第1話 無能職《営業》、異世界に立つ
人は死ぬ瞬間、人生の走馬灯を見るという。
だが俺――真壁連司が最後に見たのは、走馬灯なんて洒落たものではなかった。
『真壁さん、先方の稟議、まだ下りてませんよね?』
『今月の数字、かなり厳しいぞ』
『いや、そのご懸念はもっともです、ですが――』
自分でも嫌になるくらい、仕事の記憶ばかりだった。
最後まで営業かよ。
そんなツッコミを入れる間もなく、視界は真っ白に塗り潰され、次に目を開けた時、俺は見たこともない大理石の床の上に転がっていた。
「……は?」
高い天井。壁一面の巨大なステンドグラス。妙に神々しい空気。鼻をくすぐる香の匂い。どこからどう見ても、病院ではない。
というか、日本ですらない。
「おお、目を覚ましましたか」
「次の方、前にどうぞー」
「泣かないでください、毎年何人かは農夫になりますから」
視線を上げると、白い法衣を着た老人が、俺に向かって穏やかな顔をしていた。穏やかすぎて逆に怖い。周囲には長蛇の列。剣を抱えた若者、杖を持った少女、やたら筋肉のある大男。全員、祭壇の前で一人ずつ何かを告げられては、一喜一憂している。
なんだこれ。
採用面接か?
「次はあなたです。祭壇に手を」
「いや、ちょっと待ってください。ここどこですか」
「神授の間です」
「しんじゅ?」
「職能神より、あなたの授かる才を告げる場所ですな」
老人は何の疑問もなくそう言った。
職能。才。
つまり、あれか。
異世界転生とか、そういうやつか。
いやいや、落ち着け俺。休日明けの朝イチ商談前でも、ここまで非現実な夢は見ない。だが、目の前の老人の髭はやけにリアルだし、大理石の冷たさも妙に本物じみている。
夢にしては感触が鮮明すぎる。
「さあ、手を」
「……もしこれが何かの営業なら、導入が強引すぎますよ」
思わず口から出た言葉に、老人が首を傾げた。
「えい、ぎょう……?」
「いえ、独り言です」
俺は観念して、祭壇の中央に置かれた透明な球体へ手を伸ばした。
触れた瞬間、球体の奥で光が渦を巻いた。
青、赤、金、緑――色が次々と混じり合い、やがて一つの文字列となって浮かび上がる。
周囲がどよめいた。
「おおっ」
「珍しい色だぞ」
「どの職だ?」
俺もごくりと息を呑む。
せめて剣士。いや贅沢は言わない、魔法使いでも僧侶でもいい。異世界で生きるなら、多少は戦える方がいいに決まっている。
球体の光が収束し、はっきりと文字を結んだ。
――《営業》。
……営業?
「え?」
「おお……《営業》ですな」
「……え?」
「実に珍しい」
老人は感心したように頷いた。
だが、周囲の反応は静まり返っていた。
「なんだそれ」
「聞いたことねえ」
「戦えるのか?」
「いや、どう見ても戦えないだろ」
ひそひそ声が一斉に飛んでくる。嫌な空気だ。とても嫌な空気だ。俺は嫌というほど知っている。会議室で予算感が合っていない提案を出した時の、あの空気に似ている。
「ええと……営業って、具体的には何ができるんですか」
「人と話すことに長ける職能ですな」
「それだけ?」
「状況把握、対話、提案、信頼形成などに適性を持つとされております」
「戦闘補正は」
「ほぼありません」
「防御は」
「期待なさらぬ方が」
「魔法は」
「個人差がありますが、少なくとも主軸ではありませんな」
終わった。
完全に文官職だ。しかも文官ですらない。人と話すのが得意、提案が上手い、それだけ。いや、前世の俺ならそれは十分な武器だったが、ここどう見ても剣と魔法の世界なんだが?
