初めての指導
孤児院から戻ってきて仕事に戻ろうと思ったが、気がつけばずいぶん長く外で過ごしていたようで、陽は高く昇りきっている。
「ひとまずお昼にしようか」
「そうですね」
少年は朝持ってきた包みを作業台に置き、私は今朝温めたものの、すっかり冷めてしまったスープの鍋をその横へ置く。普段はこの時間に炉の火を落とすことはないのだが、まぁ食べられるので問題はない。テーブル脇に置かれた木のカップを二つ並べて手をかざし、魔法でカップの中を水で満たす。
「やっぱり魔法って便利ですよね」
その様子を少年が羨ましそうに見つめている。以前からそうだが、鍛冶以上に魔法にも興味があるようだ。
「特に水は使えるとかなり便利だね。君が教会の勉強を終えて、いずれここに住み込むようになる頃には、水の魔法だけでも試してみようか」
少年の前にカップを一つ置きながらそう言うと、嬉しそうに頷く。
「僕にも魔法が使えますかね」
「どうだろうねぇ。素質があるかどうかは私にも分からないからなぁ」
「そうだ」
少年がカップに口をつけるのを手で制して、もう一度カップへ手をかざす。水の中に小さな氷の塊が三つ、カランという音とともに現れた。
「今日は君の弟子入り祝いだから特別ね」
「前にも何度か氷を出してもらったことありますよ?」
「まぁ細かいことはいいじゃない」
そう言ってカップを持ち上げると、少年も察したように自分のカップを持ち上げる。
「弟子入りおめでとう」
「これからもよろしくお願いします」
二人で木のカップをコツンと合わせて笑い合う。
今日から正式に、この少年は私の弟子になった。とはいえ、今まで弟子なんてものを取ったこともない。さて、何から考えるべきか。もそもそと冷めたスープを口へ運びながら考える。目の前では、少年が薄くスライスした黒パンにチーズを挟んだものをかじっている。
「これから昼は、お弁当じゃなくて一緒に食べに行こうか」
少年はもごもごと噛んでいたパンを水で流し込むと、不思議そうな顔をする。
「何度かごちそうしてもらったことはありましたけど、これからって毎日ですか?」
「君がここに来てない日は、外で食べることの方が実は多いんだよ」
少年が毎回お弁当を持ってくるので合わせていたが、私は本来あまり料理をしない。作れないことはないのだが、料理をする時間があるなら鉄を叩いていたいというのが本音だ。
「食堂で食べてもいいし、屋台で串焼きをかじりながら市場を見て回るのもいい。昼食は雇い主としてしっかり準備するよ。もちろん、お給金とはまた別でね」
なかなか雇い主らしい素敵な提案ができたつもりだったが、少年はなぜか浮かない顔をしている。何か問題があったのだろうか。もしかしたらデザートも付けた方がよかったかな。
「お給金やお昼まで準備してもらって、本当にいいんですか?」
どうやら遠慮していたようだ。まだ働くという経験をしたことがない年頃の子供なら、そういう感想にもなるのだろう。この辺りを教えるのも私の役目なのかもしれない。
「働きに応じて対価をもらうのは当たり前のことだし、君のこれまでのお手伝いだって、本来はお給金をもらってもいいくらい工房のためになってたんだよ。遠慮せず、もらえるものはもらっておきなさい」
少年はまだ少し気まずそうだったが、納得したように頷く。これは早急に何か仕事を与えて、品物がお金に変わる瞬間を見せてあげる必要があるかもしれない。そんなことを考えながら、もそもそとスープを口に運ぶのだった。
食事を終えて作業台の片付けを少年に任せると、火かき棒で炉の炭をかき出し、風を送って火を起こす。今朝灰をかぶせたままだったので、すぐに炉の温度が上がり始める。急ぎの注文はないので、定期的に雑貨屋へ卸すフライパンでも作ろうか。そう考えながら炉の炭を眺めていて、ふと思いつく。
