第17話 深くて広大な海の底
ぼんやりとしながら家に戻る。アパートの下に車が戻って来ていた。わたしはひとり部屋のドアを開ける。
「咲良、どこ行ってたん? おらんくてびっくりしたわ」
「ああ、コンビニ。明よく寝てるから大丈夫かなって思って。でも財布忘れてさ、あほやわ」
真っ暗な寝室で、わたしたちの声と明斗の小さな寝息だけが聞こえる。
「買って来てほしいものあったら言ってくれたらよかったのに。おやすみ」
夫が寝返りを打つ。幸せそうな可愛い夫。あの場にもしわたしが現れたら、夫は傷つくだろう。わたしや息子を思ってもう会わないようになるかもしれない。
でもそしたら、また夫の世界は曇ってしまうだろう。そして、正気を失った状態になるかもしれない。ふたりの逢い引きは、なんか不倫とも違う気がした。世界が二分されているような、あのふたりの空間だけ別みたいな、そんな印象だった。
祥子や香織たちは同情してくれてるんやろうな。悩んでくれてるんやろうな。絶対口外はしないやろな。申し訳ないな。
あんなに可愛い、夫が大好きで愛してる女を傷つけて、わたしはどうしたらいいんやろ? でも見守るなんてできひん。だけど、このまま仮面夫婦を続ければ、みんなの憧れは手に入る。幸せな家庭は築ける。
洗面台に立って、そっとわたしは電気をつけ化粧を落とした。薄い眉毛に腫れぼったい瞼。低い鼻に、丸い顔。あの女と対称的だ。
化粧水をつけ、乳液を塗り込む。変わらないわたしの顔。
小さな顔。大きな目。柔らかい眉毛。可愛い声を出す女の唇。
でもそれ以上に、夫が女に惹かれている。見た目でも中身でもないなにかでふたりが繋がっている。深くて広大な海の底みたいに。絶対にわたしじゃ潜っても見つけられない。ふたりなら見つけられるんだろうな。もう羨ましくもない、夫のあんな目を見てしまったら。
わたしは女の家までのルートを思い出す。なんとかして知り合いになられへんかな? 明日、明斗との散歩がてら探索してみるか?
電気を消して、布団に入る。わたしと夫の間で、明斗は寝ている。




