農村への巡回
馬車の荷台に揺られながら、街道を進んでいる。日差しはあるが、乾いた涼しげな風が頬を撫で、髪を揺らす感覚が心地いい。
隣に座る少年も、向かいに座るシスターも、穏やかな表情で風景を眺めている。護衛として馬車の周囲を歩く冒険者たちも、緊張感こそあるが、時折軽い雑談を交わす余裕もあるようだ。
今日はシスターの巡回に同行し、近くの農村へ出張修理に向かっている。依頼を受けたのは一週間ほど前だった。収穫時期の農村では毎年少なからず怪我人が出るそうで、教会から聖職者が定期的に巡回へ出向き、癒しを施すらしい。
癒しとは、魔法的な力で怪我や病気の回復を手助けする技術で、魔法の研究者の間では「治癒魔法」とも呼ばれている。もっとも、その方法は教会内で秘匿されており、教会では魔法ではなく「神の奇跡による癒し」とされている。
ふとシスターと目が合い、微笑み合う。出会った頃はまだ孤児院の少女だったこの子が、いつの間にか聖職者としての修行を重ね、癒しを行えるまでになっていた。シスター本人は嫌がるだろうが、その成長を感じると、どうしても微笑ましい気持ちになってしまう。
「今回は出張修理の依頼を受けていただいて、ありがとうございます。でも、本当によろしかったのですか?いつも通り、他の鍛冶屋さんからお弟子さんを派遣していただいてもよかったのですが」
「うちも今年から弟子を取ったからね。経験を積ませたいというのもあるけれど、顔を売っておけば工房への修理依頼も増えて、私も助かるんだよ。それに近隣の農村には行ったことがなかったから、私も少し興味があったしね」
先週、ふらりと工房へ顔を出したシスターと雑談をしている時に、今回の話が出た。
前回巡回に出向いた農村で鍛冶屋の出張修理を頼まれたため、次の巡回までにどこかの工房へ依頼しなければならない、という話だった。シスターとしては何気ない話題のつもりで口にしたのだろうが、私が興味を持ち、せっかくならうちで引き受けようかと申し出た結果、現在に至る。
「ねぇ親方、農村には鍛冶屋はないんですか?」
「小さな村だと、ないことの方が多いんじゃないかな。仕事はあっても、素材の入手が大変だからね。ちょっとした修理程度なら農家さんにもできるだろうけれど、今の時期は収穫で大忙しだから、そんな暇もないだろうしねぇ」
小さな村や集落に専門職がいないのは、珍しいことではない。そのため鍛冶や木工に関わる簡単な仕事は、村の中の器用な者がある程度行い、複雑な仕事は冬にまとめて街の工房へ依頼することが多い。
今までも、別の鍛冶工房から冬の修理依頼を回してもらうことがあったが、弟子もできたことだし、そろそろ直接依頼を受け始めるのもいいかもしれない。
「なんで鍛冶屋への依頼をシスターが持ってくるんですか?」
「近隣の村や集落と、街との間の情報共有も、教会の大事なお仕事のひとつなんですよ。こうやって冒険者さんたちと定期的に巡回して、領主様、冒険者ギルド、教会の三者が連絡を取り合うんです」
「冒険者さんだけではダメなんですか?」
「俺たちだけだと、怪我人を治せないからな。どうせ巡回するなら、聖職者も一緒の方がいいだろうって神父様が提案してくれて、それからこうやって一緒に回るようになったそうだぞ」
答えてくれたのは、護衛を引き受けてくれている冒険者の一人だった。彼は今回の護衛隊のリーダーで、この街では珍しいゴールドランクのベテランだ。護衛任務を得意とすることで知られている。
彼が同行しているところを見ると、神父様は聖職者になったばかりのシスターを、まだ心配しているのだろう。それが分かり、少し嬉しくなる。
その後も少年の疑問をきっかけに、シスターや冒険者たちを交えて談笑しながら、馬車は進んでいく。
今まで冒険者とは、荷運びを頼む程度の交流しかなかったので、新鮮な話を色々と聞くことができ、私にとってもかなり有意義な時間になった。
しばらく進んだところで、先頭を歩いていた若い男の冒険者がさっと手を上げると、馬車が止まった。一瞬、全員に緊張が走り、護衛の冒険者たちが武器を構えて周囲を警戒し始める。
「何かあったの?」
「狼だ」
馬車の横を歩いていた護衛のリーダーに声をかけると、彼は前方を注意深く観察しながら、声を潜めて答えてくれた。
私もその方向へ目を向ける。街道の先、森との境目辺りで、一匹の狼が地面の匂いを嗅ぎながらうろついていた。
「大丈夫なんですか?」
少年が口を開いたのと同じタイミングで、狼の耳がぴくりと動く。こちらへ顔を向けたかと思うと、さっと森の中へ逃げていった。
冒険者たちはしばらく周囲を警戒していたが、問題はないと判断したようで、再び馬車が動き出す。
「何事もなくてよかったねぇ」
「護衛がいると分かっていても、やはり緊張してしまいますね」
シスターと顔を見合わせ、ほっと一息つく。
狼はこの辺りでは野生動物として扱われているが、地域によっては魔物に分類されることもあるほど危険な生き物だ。大事にならずに済んでよかったと思いながら少年へ目を向けると、少し不思議そうに首を傾げていた。
「狼は危険なんですよね?倒さなくてよかったんですか?」
どうやら冒険者と狼が戦うことになると思っていたらしい。狼が危険な動物だと知っていて、物語に登場する冒険者が危険な生物や魔物と戦う姿を読んでいれば、そう考えるのも自然なことなのかもしれない。
その疑問には、護衛のリーダーが答えてくれた。
「あれは、偶然街道に顔を出した若い個体だろうな。狼は賢い動物だから、本来は危険を冒してまで人間を襲ったりはしないんだ。人を襲うのは、飢えて食い物に困ってるやつらさ。さっきの狼はよく肥えてたし、大丈夫だろう」
「それでも狼は危険なんですよね?見つけたら狩るんだと思ってました」
「下手に刺激して仲間を呼ばれても厄介だからな。俺たちは今、護衛任務中だ。むやみに自分から危険へ飛び込むわけにはいかないんだよ」
護衛を得意とする優秀なベテラン冒険者だとは聞いていたが、どうやら戦闘能力の高さだけで評価されているわけではないようだ。
状況を見極め、依頼の目的を優先する判断は実に理にかなっているし、子供の疑問にも丁寧に答えてくれている。冒険者を評価するうえで、人格や判断力も重視される理由がよく分かる。
「そういえば、シスターは随分と落ち着いていたね。狼は怖くなかったの?」
「実は以前にも、狼と遭遇したことがあったんです。その時は飢えた狼の群れで、私たちを見つけるとすぐに襲ってきましたが、冒険者の皆さんが落ち着いて対処してくださいました」
シスターは周囲を歩く冒険者たちへ目を向ける。
「その後も、怯えていた私を気にかけて、何度も話しかけてくださったんです。ですから今は、皆さんに任せておけば大丈夫だと信頼しています」
笑顔で語るシスターの言葉に、周囲の冒険者たちは少し照れくさそうに目を背けている。どうやら彼らとは、けっこう長い付き合いのようだ。その穏やかな空気に、思わず笑みがこぼれる。
旅には慣れているものの、少年を連れての遠出は初めてだったので、私も少し緊張していた。だが、シスターと彼らの信頼関係を知ることができたおかげで、残りの道中は安心して馬車に揺られることができた。