「片付けが終わったらこっちにおいで」
少年にそう声をかけると、洗ったカップを窓際へ伏せていた少年が傍まで歩いてくる。炉の前へ移動した少年の横にしゃがみ、視線を合わせて炉の炭を見せる。
「私も弟子を取るのは初めてだからね。何から教えたらいいか分からないし、とにかく一つずつ説明することにするね。すぐに全部を覚えなくても大丈夫だし、忘れたら遠慮しないで、いつでも何でも聞くんだよ?」
少年は少し緊張した面持ちで真剣に聞いている。思えば彼から質問されるままに答えたことは何度もあったが、私からこうやって何かを教えるのは初めてのことかもしれない。
「そんなに難しい顔しないで。いつも通りでいいんだよ」
「いつも通りですか?」
「今までだって気になることがあったら『ねぇ親方』って聞いてくれてたでしょ?これからもそうやって何でも聞いてくれていいよってこと」
そう伝えると、少年はほっとしたように表情を柔らかくする。私たちの関係は今までと変わらないと、うまく伝わっただろうか。
「今からちょうど炉に火を入れるから、よく見ててね。できるだけ教えるけれど、私も人に教えるのは苦手だから、気になったことは聞いてくれると私も嬉しい」
炉へ手をかざし、魔法で風を送り込むと炭の色が変わり始める。
「魔法がないと炉に火は入れられないんですか?」
「そんなことないよ。魔法が使えないなら、風を送り込む道具を使えばいいだけだからね。君が炉の温度を気にかけるのは実際に槌を振れるようになってからだろうから、今はなんとなく見ててくれればいいからね」
風の強さを徐々に強くしていくと、炭の色が白っぽい黄色に変わり、周囲の炭にも火が移り始める。
「火の色が変わりました!」
「鍛冶屋は色で温度を見るんだよ。白っぽい色になるほど高温になる。炉の前は暑いでしょ?」
少年が少し汗ばみ始めている。今まで炉の近くは危ないから近寄ってはいけないと言い聞かせていたので、目の前で炉の暑さを体感するのは初めてかもしれない。
「倉庫から鉄材を持ってきてくれる? 太い棒のやつね」
そう伝えると、少年は倉庫へ向かい、銀灰色の鉄の棒を抱えて戻ってくる。それを受け取ると、金床を軽く叩く。
コン。
コン。
音を確認して鉄の棒をトングではさみ、炉の炭へ突っ込み、また風を送る。
「ねぇ親方」
「親方じゃないけど何?」
「もう親方ですよね?」
「そうだったね」
いつもの癖で返してしまったが、正式に私はもう親方なのだった。
「親方って呼び方、どう思う?」
「普通だと思いますけど、違うんですか?」
弟子を取ったわけだし、間違いなく私は親方の立場になったわけだが。
「なんか可愛くないよね、親方って響き」
「それ大事ですか?」
少年は不思議そうに首を傾げているが、大事なことだ。私は自分の容姿について無頓着ではあるが、自信がないわけではない。不本意ながらこの容姿のお陰で助けられたことも多いので、一般的に見てそれなりに綺麗な容姿をしている方だとは思っている。だからこそ、『親方』という何とも厳つい響きがどうにも馴染まない。
「まぁ君には他意もなさそうだし、それでいいか。で、何か気になるところがあったの?」
少年は金床へ視線を向ける。
「さっき鉄材を金床で叩いたのには何か意味があるのかなって」
どうやら無意識に癖でやっていたようで、少しだけ申し訳ない気持ちになる。教え上手な鍛冶屋なら、こういう細かいところにも気が付くのだろうか。
「あれはちゃんと軟鉄かどうか確認してたんだよ。買い付けてる軟鉄はだいたい太い棒状だから間違えることはないんだけど、まぁこれは癖みたいなものだね」
「音で鉄の種類が分かるんですか?」
