第5話 案件の匂いがする
倉庫の空気は、さっきまでより少しだけ動いていた。
白鹿亭向け候補の商品を一角に寄せる。帳面を見ながら過去の納品頻度を拾う。誰が何を覚えているかを順に吐き出してもらう。やっていること自体は地味だ。だが、地味な作業ほど立て直しの土台になる。
前世でもそうだった。
派手な提案書より、最初の現状整理の方が案件の勝率を左右する。
そして今のマルシェ商会には、まさにその土台が足りていなかった。
「連司、これも白鹿亭向け?」
リゼットが木箱を抱えたまま聞いてくる。
中には布巾の束が入っていた。だがサイズが微妙に違う。宿屋で使うなら揃っていた方が扱いやすい。混ぜて出すと現場が嫌がる可能性が高い。
「これは分けます」
「どっちに?」
「白鹿亭向けではない方へ」
「え、布巾なのに?」
「布巾でも、です」
「細かいわね」
「現場はそういう細かいところで信頼を失います」
リゼットが、うへえという顔をした。
「営業って、もっとこう……喋ってるだけかと思ってた」
「喋る前の方が大事なことも多いですよ」
「夢がないわね」
「現実的と言ってください」
ガイルが手前の通路を片付けながら鼻を鳴らす。
「俺は喋るだけで金になるなら楽な仕事だと思ってた」
「その誤解は非常に多いです」
「違うのか?」
「喋るだけなら誰でもできます。通る形に整えるのが難しいんです」
「やっぱ面倒くせえな」
「だいぶ面倒くさいですね」
ベンさんが、干し肉の箱を白鹿亭候補の棚に移しながら口を挟む。
「だが、今のところは前より見やすくなってるな」
「そうですね」
「さっきまでは、どこに何があるか探すだけで腹が立ってた」
「現場のストレスが減るのは大きいです」
「それも売上に関係あるのか?」
「あります。探す時間が減れば、納品準備が早くなる。ミスも減る。結果、客対応の精度も上がる」
ベンさんは何度か頷いた。
こういう反応はありがたい。現場のベテランが少しでも納得してくれると、他の従業員も動きやすくなる。
一方、ゴドーさんは帳面を広げたまま、ずっと苦い顔をしていた。
「白鹿亭には……前は、月に三回か四回くらい納めていたと思う」
「品目は?」
「乾物、布巾、茶葉、時々保存の利く果物も……」
「納品の時間帯は?」
「午前が多かった、かな」
「“かな”が多いですね」
「うっ……」
責めるつもりはない。だが、ここは曖昧なままにしてはいけない。
俺は少し声を柔らかくした。
「大丈夫です。完璧に思い出せなくても構いません。重要なのは、白鹿亭が“何を必要としていたか”の輪郭です」
「輪郭……」
「はい。あとで確認すればいいことと、今ここで仮説として持っておくべきことは分けます」
リゼットが感心したように目を細める。
「ほんと、“全部今決める”じゃないのね」
「現場でそれをやると、だいたい死にます」
「言い方」
「経験則です」
前世でも、“今日中に全部整理して方向性も決めよう”みたいな会議ほど悲惨なことになった。大事なのは、今決めるべきことだけを決めることだ。
俺は白鹿亭向けに寄せた商品を順に見た。
卵はまだない。干し肉、茶葉、布巾、簡易保存袋。候補としては悪くない。だが、商品を並べただけでは提案にならない。
どう見せるか。
どう約束するか。
そして、どう信じてもらうか。
「連司」
リゼットが覗き込んでくる。
「はい」
「さっきからずっと怖い顔してるけど、何考えてるの?」
「提案の形です」
「もう?」
「もう、です」
彼女は呆れたように笑った。
「商品を寄せただけで?」
「寄せたから見えることもあります」
俺は木箱を一つ裏返し、また即席の机代わりにした。その上に布巾、茶葉、干し肉を並べる。
「たとえば白鹿亭にこれを持っていって、“うちは色々あります”と話しても弱い」
「うん」
