第38話 キャッチボール
珍しく、恵吾からの連絡がなかった日、わたしは息子と約束していたキャッチボールをするために近所の公園に行った。グローブとボールはおっちゃんに貸してもらっている。
「ママ出来るん?」
「出来るよー」
長くなくなった爪。左手にグローブを収める。息子が投げたボールが、わたしより少し手前に転がる。わたしが走って取りに行く。そして少し後ろにさがってから、息子に向かって投げる。
元ソフトボール部をなめないで欲しい。あんまり上手くないけど、キャッチボールは好きだった。お父さんとよく空き地でキャッチボールをした。家に帰ると、お母さんの手料理があった。専業主婦だったお母さん。羨ましいぐらいに何でも完璧だった。わたしもそんな家庭を築いていくものだとばかり思っていたのに、現実は全く違った。
だけど過去のリアルを振り返るとダサくって、悪趣味なお父さん。エラの張った顔に、細っそりとした目。大きなお腹に薄い髪の毛。家族のことが第一で、自分のことは後回しで全くオシャレじゃない愚痴っぽいお母さん。そんな家族が嫌で嫌で仕方なかった。だからわたしは違う輝きを手にいれることに必死だった。
「すげえ、ママ!」
思いっきり投げたボールが、息子のグローブに収まる。だけど、ソフトボール部時代はわたしにとっては黒歴史だからだれにも言いたくない。真っ黒に焼けた、男同然のわたしは大っ嫌いだ。か弱くて守りたくなるような女にならないと、相手にしてもらえないからだ。それを振り切るように、中学卒業のタイミングで引っ越しできて心底安心した。
女子でキャッキャするのが楽しかった。恋バナにずっとドキドキしていた。
いや違う、全ての歴史が今のわたしを作っている。そしてそれがほんの少しだけ息子に流れ込んでいる。息子がシングルで育てられて不幸なのか、幸せなのかはわたしが決めることではない。
「なあ、明斗」
「なに〜?」
息子が投げたボールが大きな半円を描いてわたしの前に転がる。
「ママとパパ、離婚してんで」
「うん、知ってるよ」
「ほんまあ、いや、でも迷ってるねん」
「なにが?」
わたしは息子に向かってボールを投げる。少しズレたけどキャッチする。
「恵吾に結婚しよーって言われてさ」
「へー。恵吾くんは俺も好きやけど、ママは結婚向いてへんしもう無理せんでええんちゃう?」
「ははっなんよその大人みたいな言い方」
「俺がママ守るからもうええやん」
不覚にも目の辺りがじゅわっとした。おかしいな、血繋がってないはずやのに、類ちゃんみたいやん。しっかりと受け継いでたんやな。類ちゃんのことはいまだに腹立つけど、自分と血のつながりがないとわかっていながらも、周りのだれよりも息子に愛情を注いでくれていた。
「ほんまに明斗はパパ似でええ子や」
「パパは野球全然やったやん。サッカーばっかりで俺は嫌やった」
「あは、そうやったん」
わたしが投げたボールが大きくそれて、明斗は公園の外に歩いて拾いに行く。ふと重なる、類ちゃんが事故した時のことが。現場を見た訳ではないけれど、血の繋がりもない少年を命懸けで助けて、大事な選手生命を犠牲にまでして守ったことを。そこまでなにがそうさせるのだろう。
自分や自分の家族だけを守ることに必死なわたしには到底、彼の頭の中は想像できない。
「ゆりちゃんも元気かな〜?」
明斗がボールを持って戻ってくる。
ああ、そうか。
あの女のためか。あの美しい女。
だけど……とわたしは思う。あのふたりは決して一緒にはなれない。
それにふたりは……なりたいとも思っていない。
ただ、ただそばにいられるだけで幸せなのだ。




