金槌の柄
作業台に向かい合って買ってきた白パンのサンドをもそもそと口に運ぶ。食べながらも少年は落ち着かない様子でチラチラとレンガの上に視線を向けていた。レンガの上の金槌はうっすら綺麗なキツネ色に染まっている。形が気に入らないようなことを言っていたが、今になって自分の作った専用の道具だという実感が湧いてきているのだろうか。飲みかけのカップに手をかざし水と氷を追加して少年に差し出す。
「気になるのは分かるけれど、まずはお昼を食べようね」
「さっき水につけたのにまた色が変わってますけど、大丈夫なんですか?」
どうやら気になっていたのは焼戻しのことだったようだ。仕上げは流れでさっさと終わらせる癖がついているせいで、どうしても説明不足になってしまう。
「あれは焼戻しって言ってね。鉄を強くする作業みたいなものだよ。実は焼入れ……水につけて一気に冷ました鋼は、そのままだと硬すぎてガラスみたいに脆い状態なの。それを低めの温度や予熱でゆっくり温め直すと、粘り強い鋼に変わっていくんだよ」
少年は感心したように頷き、またレンガの上に目を向ける。その様子がなんだかおかしくて、つい笑ってしまう。
「お昼。食べようね?」
「ごめんなさい……」
しばらく少年の初めての鍛造の感想を聞きながら食事をする。熱した鋼の前に立ったときの想像以上の暑さ。初めて槌を振り下ろしたときの派手な火花。目がチカチカする中で形を整える難しさ。少し興奮しながら話す少年の言葉に耳を傾けていると、突然工房の扉がバタンと開く。
「鍛冶屋いるかー!」
背負籠に何やら色々と詰め込んだ薬屋が工房に飛び込んできた。いつも思うが、この元気はどこから出てくるのだろうか。薬屋は籠をその場に降ろすと椅子を引っ張ってきて作業台に座り、布の包みを広げ始める。
「いやー春の森は楽しいな!あ、お昼ここで食べてっていいか?少年久々だな!エプロン似合ってるぞ。てことは弟子になれたのか。おめでとう!」
こちらが話す間もないくらい一気にまくしたてると、布の包みからチーズと白パンと干し肉を取り出す。テキパキとナイフで白パンを半分に切り、干し肉とチーズを薄く削って挟み、かぶりつく。食べ始めてやっと大人しくなった。
「薬師のお姉さんは森に行っていたんですか?」
「ふふんむふおほあいんんおいお…」
私は黙って立ち上がり空のカップに水を満たすと薬屋の前にコトリと置く。それに薬屋は笑顔で礼を言い、一気に飲み干した。
「春の森は薬の素材がたくさんあるんだよ。色んな種類の薬草に木の実でしょ。他にも山菜やキノコなんかもたっぷり集めてきたんだ。森の奥はまだけっこう雪が残ってて指がカチコチになっちゃったよ」
「そういう素材って自分で取りに行くものなんですね。お店で買うのかと思ってました」
「店でも買うし冒険者に依頼出したりもするけどな。自分の目で見て回らないと、何があるのか分からないだろ?だから定期的に森を歩いて、採取がてら確認するんだ」
この時期の森は多くの恵みで溢れている。自然の素材を多く扱う薬師にとっては素材の宝庫なのだろう。満杯の背負籠の様子を見れば、どれだけ採取を楽しんできたかが見て取れるようだ。私もまだ故郷で暮らしていた子供の頃は、春の森を歩いて木の実や山菜を集めていた。どこかで時間を見つけて少年と森を歩くのも楽しいかもしれない。
「少年は弟子になれたんだろ?もう何か作ったのか?」
「普段はヤスリがけくらいしかまだできませんが、今日は初めて鉄を叩いたんです!あれ、僕が作ったんですよ。僕の金槌です!」
少年が指さす方向には、レンガの上で焼戻し中の金槌の頭が乗っている。薬屋はサッと立ち上がるとレンガの前に移動し、金槌をまじまじと見つめる。頭を左右に振りながら、色々な角度から楽しげに見つめていた。
「すごいじゃん!もう鉄が叩けるんだね。いつか私にも何か作ってもらおうかな。ところでこれ柄は付けてないの?」
「まだ焼戻し中。さっきナイフは仕上げたからお昼からは柄を削り出してもらうつもりなんだけど、うちの在庫の柄に使える木材はちょっと太いから、最初から全部削るのは少し大変かもしれないねぇ」