「でも、“朝の仕込みを止めないための最低限を、優先して欠かさず納めます”なら意味が変わる」
「……」
「商品そのものじゃなく、相手の困りごとに名前をつけて渡すんです」
「名前をつける」
「はい。“朝を止めない補給”でもいい」
ベンさんが小さく笑う。
「なんだそりゃ」
「売り文句ですよ」
「それで買うのか?」
「言葉だけでは買いません。でも、何を約束する店なのかは伝わります」
「……なるほどな」
ガイルが腕を組む。
「つまり、“うちは布巾売ってます”じゃなく、“朝困らせません”って言うわけか」
「その通りです」
「そっちの方が強そうだな」
「強く見える、ではなく、実際にそう動けるようにしないと意味はありませんけどね」
「やっぱ面倒くせえ」
だが、顔は少し楽しそうだった。
リゼットが木箱の上の商品を見比べながら言う。
「でも、それってさ」
「はい」
「白鹿亭が本当に困ってることとズレてたら終わりじゃない?」
「終わります」
「断言するのね」
「するべきなので」
「じゃあ、結局まだ仮説なのか」
「はい。だから聞きに行きます」
「……また質問?」
「また質問です」
彼女は肩を落とした。
「営業って、本当に質問好きね」
「質問しない提案は押し売りに近づきます」
「それは嫌ね」
「でしょう?」
俺は頭の中で白鹿亭訪問の流れを組み立てる。
最初に謝罪が必要か。
いきなり売り込みは逆効果か。
誰に話を聞くべきか。
女将か、料理人か、現場の下働きか。
競合はすでに動いている可能性が高い。なら、値段ではなく“困りごとの理解”で差をつけるべきだ。
そう考えていると、不意に妙な感覚が走った。
「……いるな」
「え?」
リゼットが目を瞬く。
「白鹿亭に、います」
「何が?」
「決裁に強く効く人」
「何それ、急に怖い」
「いや、言い方が悪かったですね」
俺は自分でも少し笑ってしまった。
「宿屋って、経営してる人と、実際に朝の仕込みで困る人が別かもしれないんです」
「ああ」
「女将は全体を見る。料理人は品質を見る。下働きは補充の遅れを嫌う。つまり、誰に刺さるかが違う」
「……」
「白鹿亭に入り直すなら、ただ“安くします”では弱い。誰のどの不満を解消できるかを見ないと」
「なるほどね」
「だから案件の匂いがします」
「まだ言ってるの、それ」
「大事な感覚なので」
「犬みたい」
「営業です」
「会話が成立してないのよ」
少しだけ笑いが広がる。
その時、入口近くでサムが「あっ」と声を上げた。
「どうしました?」
俺が聞くと、サムは白鹿亭候補の品をまとめた棚を指差した。
「これ、前に女将さんが“朝は布巾が何枚あっても足りない”って言ってた気がします」
「気がする?」
「た、たぶん」
「十分です。他には?」
「干し肉は切れると文句が多かったです。あと茶葉は、旅人が朝に頼むことがあるから切らしたくないって」
「いいですね」
帳面に追記する。
なるほど。布巾、干し肉、茶葉。
しかも全部“朝に切れると困る”寄りの商品だ。
仮説はかなり当たっている。
リゼットが身を乗り出した。
「じゃあ、もう行ける?」
「まだです」
「まだなの!?」
「ここで焦ると失敗します」
「もどかしいわね」
「わかります。でも、今の段階で必要なのは“行く勇気”じゃなく“行く意味”です」
「……」
「何を聞き、何を持ち帰るかを決めてから行かないと、ただ顔を出して終わります」
ゴドーさんが恐る恐る手を挙げた。
「じゃ、じゃあ、何を聞くんだい?」
「三つです」
「また三つ」
「多すぎると覚えられないので」
「そこは一貫してるな……」
俺は指を折る。
「一つ。白鹿亭が今、一番困っている欠品は何か」
「うん」
「二つ。今の納入先の何が不満か、あるいは何が足りないか」
「うん」
