第20話 居酒屋で
夫は、少し申し訳なさそうにしながらも家を出て行った。寂しがって泣く息子はなにをしても泣き止まなくてイライラした。夫が作ってくれた唐揚げと味噌汁と、小松菜のお浸しをわたしは立ったまま食べてそれから残りを冷蔵庫に入れた。
少ししたら、夫が向かった居酒屋に行くつもりだ。息子はまた同じテレビを見ている。終わると怒るので、すぐ近くにリモコンを置いている。わたしは冷蔵庫からビールを取り出して、一気に半分ぐらいまで飲む。
「かー。どうするかなあ」
わたしは化粧直しをする。眉毛を描き足し、パウダーを付ける。まつ毛エクステをつけているまつ毛にさらにマスカラを塗り足して、乾いてからカールさせる。
ピンクのグロスをつける。それからまたビールを半分飲み、トイレに行き、息子のおむつを替える。最悪、うんちじゃん。
息子を抱っこしながら、片手でベビーカーを押す。寝るかもしれないから、一応持って行く。駅前までは、歩くと20分近くかかるけれど、構わない。女の家の近くを通る。もう行ってるんやろなーって思いながら。
わたしは店の外にベビーカーを立てかけて、入店する。あ、いた。夫たちの姿を確認する。夫の隣には女がいて、それから別の女。奏也くんにあと、男がふたり。
「いらっしゃいませー」
「ふたりです」
わたしはバレないように小声で伝える。
「お子様の椅子ご利用されますか」
「お願いします、あ、あの辺りなら嬉しいんですけど……」
わたしはギリギリ夫たちからは見えないだろう、けれど離れていない場所を指差した。
「わかりました。ご案内しますね」
息子は色々な興味津々で、走るのでわたしは慌てて追いかける。息子を椅子に座らせる。とりあえず、ポテトとわたしはビールを注文。息子が椅子から立ち上がろうとしたり、とにかく集中できないけど、わたしは耳を攲てる。
息子におにぎりも食べさせながら、夫の方を見る。手元を見ると、ふたりは仲良く手を繋いでいた。
「ついに奏も結婚かー」
「ありがとう。ていうか、大川もやん」
「ありがとう」
え、女結婚すんの? 耳を疑う。っていうことはW不倫?!
「そうそう、そういえばこの間ケーブルテレビに蒼くん出ててびっくりしたわ」
別のちょっとケバい女が言った。
「見てくれたんや、ありがとう。インタビューとライブで1日収録かかって大変やったってこの間、言ってた。仕事自体は落ち着きつつあるみたいなんやけど、まだ少しだけ次に向けての打ち合わせとか忙しいみたいで」
「ハワイもどうやった?」
「楽しかったよ、ふたりではしゃいじゃった。あとでお土産渡すね」
「でも落ち着くってことは、もうじき悠莉、東京? いややー嬉しいのにさみしい。でも絶対遊びに行くし、こっちにもたまには戻って来てや」
「もちろん、ちょくちょく戻るよ」
女は、ちらっと夫を見る。
「やっぱ、あのYURIって曲が1番俺は好きやなー」
「ありがとう、蒼くんに言っとくわ」
「俺も絶対に東京行くからな。てか東京の子って可愛いんやろな」
YURIって曲……。もしかしてラー? なに? ラーのAOIの婚約者なん? ありえへんけど、この女やったらありえそう。
じゃあ、だから夫は身を引いたってこと? それを知って、諦めてわたしに告白したってこと? もう……やっぱりなにもかも負けや。
東京……ラー……AOI……。
バンドを壊せるか? 婚約者の女が不倫してることがバレたら。情報を売るか? でもそれでAOIと上手くいかなくなったら女は夫にくっ付くの? わたしたちより女を選ぶかも。その可能性はある。だけど、女を傷つけるには1番いい。いつ発表されるんやろう。こういうのって週刊誌の会社に連絡入れたらいいの?
「明斗?」
前に座っていたはずの息子がいない。ハッとして夫の方を見ると、息子はそっちにいた。夫に抱きつき、次に女に抱きついた。
「おー明なんでおんの?」
わたしは急いでみんなの前に行き、挨拶する。女の顔から表情が消えていく。よしよし、そこそこダメージ与えられてそうだ。ふたりはいつの間にか握っていた手を離していた。笑える。いつまでも繋いでおけよ。
「お世話になっています」
だめだめ、可愛らしい完璧な妻じゃないと。
「え、類斗の奥さんとこども?」
「うん、俺もびっくりしたわ」
女の目を見る夫。
「ママ、ゆりちゃん!」
息子が女を指差す。
「え、明斗知ってんの?」
「うん! お花のゆりちゃん」
「ああ、一緒に散歩してたら、家の前で会って……それで仲良くなったの」
わたしは苦笑いする。あかん、ちゃんと微笑まな。なんにも知らない可愛らしいママを演じないと。
「ゆりさんのお家のお花気に入って、この間、明がチューリップの葉っぱちぎっちゃってん」
すぐに捨てたけど、汚いよって、わたしが言って。手も洗わせた。
「かわいいー。でも類斗に似てない?」
「こっち座って食べますか?」
1人の男が声をかけてくれたけど、それを制するように
「いや、遅いし帰ろっか」
と夫が言った。
「ごめんなー1万で足りる? あ、大川。またな。東京でがんばれよ。なんかあったらすぐに《《俺ら》》行くから。寂しくて泣くなよ?」
「泣かへんし。類斗も仕事と家庭がんばって」
女に札を渡そうとして指に触れる。本当に一瞬なのに、なにこのふたりの幸せそうな顔。そしてその手で息子を抱き上げて店を出る。
「よさそうな人たちだね」
「ああ……まあな。ていうかびっくりしたわ」
なぜ、わたしたちがいたのか訊いてこない。知り合いだったことも。わたしは夫の服の裾を指で摘み、ベビーカーを片手で押して歩く。
1ダメージは与えられたかな? と思った。
そして、しっかりとわたしたちが寝静まった頃に夫は玄関から出て行った。わたしたちを残して、なにも言わずに。外が明るくなり始めた頃に、夫が戻ってきた音がした。




