第4話 競合若旦那、見参
誰も把握していない在庫。
その事実は、売れ残りの山よりもよほど厄介だった。
帳面にない商品が倉庫の奥から出てくる。しかも、宿屋向けの消耗品ではなく、装飾入りの茶器や規格違いの布巾の束。もし単なる記載漏れならまだいい。だが、仕入れの経緯すら誰も説明できないとなると話は変わってくる。
「父さん、これ本当に知らないの?」
リゼットの声には、怒りより先に困惑が滲んでいた。
ゴドーさんは茶器の箱と帳面を見比べ、額に汗を浮かべる。
「いや……見覚えがないわけじゃないんだ。たしか、去年の秋ごろだったか、まとめて入れておいた方が得だって話があって……」
「誰が?」
「それが……」
「覚えてないの?」
「覚えてはいる、はずなんだが……!」
語尾がどんどん弱くなっていく。
隣でガイルが低く唸る。
「商会主が“はず”で話して大丈夫なのか」
「大丈夫じゃないですね」
俺は即答した。
ゴドーさんが胸を押さえる。なんだろう、この人は一日に何回胃を痛めるのだろうか。いや、たぶんこっちの方が正しい。胃が痛くなるべき状況で、ちゃんと胃が痛くなっている。むしろ健全とも言える。
リゼットが苛立ちを押し殺した声で言う。
「連司、これってまずい?」
「かなり」
「やっぱり」
「ただし、“終わり”とは限りません」
「その言い方、気休めじゃないわよね」
「気休めで今この場の空気をもっと重くしても意味がないので、事実です」
俺は茶器をもう一度見た。
高級品というほどではないが、この商会の普段の品揃えとは明らかに毛色が違う。辺境の日用品店に置くには、狙いが中途半端だ。旅人向けの土産物でもなく、常連向けの定番でもない。
つまり、商品そのものの問題というより、誰に売るつもりで仕入れたのかが見えない。
「まず確認します」
「また質問ね」
「生きるために必要なんです」
「営業って面倒な職なのね」
「だいぶ面倒です」
俺は木箱に茶器を戻しながら続けた。
「この商品、誰向けに売る予定だったんですか」
「……たしか、領主館や裕福な宿向けに、少し良い品も揃えた方がいいと言われて」
「誰に?」
「仕入れ先に、かな……」
リゼットが顔をしかめる。
「かな、じゃ困るのよ」
「わかってる……! だが、その頃はとにかく売上を戻したくて、何か手を打たないとと思って……」
「それで勧められるままに買ったんですね」
「……そうだ」
責める口調にはしなかったが、答えは十分だった。
前世でも似た話は何度も見た。数字が苦しい時ほど、“これを入れれば伸びる”“今だけ条件がいい”という話に飛びつきやすい。だが、自社の勝ち筋と関係の薄い仕入れは、たいてい在庫として腐る。
「結論から言うと」
「うん」
「この在庫は、“商品が悪い”というより“仕入れの意思決定がズレた”結果です」
「ず、ズレたって……」
「はい。マルシェ商会は、日用品や消耗品で現場を回す商売のはずです。なのに、途中で少し背伸びした商品へ手を出している」
「……」
「売れる先の像が曖昧なまま、品揃えだけ広げたんです」
ゴドーさんが俯く。
だが、ここで必要以上に追い詰めても仕方がない。問題は過去の判断ミスを断罪することではなく、今後どう立て直すかだ。
俺は視線を店内へ向ける。
乱れた棚、動きの悪い在庫、疲れた顔の従業員。だが逆に言えば、課題は少しずつ見えてきた。
「じゃあ、どうするの」
リゼットが聞く。
「切り分けます」
「何を?」
「売るものと、今は追わないものを」
ガイルが鼻を鳴らした。
「追わないってのは、つまり捨てるのか?」
「そこまでは言いません。ただ、少なくとも“今の再建の主軸”にはしない」
「もったいなくない?」
「もったいないです。でも、もっともったいないのは、全部に気を取られて何も立て直せないことです」
リゼットが木箱の縁に腰掛け、頬杖をついた。
「その“主軸”って、やっぱり白鹿亭?」
「そうです」
「宿屋、そんなに相性いい?」
「今のマルシェ商会には一番いい」
「理由をどうぞ」