「三つ。もし部分的にでも改善できるなら、どの品目からなら試してもらえるか」
「……なるほど」
「ここが取れれば、“全部ください”じゃなく“まずここから試してください”が言える」
「小さく勝つ、ね」
「その通りです」
リゼットは少し黙り込んだあと、にやりと笑った。
「ほんと、嫌なくらい筋が通ってる」
「褒め言葉として」
「それ、便利ね」
「便利です」
だが、ここで俺はもう一つ気になっていることがあった。
競合のバルトだ。
あいつは白鹿亭の重要性を知っている。しかも“朝の回り”に言及していた。つまり、現場の不満まである程度掴んでいる可能性が高い。
普通に行けば、ぶつかる。
だがそれは悪いことではない。
「リゼットさん」
「何?」
「白鹿亭に行く前に、一つだけ確認したいです」
「何を?」
「バルト・グレインって、どこまで白鹿亭と近いんですか」
「近いって?」
「納入先として、なのか。個人的な繋がりまであるのか」
「……ああ」
リゼットは少し嫌そうな顔をした。
「前に一度、白鹿亭の女将さんと店先で楽しそうに話してるのは見たわ」
「雑談ですか」
「たぶん。でも、あいつああいうの上手いのよ」
「でしょうね」
「腹立つけど」
なるほど。
これは単なる商品勝負ではない。
関係性の勝負も入っている。
営業としては、非常に普通だ。
そして非常に厄介だ。
「どうしたの」
リゼットが聞く。
「いえ、勝ち筋が少し変わりました」
「変わった?」
「はい。白鹿亭に持っていくのは、商品だけじゃ弱い」
「じゃあ何?」
「失った信用をどう取り戻すか、その話が必要です」
「……」
「前に品切れや細かい対応で離れたなら、“今は違う”と示さないといけない。しかも、言葉だけじゃなく」
「それをどうやって?」
「まずは、今ここで動いていることを形にします」
俺は寄せた商品棚を見た。
白鹿亭候補の商品はまとまり始めている。
だがまだ足りない。
足りないのは、約束の形だ。
「ガイルさん」
「おう」
「この棚、今日中に“白鹿亭優先”とわかるよう印をつけられますか」
「印?」
「札でも紐でもいいです。誰が見てもここを優先するとわかるように」
「できるが、それが何になる」
「“今は違う”の証拠になります」
「見せるためか」
「見せるためでもあり、実際に回すためでもあります」
「……なるほどな」
ベンさんも頷く。
「たしかに、俺たちが忘れず動ける」
「そうです。提案前に運用が始まっていれば、言葉に重みが出る」
「営業って、そういうことまでやるのか」
「やります。むしろそこが本番です」
リゼットが腕を組み、しばらく考えたあと笑った。
「ねえ、連司」
「はい」
「あんたさ、もしかして結構すごい?」
「まだ何も売ってませんよ」
「それでもよ」
「だとしたら、たぶん前職の癖です」
「便利な癖ね」
「役に立つ時だけ、です」
その時、店の外から馬のいななきと車輪の音が聞こえた。
窓の隙間から見えるのは、一台の荷車。
リゼットが眉をひそめる。
「誰かしら」
ガイルが入口へ向かい、扉を開く。
数秒後、彼が微妙な顔で戻ってきた。
「白鹿亭の使いだ」
「え?」
全員が固まる。
「白鹿亭?」
俺も思わず聞き返した。
ガイルは頷く。
「女将のとこの使いが、“急ぎで聞きたいことがある”って来てる」
「急ぎ……?」
リゼットが目を見開く。
俺の胸の奥で、何かがかちりと音を立てた。
これは偶然か。
それとも、競合の動きに対する別の揺れか。
どちらにせよ、案件が向こうから動いたのは間違いない。
俺は小さく息を吐く。
やはりする。
案件の匂いが。
第5話を読んでいただきありがとうございます。
次回、白鹿亭からの急な接触で最初の案件が動き出します。
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