 リゼットが駆け足で奥へ向かう。ガイルも続いた。


 ユアンは不安そうにこちらを見る。


「やっぱり、難しいですかね」

「難しいかどうかは、今確認しています」

「そ、そうですよね」

「ただ、一つだけ」

「はい?」

「もしこちらからお持ちする場合、白鹿亭さんで一番大事なのは“すぐ来ること”ですか。“切らさないこと”ですか」

「……どっちも大事ですけど」

「より強い方で」

「切らさないこと、だと思います」


 そこは即答だった。


 なら、やるべきことは見えた。


 今必要なのは“今日の穴埋め”だけではない。

 “また同じことが起きない”話まで持っていけるかどうかだ。


 その時、リゼットが戻ってきた。


「ある」

「どのくらいですか」

「茶葉は今すぐ一回分以上、布巾もまとまる。干し肉も、今日明日しのぐくらいなら出せる」

「継続は?」

「そこまではまだ言えない。でも、今朝の穴埋めだけならいける」

「十分です」


 俺はユアンへ向き直った。


「ご相談です」

「はい」

「今日すぐ必要な分については、こちらで一部対応できる可能性があります」

「ほんとですか!」

「ただし」

 俺は言葉を切った。

「今日の不足分を埋めるだけで終わらせたくありません」

「え?」

「白鹿亭さんが今困っているのは、“茶葉がない”ではなく“朝が止まりかけること”ですよね」

「……はい」

「でしたら、必要であれば女将さんに直接お話を伺いたい。何が切れると困るのか、どこまでならこちらで安定して補えるのか、曖昧なまま受けるのは危ないので」

「……」


 ユアンは少し驚いた顔をした。


 ここで普通なら「あります、売れます、任せてください」と来ると思っていたのだろう。だが、こっちは逆だ。聞く。絞る。できることだけ言う。


 それが信頼の入口になる。


「それ、女将さんに言えばいいですか」

「はい。ただし、今すぐ必要な分があれば、先に穴埋め分だけお持ちすることもできます」

「い、いや……ちょっと待ってください」


 ユアンは荷車の脇で考え込み、それからおそるおそる口を開いた。


「女将さん、多分そういう話、嫌いじゃないです」

「どういう話ですか」

「“とりあえず売ります”じゃなくて、“何に困ってるか”を聞く感じのやつです」

「それはよかった」

「今の納入先は、最近ちょっとその……」

「雑ですか」

「……はい」


 出た。


 価格ではなく、雑さ。

 つまり、こちらが入り込める余地は確実にある。


 リゼットが横で小さく拳を握るのが見えた。


 俺は冷静な顔を保ったまま、さらに一つだけ聞く。


「ちなみに、女将さんは今、お忙しいですか」

「朝の片づけが終わった頃なんで、今なら話せるかも」

「では、こちらから伺っても?」

「たぶん大丈夫です。俺が先に伝えれば」

「助かります」


 ユアンはほっとしたような顔になった。


 だが、ここで終わってはいけない。今のやり取りだけでは“感じがいい商会”で終わる。次に必要なのは、実際に動ける感触 を一つ渡すことだ。


「ユアンさん」

「はい?」

「もし差し支えなければ、茶葉だけ先に少量お持ちします」

「え」

「今朝の不足分が本当にきついなら、女将さんへ話を通すまでの繋ぎになります」

「で、でも、そんなすぐ」

「できます。量を絞れば」


 リゼットが俺を見る。確認の目だ。俺も小さく頷く。


 今日の穴埋め分だけなら回る。さっき在庫確認済みだ。


「……助かります」

 ユアンの声が、明らかに軽くなった。


 よし。


 これで“話を聞くだけ”ではなく、“小さく役に立つ”ところまで行ける。


 俺はリゼットへ目を向けた。


「茶葉の少量対応、お願いできますか」

「任せて」

「ユアンさん」

「はい」

「こちらの対応は“全部できます”ではありません。まずは今必要な分を埋めることと、女将さんの困りごとを正確に聞くこと。この二つです」