「承知しました」
少しだけ笑いが起きる。緊張が緩む。この空気があるうちに、話を前へ進める。
「宿屋向けの商売には特徴があります。第一に、継続的な消耗品がある。第二に、欠品のダメージが大きい。第三に、派手さより安定供給が刺さる」
「うん」
「つまり、“ちょっと高級で売れるかも”みたいな賭けより、“明日の朝困らない”方が価値になる」
「……」
「今のマルシェ商会が勝つなら、そこです」
ベンさんが腕を組んで頷いた。
「それは確かにな。宿屋は毎日回るもんな」
「はい。だから一度入り込めれば、継続案件になりやすい」
「継続案件?」
「継続取引、ですね。毎回ゼロから売るより、はるかに強いです」
「それはいいな」
「非常にいいです」
営業の本質のひとつは、単発受注より継続だ。単発で勝っても、再現性がなければ立て直しにはならない。
リゼットが指先で茶器の箱をつつく。
「じゃあ、これは?」
「一旦脇へ寄せます」
「売らないの?」
「売る可能性はあります。ただし、今のマルシェ商会が最初に追う相手ではない」
「……悔しいけど、言いたいことはわかる」
よし。かなり整理できてきた。
「では、今からやることを決めましょう」
「また自然に仕切るわね」
「嫌でしたら――」
「もういいわ、それ」
半分呆れ、半分笑っている。悪くない反応だ。
「今日やることは三つです」
「三つ」
「一つ目。この倉庫を“白鹿亭候補”と“それ以外”でざっくり分ける」
「うん」
「二つ目。白鹿亭向けの候補商品の中で、“朝に切れると困るもの”を優先品としてまとめる」
「うん」
「三つ目。白鹿亭へ行く前に、“何をどう改善できるか”をこっちで言える状態にする」
ゴドーさんがおずおずと聞く。
「つまり……先に整えてから行くんだね?」
「はい。行ってから考えるのは危ない」
「おお……」
「“なんとかします”は、だいたいなんとかならないので」
「耳が痛い……」
だろうなと思う。
その時、入口の鈴代わりの木板がまた鳴った。
全員の視線が一斉に向く。
入ってきたのは、見覚えのある顔だった。
仕立ての良い上着。余裕たっぷりの表情。後ろに従者を連れた若い男――バルト・グレイン。
「よう。また暗い顔してんな、マルシェ商会」
「……何の用よ」
リゼットの声が一気に硬くなる。
バルトは店内を見回し、棚の移動や分別を始めたばかりの空気を見て、面白そうに眉を上げた。
「へえ。珍しく片付けでも始めたのか?」
「片付けじゃないわ、整理よ」
「同じようなもんだろ」
「違う」
「怖いな」
軽口を叩きながらも、バルトの目はよく動いていた。茶器の箱、寄せられた布巾、帳面。店の変化を一瞬で拾っている。やはりただの嫌味な若旦那ではない。
俺が一礼すると、バルトが口元を歪めた。
「おや、《営業》さんもいるじゃないか」
「どうも」
「今日はどんな魔法の言葉でこの店を救うつもりだ?」
「地道に整理するところからです」
「はっ。つまらんな」
言葉ほど、本気でつまらないとは思っていない顔だった。
バルトは店の中央までずかずかと入り込み、ゴドーさんへ向けて言う。
「本題だ。近いうちに、白鹿亭を含む南区の宿屋数件の納入条件が見直される。うちはまとめて受ける方向で動いてる」
「……」
「だから、そっちが古い取引先に未練を持って動くなら、今のうちに諦めた方が楽だぜ」
白鹿亭。
やはり、そこに動いている。
リゼットが前へ出る。
「勝手に決めないで」
「決めてるのは俺じゃない。向こうが“安定して回せる方”を選ぶだけだ」
「なら、うちにだって――」
「あると思うか?」
その一言で、店の空気がぴたりと止まった。
バルトは意地悪く笑っている。だが、言っていること自体は間違っていない。今のマルシェ商会が、外から“安定して回せる”ように見えるかと言われれば、かなり厳しい。
だからこそ、今の一言は挑発でありながら現実でもあった。
ゴドーさんが目を伏せる。
ガイルは不機嫌そうに拳を鳴らす。
だが、俺は少しだけ安心した。