「鋼と軟鉄くらいの違いしか分からないけどね。鋼はもっと甲高い音が鳴るよ。それはまた使う時に教えてあげるね」
そう話すうちに鉄の温度も程よく上がったようで、炭から引き抜いて金床へ乗せる。タガネを押し当てたところで少年へ目を向ける。
「ちょっと手伝ってみようか。このタガネをそこの槌で叩いてくれる?」
初めて槌を握らせてもらえることに、少年の表情が分かりやすく笑顔になる。
「切り込みを入れるだけだから優しくでいいからね。一気に叩かなくても大丈夫。数回に分けていいから」
少年は慎重に槌をタガネへ叩きつける。
コン。
コン。
タガネが鉄へめり込んでいく。ある程度まで打ち込めたところで少年から槌を受け取ると、鉄材をひっくり返し、金床の角へあてがい、上から槌で軽く叩く。パキンという音を立てて、鉄材が溝の先から折れて床へ転がる。
「折れちゃいましたよ?いいんですか?」
「折ったんだよ。これから使う大きさに合わせて調整しただけだから大丈夫」
切り分けた鉄材を再びつかんで炉へ入れ、また温度を上げていく。
「今日は今からフライパンを作ります。ちなみにフライパンと包丁は、うちの看板商品です」
少し得意げに胸を張って見せると、少年は嬉しそうに手を叩く。素直な反応は嬉しいが、自分でやっていて少し照れくさい。炉の中の鉄の色を確認すると、いい具合に白っぽい黄色へ変わっている。
「炉の中見える?鉄が白っぽい黄色になってるでしょ?だいたいこのくらいの色が頃合いだね。今はなんとなく、そういうものだと思っていればいいよ」
少年が炉の中を覗き込んで頷いているのを確認しながら、腰へ巻いた作業着を着込み、鉄材を引き抜く。
「これから叩いて形を整えるから近くで……」
見ているように言おうと思ったが、少年の服装がいつもの服だと気付く。このままだと火花で服が穴だらけになってしまうかもしれない。こういうところも準備が必要なようだ。今度一緒に服屋でエプロンや手袋も買い足さなければ。
「今日は一旦離れて見ててね。今度一緒に革エプロンとか手袋とか買いに行こう」
そう言うと、少年は素直にいつもの窓際の木箱の辺りまで移動する。それを確認して、最初は丁寧に槌を振り下ろす。
ベシッ。
ベシッ。
粘土を叩くような音を立てながら鉄材を整えていく。後に持ち手になる部分を集中的に叩き伸ばし、大きなお玉のような形に整える。ある程度形が整うと、塊の部分を上から力いっぱい叩きながら鉄を平らに広げていく。
厚さは均一に。形状はできるだけ丸く。手早く丁寧に叩き続ける。叩く音が次第に変わり、コンコンと音を立てるようになると鉄を炭へ突っ込み、また叩く。それを何度か繰り返していると、少年が口を開いた。
「音が変わったら炉に入れて、また鉄を熱くするんですか?」
私は思わず目を見開いた。
驚いた。
終わってから話そうと思っていたのだが、この少年は見ていて何かに気付いたようだ。
「鍛冶屋は色や音で鉄の具合を確認するんだよ。それにしても、よく気が付いたね」
「今までもずっと親方の仕事は見てましたから。カンカンとかコンコンって音がし始めると、鉄を炭に入れてましたよね」
よく頑固な職人が弟子に対して「見て覚えろ」なんて言うことがある。まさか弟子の方が見て覚えているとは思ってもみなかった。私はこの少年を少し侮っていたのかもしれないと思い、少しだけ申し訳ない気持ちになる。
まだ子供なのだから一から全て説明しなければならないと、そう気負っていたようだ。私がしっかり教えようと思うのと同じように、彼は彼なりに学ぼうという気持ちで私の仕事をしっかり見てくれている。
これが師弟というものなのかもしれない。そんなことを考えながら、私は少し嬉しい気持ちで槌を握る手に力を込めた。




