初めての納品
シャッ。
シャッ。
ガリ。
ガリ。
工房に複数の音が響く。包丁を研ぐ私の横で、少年は真剣な顔でフライパンや鍋にヤスリをかけている。少年は二日間工房を休んでいたので、その間に作った商品を朝から二人で仕上げているところだ。
「やっぱり仕上げ作業、上手だね。こういう細かい作業は得意なの?」
「お花の冠が……あっ」
そこまで話して少年は口を閉じてしまった。なにか言いにくい話題のようだ。少し気になったが、無理に聞くことはせず包丁を研ぎ続ける。
「笑いませんか?」
「笑わないよ。なに?」
「前に孤児院のみんなで川に遊びに行ったんです。そこで女の子たちがシスターと一緒にお花で冠を作ってて、お花で冠ができるのがすごいなって。だから教えてもらって僕も作ったんです。『上手ですね』ってシスターは褒めてくれたんですけど、男の子たちにはからかわれちゃって……」
想像していたより微笑ましい話が出てきて、思わず笑ってしまった。
「笑わないって言ったのに」
少年は不満そうに唇を尖らせる。その様子がなんだか可笑しくて、包丁を持つ手を止めて少年の頭を撫でた。
「笑ってごめんね。でも馬鹿にしたわけじゃないんだよ。そういうちょっとした経験が色々なところで生きることもあるから、これからも興味のあることにはどんどん挑戦していくといいよ」
まだ少し不満そうな顔をしていたが、少年は微笑んでひとつ頷くと、またヤスリを動かし始めた。
仕上げの終わった商品を木箱に詰め終わる頃には、陽も高く昇っていた。少年に工房の裏から荷車を運んできてもらい、商品を詰めた木箱を積み込む。今日の商品は注文品ではなく雑貨屋に卸す品なので、普段ならもっと数を揃えてから持ち込むところだ。だが今日は、少年が初めて手掛けた商品が実際に売れる場面を見せてあげたいと思い、このタイミングで持っていくことにした。
「荷物を積むとさすがに重たいから、荷車を引くのは私がやるね」
「じゃあ僕は後ろから押しますね」
「足元には気をつけるんだよ」
二人で荷車を引きながら街への道を歩く。注文品を手に持って一緒に運んだことはあったが、荷車を使うのは初めてかもしれない。荷物は少ないので大した重さではない。少年にも引かせてみようかと思ったが、なんだか気が引けて結局私が引くことにしてしまった。最近気づいたが、私はどうやら少し過保護なようだ。
街へ入り商店街をゆっくり進むと、市場の近くに目的の店が見えてくる。私がまだ市場で商品を売っていた頃に声をかけてくれた商人が営む雑貨屋だ。なんでも王都に本店を持つ商会の支店らしく、当時まだ「変わり者のエルフ」と思われていた私の商品を気に入り、店に卸してみないかと声をかけてくれた。この街で生活基盤を築けたのは、この店の存在がとても大きい。
店の脇から裏手へ回ると、大扉が開かれた倉庫で作業をしている恰幅の良い男と目が合う。あの頃から見た目はほとんど変わらない。この雑貨屋の店主だ。
「よお、エルフの嬢ちゃん!」
「こんにちは、おじさん。仕事中だった?」
「いや、ちょっと在庫の確認をしててな。納品かい?」
そう言いながら倉庫の奥から出てきたところで、荷車の横に立つ少年に気づいたらしく、不思議そうに目を向ける。
「この間から弟子を取ってね。今日は挨拶も兼ねて連れてきたんだよ」
「そうかいそうかい。嬢ちゃんが弟子をねぇ」
「こんにちは」
少年がぺこりと頭を下げると、雑貨屋は嬉しそうに挨拶を返した。自分で言っていてなんだが、『弟子』と紹介するのは少し照れくさい。それを隠すように荷車の木箱から一枚のフライパンを取り出し、雑貨屋へ手渡す。
「実は今回の鍋類は、この子に仕上げをさせてみたんだよ。もちろん私が確認して問題ないと思ったから持ってきたんだけど、おじさんの目でも見てもらいたくてね」
話を聞いた雑貨屋は、先ほどとは打って変わって真剣な表情になり、受け取ったフライパンをじっくり見始めた。縁を指でなぞり、目を近づけ、角度を変えながら確かめる。荷車へ歩み寄ると、ほかの鍋も同じように確認していく。少年は緊張した面持ちで、その様子をじっと見つめていた。
「これをこの子が?いつも通り嬢ちゃんがやったんじゃなくてか?」
「間違いなくこの子の仕事だよ。私は隣で見ていただけ」
そう言うと雑貨屋は商品を木箱へ戻し、少年の前まで歩いて腰をかがめ、目線を合わせた。
「やるじゃないか、小さい鍛冶屋!こいつはいい鍋だ。全部きっちり買い取らせてもらうよ」