それを聞いた薬師が「それなら」と背負籠から数本の木の枝を引っ張り出す。森で拾ってきたのだろう、まだ少し湿り気の残る真っ直ぐな木の枝を差し出してきた。よく森へ出かける彼女には程よい太さで真っ直ぐな枝があったら拾ってきてくれと頼んでいるので今回もそれだろう。
「雪の下にあったから冬の間に折れたんじゃないかな。それなんかちょっと細いけど小枝もなくてまっすぐで綺麗だろ?使えないか?」
薬屋が指差した一本は確かに少し細いが、節もなく真っ直ぐでいい枝に見える。私は腰からナイフを取り出すと数カ所皮を削り、枝の先を軽く折る。虫食いもないし、腐りもなさそうだ。立ち上がり、壁にかけた手鋸で根元を軽く切断して断面を確認する。表面は湿っているが、芯は綺麗に乾いている。
「いいね。これなら使えそう。どうする?これで君の金槌の柄を作ってみる?」
「僕が使ってもいいんですか?」
少年は枝を受け取ると薬屋と私を見比べながら問いかけてくる。
「元々鍛冶屋に渡そうと思って持ってきたからな。鍛冶屋がそれでいいなら構わないさ。あたしとしても少年の愛用の道具になるのは嬉しいし」
「じゃぁ決まりだね。でもその前に二人ともお昼はしっかり食べるんだよ」
そう言うと少年と薬屋は目を見合わせ気まずそうに笑いあい、昼食を再開した。残りの枝を仕舞うために倉庫に入る。そっと工房に目を向けると二人がひそひそとまたお喋りを始めているところだった。幼い弟子を多く抱える工房の主はこんな光景をよく目にするのだろうか。困ったものだがもう少し眺めていたくなるような、そんな不思議な光景でもあった。
お昼を終え作業台を片付けていると、薬屋が思い出したように腰から一本の採取ナイフを取り出す。小ぶりで鹿角の握り。刃の根元にはうちの工房の花の刻印。数年前に作ってやったものだが、今でも愛用してくれているらしい。
「しばらく手入れしてなかったから頼んでもいい?」
「小さい砥石と油も渡してあったでしょ。しょうがないねぇ」
薬屋からナイフを受け取ると、刃先を確認する。荒い使い方をする子ではないので、歪みも欠けもなさそうだ。これなら研ぐだけでいいだろう。それを砥石の前に置くと、作業台に置かれた先程の木の枝の横に、少年用に握りを整えたナイフを置く。
「片付けが終わったら君はこのナイフで木の皮だけ削ってみて。細くなった先の方は後から切り落とすから太い部分だけでいいからね」
少年が返事をするのを聞いてから私は炉石の前に移動する。桶に水を張り布で汚れを綺麗に落とし、粗めの砥石で丁寧に刃を研ぎを始める。薬屋には今回の枝のように時折素材を融通してもらっているので、代わりに道具の手入れを引き受けている。
「使ってて気になるところは無い?」
「握りがもう少し細い方がいいかな。特に刃の近くの親指が当たる辺り」
薬屋と話しながらナイフを研いでいると片付けを終えた少年が作業台に向かって座り革手袋をはめると、ナイフを片手に枝を持ち上げる。まだ皮部分は湿気っているので皮を剥ぐ作業は難しくないはずだ。孤児院の手仕事でも刃物は扱っているはずなので問題はないだろう。
「ねぇ、あの子一人で大丈夫なの?危なくない?」
「刃物は槌よりよほど使い慣れてるだろうし、革の手袋はあの子に合わせた良いものを選んだからね。木の皮だけなら力もいらないし大丈夫だよ」
私としては特に不安はないのだが、薬屋的には小さな子供が刃物を扱う場面を見る機会は少ないのかもしれない。初めこそ私の手元の刃研ぎを見ていたが、居ても立ってもいられないようで、そっと少年のそばに寄ると両手を握りしめて少年を見守り始める。
「あぁ、しっかり握って……」
「指、気をつけて」
「危ないっ!ゆっくりね!」
真剣な表情で枝の皮を削ぐ少年を、薬屋がハラハラしながら見守っている。これなら私は気にしていなくても大丈夫だろう。視線を戻して再び刃研ぎに集中する。砥石を刃が滑る音と木を削る音、そして時折騒ぐ薬屋の声が工房に流れる。今日は普段より少しだけ賑やかな昼下がりになった。