「……わかりました」

「その上で、もし白鹿亭さんに合うなら、部分的にでも継続のご提案をしたい」

「部分的に?」

「はい。最初から全部は受けません」

「……」

「できない約束をすると、また迷惑をかけるので」


 そこまで聞いて、ユアンははっきりと頷いた。


「その方が、女将さんも安心すると思います」

「ありがとうございます」


 後ろでゴドーさんが、小さく息を呑んだのがわかった。

 たぶん彼の感覚では、ここは「全部やれます」と強気に出る場面なのだろう。だが、それは今のマルシェ商会には危うい。


 営業は、勝つために大きく言う仕事ではない。

 勝ち続けるために、守れる線を引く仕事 でもある。


 リゼットが茶葉を包みながら、こちらに聞こえるように言った。


「ねえ、連司」

「はい」

「今の、ちょっと格好よかったわよ」

「今ですか」

「全部は受けません、ってとこ」

「無理を言わなかっただけです」

「それができない人、多いのよ」

「耳が痛い人が多そうな話ですね」

「少なくとも父さんは痛そう」

「ううっ……」

 ゴドーさんが本当に胸を押さえた。


 ユアンは茶葉の包みを受け取ると、何度も頭を下げた。


「すみません、助かります。じゃあ俺、先に戻って女将さんに伝えます」

「お願いします」

「女将さんが良ければ、昼前でも来てもらえるかも」

「都合を合わせます」

「はい!」


 荷車の向きを変え、ユアンは慌ただしく去っていった。


 車輪の音が遠ざかっていく。


 しばらく誰も喋らなかった。


 最初に口を開いたのは、ガイルだった。


「……で?」

「はい?」

「今の、ほぼ取れかけてるんじゃねえのか」

「まだです」

「まだなのかよ」

「入口に立っただけです」

「営業って面倒だなあ」

「何度目でしょうね、その感想」


 だが、顔は少し笑っていた。


 リゼットが茶葉を包んだ布の残りを見ながら、ふっと息を吐く。


「でも、白鹿亭が向こうから来たのは大きいわよね」

「大きいです」

「しかも、困りごとがまさにこっちの仮説通りだった」

「はい」

「だったらもう、勝てる?」

「可能性は高いです」

「言い切らないのね」

「白鹿亭の本当の困りごとを、まだ女将さんから聞いていないので」

「そこまで聞いて、やっとなの?」

「やっとです」


 ゴドーさんが呟く。


「商売って、そんなに確認するものなんだな……」

「むしろ今までは、確認せずに進みすぎていたのかもしれません」

「うっ」


 また刺さったようだが、必要なことだった。


 俺は白鹿亭向けに寄せた棚を見る。

 茶葉、布巾、干し肉。

 今日の小さな穴埋めはできる。

 だが、この先に必要なのは“今朝を助けること”ではない。

 “明日の朝も止めないこと”だ。


 つまり、次の本番は女将との会話になる。


 何に困っているのか。

 何なら任せられるのか。

 何が不満で、何を諦めているのか。


 そこを掴めれば、最初の一件は本当に案件になる。


 俺は静かに口を開いた。


「次は白鹿亭へ行きます」

「女将さんのところ?」

 リゼットが聞く。

「はい」

「何を話すの?」

「売り込みません」

「また?」

「またです」

「じゃあ何するのよ」

「困りごとを聞いて、最初に何を約束するか決めます」

「……」

「最初の一件は、白鹿亭からです」


 そう言った瞬間、店の空気が少しだけ前を向いた。


 まだ受注はしていない。

 だが、案件はもう始まっている。

第6話を読んでいただきありがとうございます。

次回、白鹿亭の女将との初対面で、主人公の“聞く営業”が本格的に動きます。

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