周囲の目が痛い。
「あー……ご愁傷さま」
「荷運びならできるんじゃないか?」
「でも魔物に襲われたら終わりだろ」
率直すぎる評価を浴び、俺は思わず額を押さえた。
異世界に転生してまで、配属ガチャ外した新卒みたいな空気を味わうとは思わなかった。
老人――たぶん神官なのだろう――が、少しだけ気遣うような声で言う。
「《営業》は珍しい職能ゆえ、誤解されがちですが、決して無価値ではありませんぞ」
「ありがとうございます。非常にフォローの気配は感じます」
「ただし、冒険者向きではありませんな」
「そこは断言するんですね」
神官は優しく微笑んだ。優しさが逆につらい。
列の後ろにいた剣士風の若者が、露骨に笑いをこらえながら言った。
「おいおい、《営業》ってなんだよ。魔物に『そのご懸念はもっともです』とか言うのか?」
「やめろ、お前。笑うなよ」
「いや無理だろ、絶対弱いって」
笑いが広がる。
俺は深く息を吐いた。
いい。こういう空気には慣れている。前世でも、新サービスの提案を持っていった初回訪問で、門前払い寸前の空気は何度もあった。大事なのは、ここで感情的にならないことだ。
相手は何を知らず、何を恐れ、何を価値だと思っているのか。
……いや待て。そんな分析をしてどうする。
今の俺に必要なのは案件整理じゃない。生存戦略だ。
「この職能で、食っていける場所ってありますか」
「商会、役所、交渉役、案内人……あとは極めて稀に、貴族の側近として見出されることも」
「極めて稀」
「ええ。極めて」
再度断言された。
なるほど。つまり、この世界で《営業》は便利そうに見えて、単独では食い扶持に直結しにくい。戦えず、派手でもなく、即効性も見えない。評価されにくい職だ。
嫌になるほど、よく知っている立ち位置だった。
「次の方どうぞー!」
神殿の奥から声が響く。俺は流れ作業のように脇へ寄せられた。
その後も何人もの若者が職能を授かっていく。《剣士》《火術師》《治癒士》《盾役》――どれもわかりやすくて羨ましい。俺の《営業》だけ、説明を聞いても戦い方が見えない。
神殿の出口近くまで来たところで、ひときわ大きな歓声が上がった。
「《雷槍士》だ!」
「すげえ! 当たり職じゃねえか!」
「将来有望だぞ!」
きらきらと祝福される少年を横目に、俺は静かに神殿を出た。
外は石造りの街並みだった。
露店。馬車。甲冑姿の兵士。尖った屋根。完全に異世界である。観光地ならテンションも上がったかもしれないが、所持金ゼロ、職能は会話特化、知り合いなしの状態では厳しい。
厳しいどころではない。詰んでいる。
「まずは……衣食住の確保か」
思考を整理する。こういう時ほど前提を揃えるのが大事だ。
現状。
俺は異世界にいる。
身分も金もない。
戦闘向きではない。
ただし、《営業》として状況把握や対話に適性がある、らしい。
取るべき打ち手。
まず死なないこと。
次に、職能が活きる場所を見つけること。
できれば、初回接点で変に嫌われないこと。
「……うん。初手、かなり大事だな」
呟きながら歩き出し、すぐに足を止めた。
神殿の正面広場には、大きな寄付箱が置かれていた。おそらく神殿運営のためのものだろう。だが、気になる。ものすごく気になる。
人の流れが悪い。
神殿を出た人間は、左手の屋台に吸われている。寄付箱は右側、しかも柱の陰寄り。視認性が低い。導線から外れている。これでは善意があっても取りこぼす。さらに、寄付の使途らしき札も小さすぎて見えない。
もったいない。
あまりにも、もったいない。
「この配置、離脱率高そうだな……」
気づいたら口に出ていた。
「は?」
背後から声がした。振り返ると、神殿の見習いらしい少年が怪訝な顔でこちらを見ている。
「りだつ、なんだって?」
「あ、いや。寄付したい人が途中でやめるって意味で」
「なんで?」
「なんでって、見えづらいし、流れに乗ってないから。寄付箱、あそこじゃなくて出口真正面の三歩先に置いた方がいい。ついでに『孤児院の運営費になります』みたいに使い道を大きく書けば、心理的な納得も出る」
「し、心理的……?」
「あと人が立って『ありがとうございます』って一言添えるだけでも全然違う」
そこまで言って、俺ははっとした。
何をやっているんだ、俺は。
異世界転生初日に、神殿の寄付導線改善案を口走る男。だいぶやばい。
見習い少年は数回まばたきをし、やがてぽつりと呟いた。
「……変な人だ」
その評価は甘んじて受け入れよう。
ただ、少年は完全に引いたわけではなかった。むしろ、少しだけ考え込んでいるようにも見える。やはり《営業》の適性なのか、相手の反応の“引っかかり”が妙にわかる。
手応え、とまでは言わないが、無反応ではなかった。
いけるかもしれない。
そう思った瞬間、腹が鳴った。
ぐう、と、情けない音が石畳に響く。
「……まず飯だな」
現実は冷静だった。
