第2話 倒産寸前の商会で、初回ヒアリングが始まる
リゼットに引っ張られるまま石畳の路地を抜け、俺は街の南側へと連れて行かれた。
王都のような華やかさはないが、それなりに人通りはある。だが中心部から離れるにつれ、建物の壁は少しずつ古び、道端の樽や木箱の置き方も雑になっていく。商業地区の外れ、という印象だった。
「そろそろ着く!」
「初回訪問なのに心の準備がないんですが!」
「大丈夫! うちも何も準備できてないから!」
それはやはり安心できる情報ではない。
やがてリゼットが立ち止まった先に、二階建ての古い建物が見えた。正面の看板には、かろうじて文字が残っている。
マルシェ商会
建物自体はそこまで悪くない。だが入口脇に積まれた木箱は雨ざらしで、麻袋の口も甘い。雑草が生えている場所もある。細かいことだが、こういう“手が回っていない感じ”は、客にも従業員にも伝わる。
そして決定打は――
「暗いな……」
思わず漏らすと、リゼットが肩をすくめた。
「昼でも暗いでしょ。父が“余計な灯り代は削る”って言って、表の照明を減らしたの」
「それで客足まで減ったら本末転倒では」
「でしょ?」
入口をくぐると、さらに空気が重くなった。
倉庫兼店舗らしき一階には、棚が並び、木箱や麻袋が山のように積まれている。乾物、調味料、布地、雑貨、工具らしきものまで見えるが、整然としているとは言い難い。しかも、量の割に人の気配が薄い。売れて動いている倉庫ではなく、溜まり続けている倉庫の匂いがした。
前世でも何度か見たことがある。
売上が悪い会社の倉庫は、だいたい静かだ。
「お嬢、お帰り……って、誰だそいつ」
「拾った」
「犬猫みたいに言うな」
奥から顔を出した大男が、露骨に眉をひそめた。日に焼けた肌、短く刈った髪、太い腕。護衛か荷運び役だろう。腕力は頼れそうだが、細かい話は苦手そうだ。
「変な男だけど、神殿で面白いこと言ってたの」
「その紹介で信用できる要素あるか?」
「今のところないわね」
「ひどいな」
大男は鼻を鳴らし、俺を頭の先からつま先まで見た。
「武器は?」
「ありません」
「魔法は?」
「たぶんほぼ使えません」
「喧嘩は?」
「避ける方針です」
「使えねえな」
「その評価はまだ早いと信じたいですね」
リゼットは大男の脇をすり抜けながら、振り返って言った。
「この人、ガイル。商会の護衛兼荷運び兼、たまに用心棒」
「兼務が多いですね」
「人手が足りないのよ」
「聞くだけで胃が痛くなるな……」
俺が呟いた時、二階へ続く階段の上から弱々しい声が降ってきた。
「リゼット……帰ったのか……?」
「帰ったわ、お父さん」
「今月の帳簿は……見つかったか……?」
「まず娘の顔を見て最初に言うことそれ?」
リゼットが額を押さえる。
階段を下りてきたのは、痩せた中年男性だった。上質ではないが清潔にしようとはしている服装。しかし肩は落ち、目の下にはくっきり隈がある。胃痛と寝不足を擬人化したような顔をしていた。
「そ、その人は……?」
「拾った」
「また!?」
「でも今度は変な詐欺師じゃないわ」
「前にもいたのか」
「いたのよ……」
中年男性――たぶん商会主なのだろう――は、おずおずと一礼した。
「マルシェ商会の主、ゴドー・マルシェです……。娘がご迷惑を……」
「真壁連司です。迷惑かどうかは、これから次第かと」
「れ、冷静だ……」
ゴドーさんはなぜか感心したように呟いた。
リゼットが俺の背中を押す。
「この人、《営業》なんだって」
「えいぎょう……?」
「私も最初そうなった」
「ええと……武器では、ないんですよね?」
「少なくとも振り回すものではないです」
ゴドーさんの困惑は正しかった。
俺は一度、店内を見回した。誰も彼も疲れている。表情が沈んでいる。棚は乱れ、導線は悪く、在庫の山には規則性がない。客が少ないのに、作業だけが煩雑になっている典型例だ。
ただ、まだ完全に終わってはいない。
建物は残っている。人もいる。商品もある。つまり、材料は残っている。
「単刀直入にお聞きします」
「は、はい」
「今、一番困っているのは何ですか?」
そう尋ねた途端、ゴドーさんとリゼットが同時に口を開いた。
「売上が――」
「在庫が――」
ぴたりと止まり、二人が顔を見合わせる。
「……あ、いや、売上でしょ?」
「違うわよ、在庫よ。売れないから在庫が積み上がってるの」
「売れないから困ってるんだから売上だろう」
「だから、その原因を言ってるの!」
父娘の小競り合いが始まった。
なるほど。状況はかなり切羽詰まっているが、問題認識が揃っていない。
これは厄介だが、逆に言えば、整理すれば改善余地がある。
「二つとも正しいです」
「え?」