競合がはっきり白鹿亭を意識している。つまり、こちらの仮説は合っている。
「なるほど」
俺が呟くと、バルトがこちらを見る。
「何がだ?」
「あなたがそこを取りに行くなら、白鹿亭はやはり重要顧客だということです」
「……」
「確認が取れました」
「お前、嫌な受け取り方するな」
初めて、バルトの笑みがわずかに揺れた。
リゼットが俺を振り返る。
「確認って……わざと挑発に乗ったの?」
「乗ってません。事実確認です」
「ほんと、そういうとこよ」
「褒め言葉として受け取ります」
バルトは鼻で笑い、しかし少しだけ真面目な目になった。
「一応言っとくが、白鹿亭は前みたいに甘くねえぞ。最近は朝の回りが悪いって、どこもぴりついてる。値段だけじゃなく、時間も品目も細かく見られる」
「いい情報をありがとうございます」
「誰が情報提供だ。勝手に拾うな」
だがこれで足りた。
朝の回り、時間、品目。
つまり白鹿亭の痛点は、まさに“止まること”にある。こちらの狙いとぴたりと合う。
バルトは踵を返しかけ、ふと立ち止まった。
「まあ、忠告だけはしてやるよ。白鹿亭を狙うなら、見栄えのいい話より現場を回せる話を持ってけ」
「……」
「女将はそういうのにうるさい」
言い捨てて、今度こそ店を出ていった。
木板の音が遠ざかる。
しばらく誰も喋らなかった。
最初に口を開いたのは、意外にもガイルだった。
「あいつ、嫌味な野郎だが……」
「有益なことも言いますね」
「それが一番腹立つ」
リゼットが即座に返した。
俺は笑いそうになるのをこらえながら、扉の方を見る。
競合は強い。しかも現場を知っている。だから厄介だ。
だが、同時に輪郭が鮮明になった。
「方針を決めましょう」
「うん」
「白鹿亭に持っていくのは、“うちには色々あります”ではありません」
「じゃあ?」
「“朝を止めない提案”です」
「……」
「卵、干し肉、布巾、茶葉。まずはそこに絞る。時間も絞る。運用も絞る」
「全部じゃなくて?」
「全部じゃありません。最初の一件です。小さく勝ちます」
リゼットが深く息を吐いたあと、にやりと笑った。
「いいわ。だんだん腹が据わってきた」
「こちらもです」
「じゃあ連司」
「はい」
「その“最初の一件”で、本当に金を生んでもらうわよ」
「そのために来ました」
「来たのはたまたまでしょ」
「結果的には、です」
ベンさんが咳払いをする。
「で、何から動く」
「まず商品を分けます」
「今すぐか?」
「今すぐです。競合は待ってくれないので」
ガイルが肩を回しながら笑った。
「よし。ようやく俺の出番だな」
「通路確保をお願いします」
「地味だな」
「でも一番大事です」
「……まあ、いい」
ゴドーさんも帳面を抱え直す。
「ぼ、僕は?」
「白鹿亭との過去の納品頻度を思い出してください。ざっくりで構いません」
「ざっくり……! ざっくりなら……!」
「大丈夫です。最初から完璧じゃなくていい」
そう言った瞬間、何人かの肩から少しだけ力が抜けたのがわかった。
完璧を求められると、人は動けなくなる。
だが“まずはざっくり”なら、手が動く。
よし。これで回り始める。
俺は倉庫の中央に立ち、商品群を見回した。
売れない理由は、商品そのものだけじゃない。
誰に、何を、どう届けるか。
そこが崩れていた。
逆に言えば、そこが整えば、まだ戦える。
「では始めましょう」
「何を?」
リゼットが聞く。
俺は白鹿亭向け候補の商品が積まれた一角を指差した。
「この商会が、最初に勝つための準備です」
そうして、倒産寸前の商会での最初の“提案前準備”が始まった。
――そしてこの時はまだ、俺も知らなかった。
白鹿亭に持っていくべき最大の武器が、商品でも価格でもなく、失った信用を取り戻すための一言 になることを。
第4話を読んでいただきありがとうございます。
次回、白鹿亭へ向けた最初の提案準備が本格的に動き出します。
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