そう言って笑いながら少年の頭をガシガシ撫でると、帳簿に何やら書き込み、店の焼き印が押された木札に数字を書いて私へ手渡してくれる。
「金はいつも通り店のほうで受け取ってくれ。この裏口から入ってくれて構わないよ」
私は受け取った木札を少年へ差し出す。
「じゃあ、お金を受け取ってきてくれる?私はここで待ってるから」
木札を受け取った少年は、大事そうに握りしめて元気よく返事をすると、裏口から店内へ駆けていった。それを見送ってから、雑貨屋に言われた場所へ木箱を降ろし、代わりに空箱を荷車へ積み込む。
「いい弟子を取ったじゃないか。しかし、なんだか嬉しいねぇ」
「さっきから思ってたけど、なんでおじさんがそんなに嬉しそうなの?」
「弟子を取るってことは、この街で人を育てるってことだろ。腕のいい職人が街に根付いてくれるのは、店を構える商人として嬉しいもんなんだよ」
私としては家も買ったし工房も建てた。商売もしているので、この街に根付いたつもりでいた。だが、弟子を取るということには、それ以上の意味があったのかもしれない。特にこの雑貨屋には、私が旅をしていたことも話してある。もしかしたら、いつかまたふらりと旅へ出るのではないか。そんなふうに思われていたのかもしれない。
「ところで包丁は確認しなくてよかったの?」
「さっきちらっと見たよ。嬢ちゃんの仕事は信頼してるから問題ないさ」
雑貨屋はニカッと笑い、私の背中をバシバシ叩く。普段の納品でも、初めて包丁を褒められた時も嬉しかったものだが、今日はそれ以上に温かな気持ちが胸に広がっていた。
空の荷車の荷台に腰掛け、市場の露店通りの片隅で少年と二人、昼食を取る。今日のお昼は露店で買った若鹿の肉串と果実水だ。この時期は薬の素材になる牡鹿の袋角を採るため、若い鹿がよく狩られる。そのため屋台や肉屋では柔らかい鹿肉が手に入りやすい。少年が嬉しそうに口いっぱいに頬張り、もぐもぐと顎を動かす様子は見ていて微笑ましい。
「美味しい?」
「とっても美味しいです!」
「その肉串は、さっき売れた商品の代金で買ったんだよ。つまり君が初めて売った商品で買った食べ物になるね」
少年は目を見開き、串を見つめる。お給金とはまた違うが、自分の手掛けた商品がお金に変わり、そのお金で何かを買う。それを体験してほしくて今日は連れ出した意味もあったので、うまく伝わってくれていると嬉しい。
腰に下げた手ぬぐいを引き抜いて少年の口元を拭うと、果実水の入った錫のカップを手渡す。今日は人が多かったこともあって木のカップは借りられなかったので、私の手持ちで一緒に喉を潤すことにした。
「このカップも親方が作ったんですか?」
「そうだよ。これは旅をしていた頃からずっと使っているものだね。鍛冶屋は自前のカップを持ち歩く人もけっこう多いんだ。特に錫は錆びにくくて、飲み物の味も変わりにくいからね」
少年が飲み干したカップを受け取ると、魔法で中に水を満たし、濯ぐように軽く回してから飲み干す。もう一度水を満たして少年へ手渡した。
「叩いて作るのはなかなか難しいけれど、溶かして型に流すくらいなら君でも作れるかもしれないね。いつか時間ができたら挑戦してみようか」
「これ、叩いて作ったんですか?」
少年は受け取ったカップを持ち上げ、底を確認している。一枚の錫板から加工したので、リベットで留めた持ち手以外には継ぎ目は見当たらないはずだ。錫自体は加工しやすく軽いので鋳造でも問題はないのだが、これは昔、どこまで薄くできるか実験して作った試作品のようなものでもある。実際、薄くしすぎて少しぶつけただけで凹んだり歪んだりするので、とても商品にはできなかった。だから普段から出歩く時に腰から下げて使っている。
「僕も叩いて作れるようになりますか?」
「ここまで薄くしないなら出来なくはないと思うよ。ちょうどいいから今度、錫で色々練習してみようか。あれは失敗しても簡単に溶かして再利用できるから、練習には向いてるんだよね。私も初めて鍛冶を習い始めた頃は、錫で色々練習したんだよ」
何気なくカップの話をしていて思い出したが、私も最初は錫で槌の使い方や彫金を学んだ。もう百年以上も前のことなので、すっかり頭から抜け落ちていたようだ。工房には錫もけっこう余っているし、少年の練習にはちょうどいいかもしれない。その前に金槌を作って渡すのが先だろうか。そんなことを考えながら、串に刺さった肉をもぐもぐと咀嚼していた。