「売上が下がっているのも事実。でも在庫が積み上がっているのも事実。大事なのは、どっちが“結果”で、どっちが“原因”に近いかです」
「……わかるの?」
「全部見せてもらえれば」
ガイルが後ろで腕を組んだまま、露骨に怪訝そうな顔をしている。
「さっきから質問ばっかだな、お前」
「最初から答えを持ってる人間の方が危ないですよ」
「それっぽいこと言いやがって」
「それっぽいじゃなくて、その通りです」
俺は一番近くの棚へ歩み寄り、商品を見た。保存食らしき乾物、安価な布、木製の日用品。品質は、ぱっと見では悪くない。高級ではないが、普段使いには十分だろう。
問題は商品そのものではなく、並べ方と持ち方かもしれない。
「この辺り、何が一番売れ筋ですか?」
「……え?」
「月ごとの数字、出せますか」
「げ、月ごと?」
「取引先の上位十件は?」
「じゅ、十件……?」
「仕入れ先は何社あります?」
「え、ええと……」
「失った取引先は、この半年で何件?」
矢継ぎ早の質問に、ゴドーさんの目が泳ぎ始めた。
リゼットが俺の袖を引く。
「ちょっと待って。あんた、父を詰めるのが仕事なの?」
「違います。今は状況確認です」
「その言い方で確認された側、たぶん死ぬわよ」
「すみません、癖で」
確かに前世でも、新規案件の立ち上げ時はこうなりがちだった。情報が足りないと、頭の中で必要項目が勝手に並び始める。
だがここは会議室ではない。相手の処理速度に合わせる必要がある。
「順番にいきましょう」
「た、助かります……」
「まず、今ある商品で“比較的”動いているものは何か。次に、最近減った取引先はどこか。最後に、仕入れと在庫の流れ。今日はそこだけでいいです」
「今日は、って……」
「一日で全部は無理です。むしろ無理にやると崩れます」
リゼットが少しだけ目を丸くした。
「へえ。もっと“全部出して”って言うかと思った」
「出せるなら欲しいですが、出せない情報を責めても前に進みません」
「……変なところでまともね」
「よく言われます」
たぶん褒め言葉ではない。
ゴドーさんはおどおどしながらも、奥の机から帳面を何冊か持ってきた。表紙の擦り切れ具合からして、きちんと記録しようという意思自体はあったのだろう。ただ、整理されていない。月別、商品別、取引先別が混ざっていて、見る側の負荷が高い。
「なるほど……」
「わかるの?」
「まだ半分も。ですが、少なくとも“何がわからないか”はわかります」
「余計にわかりにくいわね」
「重要ですよ。混乱してる時ほど」
帳面をめくりながら、俺は店内の従業員たちにも目を向けた。三人。全員、俺たちの会話をちらちら見ている。期待より警戒が強い。無理もない。見知らぬ男が急に現れて、主と娘に質問攻めしているのだ。
まずは彼らの空気も見ないといけない。
「失礼ですが、皆さんにも少しお聞きしていいですか」
「え?」
「現場の声がないと、帳面だけでは片手落ちなので」
「げ、現場って……そんな大げさな」
「大げさじゃないです。実際に困ってるのは現場でしょう?」
その一言で、入口近くにいた年配の男性が少しだけ顔を上げた。
「……困ってますよ」
「ベン爺」
「だって本当だろ、お嬢。最近は何をどこに置いたかも探すのに時間がかかる。客が来ても、出す前に倉庫をひっくり返す始末だ」
「それは……」
「しかも仕入れのたびに似たようなもんが増える。売れ筋もよくわからんままだ」
ベンと呼ばれた男性は、言いづらかったことを吐き出すように言った。
ゴドーさんが肩を縮める。だが、ここで落ち込ませるだけでは意味がない。
「ありがとうございます。大事な情報です」
「大事か?」
「はい。今の話で、“売れない”だけじゃなく、“探せない”“置き方が悪い”“仕入れ判断が曖昧”という問題が見えました」
「そんなことまでわかるのか」
「全部、今の一言に入ってました」
ベンさんはきょとんとした顔で俺を見る。
リゼットが小声で呟いた。
「ちょっと悔しいけど、なんかそれっぽい」
「それっぽいじゃなくて、今のところは事実です」
「いちいち言い返すわね」
「営業なので」
いや、営業だから何だと言われると困るのだが、なんとなく口をついて出た。
俺は店内の奥へ進み、倉庫との境目らしき場所で立ち止まった。木箱が雑然と積まれ、通路が狭い。荷を運ぶたびにぶつかりそうだ。しかも手前に動きの悪い商品が積まれ、奥に少しだけ空いた棚がある。
これ、誰かが一度“とりあえず置く”を繰り返した結果だな。
「リゼットさん」
「何?」
「確認です。売れ筋の商品って、奥にしまってませんか」
「……え?」
「代わりに、売れない在庫が手前に増えてる」
「なんでわかるの?」
