第3話 売れない理由は“商品”じゃなく“誰に売るか”だった
競合の若旦那――バルト・グレインが去った後、店の中には妙な静けさが残った。
さっきまで露骨に余裕を見せていた男の気配が消えたせいか、空気が少しだけ軽くなった気もする。だがその軽さは、嵐の前の静けさに近い。
リゼットが腕を組んだまま、扉の方を睨んでいた。
「腹立つ……」
「ずいぶん嫌ってますね」
「嫌いよ。あいつ、いちいち言い方が鼻につくもの」
「でも、ああいう相手ほど無視できない」
「それも腹立つのよ」
率直でよろしい。
ゴドーさんは、すでにだいぶ消耗した顔で椅子に腰を落としていた。
「やっぱり、もう無理なんじゃないか……」
「父さん、出たわね」
「何がです?」
「この人、困るとすぐ“もう無理なんじゃないか”って言うの」
「便利な口癖じゃないですね」
「便利どころか商会の空気が沈むのよ!」
リゼットの正論に、ゴドーさんはますます小さくなった。
だが気持ちはわかる。競合が実際に動いていて、こちらは店内の整理すら終わっていない。普通に見れば不利だ。かなり不利だ。
ただ、だからといって勝ち筋がゼロとは限らない。
「まず前提を揃えましょう」
「また始まった」
「癖みたいなものです」
俺は店の中央にあった木箱を一つ裏返し、即席の台にした。その上に帳面を置く。会議室もホワイトボードもないが、整理する場所さえあれば十分だ。
「現状、マルシェ商会は困っています」
「それは見ればわかるわね」
「ですが、“何に”困っているかが人によってズレている。ここが一番危ない」
「……売上と在庫の話?」
「はい」
俺は帳面の空いた端に、指で二本線を引いた。
「売上が下がっている。これは結果です」
「結果?」
「ええ。たとえば、客が減った、単価が落ちた、来ても買わない、そもそも必要なものがない。どれでも売上は落ちます。つまり“売上低下”は問題の名前ではあっても、原因そのものじゃない」
「……」
「在庫が増えている。これも同じです。仕入れすぎたのか、売れていないのか、売れるものと売れないものの配分が悪いのか。ここを分けないと、打ち手が全部ズレます」
ゴドーさんがぽかんと口を開けた。
リゼットは少し考えて、ぽつりと呟く。
「つまり……今のうちは、熱があるって騒いでるだけで、風邪なのか食あたりなのか見てない感じ?」
「だいたいそんなものです」
「ちょっとわかりやすいの腹立つわね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
ベンさんが腕を組みながら唸る。
「で、何が原因なんだ」
「現時点では仮説です。ですが、かなり有力なのはこれです」
俺は帳面の上に三つ、短く書いた。
誰に売るかが曖昧
何を優先して売るかが曖昧
売った後に回る形になっていない
ガイルが露骨に顔をしかめた。
「曖昧って言葉ばっかりだな」
「曖昧だから崩れてるんです」
「もっとこう、ズバッと“これが悪い!”って言えねえのか」
「言えますよ。全部です」
「雑だなおい」
リゼットが吹き出した。
俺は構わず続ける。
「商品単体は、たぶんそこまで悪くない」
「そこは私も思ってた。品質で負けてる感じはしないのよ」
「はい。むしろ中途半端に色々あるのが問題です」
「色々あるとダメなの?」
「“誰にでも売れそう”は、だいたい“誰にも強く刺さらない”です」
「……あ」
「しかも今の店内だと、何を推したいのかも見えません。来た客は、自分で選ぶ前に疲れます」
前世でもあった。商品数が多いことを強みだと思っている企業ほど、選ばせ方の設計が弱い。結果、客は迷って買わない。もしくは無難な競合へ流れる。
ゴドーさんが、おそるおそる口を開く。
「でも……昔は、色々置いているのが強みだったんだ」
「昔は、です」
「うっ……」
「否定したいわけじゃありません。ただ、今の客の買い方や競合状況が変わっているなら、同じやり方では勝ちにくい」
「それは、そうかもしれない……」
言いながらも、ゴドーさんの声には未練が滲んでいた。
気持ちはわかる。過去にうまくいったやり方ほど、手放しにくいものだ。
「じゃあ、どうするのよ」
リゼットが真っ直ぐ聞いてくる。
「選びます」
「何を?」
「売る相手を。まずは」
店の中が静まり返った。
たぶん、商人としてはあまり聞きたくない言葉なのだろう。“誰にでも売る”ではなく“相手を選ぶ”と言われたのだから。
だからこそ、ここは丁寧に言う必要がある。
「誤解しないでください。客を減らす話じゃありません」
「じゃあ何?」
「最初に取りに行く相手を絞る話です」
「……」
「今のマルシェ商会は、体力が落ちています。なら、まず勝てる相手に勝つべきです。全部に手を出すと、全部中途半端になって終わる」
ベンさんが頷いた。
「それは……わかるな」