俺は肩を落として広場を横切る。屋台の匂いが胃に刺さる。焼いた肉、香草、甘い菓子。財布があれば何でもない光景が、今はひたすら残酷だ。
どうする。日雇いでも探すか。いや、この世界の文字はまだ怪しい。身体能力も不明。かといって、いきなり商会へ飛び込んで雇ってくれと言っても、実績ゼロでは厳しい。
考えろ。初回接点の勝ち筋は何だ。
「すみません、ちょっといい?」
不意に声をかけられた。
振り向くと、栗色の髪を後ろでひとつに束ねた少女が立っていた。年は二十前後。動きやすそうな服装で、目がやたら鋭い。小柄だが、気の強さが顔に出ている。
「さっき神殿で変なこと言ってた人よね」
「変なこと、という認識なんですね」
「寄付箱の位置がどうとか、離脱率がどうとか。意味わかんないけど、妙に自信ありげだったから覚えてる」
「光栄です」
少女はじろじろと俺を見た。
「職能、何だったの?」
「《営業》です」
「……なにそれ」
「その反応、今日だけで十回は見ました」
「ごめん、でも本当にわかんない」
悪気はなさそうだ。率直なだけである。
少女は腕を組み、少し考えてから、いきなり核心を突いてきた。
「で、その《営業》って、金を生めるの?」
「ずいぶん直球ですね」
「こっちも暇じゃないのよ」
なるほど。話が早いのは嫌いじゃない。
俺は相手を見る。靴の汚れ、袖口のほつれ、腰に下げた帳面。荷運びや仕入れに出ている商会関係者だろう。だが身なりは最低限整っている。完全な貧民ではない。切迫感はあるが、思考は回っている。つまり、困っているが、まだ立て直しを諦めていない。
営業先としては、悪くない。
……いや違う。今の俺が営業先扱いしてどうする。だが、頭が勝手に相手の状況を整理してしまう。
「単刀直入に言います」
「うん」
「生めます。少なくとも、前よりは」
「前?」
少女が眉をひそめる。
「前提がないと伝わらないので。たとえば何かが売れない時、原因は商品そのものとは限りません。売る相手がズレてるのか、説明が弱いのか、信用が足りないのか、買う理由がないのか。そこを整理して、通る形に変えるのが営業です」
「……ふうん」
彼女はわかったような、わからないような顔をした。
「剣で殴るとか、魔法で爆発させるとかじゃないのね」
「平和的です」
「弱そう」
「そこは否定しません」
少女は数秒、俺の顔を見ていたが、やがて口元を少しだけ持ち上げた。
「いいわ。気に入った」
「ずいぶん急ですね」
「うち、潰れかけてるの」
「さらに急ですね」
彼女は俺の反応を気にした様子もなく、顎で広場の外を示した。
「倉庫は売れ残りだらけ。取引先は減る一方。父は胃痛で毎日死にそうな顔してるし、従業員もだいぶ空気が悪い。正直、まともな打ち手がない」
「なるほど」
「で、あんた」
少女は一歩近づいてきた。
琥珀色の瞳が、面白い玩具を見つけた子供みたいに光っている。
「その口だけで、金を生める?」
喉が鳴った。
怪しい誘いだ。まともに考えれば、初対面でついていくのは危ない。だが俺には今、選べる立場などない。そして何より、その言葉には妙な熱があった。
諦めきれていない人間の声だ。
「条件があります」
「何?」
「まず現状を全部見せてください。商品、取引先、在庫、金の流れ、人の動き。提案はそれからです」
「……いきなり偉そうね」
「無責任なことは言いたくないので」
「ふふっ」
少女は吹き出した。
「やっぱり変な人。でもいい。来て」
「ちなみに、お名前を」
「リゼット。リゼット・マルシェ」
「真壁連司です」
「じゃあ連司、走って」
「走るんですか」
「父が倒れる前に着きたいから!」
言うが早いか、リゼットはくるりと踵を返して駆け出した。
俺は一拍遅れて、その背中を追う。
石畳を踏みしめながら、心のどこかで笑ってしまう。
異世界転生初日。授かった職能は《営業》。剣も魔法もなく、神殿では無能扱いされた。
だが今、どうやら最初の案件が向こうから歩いてきたらしい。
いや、走ってきた、が正しいか。
リゼットの背中は小さいのに、妙に頼もしかった。
「連司! 遅い!」
「初回訪問で走るのは想定外なんですよ!」
そう叫び返した瞬間、リゼットが振り向きもせずに言った。
「安心して! うちはもっと想定外だから!」
……それは、あまり安心できる情報ではない。
だが、少なくとも退屈はしなさそうだった。
そしてたぶん――ここが、俺の異世界での最初の勝負どころになる。
倒産寸前の商会。
見ず知らずの少女。
戦えない《営業》という職能。
悪くない。
いや、正確にはかなり悪い。
それでも。
俺はようやく、少しだけ口元を上げた。
営業は、前提が厳しい案件ほど燃えるのだ。
第1話を読んでいただきありがとうございます。
次話から、倒産寸前の商会を舞台に主人公の“営業”が動き出します。
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