「手前の箱、埃の積もり方が違う。動いてないです」
リゼットが無言で箱の表面を指でなぞる。白い筋がついた。
「本当だ……」
「逆に奥の通路だけ、足跡が多い。取りに行ってる商品は別にある」
ガイルが感心半分、警戒半分の顔になる。
「お前、目ざといな」
「倉庫はしゃべります」
「怖い言い方するな」
前世でも、現場を見ると大体わかることは多い。会議室の資料より、現場の動線の方が正直だ。
俺は一度深く息を吐き、店の中央へ戻った。
「ひとまず、仮説が立ちました」
「仮説?」
「はい。この商会は、商品が極端に悪いわけではない。たぶん価格も致命的ではない。ですが、“誰に何を売るか”と“どう回すか”が崩れています」
「……」
「結果として、売れない。探せない。仕入れがずれる。さらに売れない。悪循環です」
沈黙が落ちた。
俺としては、ようやく入口に立ったくらいの感覚だ。だが父娘と従業員たちは、思った以上に真剣な顔でこちらを見ている。
ゴドーさんが恐る恐る聞いた。
「そ、それは……直せるんでしょうか」
「全部を一度には無理です」
「やっぱりか……」
「でも、一件なら取れます」
「え?」
全員の視線が集まる。
俺は帳面の端に残っていた取引先名を指でなぞった。現取引先ではなく、半年ほど前に消えている名前がいくつかある。その中に、規模のわりに継続性がありそうな名前が一つあった。
「この“白鹿亭”って宿屋、取引切れてますよね」
「し、白鹿亭?」
「前は乾物と布巾を定期で納めてました。違いますか」
「合ってるけど……なんでそこ?」
「規模がちょうどいい。いきなり大口じゃない。しかも宿屋は欠品を嫌う。今の状態でも、改善の見せ方次第で戻せる可能性があります」
「ま、待って待って」
リゼットが両手を上げる。
「今、初めて来たのよね?」
「はい」
「帳面と倉庫を少し見ただけよね?」
「そうですね」
「それで、次に落とす先まで決めたの?」
「候補です。断定はまだです」
「充分おかしいわよ」
その評価は、もう慣れてきた。
だがリゼットの目には、最初よりもはっきりした光がある。疑いだけではない。面白がっている。そして少しだけ期待している。
そこへ、入口の扉が乱暴に開いた。
鈴ではなく、木の板がぶつかる乾いた音が店内に響く。
「よう、ずいぶん静かじゃねえか、マルシェ商会」
入ってきたのは、年の頃二十代後半の男だった。仕立ての良い上着、整えられた髪、そして人を値踏みすることに慣れた顔。後ろには従者らしき若者が一人ついている。
男は店内を見回し、俺の顔で一瞬だけ止まった。
「……なんだ、客か? いや、その格好は違うか」
「バルト」
リゼットが露骨に眉をひそめる。
男――バルトと呼ばれたらしい彼は、わざとらしく肩をすくめた。
「そう睨むなよ。今日は親切に来てやったんだ。今度の見直しで、うちがこの辺の宿屋をまとめて受ける話になりそうだからな。二度手間になる前に、そっちの古い口座も整理してやろうと思って」
「頼んでない」
「頼まれなくてもやるさ。困ってるだろ?」
言葉こそ柔らかいが、完全に勝ちに来ている顔だった。
なるほど。これが競合か。
しかも、たぶんこいつはただの嫌味な若旦那ではない。情報を掴んで動いている。つまり“できる側”だ。
バルトは視線を俺へ戻した。
「で、そっちの変なのは何だ?」
「拾ったのよ」
「またか?」
「またよ」
「学ばねえな、ほんと」
バルトは笑ったが、その目は笑っていなかった。
俺は軽く一礼した。
「真壁連司です」
「へえ。商人か?」
「営業です」
「……なんだそれ」
本日十二回目くらいの反応だった。
店内の空気が一段張る。
リゼットが腕を組み、俺の前に半歩出た。
「こいつ、口は変だけど、ちょっと面白いわよ」
「面白い、ねえ」
バルトは口元を歪めた。
「面白いだけで商売が回るなら苦労しないんだがな」
正論だった。
だが、正論を吐く競合ほど厄介なものもない。
俺はその顔を見ながら、心の中で静かに認識する。
――なるほど。この商会、思ったより状況が悪い。
だが同時に、思ったより“勝負になる形”はある。
まずは現状把握。
次に、小さく勝つ。
そして競合の動きも含めて、勝ち筋を組む。
久しぶりに、案件の輪郭が少しずつ立ち上がってくる感覚があった。
バルトはまだ余裕たっぷりに笑っている。
たぶん今は、俺のことなど眼中にないのだろう。
それでいい。
初回訪問で理想的な状況なんて、そうそうない。
むしろ燃える。
第2話を読んでいただきありがとうございます。
次回、マルシェ商会の現状整理と、最初に狙う取引先が見えてきます。
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