「現場で一番しんどいのは、“全部急ぎ”と言われることです。優先順位がないと、人も在庫も回りません」
「それもわかる」
「だから最初の一件だけ、狙いを定めます」
リゼットがじっと俺を見る。
「白鹿亭?」
「第一候補です」
「なんでそこまで押すの?」
「宿屋だからです」
「宿屋だと何か違うの?」
「かなり違います」
俺は帳面を閉じ、店内の空いた棚を指差した。
「宿屋が嫌うのは、品質のばらつきと欠品です。毎日客が来る。食事も出す。消耗品も使う。つまり、派手な高級品より“必要な時に必要なものが来る”方が重要になる」
「……」
「そして今のマルシェ商会は、そこを改善すればまだ勝負できます」
「価格じゃなくて?」
「価格だけの勝負はしません」
「バルトのところの方が安いかもしれないわよ」
「かもしれません。ですが、安いだけでずっと選ばれるなら、世の中の商売は全部値下げ合戦で終わってます」
「うわ、営業っぽい」
「営業ですからね」
言いながら、俺は倉庫の奥に視線を向けた。
乾物、布巾、簡易食器、安価な保存用の油紙袋。宿屋向けに使えるものは揃っている。問題は揃っていることではなく、それを“宿屋向けの提案”として束ねていないことだ。
「今のままだと、白鹿亭から見たマルシェ商会は“なんでも少しある店”です」
「ダメなの?」
「弱いですね。“宿屋の困りごとを解決してくれる店”には見えない」
「……なるほど」
「つまり、商品を売るんじゃない」
「え?」
「相手の都合がよくなる形を売るんです」
一瞬、沈黙が落ちた。
ガイルが腕を組んだまま低く言う。
「お前、いちいち回りくどいな」
「言い換えます」
「頼む」
「宿屋に必要なのは、“これ便利そう”じゃない。“明日から困らなくなる”です」
「……そっちの方がわかる」
「ありがとうございます」
リゼットが木箱に腰掛けたまま、じっと考え込んでいる。
「でも、それってどう見せるの?」
「まず、白鹿亭が何に困ってるかを聞きます」
「また質問なのね」
「また質問です」
「ほんと質問好きね」
「質問しないで刺さる提案ができるなら、その人はたぶん預言者です」
「預言者はさすがに笑う」
少しだけ空気が和らいだ。
この温度感ならいける。全員がまだ疑っているが、頭ごなしには否定していない。商談前の初期段階としては十分だ。
俺は木箱の上に座り直し、帳面を開いた。
「では、今から三つだけ確認します」
「三つ?」
「はい。多いと疲れるので」
リゼットが「そこは気を遣うのね」と小さく笑う。
「一つ目。白鹿亭との取引が切れた理由」
「それは……たしか、品切れが続いたのと、細かい注文が通らなかったから」
「誰情報です?」
「私。最後に行ったから」
「いいですね。二つ目。白鹿亭が今、どこから何を買っているか」
「そこまでは知らない」
「では確認します。三つ目。白鹿亭の中で一番困る欠品は何か」
「欠品する物?」
「はい。宿屋には“なくても困らない物”と“切れた瞬間に現場が回らなくなる物”がある。そこが分かれば、全部じゃなく一部からでも入り込める」
「……全部を取り返すんじゃないの?」
「いきなり全部は危険です」
「どうして?」
「失敗した時に全部失うからです」
そこはきっぱり言った。
ゴドーさんがびくっと肩を震わせる。
「だから、まずは小さく勝ちます。部分的に信頼を取り戻して、そこから広げる」
「それで本当に意味があるのか?」
ベンさんが問う。
「あります。一部でも戻れば、“マルシェ商会はもうダメ”という空気が変わる。商売は数字だけでなく、見られ方でも動くので」
「見られ方……」
「はい。現場が回り始めれば、従業員の顔つきも変わる。すると客の反応も変わる。逆もまた同じです」
リゼットが、ふっと小さく息を漏らした。
「……それ、なんかわかる」
「お嬢?」
「最近うち、店に入った瞬間から“終わってる感じ”がするのよ。自分で言うのも嫌だけど」
「はい」
「でも今の話って、商品だけじゃなく、その空気ごと立て直すってことよね」
「理想を言えば、そうです」
「大きく出たわね」
「営業は、理想を小分けにして現実へ下ろす仕事でもあるので」
「便利な言い回しね」
「よく言われます」
実際便利だ。
その時、入口の近くで若い従業員が遠慮がちに手を挙げた。まだ十代後半くらいだろう。第2話で在庫の話を聞いていた子だ。
「あ、あの……」
「どうしました?」
「白鹿亭、昼前が一番忙しいです。前に納品に行った時、女将さんが“朝に足りないと地獄”って言ってました」
「いい情報です」
「えっ」
「大事です。ありがとうございます」
若い従業員は、まさか礼を言われると思っていなかったのか、目を丸くした。
リゼットが少しだけ嬉しそうに笑う。
「名前、言いなさいよ」
「サ、サムです」
「サムさん。朝に足りない物、覚えてますか」
「ええと……卵、干し肉、布巾、それから茶葉だったかな……」
「十分です」
帳面に素早く書き留める。
見えてきた。
宿屋向けに必要なものは、派手な一括納入ではない。朝を止めない最低限の補給。つまり、“全部そろってます”ではなく“朝の困りごとを止めません”と提案すべきだ。
リゼットが身を乗り出す。
「ねえ、今のだけで何かわかったの?」
「かなり」
「本当に?」
「ええ。白鹿亭に売るべきなのは商品一覧じゃない」
「じゃあ何?」
「“朝を止めないための補給提案”です」
「……なにそれ」
「言い換えると、“忙しい時間に困るものだけは絶対切らさない”約束です」
「そんなことできるの?」
ゴドーさんが不安げに聞く。
「今のままでは難しいです」
「だ、だよな……」
「なので、そのために店内の優先順位も変えます」
「店内も?」
「はい。白鹿亭向け候補の商品は手前へ寄せる。確認担当を決める。補充の流れを固定する。最低限の運用を組みます」
「急に実務になったわね」
「提案は運用に落ちないと意味がないので」
ガイルが、初めて少しだけ真面目な顔になった。
「つまり、取ってきた後の話まで先に決めるってことか」
「その通りです」
「……それは嫌いじゃねえな」
「ありがとうございます」
脳筋寄りの人に一つでも刺さると嬉しい。話が前に進む。
俺は立ち上がり、倉庫の一角を指差した。
「今日は全部やりません」
「全部やらないの?」
「はい。まずは白鹿亭候補の商品だけ、場所を分けます」
「それだけ?」
「それだけです。でも、それが大きい」
「……」
「人は、変えすぎると動けなくなります。最初は“小さく変えて、回る”を作る方がいい」
前世でもそうだった。改革気分で全部変えると、たいてい現場が混乱して死ぬ。勝ち筋は、まず小さな成功を作ることだ。
リゼットが立ち上がる。
「わかった。やる」
「お嬢?」
「父さん、今は迷ってる時間がもったいない。全部正しいかはわかんないけど、このまま何もしないよりマシよ」
「だが……」
「それに」
リゼットは俺を見て、口の端を上げた。
「正直、ちょっと見てみたいのよ。営業ってやつが、本当に金を生むのか」
真正面から言われると、妙に責任が重い。
「期待に応えられるよう努力します」
「努力で済ませないで」
「手厳しいな」
「最初から言ってるでしょ。うち、暇じゃないの」
その言い方が、少しだけ最初より明るくなっていた。
よし。これなら現場も巻き込める。
「では、ベンさんは場所の把握。サムさんは白鹿亭向け候補の洗い出し。ガイルさんは手前の通路確保をお願いします」
「なんで自然に仕切ってんだお前」
「嫌でしたら別の言い方にしますが」
「……いや、まあいい。通路の確保だな」
「助かります」
「父さんは帳面。私も見るわ」
リゼットが即答する。
「私は?」
ゴドーさんが、おそるおそる手を挙げた。
「ゴドーさんは一番大事です」
「えっ」
「白鹿亭との過去の取引で、向こうが何を嫌がっていたか、覚えている限り全部教えてください」
「わ、わかった……!」
人は、自分の役割が明確になると少しだけ動ける。
店内の空気が、ほんの少し変わった。まだ再建の熱気というほどではない。だが、“沈んでいるだけの場所”ではなくなった。
その時だった。
ガイルが奥の棚を動かしながら、低く唸る。
「おい、連司」
「はい?」
「これ、見てみろ」
近づくと、棚の奥から同じ種類の布巾が何束も出てきた。しかも、微妙に規格が違う。
「……多いな」
「それだけじゃねえ。こっちもだ」
別の箱には、宿屋向けでもない装飾入りの高価そうな茶器が詰まっていた。数も多い。辺境の弱小商会が持つには、明らかに重すぎる在庫だ。
リゼットが青ざめる。
「ちょっと待って、なんでこれがここにこんなにあるの?」
「仕入れ記録にありますか」
俺が聞くと、ゴドーさんが帳面をめくる手を止めた。
「……いや。少なくとも、すぐには見当たらない」
「見当たらない?」
「そんなはずは……」
嫌な予感がした。
在庫の偏りだけならまだいい。だが、帳面と現物が噛み合っていないなら話は別だ。ただの売れ残りでは済まない可能性がある。
俺は茶器の箱を一つ持ち上げ、底に刻まれた印を見た。
見慣れない紋章だった。
「これ、どこから入ったんですか?」
誰も答えられなかった。
店内の空気が、また別の意味で張り詰める。
倒産寸前の商会。
売れない在庫。
曖昧な帳面。
そして、誰も把握していない商品。
――思ったより、根は深いかもしれない。
第3話を読んでいただきありがとうございます。
次回、マルシェ商会の在庫問題をさらに掘り下げつつ、白鹿亭へ向けた最初の打ち手が動き出します。
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